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平成


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<セルジオ越後>平成当初、サッカーはマイナーだった。それを劇的に変えたのが1993年のJリーグ誕生..  

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1: Egg ★ 2019/05/09(木) 06:42:09.17 ID:FWcALOAN9
元号は令和に変わったけど、前回に続き「平成の日本サッカー」を振り返りたい。

平成が始まった当初、日本のサッカーはプロ化なんて想像もできないほどマイナーだった。それを劇的に変えたのが1993年のJリーグ誕生。前回も言ったように、爆発的なブームを巻き起こし、スポーツ界にまさしく革命を起こした。

その後、日本代表も98年のフランス大会でW杯初出場を果たすと、2002年にはW杯開催国となった。Jリーグ誕生から10年ほどの日本サッカーは大きなうねりを起こしながら、右肩上がりの成長を続けた。見事だったよね。

でも、当然ながら、そんな勢いを継続するのは簡単なことじゃない。平成も後半に入ると、停滞する日本経済の影響を受けるなどして、Jリーグにも多くの課題や問題が出てきた。

なかでも僕が気になっているのが各チームのキャスティングの問題。今、神戸にイニエスタやビジャ、鳥栖にフェルナンド・トーレスがいて話題になっているけど、以前はそのレベルの外国人選手が各チームにいたんだ。元代表どころか現役バリバリの代表選手もたくさんいた。

また、当初は10チームしかなかったから、日本人選手の競争も激しく、それもリーグ全体の魅力をアップさせていた。今では考えられないけど、以前はブラジルでもJリーグの試合中継の人気は高かったんだ。

ところが、来日する外国人選手は次第に小粒になった。チーム数も18まで増え、以前ならとてもJ1ではプレーできないレベルの日本人選手が増えた。これでは魅力が薄れるし、ステイタスも下がる。少し活躍した若手が、すぐに海外に出ていきたがるのも理解できる部分がある。

これに関しては、わかりやすいエピソードがある。Jリーグができる以前、サッカー少年に「将来の夢は?」と聞くと、「海外でプロ選手になる」という答えがほとんどだった。それがJリーグ誕生後は「Jリーガー」になったのに、今はまた「海外でプレー」に戻ってしまった。

確かにJ1に加え、J2(22チーム)、J3(15チーム)と裾野は広がった。でも、果たして今の子供たちにとって、Jリーグは憧れの存在になれているのだろうか。

代表チーム、日本サッカー全体のレベルアップに自国のリーグの充実は欠かせない。個人的には、J1のチーム数は14くらいが適正だと思うし、神戸や鳥栖以外にも大物外国人の獲得に動くチームがもっと増えてほしい。

そして、もうひとつ気になるのは、Jリーグの日本代表への協力姿勢だ。リーグ戦と代表活動がかぶった場合、最近は1チームにつき招集できるのは1名までといった縛りを作ったりしている。Jリーグはそもそも日本代表を強くするために立ち上げたもの。日本代表の強化は何より優先すべき大事なものなんだ。それにもかかわらず、今は本末転倒な状況だ。

あるチームの社長にそう伝えたら、「セルジオさんの言うことはよくわかる。でも、私(のキャリア)はここで最後だし、ビジネスが一番大事」と言われた。正直な答えだね。でも、ガッカリしたよ。目先の小さな利益と引き換えに、大切な何かを失っているのではないか。Jリーグの村井チェアマン、日本サッカー協会の田嶋会長はこの状況をどう思っているのだろう。令和を迎えた今、もう一度、Jリーグの存在意義を考える必要があるんじゃないかな。

5/9(木) 6:20配信 週刊プレーボーイ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190509-01088250-playboyz-socc

カズの名言には続きがあった!「魂みたいなものは向こうに置いてきた」平成サッカー史に刻まれた言葉  

1: Egg ★ 2019/05/02(木) 23:30:18.04 ID:mk6jKwsl9
平成の日本サッカーでナンバーワンの名言って何ですか?

