元日本代表
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名波浩氏が現役時代に対戦して度肝を抜かれた選手を回想「ジダンは凄かった」
1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏は、これまで数多くのビッグマッチに出場してきた。海外の名手とも対戦してきたが、華麗なキャリアのなかで「衝撃を受けた選手」について振り返ってもらうと、一時代を築いた2人のスーパースターの名前を挙げてくれた。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)
【動画】“天才司令塔”だったジダン、レアル&ユーベ時代の「芸術スキル」
◇ ◇ ◇
日本代表として67試合に出場した名波氏は、1995年のAマッチデビュー以来、98年フランスW杯をはじめ強豪国とも対戦してきた。また1999-2000シーズンにはイタリアのヴェネツィアに移籍し、当時「世界最強リーグ」と言われていたセリエAに参戦。各国スーパースターと毎週のようにピッチ上で対峙してきたなか、「間違いなく衝撃を受けた」として真っ先に名前を挙げたのが、元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンだった。
「4回対戦したんです。ユベントスと2回、フランス代表と2回やって一度も勝てなかった。とにかく凄かったな、と。サンドニ(2001年3月の国際親善試合/0-5)もそうですし、ヴェネツィアでのホームのユベントス戦にも0-4で負けるんですが、(アレッサンドロ・)デル・ピエロと(フィリッポ・)インザーギが2トップにいて自由に操っている感じでした」
1998年フランスW杯で母国を初の世界一に導き、同年のバロンドールも受賞したジダンは、名波氏が対戦した当時はまさに「世界最高の司令塔」として君臨していた。身長185センチ、体重80キロという中盤の選手としては恵まれた体躯を持つなかで、名波氏は「あの体のサイズでどれだけ動けるのだろう」と思っていたそうだが、ピッチ上で見たジダンは「攻撃時には特にハードワークをするし、あの大きな体で繊細なボールタッチもできた」という。
そして同じ“司令塔”として何よりも感銘を受けたのが、ジダンから放たれる圧倒的な“オーラ”だった。
「仲間の信頼が物凄かったですね。特にセンターバックやサイドバックの選手がボールを持ってパッとインサイドに顔を向けた時、だいたいみんなジダンを見ている。どうやってジダンにボールを経由しようかというルート探し。こうやってボールが集まるんだなと改めて思わせてくれた選手だったし、実際にボールを持った時のオーラというか、仲間の期待感を一身に受けている感じが凄かった。それは対戦相手である我々や、観客も含めたスタジアムにいる何万人も含めて、みんなが『ジダン、何するんだろう?』と見ているような、そんな華のある選手でした」
https://news.yahoo.co.jp/articles/008ab525e5e5f649073b27bb098de16b389f9f59
2/17(水) 19:05配信
1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏は、これまで数多くのビッグマッチに出場してきた。海外の名手とも対戦してきたが、華麗なキャリアのなかで「衝撃を受けた選手」について振り返ってもらうと、一時代を築いた2人のスーパースターの名前を挙げてくれた。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)
【動画】“天才司令塔”だったジダン、レアル&ユーベ時代の「芸術スキル」
◇ ◇ ◇
日本代表として67試合に出場した名波氏は、1995年のAマッチデビュー以来、98年フランスW杯をはじめ強豪国とも対戦してきた。また1999-2000シーズンにはイタリアのヴェネツィアに移籍し、当時「世界最強リーグ」と言われていたセリエAに参戦。各国スーパースターと毎週のようにピッチ上で対峙してきたなか、「間違いなく衝撃を受けた」として真っ先に名前を挙げたのが、元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンだった。
「4回対戦したんです。ユベントスと2回、フランス代表と2回やって一度も勝てなかった。とにかく凄かったな、と。サンドニ(2001年3月の国際親善試合/0-5)もそうですし、ヴェネツィアでのホームのユベントス戦にも0-4で負けるんですが、(アレッサンドロ・)デル・ピエロと(フィリッポ・)インザーギが2トップにいて自由に操っている感じでした」
