1: 2020/04/22(水) 20:54:46.24
「先発を外されて、正直、ムカついていた」

あの伝説のFKの舞台裏を当事者が明かす――歴代最多のFK弾を記録する中村俊輔(横浜FC)、
2001年のリーグ優勝を鮮やかな一撃で手繰り寄せた小笠原満男(元鹿島アントラーズ)、予測不可能なブレ球を放つ三浦淳寛(元神戸など)と、
錚々たる顔ぶれが並ぶが名手の系譜に、岩本輝雄もその名を連ねるのは間違いない。

「テル」の愛称で親しまれ、日本代表では10番を背負ったレフティが“ぶち込んだ”歴史的なゴールは、2003年10月18日、仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)で行なわれたベガルタ仙台対ジェフユナイテッド市原戦の55分に生まれた。

 ゴールに向かってほぼ正面、距離にして約40メートル。当時はベガルタ仙台の一員だった31歳のテルは、どんな狙いで、どんな想いであのFKを決めたのか。本人に改めて振り返ってもらった。

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ちょうど監督が代わった時期で、それまでレギュラーだった自分は、その試合、ベンチスタートだった。あの時のジェフは監督がオシムさんで、すごく強くてね。前半もベガルタはけっこう押されていた。
 
試合前日にはセットプレーの練習もしていて、自分は壁に入る役目。もしかしたら、ちょっと不貞腐れていたかも(笑)。強化部長からは「テル、ちゃんと聞いておけよ。
明日、もしかしたら出るかもしれないんだから」とも言われて。たしか、遠目からのFKは、味方に合わせる作戦だったはず。

でも自分としては、もうワガママでしかないけど(笑)、強化部長には「チャンスがあれば、思いっきり直接狙いますから!」とか言って。
選手としては絶対にダメだし、真似してほしくないけど、もう来たボールは全部シュートしてやろうとも思っていた。

こういう言い方が良いか悪いかは、分からないけど……まあ、良くはないんだろうけど、やっぱり先発を外されて、正直、ムカついていた。監督がベストだと思って選んだ11人。
それはもちろん尊重していたし、自分の代わりにスタメンで出た選手に対しても、頑張ってほしいと思っていた。でも、とにかくめちゃくちゃ悔しかった。
ピッチに立って結果を出すのがプロだし、最終的にそのシーズンはJ2に降格してしまうんだけど、なんとかチームの力になりたかった。その想いが強かったね。

「直接狙う。頭の中はそれしかなかった」

前半はベンチで悶々としていたけど、後半の頭から途中出場。その10分後、FKのチャンスが訪れる。ゴールまで約40メートル。
CKで言えば、ファーサイドのゴールネットぐらいかな。普通は狙わない距離だけど、味方に合わせるとか、そんな考えは一切なかったね。
ボールの側に立っていたシルビーニョからは「どうする?」的なことを聞かれたけど、ほとんど無視(笑)。ゴールしか見ていない。「いや、打つよ」とか「俺が蹴るって言ったら、蹴るんだよ」とか言いながら、助走を取った。

直接狙う。頭の中はそれしかなかった。迷いなし。バックステップしながら前方を確認。壁は2枚だけど、まさか打ってくるとは思っていなかったんだろうね。
その2枚の壁は割れていて、隙間ができていた。

狙うならここだ。駆け引きはいらない。カーブをかけたとしても、この距離だとまず間違いなく失速する。枠に飛んでも、ゴールライン手前で相手GKにパンチングされるのがオチ。後半から出た自分と、そしてチームを勢いづけるためにも、思い切りぶち込むだけ。

だからといって、力いっぱい蹴ったわけではない。インステップで軽く。フルスイングしているように見えるけど、コンパクトなキックを心がけた。力はそんなに入れていない。ただ、身体の体重がすべてボールに乗るようにとは意識した。力任せに蹴るだけだと、上に行っちゃうからね。うまくミートできたと思う。
 
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200422-00072098-sdigestw-socc&p=2
4/22(水) 20:32配信

https://www.youtube.com/watch?v=84GUdv-f37o


岩本輝雄