 編集部の依頼を受けて、まずは名言の「条件」を絞ってみた。(1)公の場で語った(2)当時世間的に大きな反響があった(3)語り継がれている言葉、としよう。

 オリンピックで言えば有森裕子の「初めて自分で自分をほめたいと思います」や岩崎恭子の「今まで生きてきたなかで一番幸せ」などといろいろ出てくるが、絞り切れなくなるため“その後の日本サッカー界に強く影響を及ぼしているもの”をもう一つ条件に付け加えてみようと思う。

「肉でも魚でもない」「シンプルに言えば個」も捨てがたいが……

 個人的には日本代表を指揮したイビチャ・オシムが、ある親善試合後の会見で語った「肉でも魚でもない試合」(あまり良くないという意味)がかなり好きな部類に入る。見るほう(食べるほうに置き換えてみるといい)とすれば、この味が肉なのか魚なのか、中途半端が一番良くないとも聞こえる。今も根づく深~い言葉である。

 本田圭佑がブラジルワールドカップ出場を決めて設定された会見で「シンプルに言えば個」と、本大会に向けてチームメイトに個々のレベルアップを求めた発言も推したい言葉の一つ。「ワールドカップ優勝のためには何が必要か?」というメディアの質問に対する回答だったが、この「シンプルに言えば」がミソであった。「ズバリ言えば」となると自分が出過ぎてしまう。正論を引っ張り出して“みんな気づけよ”というスタンス。仲間のケツを叩くために選んだとすれば、深いマネジメントによる言葉である。“個と言えば本田”“本田と言えば個”という己のキャラクターを強靭化させたことも興味深かった。

 しかしながら――。

 個人的に挙げた「肉でも魚でもない」「シンプルに言えば個」はすべての名言条件にあてはまるとはいえ、世間的なインパクトとしては弱い。あの言葉と比べてしまうと、どうしても……。

「外れるのはカズ、三浦カズ……」

 サッカーがもはや日常になった平成中期、後期と、日常を超えて社会現象になっていた平成初期とは時代的な背景も違う。平成5年(1993年)にJリーグが開幕して、ドーハの悲劇、マイアミの奇跡、ジョホールバルの歓喜と、歴史的なシーンが続いていた。

 日本中の関心を集めた平成10年(1998年)、フランスワールドカップのメンバー選考で大会直前、カズこと三浦知良がリストから外れた。

「外れるのはカズ、三浦カズ……」

 スーパースターのサプライズ落選に、世間は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。朝のワイドショーから取り上げられ、ニュースはカズ落選一色になった。

5/2(木) 17:00配信 週刊文春
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190502-00011816-bunshun-spo

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カズ、本田…独断で選んだ平成のベストイレブン システムは4-4-2を採用 

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磐田の“鬼軍曹”ドゥンガ、広島と神戸で歴史を作ったレジェンドは?etc…Jリーグ「平成の最強助っ人」【中編】 

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<セルジオ越後>大きな欠陥が平成の日本サッカーにはあったのではないか?  

1: Egg ★ 2019/04/25(木) 01:39:28.52 ID:S45D9wlI9
Jリーグの開幕は華やかだったけど…
 
年号が変わる前に平成の出来事を振り返ると、日本サッカーは良かったと言い切れないね。
歴史を遡る上でまず触れておきたいのは、Jリーグ発足の功労者だ。前身の日本サッカーリーグからプロ化へ尽力した中心人物は、森(健兒)さんと木之本(興三)さん。

すでに韓国が1983年にプロリーグを創設し、1986年に2度目のワールドカップ出場で結果を残していた見本もあって、「このままではワールドカップに出られない」という危機感でJリーグ創設に奔走してくれた。
こうしてJリーグがあるのも、必死になって活動してくれたふたりのおかげだ。心から感謝したい。

採算をとれるか懸念もあったなか、読売クラブや日産自動車などはプロ化に積極的だった。2チームの存在もあって、なんとか1993年にJリーグが開幕。この頃の勢いは凄かったと、素直に認めたい。

