Samurai Goal

内田


スポンサード リンク





鹿島が開幕連敗 内田は失点に絡みうなだれる「あーっていうのを…」 

20200704-00000134-dal-000-8-view

<ドイツ人記者に訊く>香川、内田、高原、長谷部…ブンデス1部でプレーした日本人選手の「リアル評」は? 

1: 2020/05/18(月) 08:28:21.01
奥寺が好印象を残したにもかかわらず…
no title


 5月16日にようやくブンデスリーガが再開したが、コロナ禍のなか、いつもなら熱狂に包まれるドルトムントとシャルケのダービーも、無観客で行なわれた。

 そのレビア・ダービーでファンの心を掴んだのが、香川真司だった。ドルトムントのユニホームを纏って初めて臨んだシャルケ戦でいきなり2得点を決め、チームを敵地での勝利に導いたのだ。試合後、チームバスでドルトムントへ帰った日本人MFは英雄として迎えられ、歓喜するファンたちに肩車されたものだ。

 香川が愛されたのは、ダービーに強かったからだけではない。成功を収めたチームの重要な柱のひとりだったからだ。ユルゲン・クロップ監督の下で、攻撃的MFとして2010-11、11-12シーズンとブンデスリーガ連覇、11-12にはDFBカップとの2冠を達成。世界中から注目され、マンチェスター・ユナイテッドへと羽ばたいていった。

 そのイングランドの名門では本領を発揮できなかったサムライ戦士を、14年夏の移籍市場最終日にドルトムントが買い戻した。それは、ソーシャルメディアで「#freeShinji」キャンペーンを行なうなど、香川を連れ戻してほしい訴えたファンの願いを叶えるためでもあった。どれだけこの男が愛されていたかが分かるだろう。
 
 香川と同様に、ブンデスリーガでもトップのカテゴリーに入る名手だったのが、内田篤人だ。17年にウニオン・ベルリンへ移籍するまでシャルケで7シーズンに渡ってプレーした右SBは、攻守両面でハイレベルだった。

 そのふたりが活躍する随分前、1977年の夏にブンデスリーガの日本人第1号となったのが、ケルンへやってきた奥寺康彦だった。ドイツの3チームでプレーし、ケルンでの1シーズン目には、リーグとカップ戦で2冠を獲得した。その後にビーレフェルトでプレーした尾崎加寿夫が続いたが、正直、ほとんど記憶に残っていない。

 奥寺が好印象を残したにもかかわらず、尾崎以降はブンデスリーガではしばらく日本人不在の時代が続き、3人目の高原直泰がハンブルクにやってきたのは03年冬だった。当初は懐疑的な見方もあったが、ハンブルクとフランクフルトで計5年間プレーし、135試合に出場して25ゴール。エキゾチックな存在だった“スシボンバー”は、クオリティーの高さを証明し、その後に続く多くの日本人選手のために道を切り拓いたとも言える。

つづく

5/18(月) 6:00 サッカーダイジェスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e86c29cb4ef7ba84f588017b88f7811c7df19a2



ブログパーツ


RSS
social_64px_color_feed social_64px_color_feed social_64px_color_feed social_64px_color_hatena

検索
カスタム検索

タグクラウド

月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
アクセスランキング
メッセージ

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
記事検索