1998年フランスW杯で母国を初の世界一に導き、同年のバロンドールも受賞したジダンは、名波氏が対戦した当時はまさに「世界最高の司令塔」として君臨していた。身長185センチ、体重80キロという中盤の選手としては恵まれた体躯を持つなかで、名波氏は「あの体のサイズでどれだけ動けるのだろう」と思っていたそうだが、ピッチ上で見たジダンは「攻撃時には特にハードワークをするし、あの大きな体で繊細なボールタッチもできた」という。
そして同じ“司令塔”として何よりも感銘を受けたのが、ジダンから放たれる圧倒的な“オーラ”だった。
「仲間の信頼が物凄かったですね。特にセンターバックやサイドバックの選手がボールを持ってパッとインサイドに顔を向けた時、だいたいみんなジダンを見ている。どうやってジダンにボールを経由しようかというルート探し。こうやってボールが集まるんだなと改めて思わせてくれた選手だったし、実際にボールを持った時のオーラというか、仲間の期待感を一身に受けている感じが凄かった。それは対戦相手である我々や、観客も含めたスタジアムにいる何万人も含めて、みんなが『ジダン、何するんだろう?』と見ているような、そんな華のある選手でした」
https://news.yahoo.co.jp/articles/008ab525e5e5f649073b27bb098de16b389f9f59
2/17(水) 19:05配信
1: 2021/02/03(水) 11:24:32.73 _USER9
2/3(水) 10:38配信
スポーツ報知
森本貴幸
パラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョは2日(日本時間3日)、元日本代表FW森本貴幸(32)が加入すると発表した。契約は1年。
スポルティボ・ルケーニョは、過去2度のリーグ優勝があり、元日本代表FW武田修宏やGK小沢英明、MF下地奨が在籍したことがある。森本は自身のインスタグラムに、背番号17のユニホームを着用した写真を投稿し「パラグアイのスポルティーボ・ルケーニョでプレーする事になりました。新世界を楽しみます」とコメントしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/88badd818f75e70241286575525664a7ab3d1ffc
スポーツ報知
森本貴幸
パラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョは2日(日本時間3日)、元日本代表FW森本貴幸(32)が加入すると発表した。契約は1年。
スポルティボ・ルケーニョは、過去2度のリーグ優勝があり、元日本代表FW武田修宏やGK小沢英明、MF下地奨が在籍したことがある。森本は自身のインスタグラムに、背番号17のユニホームを着用した写真を投稿し「パラグアイのスポルティーボ・ルケーニョでプレーする事になりました。新世界を楽しみます」とコメントしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/88badd818f75e70241286575525664a7ab3d1ffc
1: 2021/01/26(火) 21:21:05.35 _USER9
オファーを受けた理由も説明
ハーフナー・マイク(C)J LEAGUE
ヴァンフォーレ甲府は26日、2020シーズンで契約満了となっていたFWハーフナー・マイクが2021シーズンよりFC.Bombonera(東海社会人リーグ2部)へ移籍加入することを発表した。
Jリーグ移籍情報2020-2021|J1全20クラブの最新補強まとめ
現在33歳のハーフナーはこれまで、横浜F・マリノスやアビスパ福岡、サガン鳥栖、ヴィッセル神戸など国内クラブのほか、フィテッセ(オランダ)やデン・ハーグ(同)、コルドバFC(スペイン)、HJKヘルシンキ(フィンランド)、バンコク・ユナイテッド(タイ)など海外クラブでもプレー。日本代表としても18試合の出場で4ゴールを挙げた長身FWは、2020シーズンに9年ぶりに復帰した甲府で明治安田生命J2リーグの14試合に出場して無得点に終わった後、先月29日に契約満了で退団していた。
ハーフナー・マイクはクラブの公式SNSを通じて、「ボンボネーラの一員として新たな挑戦ができることを嬉しく思います」と移籍を喜び、以下のように感謝の意を伝えた。
