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Jユースと高体連の明確な違いとは? 東福岡・志波総監督が語る、育成年代の加速度的変化 

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1: 2020/05/21(木) 14:30:56.92
さまざまな人の尽力により創設された、高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ。2011年に幕を開けた2種(高校生)年代最高峰の戦いは今季で10年目を迎える。
この場を経験した選手たちが10代で海外へと羽ばたくなど、着実に進歩を遂げる日本の育成年代をより発展させる上で、プレミアリーグのさらなる成熟は欠かせない。
東福岡高校で50年近く指導に携わる志波芳則はどのように見ているのか。本山雅志、長友佑都らを育て上げた名伯楽の考えに迫る。

“赤い彗星”指揮官が語るJユースと高体連の違い

1997年に高校サッカー界で前人未到の偉業を成し遂げたチームがある。
夏のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)、秋の全日本ユース(日本クラブユースサッカー選手権[U-18]大会/現・高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ)、
冬の選手権(全国高校サッカー選手権大会)をすべて制し、トリプルクラウンを達成した東福岡高校だ。
最高学年の本山雅志、手島和希、古賀誠史、2年生の金古聖司、宮原裕司、千代反田充を擁した“赤い彗星”は敵なしで、同年の公式戦は52試合無敗と圧倒的な強さを誇っていた。
翌年も選手権を連覇。東福岡は一気に全国で名の知れた存在となった。あれから23年。
今も高校サッカー界の最前線を走る東福岡。プレミアリーグには初年度から参加し、WESTでは高体連(全国高等学校体育連盟)で唯一、10年にわたりプレミアリーグで奮戦を続けてきた。
名将は10年連続で大会に参加し、何を感じたのか。今後はどのように進化を遂げていくべきか。ポイントは学校教育とサッカーの融合だった。

――プレミアリーグの歩みをどのようにご覧になられていますか?

志波:高体連、タウンクラブ、Jクラブのアカデミー。同じU-18世代の選ばれしチームが戦い、毎週のようにレベルの高い試合を経験させていただいています。本当にありがたいですよね。

――10年前に創設された当初は戸惑いもあったと思います。それまでは高体連同士の戦いがメインでしたが、Jユースと戦う機会が増えたのはどのような意味合いがあったのでしょうか。

志波:これをいうと高体連のチームに失礼かもしれないけど、一人ひとりの質はJクラブのアカデミーが高いと感じています。それは選ばれし者がJユースで育てられているからですよね。
ただ、高体連とJクラブのアカデミーでは考え方に違いがあります。

 高校年代を育成年代と捉えるのか。それとも、トップで活躍するための準備期間なのか。チームの考えによって変わってきます。
ユース年代を育成と捉えて個の能力を伸ばしたいのであれば、子どもたちの個性をうまく引き出せるように育成したほうがいいですよね。
逆に彼らをトップチームのメンバーに引き上げる目的があるのならば、トップの戦術や戦略に見合った選手を育てます。

 ただ、高体連の場合、次の進路が大学やプロであれ、上のレベルでもう一度セレクトされます。
なので、今後の可能性も踏まえ、「彼のパフォーマンスでストロングポイントはここだから、さらに伸ばしてみよう」という育て方は往々にしてありますよね。そこがクラブと高体連で若干違うのではないでしょうか。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200521-00010000-realspo-socc
5/21(木) 12:18配信

名門・市立船橋の元指揮官が新天地のジェフ千葉U-18で感じた高体連とJユースの違いとは? 

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/12/27(金) 06:59:28.21 ID:6QDqPKD49
クラブの悲願だった3年ぶりのプリンスリーグ入りは叶わず。

終了のホイッスルが鳴ると、苦虫を潰したような表情で悔しさを露わにした。スコアは0-3。文字通りの完敗だった。
勝てば昇格、敗れれば千葉県リーグ1部に残留――。その大一番に敗れ、朝岡隆蔵監督の新たな挑戦となった1年目のシーズンが終わりを告げた。

12月25日に行なわれたプリンスリーグ関東参入戦の2回戦。ジェフユナイテッド市原・千葉U-18は序盤から昌平に押され、前半終了間際に失点。
後半に巻き返しを図ったが、開始早々にセットプレーから加点され、最終盤にもPKを決められて勝負が決した。

「(リーグ戦ではないので)最後に勝たないといけないゲーム。選手の闘志に火を付けられなかった。いろんなことがあるけど、戦うエネルギーを残念ながら僕は感じなかった。
びびっているし、尻込みしているし、『なんだよ、ここでそれかよ』と少し感じてしまった。これは自分の責任」

指揮官は悲願である3年ぶりの昇格は勝ち取れず、敗戦のすべてを受け入れた。

朝岡監督にとって、今季は変化の時だった。今年3月末。朝岡監督は市立船橋高を離れた。
この決断に多くの人が驚いたのは記憶に新しい。それは指揮官として、市立船橋で多くの実績を残してきたからだ。

