Samurai Goal

現役引退


スポンサード リンク





ビルバオ39歳FWアドゥリスが現役引退を発表…早急の股関節手術勧められ、カップ戦決勝出場叶わず 

20200521-00010002-goal-000-1-view




1: 2020/05/21(木) 10:23:08.01
アスレティック・ビルバオの元スペイン代表FWアドゥリスが現役引退を発表した。

2012年に古巣のビルバオに復帰して以降、活躍を続けてきたアドゥリス。2月に39歳の誕生日を迎えた同選手は、昨夏に2019-20シーズン終了後の現役引退を発表していた。4月には集大成となるコパ・デル・レイ決勝を控えていたが、新型コロナウイルスの影響でシーズンととともに大一番の延期が決まっている。

先日には6月末に満了を迎える契約を延長することが濃厚と伝えられたアドゥリスだが、20日にソーシャルメディアで現役からの引退を発表。元スペイン代表FWは「時間が来た。何度も、何度も、僕が別れを告げる前にフットボールが先に別れを告げると言ってきた」と綴り、スパイクを脱ぐことを明かした。

「昨日、医師から股関節を人工のものに変え、可能な限り通常の日常生活を送るために、早めに手術を受けたほうが良いと言われた。残念だけど、僕の身体は“もう十分だ”と言っている。僕が望むように、またふさわしい形でチームメイトをもう助けられない。これがプロアスリートの人生だ。とてもシンプルだ」

「今、とても厳しく辛い状況の中を生きている。僕たちが苦しむパンデミックは取り返しのつかない爪痕を残した。僕たちは団結して戦い続けなければいけない。だから、君たちに僕のことを心配してほしくないし、これはただのアクネドートだ。僕たちには別れを言える時間があるから、夢見ていたファイナルのことを忘れてしまおう。さようならを言う時間は来たし、これが僕にとってのエンディングだ。最初から最後まで忘れられない、最高のものだった」

「心の底からありがとう」

2002年にビルバオのファーストチームデビューを飾ったアドゥリスは、バジャドリー、マジョルカ、バレンシアに在籍したものの、3期間、計12シーズンにわたりバスクのクラブでプレー。スペイン代表としては、13キャップ2ゴールをマークし、同国の最年長得点記録を樹立した。

今シーズンの開幕戦バルセロナとの一戦で終盤に決勝点となるオーバーヘッドを決め、リオネル・メッシ以外では初となるラ・リーガ15シーズン連続ゴールを達成。しかし、それ以降はケガに苦しみ、選手キャリアにピリオドを打つことが決まった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200521-00010002-goal-socc

元日本代表DF永田充が現役引退…Jでは柏、新潟、浦和、東京Vでプレー 

GettyImages-648216314-500x333




1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/02/17(月) 07:11:15.97 ID:kv+a+4S89
関東1部リーグの東京ユナイテッドFCは16日、元日本代表DF永田充(36)が昨シーズン限りで現役を引退することを発表した。

2002年に静岡学園高校から柏レイソルに入団したプロキャリアをスタートさせた永田。
2006年に加入したアルビレックス新潟では、2010年には日本代表デビューと共にプロキャリア初のリーグ戦全試合出場も達成し、充実したシーズンを過ごした。

その後、2011年に浦和レッズに加入したが、3年目から出場機会が激減。
2017年に加入した東京ヴェルディでの2年間のプレーを経て、2019年に東京ユナイテッドFCへ活躍の場を移していた。

キャリア通算ではJ1リーグで272試合6ゴール、Jリーグカップで48試合1ゴールを記録。
また、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)では8試合、J2リーグでは10試合、天皇杯では20試合に出場していた。

現役生活に終止符を打つ決断を下した永田は、クラブ公式サイトで以下のようにコメントしている。

「1年間本当にお世話になりました。僕はサッカー選手を引退する事にしました」

「試合で勝った時の喜び、負けた時の悔しさ、チームメイトとの絆、色々な経験をさせて頂いて1人の人間として本当に成長させて頂きました」

「18年間プロサッカー選手として続けて来れた事は自分でも驚いていますし、誇りに思います」

「それも今まで在籍させて頂いたチーム、関係者の皆様、サポーター、友人、家族、皆様のお陰だと思います」

「僕のサッカー人生に携わってくれたみんなが一生の宝物です。これから社会人として皆様に少しでも恩返し出来るように全力で頑張ります」

「東京ユナイテッドFCが1年でも早くJFL昇格をして、その先のJリーグの舞台で活躍する事を願ってます。これからはいちファンとして応援しますので頑張って下さい」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200216-00370276-usoccer-socc
2/16(日) 21:50配信