「引退も考えていた中、強化部長のギリさん(片桐淳至氏)から話を頂きました。『マイクにはこれからも子供に夢や感動をピッチ上で与えられる。岐阜という舞台で力を貸してほしい』。そんな熱い想いに心が動かされ、今回のオファーを受けさせてもらいました」
「フロント面での営業・広報活動にも力を注ぎチームに貢献していきたいです。チームのために情熱を持ってJリーグ参入に全力で頑張ります。応援よろしくお願いします」
なお、FC.Bomboneraは昨シーズンまでFC Bonbonera GIFU として活動。2021年1月15日にチーム名を変更した。Jリーグで181試合63得点の記録を残してきたベテランストライカーの新天地での活躍に期待したいところだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/764e6520a093587533e0900aa2fac5fba80d6278
1/26(火) 18:15配信
https://www.youtube.com/watch?v=A835qxoevGI
ヴァンフォーレ甲府 選手挨拶~ハーフナーマイク・チャント
ハーフナー・マイク(C)J LEAGUE
ヴァンフォーレ甲府は26日、2020シーズンで契約満了となっていたFWハーフナー・マイクが2021シーズンよりFC.Bombonera(東海社会人リーグ2部)へ移籍加入することを発表した。
Jリーグ移籍情報2020-2021|J1全20クラブの最新補強まとめ
現在33歳のハーフナーはこれまで、横浜F・マリノスやアビスパ福岡、サガン鳥栖、ヴィッセル神戸など国内クラブのほか、フィテッセ(オランダ)やデン・ハーグ(同)、コルドバFC(スペイン)、HJKヘルシンキ(フィンランド)、バンコク・ユナイテッド(タイ)など海外クラブでもプレー。日本代表としても18試合の出場で4ゴールを挙げた長身FWは、2020シーズンに9年ぶりに復帰した甲府で明治安田生命J2リーグの14試合に出場して無得点に終わった後、先月29日に契約満了で退団していた。
ハーフナー・マイクはクラブの公式SNSを通じて、「ボンボネーラの一員として新たな挑戦ができることを嬉しく思います」と移籍を喜び、以下のように感謝の意を伝えた。
「引退も考えていた中、強化部長のギリさん(片桐淳至氏)から話を頂きました。『マイクにはこれからも子供に夢や感動をピッチ上で与えられる。岐阜という舞台で力を貸してほしい』。そんな熱い想いに心が動かされ、今回のオファーを受けさせてもらいました」
「フロント面での営業・広報活動にも力を注ぎチームに貢献していきたいです。チームのために情熱を持ってJリーグ参入に全力で頑張ります。応援よろしくお願いします」
なお、FC.Bomboneraは昨シーズンまでFC Bonbonera GIFU として活動。2021年1月15日にチーム名を変更した。Jリーグで181試合63得点の記録を残してきたベテランストライカーの新天地での活躍に期待したいところだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/764e6520a093587533e0900aa2fac5fba80d6278
1/26(火) 18:15配信
https://www.youtube.com/watch?v=A835qxoevGI
ヴァンフォーレ甲府 選手挨拶~ハーフナーマイク・チャント
1: 2021/01/22(金) 14:36:30.59 _USER9 BE:245651864-2BP(0)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
1/22(金) 14:33配信
オリコン
引退会見を行った大黒将志
元サッカー日本代表の大黒将志選手(40)が22日、オンラインで引退会見を行い、この日をもって22年におよぶプロサッカー選手生活にピリオドを打つことを表明した。引退後は、自身のサッカー生活の原点にもあたるガンバ大阪の下部組織でコーチを行う。
大黒は、冒頭でこれまで自身がプレーしたクラブチームの名前を挙げながら「本当に感謝しております。22年間ありがとうございました」としみじみ。「大きな怪我もなく活躍できました。今、コロナで大変な時期ですが、サッカー界みんなで元気にしていけるように、僕もその一員として頑張っていけるようにしたい」と言葉に力を込めた。
引退を決意した理由について「ガンバ大阪から、下部組織のコーチのオファーをいただいたので、それで決断しました。まだ体も痛い所ないですし、点も取れるんですけど、もうひとつの目標として、監督・コーチ業でも成功したいというのがありまして。そういったところ、ありがたいお話をいただいて、ガンバ大阪にはずっと育てていただいて感謝しかないですし、少しでもお力になりたい」と説明した。