市立船橋ではコーチから監督に昇格した1年目に快挙を成し遂げる。和泉竜司(現・名古屋)らを擁し、2011年度の全国高校サッカー選手権で優勝を飾った。
以降も“市船らしい堅守”を重んじながら、攻撃的なサッカーで一時代を築いた。
13年と16年には夏のインターハイを制覇。
また、適性を見ながら、選手を育てる力に長けており、勝負にこだわりながらも将来を見据えた指導に定評があった。
多くの選手をJリーグの舞台に送り込み、杉岡大暉(現湘南)、原輝綺(現鳥栖)、高宇洋(現山口)らがU-22日本代表でも活躍中している。

高校サッカーで名を挙げた朝岡隆蔵監督は、母校の市立船橋を離れるタイミングで大きな決断を下す。
教員の職を辞し、プロの指導者として千葉U-18の監督に就任した。
プレミアリーグEASTで戦う市立船橋から千葉県リーグ1部の千葉U-18へ。
阿部勇樹(現浦和)、佐藤勇人、佐藤寿人(ともに現千葉)らを輩出した育成組織の再建を託されたのだ。

朝岡監督は「市立船橋でやってきたこと以外のことを学びたい」と覚悟を決め、そうした幾つかの違いと向き合いながら、新たな場所で挑戦を始めた。
しかし、豊富な経験値を持つ指揮官であっても、チームを作る作業は困難を極めたという。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191226-00068165-sdigestw-socc
12/26(木) 20:26配信

中村俊輔が考える/日本サッカー積年の疑問「Jユースと部活、どっちが育つのか?」   

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1: Egg ★ 2019/02/25(月) 19:01:29.54 ID:llAEbQXq9
■部活動で経験した“明確な上下関係”で気づいたこと
 
しかし現実は甘くない。クラブユースと一線を画する部活動には明確な上下関係が存在する。高校1年生は全体練習に混ざるどころかグラウンドの隅でボール拾いをするのが仕事だった。
昼休みには汚れたボールを磨き、雨が降った日はスポンジを使ってグラウンドに溜まった水を吸い取る。試合出場はおろか練習すらできない、完全なる下積み時代を過ごしたというわけだ。

「マリノスのジュニアユースは人工芝のグラウンドで練習していたし、綺麗なボールに空気がしっかり入っていた。みんながサッカーをやるために集まっていたから、先輩・後輩という意識はあっても、必要以上に上下関係はなかった。
だから高校サッカーの世界に足を踏み入れてみてカルチャーショックを受けた部分はある。でも中学時代に一度犯した過ちを繰り返さないようにという思いが強かった」

また考えた。ボールを蹴るためにはどうするか。いつならば練習できるのか。サッカーが上手くなるためには、どうしたらいいのか。
出した結論が「朝練」だった。当時のサッカー部には朝練がなく、放課後の練習のみだった。そこで中村はグラウンドを自由に使える授業前の時間に目をつけた。

眠い目をこすりながらも朝6時台の電車に乗り、広いグラウンドで思う存分ボールを蹴った。当時、朝練を行っていた部員は中村を含めて3~4名ほど。顧問の先生もコーチもいないが、それは大きな問題ではなかった。
自分自身と向き合い、1時間足らずの練習時間に没頭した。

「誰かが褒めてくれるわけではない。1年生の自分が練習するには朝練しかなかったということ。全体練習後も自主練習はできたけど、遅い時間になると照明を落とされてしまうから。
朝なら自分が早く登校したぶんだけボールに長く触れられる。高校2年生の先輩とひたすら1対1の練習をしていた」

仮に、朝練が禁止されていたら? こんな質問にもまったく意を介さない。
「また考えただろうね。何か方法はあるはずだから。そこで諦めてしまうのは簡単だし、ふて腐れても意味がない。環境は大事だけど、一番大事なのは選手本人だから」

■40歳の今なお生きる習慣…“気づいて、考えて、行動する”

自身が過ごした中学・高校時代から20年以上の月日が流れた。その間に日本代表はワールドカップに6度出場し、欧州のトップリーグで活躍する日本人選手が普通にいる。
高校卒業後にJリーグではなく海を渡ってプロになるケースすらある。

「自分の頃の時代と違い、今は指導者ライセンスの制度が整っている。だからクラブと部活で指導者のレベルはほとんど変わらない。ただ、日本サッカー界にはさまざまな変化が起きた。
プロになることが目的ではなく、その先のワールドカップや欧州トップリーグという目標を立てられる時代になった。選手の目線が高くなったことは、指導者にも大きな影響を与えているはず」

クラブ育ちも部活動育ちも、そして指導者も、視線はより高みへ。そんな時代になりつつある。
もちろん最後は選手次第。足りないものに気づくことも大切な能力のひとつなのだから。桐光学園への進学を振り返り「後悔は一切ないし、自分が学ぶことや気づくことがたくさんあった」と頷く。

中村なりの答えはある。しかし、万人にとっての正解はない。

2/25(月) 16:03配信 THE ANSWER
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190225-00052892-theanswer-socc&p=1



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