Jリーグが始まり、当時はまだバブル景気だった影響もあって、開幕の演出も豪華だったね。選手の年俸も高額で、民放も全試合を中継してチケットもほとんどのゲームで完売。
アントラーズがブラジルのジーコ、ジェフがドイツのリトバルスキーといった世界的なスターを獲得した。おかげで海外からも注目され、スポーツはアマチュアばかりだった日本で、Jリーグが革命を起こしたと言ってもいい。

プロ化で競争力が上がって日本代表の強化につながり、しっかり結果もついてきた。ワールドカップは1994年アメリカ大会の出場を逃したけど、1998年のフランス大会以降は継続して出場権を獲得している。
2002年には韓国との共催でワールドカップの招致に成功し、サッカー人気も加速したね。フランス大会から本大会の出場国数が24から32に増えたおかげもあるけど、Jリーグ発足の目的であるワールドカップ出場は達成された。

サッカー人気が高まった相乗効果で、Jリーグも成長した。初期の10チームから、今ではJ1からJ3までカテゴリーが設けられ、全国各地に55クラブができた。着実に日本サッカーは発展した。でも、本当に評価していいのだろうか。
なぜなら、日本サッカーはいまだに企業に支えられたスポーツだと思うからだ。Jリーグ開幕からほどなくしてバブル景気が崩壊し、経済不況は徐々にサッカー界にも影響が及んだ。

象徴的なクラブがヴェルディだ。1993年にJリーグ初代チャンピオンに輝き、翌年もリーグ連覇。カズやラモスを中心に黄金期を謳歌したチームは、本当に強かった。
ただ、1998年に読売グループが経営から撤退し、経費削減のためにカズなどを放出すると、チームの成績も伸び悩んだ。2008年のJ2降格以降は、J1に戻れていない。

また、フリューゲルスは、出資会社の佐藤工業が本業の経営不振によりチーム運営から退き、横浜マリノスと合併している。事実上、クラブは消滅してしまった。
平成が終わる前には、昔なら鹿島のジーコに匹敵する大物、イニエスタが神戸に加入した。おかげで、観客動員数は増えているようだけど、親会社が楽天だからこそ海外スター獲得が実現できただけだろう。

企業に支えられたおかげであって、日本人選手の活躍でサッカー人気が上がったと思えないんだ。下の世代から継続してスターが生まれてこないし、海外組も所属クラブで出番を得られていない選手が多い。
ここ最近で言えば、ドイツにいる宇佐美や浅野は伸び悩んでいる印象だ。一方で高校サッカーで好パフォーマンスを見せたヒーローも、Jリーグですぐに活躍できる選手は数える程度しか出てこなくなった


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4/24(水) 17:00配信 サッカーダイジェスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00057597-sdigestw-socc&p=1

識者が選ぶ、平成の日本代表ベスト11!「弱小国から変貌を遂げる過程で大半の貴重なゴールを記録したのは…」 

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<バブルとJリーグとW杯>平成はサッカーの時代だった。  

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1: Egg ★ 2019/04/11(木) 19:02:59.23 ID:S+BDNiK99
平成はサッカーの時代だった。

 ……と大上段に書き出したのは、もちろん改元が迫っているからだ。

 史上最高値に沸き立つ東証の手締めの映像、「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と涙ながらに叫ぶ社長の記者会見。そんな平成を象徴するシーンをテレビで目にするたびに、その認識は強くなる。

 「バブル」とその「崩壊」から始まった時代だった。「失われた20年」を過ごした30年間だった。

 そんな時代にあって、数少ないサクセスストーリーを演じたのが、サッカーだった。

「もし1年遅かったらJリーグは……」

 日経平均株価が3万8915円の史上最高値を記録したのは平成元年(1989年)の大納会である。世界の企業ランキング(時価総額)トップ20社のうち14社を日本企業が占め、三菱地所がロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収。(いさかかヒンシュクを買いながらではあったが)ジャパン・マネーはまさしく世界を席巻していた。

