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内田


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会見で長友とか本田が熱く語る→内田篤人、インタビューで『みんな長かったですね』→内田、長友に殴られる 

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1: 2021/02/15(月) 18:15:07.38 _USER9
内田篤人が明かす現役時代の裏話「長友さんには殴られた。僕が100%悪い」

2/15(月) 11:52
配信
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本田圭佑との関係性にも…

内田篤人が明かす現役時代の裏話「長友さんには殴られた。僕が100%悪い」

元日本代表DF内田篤人が、DAZN(ダゾーン)の番組『やべっちスタジアム』の中で日本代表の元チームメイトとの裏話を語った。

呼び名は「ウシダサン」!内田篤人を愛した世界的なGKは?

内田は『やべっちスタジアム』の中でMCのお笑い芸人・矢部浩之とSP対談を実施。現役時代の裏話について語り、長友佑都や本田圭佑との逸話を明かしている。

矢部に「長友選手と殴り合った?」と聞かれた内田は「いや、殴られたんですよ(笑)」と回答。その理由について「僕が100%悪い」と前置きしつつ、このように説明している。

「会見で長友さんとか本田さんが熱く語っていたんですよ。その後、僕がインタビューで『みんな長かったですね』と答えたんですよ。それを長友さんが聞いて、真剣な顔で『言いたいことがあるなら俺に言ってこいよ』と。長友さんだからちゃんと言いにきたし、その後も普通に終わりました」

また、本田とは「サッカーに関して言い合うことはあまりない」としつつ、「仲が悪いイメージがありますけど、全然そんなことはない」と不仲を否定した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/aec6dafbe1050e8d49040a849fb7cfa5ca9cf9d7

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「勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに受け入れられる?」“筋を通す男”内田篤人の考え方 

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1: 2020/09/02(水) 06:36:22.03 _USER9
 日本サッカー史上最高の右サイドバックと評された鹿島の元日本代表・内田篤人(32)が現役引退を発表した。2014年に負った右ひざの大ケガ以降、ベストの自分を取り戻すために最後まで苦しみ、戦い抜いた。

「試合に出られなくても、若い選手に日々、勝利にこだわることの大切さを伝えていた。8月12日の清水戦後、『もはや理想のプレーはできない。鹿島以外でプレーする選択肢はなく、もうやめなければ駄目だ』と実感し、そのままクラブに引退を申し入れたそうです」(サッカー誌記者)

 その甘いマスクで絶大な女性人気を誇り、11年に出版したフォトエッセイは15万部を売り上げた。

「『サッカー選手はサッカーのみに真摯に取り組めばいい』など、無骨な考え方が披露され、女性ファンはギャップに虜になった。構成には最も熱心に取材をしていた新聞記者を内田自身が指名。少しでも記者にお金が入るようにと、版元とギャラのパーセンテージの交渉までしたとか」(同前)

 5年前には故郷・静岡の同級生と結婚。2人の女児をもうけている。

「奥さんとは10代の頃からくっついたり離れたりしていたようです。その間、女優の松下奈緒やモデルの中村アンなど芸能人からもアプローチが多くあり、本人も満更ではなかった。しかし最終的に、人生の伴侶には幼馴染を選んだ」(スポーツ紙記者)

「勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに世間に受け入れられるのか」
 筋を通すのは勝負の世界でも同じだった。14年のブラジルW杯では、旗振り役の本田圭佑をはじめ多くの選手が攻撃重視のスタイルに傾いていく中、1人、警鐘を鳴らし続けた。

「内田は本田よりもクラブで獲得したタイトルが多く、ドイツでは欧州最高レベルでの試合経験も豊富。『自分たちのサッカー』で世界一を狙う理想主義の本田に対し、現実に応じた策で勝つという考えで抗っていた。近い人間には常に『勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに世間に受け入れられるのかわからない』と漏らしていたそうです」(サッカー協会関係者)

 まだ32歳。気になるのは今後の人生設計だ。

「芸能界からのニーズも高いですが、本人は鹿島に“恩返し”したい気持ちが強い。今年に入って『指導者やクラブマネジメントにも興味が湧いてきた』と語っています。心酔する鹿島のレジェンド・小笠原満男は既にコーチをしており、将来は人望のある小笠原が監督、戦術家の内田がGMとしてタッグを組む可能性が高い。いわば、ジャニーズの滝沢秀明と同じような道を鹿島で辿ることになりそうです」(鹿島関係者)

 第二の人生でもブレずに筋を貫き通すことだろう。

「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年9月3日号
9/2(水) 6:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/74a08074b58d074a9df011d9c3478df18d092a5c