<なでしこ大野忍>現役引退 11年W杯優勝メンバー 

1: Egg ★ 2020/02/05(水) 09:48:59.64 ID:wDy0zBGr9
なでしこ世界一の立役者でもあるサッカー元女子日本代表FW大野忍(36)が現役を引退することが4日、分かった。近日中にも発表される。

日本中が“なでしこフィーバー”に沸いた11年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会優勝メンバーで、12年ロンドンオリンピック(五輪)銀メダルなどにも貢献。なでしこリーグでは99年のデビューから通算319試合に出場して歴代最多182得点をマーク。昨年12月にノジマステラ神奈川相模原を契約満了で退団していた。日本女子サッカー界屈指の点取り屋が、静かにスパイクを脱ぐ。

   ◇   ◇   ◇

なでしこジャパンを代表するレジェンドが、また1人ピッチを去る。大野は昨年12月にノジマステラを契約満了で退団後、フリーとなり、今後の活動を模索していた。関係者によると、なでしこリーグのクラブ中心に交渉を行っていたが、この日までに現役生活を終える意思を固めたという。

名実共に日本女子サッカー界をけん引してきた。まだ15歳の高校生だった99年にNTVベレーザ(現日テレ)でなでしこリーグデビュー。すぐに頭角を現すと、07年と10年には最優秀選手と得点王、ベストイレブンを合わせた個人3冠を2度達成。18年には元日本代表MF澤穂希ら3人しか到達していない国内リーグ戦300試合出場も果たした。昨季までの約21年間で国内リーグ戦319試合に出場し、積み重ねた182得点は歴代最多。その間、フランスの世界的名門リヨンなど2度の海外移籍も経験しており、近年は世界を知るストライカーとして若手のお手本にもなっていた。

代表でも03年1月のデビュー以来、主力として139試合出場40得点と変わらぬ得点力を発揮した。11年W杯優勝のほか、12年ロンドン五輪銀メダル、15年W杯準優勝などに貢献。「意識してやってきた」と持ち前の明るい性格でムードメーカー役を務めてチームを盛り上げ“なでしこフィーバー”の中心選手として日本中に元気を届けた。

今年1月に日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを取得するなど、今後は指導者転身も含めて進路を検討中だという。長くなでしこを支えた点取り屋は、第2の人生でも女子サッカー界を明るく照らしていく。

◆大野忍(おおの・しのぶ)1984年(昭59)1月23日、神奈川県座間市生まれ。読売西友メニーナから、99年に15歳でNTVベレーザ(現日テレ)昇格。11年1月にINAC神戸移籍。2度の海外移籍などを経て15年にINAC神戸に復帰し、18年からノジマステラ神奈川相模原に移籍。03年1月の米国戦で日本代表デビューし、11年ドイツ大会優勝など3度のW杯と2度の五輪出場を経験。国際Aマッチ通算139試合40得点。155センチ、56キロ。

2/5(水) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-02040770-nksports-socc

写真
no title

元イタリア代表デ・ロッシが現役引退を表明、家庭の事情で 

20200107-00000009-jij_afp-000-2-view[1]




1: 久太郎 ★ 2020/01/07(火) 11:40:48.18 ID:PAZpsbIO9
【AFP=時事】サッカー元イタリア代表MFのダニエレ・デ・ロッシ(Daniele De Rossi)が6日、現役引退を発表した。

 イタリア・セリエAのASローマ(AS Roma)で18年を過ごしたデ・ロッシは、昨シーズン終了後にアルゼンチン1部リーグのボカ・ジュニアーズ(Boca Juniors)に加入。公式戦では7試合の出場で1得点を挙げたが、家庭の事情でイタリアに戻らなければならなくなったと明かした。

 36歳のデ・ロッシは「故郷に帰らなければならない。ボカとサッカーから離れる」とコメントした。「私の心をつかんだクラブを去り、サッカーや自分の情熱にも別れを告げる」