印象に残っているパサーについては中田英寿、遠藤保仁、中村俊輔といった名前を挙げながら「みんなのパスを受けられたことは本当に幸せなことでしたし、思ったところにボールがくるので、フォワードできて幸せな時間でしたね」と感謝。現役時代にやり残したことを聞かれると「ないですけど、もっとゴールしたかったな」とにっこり。指導者としての抱負を「育成年代、僕も育てていただいたので、知っていることを伝えて、いつでもどこでもゴールできるような選手になってもらいたい。ひとりでも長くトップチームで活躍できる選手になってもらいたい」と語っていた。
【大黒将志プロフィール】
ガンバ大阪の下部組織での活動を経て、1999年にガンバ大阪トップチームに昇格、2004年に日本人最多となる20ゴールを挙げ、Jリーグベストイレブンに初選出。05年には日本代表に初選出され、代表2戦目となる2006ドイツW杯アジア最終予選で途中出場ながら後半ロスタイムに決勝点を挙げた。その後は海外に移りグルノーブル・フット38(フランス)、トリノFC(イタリア)で活躍した後、08年東京ヴェルディに移籍してJリーグに復帰。11年は横浜F・マリノスでプレーし、12年は元日本代表監督の岡田武史が監督を務める中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城足球倶楽部へ移籍。14年からは京都サンガF.C.へ移籍。同年のJリーグDIVISION2の得点王を獲得。18年から栃木SCに加入。同8月に史上初のJ2通算100得点を記録した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1239c9c89211dc0328ef15de3ae1a886db16465
1/22(金) 14:33配信
オリコン
引退会見を行った大黒将志
元サッカー日本代表の大黒将志選手(40)が22日、オンラインで引退会見を行い、この日をもって22年におよぶプロサッカー選手生活にピリオドを打つことを表明した。引退後は、自身のサッカー生活の原点にもあたるガンバ大阪の下部組織でコーチを行う。
大黒は、冒頭でこれまで自身がプレーしたクラブチームの名前を挙げながら「本当に感謝しております。22年間ありがとうございました」としみじみ。「大きな怪我もなく活躍できました。今、コロナで大変な時期ですが、サッカー界みんなで元気にしていけるように、僕もその一員として頑張っていけるようにしたい」と言葉に力を込めた。
引退を決意した理由について「ガンバ大阪から、下部組織のコーチのオファーをいただいたので、それで決断しました。まだ体も痛い所ないですし、点も取れるんですけど、もうひとつの目標として、監督・コーチ業でも成功したいというのがありまして。そういったところ、ありがたいお話をいただいて、ガンバ大阪にはずっと育てていただいて感謝しかないですし、少しでもお力になりたい」と説明した。
印象に残っているパサーについては中田英寿、遠藤保仁、中村俊輔といった名前を挙げながら「みんなのパスを受けられたことは本当に幸せなことでしたし、思ったところにボールがくるので、フォワードできて幸せな時間でしたね」と感謝。現役時代にやり残したことを聞かれると「ないですけど、もっとゴールしたかったな」とにっこり。指導者としての抱負を「育成年代、僕も育てていただいたので、知っていることを伝えて、いつでもどこでもゴールできるような選手になってもらいたい。ひとりでも長くトップチームで活躍できる選手になってもらいたい」と語っていた。
【大黒将志プロフィール】
ガンバ大阪の下部組織での活動を経て、1999年にガンバ大阪トップチームに昇格、2004年に日本人最多となる20ゴールを挙げ、Jリーグベストイレブンに初選出。05年には日本代表に初選出され、代表2戦目となる2006ドイツW杯アジア最終予選で途中出場ながら後半ロスタイムに決勝点を挙げた。その後は海外に移りグルノーブル・フット38(フランス)、トリノFC(イタリア)で活躍した後、08年東京ヴェルディに移籍してJリーグに復帰。11年は横浜F・マリノスでプレーし、12年は元日本代表監督の岡田武史が監督を務める中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城足球倶楽部へ移籍。14年からは京都サンガF.C.へ移籍。同年のJリーグDIVISION2の得点王を獲得。18年から栃木SCに加入。同8月に史上初のJ2通算100得点を記録した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1239c9c89211dc0328ef15de3ae1a886db16465
