833: 今、天王星のwiki見てきたら軌道傾斜角(i) が0.774°だった 2015/08/20(木) 10:35:41.96 ID:EybFOf4h.net
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150820-00000034-nksports-socc
丸岡満 独で内田流生活術まで学ぶ/インタビュー
ドイツから来年のリオデジャネイロ五輪を狙う逸材がいる。18歳だった昨季、ブンデスリーガでデビューを果たしたドルトムントMF丸岡満(19)が、インタビューに応じた。J2C大阪からの期限付き移籍延長が決まり、トップチームでのプレーとともに、リオデジャネイロ五輪出場を狙うU-22日本代表への思いを語った。
スマホに登録していない番号だった。携帯電話の向こう側から「丸岡君?」。その声は、面識のないシャルケDF内田だった。ドルトムント加入から約3カ月たっていた。期限付き移籍している所属元のC大阪との縁で、クラブの先輩で当時ニュルンベルクに所属していたMF清武(現ハノーバー)の携帯番号を聞いていた。勇気を振り絞って電話をかけると「ウッチーが近いから」と、気を利かせてドルトムントの隣町・ゲルゼンキルヘンに住む内田に連絡してくれていた。
丸岡 その日のうちに内田選手から連絡がきて、次の日にご飯に連れて行ってもらった。ドイツにきて初めて接した日本人でした。そのとき泊まっていたホテルまで迎えにきてくれて、日本食屋へ連れて行ってくれて、またホテルまで送ってくれて。いろいろ話をしてもらって、だいぶホッとしました。
思わぬ形で、内田と初めて顔を合わせた。「日本とドイツのスピードは違う。局面でのフィジカルには誰もが苦労する。だから徐々に慣れていけばいいよ」というピッチ内のことから「レストランで注文するのとサッカー用語以外は、ドイツ語を覚えなくていいよ」と内田流の生活術まで。ドイツでの大先輩、内田との会話に当時18歳の丸岡の心が、単身でドイツにきてから初めて和んだ。
丸岡 言葉と生活。オフの部分で不安があった。サッカーだけは楽しみで、ピッチに不安を持ち込まないように、早く改善しようと思ったけど、半年間はうまくいかなかった。
そんな焦りとは裏腹に昨年夏の開幕前、想像以上に早くブンデスリーガを体感することになる。事前キャンプを行うトップチームに合流すると練習試合からアピール。開幕戦でベンチ入りを果たし、9月20日のマインツ戦で途中出場した。ルーズボールを奪い2人を置き去りにすると、ドリブルで抜き去った3人目には後方からファウルを受けて警告を誘発。才能の片りんを見せた。交代直前、当時のクロップ監督から肩を組まれ指示を受けるシーンが、日本のテレビでも流れた。
丸岡 笑って話してたって言われるけど、完全に引きつってました。めっちゃ足が震えていた。ただ、力強いドリブルだったり、ボールを奪ってからDFをかわして、大きい相手の懐に入っていく。あのプレーは自分の良さが出せた。
そのプレーと、現在19歳という若さにU-22日本代表も当然放っておかない。日本協会スタッフが視察し、招集候補リストにも入っている。もともとU-15から世代別代表に選ばれていたが、リオデジャネイロ五輪出場を狙う世代での招集は、1度もなかった。昨年のマインツ戦以来トップチームでの出場がなく、アピールの場がなかった丸岡に今夏、凱旋(がいせん)のチャンスが訪れた。アジアツアーで川崎Fと対戦。フル出場し、ゴールも決めた。
丸岡 五輪世代には1回もまだ選ばれていない。だから、川崎F戦が自分を見せる場だった。A代表にも五輪代表にも、見せる場がなかったので。川崎F戦はそういうモチベーションもあった。相手チームに(U-22日本代表)大島選手もいた。そういう選手を超えないと選ばれない。いろんな意味で吸収できました。少しでも丸岡満を知ってもらえたかな。
川崎F戦が行われた等々力競技場には、徳島の家族を招待した。600キロも車できた母や祖母の前でプロになった姿を見せた。
丸岡 ゴールを決めたとき泣いたみたい。90分出てお母さんもおばあちゃんも喜んでくれた。これ以上レンタルは絶対にないと思っている。この1年でいろいろ決まる。まずトップに出られるようにして、結果を残してリオの舞台に立てるように頑張りたい。【取材、構成=栗田成芳】