 平成の幕開け、日本は紛れもなく絶頂にいたのだった。

 このときJリーグはまだ存在していない。しかし、(以前にも書いたが)日本リーグ活性化委員会で「スペシャルリーグ」構想が立案されたのがこの平成元年。まだアマチュアリズムが強かった当時、「プロ」という言葉を巧みに伏せながら、それでもプロリーグ設立へと動き始めたのは、小渕恵三官房長官が「平成」の額を掲げた2カ月後のことである。

 このタイミングで踏み出すことができた背景にあったのは、もちろん活況な日本経済だ。活性化委員会の委員長を務めた小倉純二(後にサッカー協会会長)が「もし1年遅かったらJリーグは誕生しなかったかもしれない」と語ったことがあるが、企業の業績がよく、自治体の税収も豊かだったこの時期だったからこそ、プロ化というギャンブルに打って出ることができた。

バブル期だからできたW杯招致。

 プロリーグだけではない。この平成元年、日本サッカーはもう一つ、大胆な挑戦を始めている。「ワールドカップ招致」である。

 この時点ではサッカー協会内のごく一部による小さな招致活動。それでもFIFAに乗り込み、立候補の意思表示をしたのだ。

 言うまでもなく、このとき日本代表はまだワールドカップに出場したことがない。それどころか川淵三郎(当時日本リーグ総務主事)が「競技力ない、人気ない、スタジアムない」と自虐的な表現でしばしば振り返っていた通り、「出場」はおろか、「開催」など夢のまた夢という立場である。

 にもかかわらず、そんな無謀な意思表示をFIFAは極めて好意的に受け止めた。なぜなら当時、大会スポンサーの半数近くを日本企業が占めていたからだ。

 付け加えれば、国内でも愛知県の刈谷市をはじめ20都市が開催都市となることに前向きな姿勢を示している。スタジアム建設が必要にもかかわらず、だ。

 やはりバブル期だったからこそである。

4/11(木) 17:01配信 ナンバー
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-00838937-number-socc

カズが改めて宣言!「昭和、平成と駆け抜け、令和でも駆け抜けたい」  

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1: 久太郎 ★ 2019/04/01(月) 22:26:40.38 ID:UGO8lwnP9
カズ語る令和「進化していく」衰え見せず駆け抜ける

横浜FCのFWカズ(三浦知良、52)が1日、新元号が「令和」に決まったことについて横浜市内での練習後にコメントした。

発表はテレビで見ていたといい「想像しても、どんな元号になるのかというのは浮かんできてなかったので、令和というのは全く考えていませんでした。昭和から平成を生きてきた身としては、まだ自分からスッと(元号が)出てきませんね」と話した。

1982年(昭57)に高校を中退して単身でブラジルに渡り、86年にサントスでプロ契約をつかみ取って以来、昭和、平成の時代をプロサッカー選手として駆け抜けてきた。新時代へむけ「また新たな元号の中で、プロとしてプレーができると思うのでうれしいですね。あと1カ月で平成が終わって、新たに社会も変わっていくでしょうし、進化していくと思う。サッカーもその中で変わっていくと思うので、昭和、平成と駆け抜けてきて、また令和でも駆け抜けたいなと思います」と意気込んだ。

まずは平成最後のゴールを狙う。3月23日のFC岐阜戦で17年4月の町田ゼルビア戦以来、約2年ぶりに先発出場を果たした。同試合でゴールは奪えなかったが、この日の紅白戦ではネットを揺らす場面もあり、コンディションは上がってきている。3日のアウェー愛媛FC戦へ向け「しっかりした準備ができています。良い状態になっている。平成で早く1点をとりたい。やっぱりみんな期待していると思うので、次に出場したときはゴールを挙げたい」と力を込めた。【松尾幸之介】

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-04010587-nksports-socc



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