1: 2021/01/15(金) 11:36:19.58 _USER9
2021年1月14日、FC岐阜から1人の大物ストライカーの引退が発表された。
元日本代表FW・前田遼一、39歳。
彼が最も輝いた大会の1つが、優勝した2011年のアジアカップだ。全試合に先発したエースは、歓喜の輪の中で、何を感じていたのか、ザックジャパンのメンバーを外れてから感じた違和感とは。
そして、21年のプロキャリアと日本代表への思いはどのようなものだったのか……。
「求められているうちはやりたい」と引退発表直前に行われた本インタビューで現役続行への意欲を口にしながら、古巣・ジュビロ磐田で指導者の一歩を踏み出す決断をした偉大な点取り屋の矜持を今、ここに伝える。
2009・2010年連続得点王が代表で初めて手にしたアジアタイトル
今から10年前の2011年アジアカップ(カタール)。アルベルト・ザッケローニ監督の下で1トップの一番手を務めたのが、前田遼一だった。ジュビロ磐田に在籍した2009・2010年にJ1で2年連続得点王に輝いた男が日本代表のエースになるのは、むしろ当然のなりゆきと言っていい。
しかしながら、本人の中では「ラストチャンス」の思いが強かったという。
――日本が4度目のアジア王者に輝いたカタールの激闘から10年が経過しました。
「『もう代表は最後。結果を出さないと終わりだ』という気持ちでしたね。自分より上の人はヤット(遠藤保仁=磐田)さんくらいで、同期もダイ(松井大輔=サイゴンFC)と岩政(大樹=上武大監督)だけ。年齢的には上だけど、若手みたいな気持ちでガンガン行こうと練習から取り組みました」
――南アW杯メンバーの本田圭佑、長友佑都(マルセイユ)らは鼻息が荒かったのでは?
「『上に行くんだ』というギラついた感じはすごかった。特に圭佑はそうでした。その前年のオランダ遠征で俊(中村俊輔=横浜FC)さんに『FKを蹴らせてくれ』と要求した時も、練習中から『対等』という意識でやっていたから『やりそうだな』と僕は見ていた。自分が若い頃、中山(雅史=ジュビロ磐田コーチ)さんやタカ(高原直泰=沖縄SV)さんに同じことができたかと言えば、そういう文化はなかったけど、今思えば一番大事なことかもしれないなと感じます」
「ぬるかった」と感じた初戦・ヨルダン戦からの意識の変化
――アジアカップは初戦のヨルダン戦から大苦戦を強いられました。
「僕は前半だけで代えられたので、『もう出番はないんじゃないか』という気持ちでいました。求められたことができなかった印象が強いですね。フォワードである僕に求められる役割は『チームのために戦うこと』だったのに、そこをはき違えていた。前線からの守備や攻守の切り替え、攻撃時につぶれて起点になる仕事もやっていたつもりだったけど、ぬるかった。『もっと厳しくやらないとダメだ』と強く反省しました」
――それでも次のシリア戦も先発出場、グループステージ最終戦のサウジアラビア戦では大会初ゴールを奪います。
「シリア戦は先発でまた使ってくれたザックさんからの信頼を感じたし、とにかく試合に勝って貢献しないといけないという思いでした。サウジ戦での得点で『やっとチームの一員になれた』という思いが強いですね」
――その後、決勝トーナメントも緊迫感ある試合の連続でしたが、前田選手が大会2点目を奪ったのが準決勝の日韓戦でした。
「朴智星もいたし、ホントに豪華な日韓戦。絶対に勝たないといけないという気持ちでした。それまで先発でずっと出してもらっているのに足を引っ張っている意識があったので、プレーで証明したかった。自分が決めた同点ゴールは佑都のマイナスのボールに合わせる形でしたけど、サイドのクロスからの得点はザックさんからも期待されていた。ようやく応えられたと思いました」
1/15(金) 11:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/motokawaetsuko/20210115-00217653/
元日本代表FW・前田遼一、39歳。
彼が最も輝いた大会の1つが、優勝した2011年のアジアカップだ。全試合に先発したエースは、歓喜の輪の中で、何を感じていたのか、ザックジャパンのメンバーを外れてから感じた違和感とは。
そして、21年のプロキャリアと日本代表への思いはどのようなものだったのか……。