日刊スポーツ 8月20日(木)10時4分配信
丸岡満 独で内田流生活術まで学ぶ/インタビュー
ドイツから来年のリオデジャネイロ五輪を狙う逸材がいる。18歳だった昨季、ブンデスリーガでデビューを果たしたドルトムントMF丸岡満(19)が、インタビューに応じた。J2C大阪からの期限付き移籍延長が決まり、トップチームでのプレーとともに、リオデジャネイロ五輪出場を狙うU-22日本代表への思いを語った。
スマホに登録していない番号だった。携帯電話の向こう側から「丸岡君?」。その声は、面識のないシャルケDF内田だった。ドルトムント加入から約3カ月たっていた。期限付き移籍している所属元のC大阪との縁で、クラブの先輩で当時ニュルンベルクに所属していたMF清武(現ハノーバー)の携帯番号を聞いていた。勇気を振り絞って電話をかけると「ウッチーが近いから」と、気を利かせてドルトムントの隣町・ゲルゼンキルヘンに住む内田に連絡してくれていた。
丸岡 その日のうちに内田選手から連絡がきて、次の日にご飯に連れて行ってもらった。ドイツにきて初めて接した日本人でした。そのとき泊まっていたホテルまで迎えにきてくれて、日本食屋へ連れて行ってくれて、またホテルまで送ってくれて。いろいろ話をしてもらって、だいぶホッとしました。
思わぬ形で、内田と初めて顔を合わせた。「日本とドイツのスピードは違う。局面でのフィジカルには誰もが苦労する。だから徐々に慣れていけばいいよ」というピッチ内のことから「レストランで注文するのとサッカー用語以外は、ドイツ語を覚えなくていいよ」と内田流の生活術まで。ドイツでの大先輩、内田との会話に当時18歳の丸岡の心が、単身でドイツにきてから初めて和んだ。
丸岡 言葉と生活。オフの部分で不安があった。サッカーだけは楽しみで、ピッチに不安を持ち込まないように、早く改善しようと思ったけど、半年間はうまくいかなかった。
そんな焦りとは裏腹に昨年夏の開幕前、想像以上に早くブンデスリーガを体感することになる。事前キャンプを行うトップチームに合流すると練習試合からアピール。開幕戦でベンチ入りを果たし、9月20日のマインツ戦で途中出場した。ルーズボールを奪い2人を置き去りにすると、ドリブルで抜き去った3人目には後方からファウルを受けて警告を誘発。才能の片りんを見せた。交代直前、当時のクロップ監督から肩を組まれ指示を受けるシーンが、日本のテレビでも流れた。
丸岡 笑って話してたって言われるけど、完全に引きつってました。めっちゃ足が震えていた。ただ、力強いドリブルだったり、ボールを奪ってからDFをかわして、大きい相手の懐に入っていく。あのプレーは自分の良さが出せた。
そのプレーと、現在19歳という若さにU-22日本代表も当然放っておかない。日本協会スタッフが視察し、招集候補リストにも入っている。もともとU-15から世代別代表に選ばれていたが、リオデジャネイロ五輪出場を狙う世代での招集は、1度もなかった。昨年のマインツ戦以来トップチームでの出場がなく、アピールの場がなかった丸岡に今夏、凱旋(がいせん)のチャンスが訪れた。アジアツアーで川崎Fと対戦。フル出場し、ゴールも決めた。
丸岡 五輪世代には1回もまだ選ばれていない。だから、川崎F戦が自分を見せる場だった。A代表にも五輪代表にも、見せる場がなかったので。川崎F戦はそういうモチベーションもあった。相手チームに(U-22日本代表)大島選手もいた。そういう選手を超えないと選ばれない。いろんな意味で吸収できました。少しでも丸岡満を知ってもらえたかな。
川崎F戦が行われた等々力競技場には、徳島の家族を招待した。600キロも車できた母や祖母の前でプロになった姿を見せた。
丸岡 ゴールを決めたとき泣いたみたい。90分出てお母さんもおばあちゃんも喜んでくれた。これ以上レンタルは絶対にないと思っている。この1年でいろいろ決まる。まずトップに出られるようにして、結果を残してリオの舞台に立てるように頑張りたい。【取材、構成=栗田成芳】
日刊スポーツ 8月20日(木)10時4分配信