 アルゼンチンに渡ってからけがに悩まされていたデ・ロッシは「体調面で深刻な問題はない」としたが、家族や娘のそばにいる必要性を感じており、「私も家族が恋しいし、家族も私が恋しい」のだという。

 デ・ロッシは2004年から2017年にかけてイタリア代表としても117試合に出場し、2006年に行われたW杯(World Cup)では優勝も経験した。

 デ・ロッシは「イタリアでサッカーの仕事を続けるつもり。どんな職種になるかは分からない」と続けた。

「ここはあまりに遠すぎて、日常的に(故郷の)人たちと連絡を取り合うのが難しい。ローマかその近郊の街で暮らすつもり」

 昨年5月にローマを退団した際、現役を続けたいと話していたデ・ロッシは、アルゼンチンへの移籍が決まると「ボカでプレーせずに引退はできない」と述べていた。

 デ・ロッシのアルゼンチン移籍を取りまとめたのは、ローマ時代の元チームメートで、当時ボカのスポーティング・ディレクター(SD)を務めていたニコラス・ブルディッソ(Nicolas Burdisso)氏だった。

 その後ボカのSDには、ブルディッソ氏に代わってファン・ロマン・リケルメ(Juan Roman Riquelme)氏が就任したが、それでもデ・ロッシは新たなフロントとの間に問題はなかったと主張した。

 デ・ロッシは14歳の娘について、「イタリアに残っている唯一の家族であり、父親がそばにいなければならない」と語った。「彼女が危険な目に遭っているわけではないが、私はそこにいる必要がある」 【翻訳編集】 AFPBB News

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200107-00000009-jij_afp-socc

<元日本代表MF明神智和>41歳で現役引退...シドニー五輪、2002年W杯など出場  

1: Egg ★ 2019/12/02(月) 15:51:41.00 ID:OQGSLmpA9
J3のAC長野パルセイロは2日、同クラブに所属する元日本代表MF明神智和が2019シーズン限りで現役を引退することを発表した。

 明神は1978年1月24日生まれの41歳。柏レイソルユースから1996年にトップチームに昇格し、クラブ初タイトルとなった1999年ナビスコカップ優勝などに貢献した。

 2006年に移籍したガンバ大阪では2008年AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝や2014年J1優勝などのタイトルを獲得し、キャプテンも務めた。2016年は名古屋グランパスでプレーし、翌2017年から長野に在籍している。

 J1での通算497試合出場は歴代9位。J2とJ3を含めてリーグ戦通算555試合(26得点)、公式戦合計723試合(33得点)に出場している。

 U-23日本代表として2000年シドニー五輪にも出場し、同年には日本代表にもデビュー。2000年アジアカップ優勝や2002年日韓ワールドカップ決勝トーナメント進出などに貢献し、通算26試合出場3得点を記録した。

「チームからは来年も選手契約のお話をいただいたのですが、プロサッカー選手として求められるものに応えられないと感じ、引退という決断に至りました」と明神はクラブを通してコメント。「たくさんの出会いに恵まれ、多くの方々に支えられてここまで現役を続けることが出来ました。本当にありがとうございました」と感謝の思いを述べている。

12/2(月) 13:24 フットボールチャンネル
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191202-00350874-footballc-socc

写真no title

元イタリア代表MFモントリーボ、古巣ミランへの憤りと共に34歳で現役引退!  

20191113-00364400-usoccer-000-1-view[1]




1: 久太郎 ★ 2019/11/13(水) 20:56:17.47 ID:aVfuEiUf9
元イタリア代表MFリッカルド・モントリーボ(34)が現役引退を発表した。同選手が13日、イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』のインタビューで明かした。

昨シーズン終了後にミランを退団した中、フリーの状態が続いていたモントリーボだったが、『コリエレ・デッロ・スポルト』の独占インタビューを通じて現役引退を認めた。

「今すぐプレーをやめる」

「家族と共に今後もミラノに住み続けることになると思う。だけど、今後自分が何をやっていくかはまだわからないよ。それには少し時間が必要だ」

また、今回のインタビューでは自身最後の所属クラブとなったミランへの憤りを語っている。

「(自身最後の指揮官となったジェンノーロ・ガットゥーゾ監督について)彼は僕を干した理由について何も説明しなかったよ。今はもう気にすることではないけど、移籍を拒否することもしていなかった。問題は自分自身にないことは明らかだったし、自分の求める質問は一度も返ってこなかった」