「求められているうちはやりたい」と引退発表直前に行われた本インタビューで現役続行への意欲を口にしながら、古巣・ジュビロ磐田で指導者の一歩を踏み出す決断をした偉大な点取り屋の矜持を今、ここに伝える。
2009・2010年連続得点王が代表で初めて手にしたアジアタイトル
今から10年前の2011年アジアカップ(カタール)。アルベルト・ザッケローニ監督の下で1トップの一番手を務めたのが、前田遼一だった。ジュビロ磐田に在籍した2009・2010年にJ1で2年連続得点王に輝いた男が日本代表のエースになるのは、むしろ当然のなりゆきと言っていい。
しかしながら、本人の中では「ラストチャンス」の思いが強かったという。
――日本が4度目のアジア王者に輝いたカタールの激闘から10年が経過しました。
「『もう代表は最後。結果を出さないと終わりだ』という気持ちでしたね。自分より上の人はヤット(遠藤保仁=磐田)さんくらいで、同期もダイ(松井大輔=サイゴンFC)と岩政(大樹=上武大監督)だけ。年齢的には上だけど、若手みたいな気持ちでガンガン行こうと練習から取り組みました」
――南アW杯メンバーの本田圭佑、長友佑都(マルセイユ)らは鼻息が荒かったのでは?
「『上に行くんだ』というギラついた感じはすごかった。特に圭佑はそうでした。その前年のオランダ遠征で俊(中村俊輔=横浜FC)さんに『FKを蹴らせてくれ』と要求した時も、練習中から『対等』という意識でやっていたから『やりそうだな』と僕は見ていた。自分が若い頃、中山(雅史=ジュビロ磐田コーチ)さんやタカ(高原直泰=沖縄SV)さんに同じことができたかと言えば、そういう文化はなかったけど、今思えば一番大事なことかもしれないなと感じます」
「ぬるかった」と感じた初戦・ヨルダン戦からの意識の変化
――アジアカップは初戦のヨルダン戦から大苦戦を強いられました。
「僕は前半だけで代えられたので、『もう出番はないんじゃないか』という気持ちでいました。求められたことができなかった印象が強いですね。フォワードである僕に求められる役割は『チームのために戦うこと』だったのに、そこをはき違えていた。前線からの守備や攻守の切り替え、攻撃時につぶれて起点になる仕事もやっていたつもりだったけど、ぬるかった。『もっと厳しくやらないとダメだ』と強く反省しました」
――それでも次のシリア戦も先発出場、グループステージ最終戦のサウジアラビア戦では大会初ゴールを奪います。
「シリア戦は先発でまた使ってくれたザックさんからの信頼を感じたし、とにかく試合に勝って貢献しないといけないという思いでした。サウジ戦での得点で『やっとチームの一員になれた』という思いが強いですね」
――その後、決勝トーナメントも緊迫感ある試合の連続でしたが、前田選手が大会2点目を奪ったのが準決勝の日韓戦でした。
「朴智星もいたし、ホントに豪華な日韓戦。絶対に勝たないといけないという気持ちでした。それまで先発でずっと出してもらっているのに足を引っ張っている意識があったので、プレーで証明したかった。自分が決めた同点ゴールは佑都のマイナスのボールに合わせる形でしたけど、サイドのクロスからの得点はザックさんからも期待されていた。ようやく応えられたと思いました」
1/15(金) 11:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/motokawaetsuko/20210115-00217653/
1: 2021/01/14(木) 07:03:50.42 _USER9
元日本代表でJリーグ得点王にも輝いたFW前田遼一(39)が、現役引退を決意したことが13日、分かった。
昨年12月にJ3のFC岐阜を契約満了で退団することが発表されていたが、他クラブからの打診もあり、結論を持ち越していた。
東京・暁星高から00年に磐田入りし、183センチの長身を生かしたポストプレーなどで09、10年にJリーグ連続得点王を獲得。15年からFC東京、19年から当時J2の岐阜に移籍した。けがに苦しみながら、J1通算154得点(429試合)は歴代5位の成績を誇る。
11年アジア杯で全6試合に先発して日本の優勝に貢献するなど、国際Aマッチは通算33試合10得点。10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は予備登録に終わり、14年W杯ブラジル大会も直前でメンバー入りを逃したが、日本の一時代を築いた名ストライカーだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/09737fb46eb14f1703144e827ca188de3dd8aeba
