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メキシコ代表監督が日本の印象語る「非常にダイナミック」「前線に優秀な選手」 日本時間18日キックオフ 

1: 2020/11/16(月) 22:54:29.37 _USER9
 「国際親善試合、日本-メキシコ」(日本時間18日、グラーツ)

 メキシコ代表のマルティノ監督が、オンライン会見に出席。日本戦に向けての展望を語った。

日本の印象を問われた指揮官は「日本代表は非常にダイナミックで個人のテクニックに優れている。選手たちは規律だったプレーをする。前線には均衡を崩す非常に優秀な選手たちがいる」と分析。3-2で勝利した韓国戦から中2日で日本戦に臨むことになり「スタート(メンバー)については、コンディションが100%の選手を使う。リスクは犯さない。重要な試合で良い試合にしたいが、選手たちには良い状態で(クラブへ)戻って欲しい」と話した。

 恵まれた体格の選手をそろえるわけではないが、敏しょう性や技術などを武器にW杯で7大会連続での16強いりなど、高いレベルを保つメキシコ代表。体格が似ている日本代表にとっては一つのロールモデルともなる存在だ。チーム作りについて問われたマルティノ監督は「フィジカル面でマイナスと捉えがちだが、それを逆にチームの強みに変えることが大事。体が大きい選手がいなくてもダイナミックなプレーでもできるし、足もとの技術もある。そうした特長を生かしたチームを作っていく」と話した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c011b0bc61704fa4e78ed9e383c31f5d596b46c1
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久保の最後のFKしか印象に残らない/セルジオ越後 

1: 2020/10/10(土) 14:07:17.29 _USER9
<国際親善試合:日本0-0カメルーン>◇9日◇ユトレヒト

久保の最後のFKしか印象に残らない試合だ。約1年ぶりの代表戦。収穫は、日本代表がピッチに立った、くらいじゃないかな。1年前とメンバーが変わらないし、詰まり気味の試合展開も昨年と同じだ。過去の苦い記憶がよみがえる90分だった。

DFラインは、負傷欠場の長友以外は不動のメンバーで安定感はあった。気になるのは攻撃陣だ。いつものトップ下3人でスタートして、詰まったら後半は2シャドーに変えた。試す意味もあったのだろうが、ポジションをいじりすぎた。やってる選手は「このチームで俺の正ポジションはどこ?」って疑問を抱いたと思うよ。

1年ぶりの試合。メンバーが変わらないんだから、森保監督就任2年で、すでにできあがったチームといえる。それなら1年ぶりの試合は、コロコロ変えるべきではなかった。攻撃陣をいろいろ組み合わせてオプションを増やすのは、2戦目以降にやればいい。詰まったり、苦しくても「これが森保ジャパンだ」というところを示すべきだった。

揺るぎない信頼のあるレギュラーがいて、展開を変えるオプションとしてサブが充実しているチームは強い。実りのあるチーム内競争もできる。今の日本代表はどうか。トップ下右は堂安でいいのか? 中央は南野で大丈夫? 左は原口で決まり? どれも疑問符がつく。おそらくこの3人は、後半の途中からは「オレはいつ代えられるんだろう」の疑問を頭に置きながらプレーしたはずだよ。

勝ちたい気持ちは分かる。勝ちにいくのは当然だ。しかし森保監督は、1年ぶりの象徴的な一戦を、普段と変わらない戦いで終えてしまったね。レギュラーには信頼感を、サブには闘志をもたらすことができる大事な試合だったのにな。実にもったいないね。(日刊スポーツ評論家)

https://www.nikkansports.com/soccer/column/sergio/news/202010100000032.html
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<セルジオ越後>Jリーグで一番印象に残っている外国人選手「あのジーコが日本に来るとは信じられなかった」 

1: 2020/06/11(木) 08:23:14.69
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ひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手をほかに知らないと語るセルジオ越後氏

前々回、僕が選んだJリーグの歴代ベストイレブンを紹介したけど、そこにはあえて外国人選手を入れなかった。質だけを見れば、外国人だらけになりかねないからね。

Jリーグの歴史を振り返ると、それだけ多くの優れた外国人がプレーしてきたわけだけど、一番印象に残っている選手をひとり挙げるとすれば、リーグ全体に与えた影響の大きさ、現役引退後のクラブとの関係性を含めてジーコしかいない。

1993年、Jリーグ初年度開幕節の名古屋戦でのハットトリックは本当に衝撃的だった。僕は現場で試合を見ていたんだけど、1点目は鮮やかなミドルシュート、2点目は得意のFK。そして、3点目は左サイドを突破したアルシンドのクロスを左足ボレーで決めた。40歳にして速い展開のなかでもさすがというプレーを披露。彼の本気ぶりを実感した。

このハットトリックはスポーツニュースで大々的に報じられ、それを見てサッカーに興味を持った人も多かったはず。船出したばかりのJリーグにとって最高のPRになった。その後、どれだけのマスコミが鹿島町(現・鹿嶋市)に乗り込んでいったか。鹿島という地名を一躍、全国に知らしめた。

当時たくさんいた外国人の大物選手たちは皆、Jリーグ開幕に合わせて来日していた。でも、ジーコの来日は開幕の2年前。しかも、鹿島の前身の住友金属工業蹴球団は日本リーグ2部。いくら一度引退した身とはいえ、いくら好待遇とはいえ、あのジーコが日本の2部リーグでプレーするとは信じられなかった。

これは世界的にもビッグニュースだったんだけど、サッカーがまだマイナーな日本ではそれほど話題にならなかったね。2部リーグということもあり、プレーぶりもほとんど報道されなかった。

試合は控室にシャワーもないようなグラウンドで行なわれ、観客もほとんどいない。ゴルフにたとえるなら、タイガー・ウッズが自らゴルフバッグを担いで、河川敷でゴルフをやっているようなもの。よく途中でいやになって帰国しなかったと思う。

そんな状況で彼はプロ意識、技術、戦術など周囲の選手やスタッフに大きな影響を与えた。練習場の整備、ホぺイロ(用具係)の導入など、環境面も整えてチームのレベルを一気に引き上げた。一選手でありながら強豪・鹿島の土台を築いたんだ。

ジーコは94年の夏には引退しているので、実はJリーグでプレーした期間は2年にも満たない。でも、引退後も鹿島とアドバイザー契約を結び、ジョルジーニョ、レオナルドといった現役バリバリのブラジル代表を連れてきた。ジーコの存在がなければ、ふたりとも日本には来なかっただろう。

そのふたり以外にもジーコは鹿島にブラジル人選手、監督をたくさん連れてきているけど、ほとんどハズレがない。それは単にいい選手を連れてくるのではなく、鹿島のサッカーに合う選手、監督を連れてきているということ。そして鹿島は誰もが認めるJリーグの名門になった。

2006年ドイツW杯で日本代表の監督を務めたり、海外の代表やクラブの監督を務めるなど、鹿島を離れていた時期もあったけど、一昨年からはテクニカルディレクターとして再び現場ににらみを利かせている。ここまでひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手を僕はほかに知らない。

6/11(木) 6:20 週刊プレーボーイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/669c0dcf3a8e788c36fdf936124c4bb593f7b669

サッカーワールドカップで一番印象に残ってる試合 

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1: 2020/04/28(火) 22:23:58.01 0
2014年のブラジルvsドイツ



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