「(カピターノ剥奪について)ボヌッチの加入以降、モンテッラやミラベッリに彼へ腕章を譲るべきだと言われたよ。ただ、個人的には自分を含めボナヴェントゥーラのようなプレーヤーのサポートもあってその必要はないと返答した。だけど、当時の会長ヨンホン・リーの決断によって決まった」

「(2018年プレシーズンツアー招集外について)説明はなかったよ。ミラン・ラボで記録したフィジカルテストの数字は良かったけど、それは何の考慮もされなかった。決定は出発前日にチームマネージャーからテキストメッセージで送られたよ」

「それ(ミラン)が自分を引退に追い込んだと言ってもいいんじゃないかな。7年間も在籍していたにも関わらず、ファンにお別れの挨拶をする機会さえも与えられなかった」

イタリア屈指の育成の名門、アタランタでプロキャリアをスタートしたモントリーボは、繊細なボールコントロール、キック精度、パスセンスを武器に新時代のトレクァルティスタとして台頭。その後、2005年にフィオレンティーナに完全移籍を果たすと、徐々にポジションを下げてレジスタやインクルソーレの役割を担い、2010年からはヴィオラのカピターノにも就任した。

そして、2012年にはミランへのステップアップを果たし、その翌年にはロッソネロのカピターノに就任。負傷を除き2015-16シーズンまでは中盤の主力として活躍も、その後は混迷を極める名門の中で出場機会を失い、2017-18シーズンにはイタリア代表DFレオナルド・ボヌッチ(現ユベントス)に腕章を譲ることに。

昨シーズンはケガの影響もあったものの、屈辱の出場機会0に終わり、契約満了に伴い今夏にミランを退団していた。

アタランタ、フィオレンティーナ、ミランの3クラブでのプレーを通じてセリエA通算380試合に出場し28ゴールを記録。チャンピオンズリーグ(CL)では通算25試合に出場。ただ、キャリアを通じてはミラン時代の2016年に獲得したスーペル・コッパが自身唯一のタイトルとなった。

また、世代別チームからイタリア代表の常連だったモントリーボは、U-23代表の一員として北京オリンピックに参加したほか、2007年10月にデビューを果たしたアズーリでは通算66試合に出場し2ゴールを記録。2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)と、ユーロ2012の2つの大舞台を経験していた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191113-00364400-usoccer-socc

サッカー界一の男前!元イタリア代表マルキージオが現役引退…3日にユーヴェ本拠地で会見  

20191002-00985477-soccerk-000-1-view[1]




1: 久太郎 ★ 2019/10/03(木) 21:04:43.25 ID:4Xbx9+/q9
元イタリア代表MFクラウディオ・マルキージオが現役引退を決断したようだ。イタリア紙『Gazzetta dello Sport』が2日に伝えている。

 現在33歳のマルキージオはユヴェントスの下部組織出身で、エンポリへレンタル移籍で加入した2007-08シーズンを除き、ユヴェントスに計25年間に渡って所属した。同クラブではイタリア・スーパーカップやコッパ・イタリア、7シーズン連続のセリエA制覇など多くのタイトル獲得に貢献した。

 マルキージオは昨夏にユヴェントスを離れてゼニトへ移籍。しかし、同クラブではひざの負傷に苦しみ、7月1日に双方同意の上で退団を発表していた。

 フリーとなっていたマルキージオに対しては、スティーヴン・ジェラード監督が率いるレンジャーズや中国のクラブが獲得に関心を示していた模様。しかし今回の報道によると、マルキージオは選手キャリアに終止符を打つことを決断したという。

 マルキージオの引退会見は3日にユヴェントスのホームスタジアムで行われる予定だ。また、同選手とユヴェントスは良好な関係を築いており、引退後はクラブのスタッフとして復帰する可能性もあるようだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00985477-soccerk-socc

元カメルーン代表38歳エトーが現役引退を表明…バルセロナやインテルで活躍  

20190907-00010005-goal-000-2-view[1]




