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年俸120円


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39歳でJリーグ目指した時は年収1000万円…完全に勘違いしていました【「年俸120円Jリーガー」泣き笑い人生】 

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レベルが高すぎる…J入団テストで挫折感に打ちひしがれた【「年俸120円Jリーガー」泣き笑い人生】 

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<年俸120円Jリーガー安彦考真>誤解を恐れず伝える 日本サッカー界は衰退していく 

1: 2020/12/25(金) 10:35:45.01 _USER9
全力で駆け巡ったJリーガーとしての1095日。12月20日のJ3最終節。交代ボードに背番号「41」が掲げられた瞬間、僕はあふれる涙を必死に堪えた。それは交代することの悔しさでも、ピッチから去る寂しさでもない。戦い抜いた1095日に対する感謝と、スタンドからの大きな拍手に対する感動からだった。

18歳のオニエ・オゴチョクウとの交代も感慨深いものがあった。24歳年下の彼は僕にとっては息子みたいな存在。18歳という年齢で母国ナイジェリアを離れて戦っている彼は、どこか僕がブラジルで戦っていた姿と重なるものがある。オニエ、世界は広い。広い視野で世界を駆け抜ける選手になってほしい。

メンバー交代をした後、監督や選手と抱き合い、僕の目は涙であふれていた。最後にパーソナルトレーナーの奥村が僕を迎えてくれた。2年間共に戦ってきた彼との抱擁のあと、僕はロッカールームへと入った。そこで号泣した。1人で涙のロッカールームとなった。

僕はこの3年間で多くの経験を手に入れた。そこには日本サッカー界の未来があった。僕の率直な感想を誤解を恐れず伝えておこうと思う。これからの日本サッカー界は衰退していく。それは今まであぐらをかいてきた協会関係者やクラブ関係者、そしてサッカーさえできていればいいと考える選手とテクニカルスタッフ。コロナで見て見ぬふりをしてきた現実が360度どこを見ても見えるようになってしまった。クラブ経営は厳しくなり、お願い営業ばかりのスポンサー集めは限界を迎えた。そして、選手の意識はプロフェッショナルと思えないところまで沈んでいった。一連の不祥事は日本サッカー界そのものを表していると思う。

どうしてもスポンサーに頼らなければならないサッカー界だが、このコロナでスポンサーをつなぎ留める術がなくなった。苦しいのはサッカー界だけではない。そんな中で「お願い」では引き留めることはできない。しかし、今更スポンサーメリットなど見つけられない。その結果、見て見ぬふりをする。「費用対効果など出さない」。そう言っていたクラブスタッフの言葉を思い出す。それはやぶ蛇だからだ。

以前、研修で訪れたドルトムントでは、10歳で人生のABCプランを立てさせる。そのうちのひとつにサッカーではない仕事を想像させる。ドルトムントで下部組織からトップまで昇格できるのは一握りの選手だけ。その他の多くの選手は昇格できない。もちろん他のクラブへ行くことはできるが、多くの選手はそれを望まないという。それは、ドルトムントに関わり、育ててもらった恩をクラブへ返したいという想いが強いからだと言う。人生のABCプランを立てさせることで、サッカー選手ではない自分を想像し、その結果ドルトムントのスポンサーになるという流れができているようだ。

日本にもこんな育成方法があったらすてきだと思うが、それは無理な話だ。海外クラブは子どもたちに投資をしている。必要な設備なども含め、アカデミーへの投資額は大きなものだ。日本の場合はどうだろうか。投資というよりは、子どもたちからお金を集めて、クラブ経営やコーチの人件費に充てている。子どもたちの夢でクラブとスタッフが生き延びる流れは本当に健全なのだろうか。


12/25(金) 7:59 日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d01531295ae600a436bda97dcd544c9f540a6051

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<年俸120円>でもめっちゃ前向き “ジーコ抜いた”41歳Jリーガー・安彦考真の素顔「後悔取り戻す」  

1: Egg ★ 2019/07/10(水) 19:57:50.86 ID:3twvJgUy9
41歳1カ月9日。今シーズン、サッカーのJリーグで最年長デビューを果たした選手がいます。J3の「横浜スポーツ&カルチャークラブ」に所属するFW安彦考真(あびこ・たかまさ)選手です。仕事を全て辞めて、40歳で念願のJリーガーとなりました。ただ、今季の年俸はわずか120円。それでも、ファミレスでたまに頼めるデザートを「たまらないぜいたく」と言うなど、とにかくポジティブです。「ジーコの記録を抜いた」男の素顔に迫りました。(朝日新聞スポーツ部記者・吉田純哉)

キムタク世代、ジーコの記録を抜く

肩にかかるロンゲがトレードマーク。1990年代に青春時代を過ごした名残と言います。「キムタク(俳優の木村拓哉さん)がロンゲの時代に、僕も生きていたんで。ああいうのが格好いいという思いがやっぱり抜けないんじゃないですか」。笑うと、目尻にしわが浮き出ます。

チームでの役割は、スーパーサブ。3月のガイナーレ鳥取との開幕戦、後半37分から途中出場して、「Jリーグ最年長デビュー」を記録しました。「堂々とプレーできました。めちゃくちゃ気持ち良かったです」

これまでの記録保持者は偉大な選手でした。ブラジル代表の名選手として知られ、日本代表監督も務めたジーコさん。Jリーグが創設された1993年に、J1鹿島で作った40歳2カ月13日でした。

安彦選手は「ジーコさんを抜くとか認めたくない人もたくさんいるとは思うんです。でも、こんな挑戦していた選手がいるんだよと知ってもらうためにも、記録は残したいです」と語ります。

J1川崎選手のマネージャーも

挑戦の原点は、高校3年時に、新聞配達で30万円をためていったブラジルへのサッカー留学です。卒業後に再びブラジルに渡りましたが、けがもあって、プロデビューは飾れませんでした。

20歳で帰国したあと、J1清水、当時J2だった鳥栖のテストを受けましたが、合格とはなりませんでした。そのときの自身の言動に後悔していたそうです。

「自分の人生にうそをついていたんです。ただびびっただけなのに、調子が悪かったとか言って」

その後はJクラブの通訳や、元日本代表MF北澤豪さんの事務所で働きました。6年前に独立し、イベント運営、J1川崎のFW小林悠選手の個人マネジャーなどサッカー関連の仕事を個人で請け負っていました。

そのなかでも印象的だったのが、不登校だった生徒も通う通信制高校のサッカー部の指導だったそうです。「野球で言えば、子供たちに『10回の素振りよりも、1回の打席が大事』って教えながら、自分が立ってないじゃん、打席にって」

7/10(水) 7:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000002-withnews-spo

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