森保監督、引退の内田に指導者転身を期待「経験を生かして選手を育ててほしい」 

1: 2020/08/25(火) 17:21:41.79 _USER9
8/25(火) 16:15
デイリースポーツ

森保監督、引退の内田に指導者転身を期待「経験を生かして選手を育ててほしい」
 日本代表・森保一監督
 サッカー日本代表と東京五輪男子代表を兼任する森保一監督が25日、オンライン上での取材に応じて、23日のG大阪戦を最後に現役を引退した元日本代表DF内田篤人について、ねぎらいの言葉を話した。

【写真】内田篤人、最後の74分 前半16分緊急出場、イエローもらった 同点演出 そして涙

 森保監督は、当時19歳の内田が出場した2007年のU-20W杯カナダ大会で、吉田靖監督を支えるコーチとして大会に帯同。若い時より指導してきた経験があるだけに「本当にウッチーは日本のサッカーの発展と、日本代表の勝利に貢献してくれた選手。感謝の気持ちを持って、これまで大変な現役生活、お疲れさまでしたと伝えたい」。当時の内田の印象については「自分のストロングであるスピードという特長があり、かつ、常にうまくなりたいという気持ちを持って、素直にいろんなものを吸収して成長してきた選手だと思う」と話した。

 引退会見では内田が日本と世界の違いについて「別競技だと思うくらい違う」と語り話題となった。森保監督は、以前に雑談の中で内田が同じ表現で感想を語っていたことを明かし「胸に突き刺さった言葉だった。今もその言葉を忘れずに世界に追いつくだけではなく、追い越せるようにと活動のレベルにつなげていきたい。すごい重い言葉」と感銘を受けたという。

 引退後の人生については思案中の内田。だが指揮官は「指導者として現場でやってほしい。今は決まっていないかもしれないが、将来的には日本のサッカーの発展に貢献できる経験を持っている人なので、ぜひ、現場でその経験を生かして選手を育ててほしい」と指導者への転身を期待。「さっきのウッチーの言葉をみんなに伝えてもらっていけば、日本の指導者にも響くと思う。あれは否定的なものではなく、(世界で戦うためには)どこを目指したら良いのかというポジティブなものだと思うので」と話していた。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/ac585e9f06502b9ec2506edf9ce6bcaaef88e490

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<ドイツ人記者に訊く>香川、内田、高原、長谷部…ブンデス1部でプレーした日本人選手の「リアル評」は? 

1: 2020/05/18(月) 08:28:21.01
奥寺が好印象を残したにもかかわらず…
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 5月16日にようやくブンデスリーガが再開したが、コロナ禍のなか、いつもなら熱狂に包まれるドルトムントとシャルケのダービーも、無観客で行なわれた。

 そのレビア・ダービーでファンの心を掴んだのが、香川真司だった。ドルトムントのユニホームを纏って初めて臨んだシャルケ戦でいきなり2得点を決め、チームを敵地での勝利に導いたのだ。試合後、チームバスでドルトムントへ帰った日本人MFは英雄として迎えられ、歓喜するファンたちに肩車されたものだ。

 香川が愛されたのは、ダービーに強かったからだけではない。成功を収めたチームの重要な柱のひとりだったからだ。ユルゲン・クロップ監督の下で、攻撃的MFとして2010-11、11-12シーズンとブンデスリーガ連覇、11-12にはDFBカップとの2冠を達成。世界中から注目され、マンチェスター・ユナイテッドへと羽ばたいていった。

 そのイングランドの名門では本領を発揮できなかったサムライ戦士を、14年夏の移籍市場最終日にドルトムントが買い戻した。それは、ソーシャルメディアで「#freeShinji」キャンペーンを行なうなど、香川を連れ戻してほしい訴えたファンの願いを叶えるためでもあった。どれだけこの男が愛されていたかが分かるだろう。
 
 香川と同様に、ブンデスリーガでもトップのカテゴリーに入る名手だったのが、内田篤人だ。17年にウニオン・ベルリンへ移籍するまでシャルケで7シーズンに渡ってプレーした右SBは、攻守両面でハイレベルだった。

 そのふたりが活躍する随分前、1977年の夏にブンデスリーガの日本人第1号となったのが、ケルンへやってきた奥寺康彦だった。ドイツの3チームでプレーし、ケルンでの1シーズン目には、リーグとカップ戦で2冠を獲得した。その後にビーレフェルトでプレーした尾崎加寿夫が続いたが、正直、ほとんど記憶に残っていない。

 奥寺が好印象を残したにもかかわらず、尾崎以降はブンデスリーガではしばらく日本人不在の時代が続き、3人目の高原直泰がハンブルクにやってきたのは03年冬だった。当初は懐疑的な見方もあったが、ハンブルクとフランクフルトで計5年間プレーし、135試合に出場して25ゴール。エキゾチックな存在だった“スシボンバー”は、クオリティーの高さを証明し、その後に続く多くの日本人選手のために道を切り拓いたとも言える。

つづく

5/18(月) 6:00 サッカーダイジェスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e86c29cb4ef7ba84f588017b88f7811c7df19a2



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