1: 久太郎 ★ 2019/09/07(土) 10:42:14.85 ID:J+N3VsTC9
バルセロナやインテルなどで活躍した元カメルーン代表FWサミュエル・エトーが、38歳で22年間のキャリアにピリオドを打ったことを公表した。

エトーは6日、自身の『Instagram』を通して「終わりを迎えた。みなさんから受けた多くの愛に感謝を」とのメッセージを発信している。

1981年生まれのエトーは1996年にレアル・マドリーの下部組織に入団し、レガネス、マジョルカへのレンタルを経験。2000年にマジョルカへと完全移籍を果たすと、ここでゴールハンターとしての才能を開花させ、2004年にはバルセロナへと加入。

2009年まで在籍したバルセロナではUEFAチャンピオンズリーグを2度制し、2009年に加わったインテルでは初年度からチャンピオンズリーグ優勝を経験。

その後アンジ・マハチカラ、チェルシー、エヴァートン、サンプドリア、アンタルヤスポルを経て、2019年2月まではカタールSCに籍を置いていたが、以降は無所属の状態が続いていた。

カメルーン代表としては118キャップで56ゴールをマークし、アフリカ・ネーションズカップでは2度の優勝を経験。2010年の南アフリカ・ワールドカップでは、グループリーグの初戦で日本と戦ったことでも知られる。また、五輪代表としては、シドニーオリンピックで金メダルを獲得した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190907-00010005-goal-socc

“神の子”トーレスは鳥栖に何をもたらしたか? 誰もが認めた衝撃と「一流の振る舞い」 

20190822-00212051-soccermzw-000-13-view[1]

F・トーレス、引退理由は「自分のベストに到達できてない」現役ラストマッチは8.23神戸戦  

20190623-00010014-goal-000-9-view[1]




1: 幻の右 ★ 2019/06/23(日) 11:39:10.91 ID:zQJ1wzMW9
サガン鳥栖の元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスが23日、東京都内で現役引退会見に出席した。

2018年にアトレティコ・マドリーから鳥栖入りしたF・トーレスは21日、「エキサイティングな18年間を過ごした後、僕のフットボールキャリアの幕を閉じる時が来た」と現役引退を表明。そして23日、引退会見に出席したF・トーレスは、「私はサッカー選手としての人生を引退します。ラストマッチは8月23日のヴィッセル神戸戦です」と、明治安田生命J1リーグ第24節、ホームでのヴィッセル神戸戦が自身の引退試合になることを明かした。

また、その理由としては「古くからの友人であるイニエスタとの直接対決を、それを日本でできるということで決めました。神戸には友人でW杯を共に戦ったダビド・ビジャもいます。最後の試合で自分ができることを尽くしながらやりたいと思います」と話した。

また、引退理由として、F・トーレスは「自分の中でサッカーのパフォーマンスに対するレベルというものがあります。引退を決めた理由は、自分のベストのレベルに到達できていないのではないかという疑問点があったからです。自分がベストのコンディションで最後までやり続ける、そこに到達できなくなるのであれば、自分の今のレベルでサッカー人生を終えたいと思い、引退を決意しました」と語った。

現在35歳のF・トーレスは、2001年に17歳でアトレティコ・マドリーのトップチームデビュー。2007年夏に移籍したリヴァプールで4シーズンにわたって活躍した後は、チェルシー、ミランと渡り歩き、2015年1月にレンタルでアトレティコに復帰した。2016-17シーズンに完全移籍すると、翌シーズンにはヨーロッパリーグ制覇を経験。2018年からは鳥栖で新たな挑戦をしていた。

また、F・トーレスはスペイン代表としても長く活躍。2006年のドイツ大会から3大会連続でワールドカップ出場を記録し、2010年の南アフリカ大会では史上初の優勝に貢献。同じく2004年から3大会連続で出場したEUROでも2008年、2012年大会の連覇を経験した。

GOAL 6/23(日) 10:26
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00010014-goal-socc



ブログパーツ


RSS
social_64px_color_feed social_64px_color_feed social_64px_color_feed social_64px_color_hatena

検索
カスタム検索

タグクラウド

月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
アクセスランキング
メッセージ

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
記事検索