1/14(木) 6:43配信
https://f.image.geki.jp/data/image/news/800/224000/223243/news_223243_1.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=hzKBVCu3mLo
前田遼一チャント【ジュビロ磐田】
昨年12月にJ3のFC岐阜を契約満了で退団することが発表されていたが、他クラブからの打診もあり、結論を持ち越していた。
東京・暁星高から00年に磐田入りし、183センチの長身を生かしたポストプレーなどで09、10年にJリーグ連続得点王を獲得。15年からFC東京、19年から当時J2の岐阜に移籍した。けがに苦しみながら、J1通算154得点(429試合)は歴代5位の成績を誇る。
11年アジア杯で全6試合に先発して日本の優勝に貢献するなど、国際Aマッチは通算33試合10得点。10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は予備登録に終わり、14年W杯ブラジル大会も直前でメンバー入りを逃したが、日本の一時代を築いた名ストライカーだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/09737fb46eb14f1703144e827ca188de3dd8aeba
1/14(木) 6:43配信
https://f.image.geki.jp/data/image/news/800/224000/223243/news_223243_1.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=hzKBVCu3mLo
前田遼一チャント【ジュビロ磐田】
1: 2021/01/13(水) 15:42:45.86 _USER9
1/13(水) 14:33
東スポWeb
41歳の元日本代表MF稲本がJ2昇格の相模原と契約更新
稲本潤一
今季J2に昇格した相模原は13日、元日本代表で41歳のMF稲本潤一との契約を更新したと発表した。
1997年にG大阪でプロキャリアをスタートさせた稲本は、今季で25季目のシーズンを迎える。昨季はわずか1試合の出場にとどまったが、まだ情熱は衰えておらず、クラブを通じて「今シーズンも相模原でプレーさせてもらうことになりました!昨シーズン以上に厳しい戦いが待っていますが、昨年同様に一体感を持って戦っていけたらと思います。2021シーズンもよろしくお願いします!」とコメントした。
1999年のFIFAワールドユース(現U―20W杯)ナイジェリア大会で準優勝した「黄金世代」の一員だが、当時のメンバーではMF小野伸二(41)がJ2琉球からJ1札幌に復帰。MF遠藤保仁(40)は今季もJ2磐田でプレーするとあって、稲本との直接対決の可能性もある。まだまだ黄金世代はJリーグをにぎわせてくれそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa6865fad69e228a02395e7e15ac99318132a786
東スポWeb
41歳の元日本代表MF稲本がJ2昇格の相模原と契約更新
稲本潤一
今季J2に昇格した相模原は13日、元日本代表で41歳のMF稲本潤一との契約を更新したと発表した。
1997年にG大阪でプロキャリアをスタートさせた稲本は、今季で25季目のシーズンを迎える。昨季はわずか1試合の出場にとどまったが、まだ情熱は衰えておらず、クラブを通じて「今シーズンも相模原でプレーさせてもらうことになりました!昨シーズン以上に厳しい戦いが待っていますが、昨年同様に一体感を持って戦っていけたらと思います。2021シーズンもよろしくお願いします!」とコメントした。
1999年のFIFAワールドユース(現U―20W杯)ナイジェリア大会で準優勝した「黄金世代」の一員だが、当時のメンバーではMF小野伸二(41)がJ2琉球からJ1札幌に復帰。MF遠藤保仁(40)は今季もJ2磐田でプレーするとあって、稲本との直接対決の可能性もある。まだまだ黄金世代はJリーグをにぎわせてくれそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa6865fad69e228a02395e7e15ac99318132a786
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