1: 2021/01/27(水) 17:16:19.96 _USER9
連載:日本代表という肩書に迫る(2)

 代表チームは、世界を敵に回して勝利するため、戦い方を確立させようとする。プレースタイルとも言い換えられる。スタイルに沿った選手選考になるのは、必然だろう。

◆北澤豪が「これだけは許せなかった」 という岡田監督の裏切り采配

 逆説的に言えば、漏れた選手は「タイプじゃない」と切り捨てられる。

 スペイン人ストライカー、アリツ・アドゥリスはそのキャリアの中でコンスタントにゴールを記録していたが、代表とは縁遠かった。

 同年代に活躍したスペイン代表には、ダビド・ビジャ、フェルナンド・トーレスという"不可侵"のゴールゲッターがいた。中盤にはボールプレーヤーが多く、「ティキタカ」と称された美しいパスサッカーを志向。センターフォワードを使わず、ゼロトップの採用もしばしばだった。

 アドゥリスはマジョルカ、バレンシア、アスレティック・ビルバオなど所属したクラブで、絶対的な空中戦の強さを誇っていた。クロスボールを呼び込み、ゴールに放り込む。長いボールを蹴り込むチームで、ストライカーとして輝いていた。相手ディフェンスを挑発する駆け引きも含めて、実に泥臭いスタイルだ。

「代表ではプレースタイルが合わない」

 アドゥリスはそう言われていたが、2015-16シーズン、35歳でリーガ・エスパニョーラ20得点を記録し、2010年以来となる2度目の招集を受けている。EURO2016に出場し、ゴールも記録した。ただ、チームは勝ち上がれなかった――。

 サガン鳥栖で11シーズン目となるFW豊田陽平は、クロスボールをゴールに叩き込み続けてきた。J1通算98得点は、堂々たる数字だ。

 2011年シーズン、J2で得点王になってチームを昇格させて以来、ゴールゲッターとして道を切り開いてきた。2012年から4シーズン連続で15得点以上と、三浦知良の偉大な記録に並んでいる。単独最多記録となる5シーズン連続は13得点で惜しくも逃したが、ストライカーとしての経歴は出色だ。

 しかし、代表では2013年の東アジア選手権でデビューを飾ったものの、8試合しか出場はない。それも、ほとんどが終盤の交代出場。先発は初陣のオーストラリア戦のみだ。

2010年から日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ監督は、自分たちがボールを動かす能動的なスタイルを推し進めていた。それを目指すだけの選手がいたと言える。本田圭佑、香川真司、遠藤保仁は、世界に伍するボールプレーヤーだった。サイドバックの内田篤人、長友佑都も高い位置を取り、コンビネーションを使って崩し切る。当時、世界を席巻していたスペインのティキタカにも似た戦いを模索していた。

 しかし、ザックジャパンは満を持した2014年ブラジルワールドカップで、一敗地にまみれた。「自分たちらしさ」と気取ったパスワークは通用しなかった。他の戦い方のオプションがなく、相手の交代策に屈し、なす術なく敗退した。

 豊田は予備登録メンバーには入ったが、大会にはいなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/76cf1738f9321a7fb0bf1d5e77623f11495bf8cc
1/27(水) 11:05配信

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