Samurai Goal

中田


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なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか? 

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<カズ、中田は天才なのか?>天才の定義「やっぱり釜本さん、野球なら王さん、長嶋さんクラスでしたよ」 

1: 2020/06/29(月) 07:03:47.39
天才は異端であり天邪鬼だ
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天才を育むには、それを見極める眼と環境が要る。バルセロナはリオネル・メッシを、レッドスターはドラガン・ストイコビッチ(愛称はピクシー)を発掘すると、指導スタッフは周知徹底したそうである。

「あいつはいじるな」

 概して天才はバランスが悪い。他競技に目を向ければ、ひとりで計23個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(水泳)や短距離と走り幅跳びを両立させたカール・ルイス(陸上)などの例があるが、サッカー界で攻守万能な天才は見かけない。

 かつてイビチャ・オシムは言った。

「ロナウジーニョも守備をさせてしまえば、ロナウジーニョではなくなる」

 メッシもロナウジーニョも批判の矛先は「あまり走らない」ことだった。また札幌を指揮するペトロヴィッチ監督も、ある試合後の会見で「小野伸二が全力疾走をするのを久しぶりに見た」とジョークに少し毒を塗した。だが裏返せば、彼らはこれほど運動量が求められる時代に、明らかな減点を相殺してもあり余る価値を創出してきた。そもそも斯界に、素走りが大好きな天才はいない。異次元の緩急で何度も相手を置き去りにしてきたヨハン・クライフも例外ではない。

「人が走るよりボールを走らせればいい」

 やはり球技の天才は、ボールを愛し、ボールに触れることで違いを生み出す。もちろんペレのように「ひとりスルー」でGKを欺くこともあるが、それもボールに触れれば無敵なキングの威圧感が大前提になる。

 さてこれだけ記しただけでも、いかに日本では天才が育ち難いかがわかる。天才は異端であり天邪鬼だ。敢えてコーチの指示とは別の選択をして、それ以上の解決策を見つけ出してしまう。ピクシーは、そこで度量の広い指導者に誉められ続けたから才能が開花した。だが残念ながら日本では、少年時代からチームの勝利が優先され、個々の探求心がへし折られて来た。幼少期からチームへの献身が過度に強調されれば、良い労働者は生まれてもプロで輝く武器は磨けない。

天才はイメージだけで進化した
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コーチの指示以上の解決策を見つけ出す。ストイコビッチの閃きは、Jリーグでは異質に映った。(C)Jリーグフォト

 若い世代には伝わり難いが、日本サッカー史上別格の天才は釜本邦茂である。野球一辺倒だった時代に、こんなスーパーアスリートがサッカーを選んだのは奇跡だった。今なら大谷翔平が迷い込んで来るような僥倖に近い。実際釜本は、引退後にセ・リーグで首位打者3度の江藤慎一の野球教室に参加し、現役高校生投手からホームランを叩き込み驚かせたという。江藤は感嘆した。

「やっぱり釜本さん、野球をやっていたら王さん、長嶋さんクラスでしたよ」

 当時180センチ超えは「クマ」に例えられるサイズなのに、柔軟な筋肉、俊敏性、爆発力のすべてを備えていた。元同僚DFの弁だ。

「普通の人は何千本、何万本と蹴って少しだけ上達するのに、釜本は10~15本で出来てしまう。早稲田大学時代は、1年生なのに走る時はいつもビリの方をトボトボ。それでもリーグ開幕戦から4ゴールだから、練習で手を抜いても仕方がないか、と誰も文句を言わなかった」

 かつてバルセロナ時代のボビー・ロブソン監督は「戦術はロナウド」と言い放ったが、まさに当時日本代表の戦術は釜本を軸にしていた。前述の同僚コメントを立証することになるのが、メキシコ五輪を迎える1968年初頭のドイツ留学である。タイミングが悪くチームはウインターブレイク中でオフ。仕方がないので映写機を持ち出し昔の名場面を繰り返し見ていたのだが、この2か月間で「見違えた」と誰もが口を揃える。天才はイメージだけで進化した。そのまま五輪本番では得点王を獲得し、チームを銅メダルに導いたのは周知の通りだ。ボールを蹴り始めてわずか10年あまりでの快挙だった。

 アマチュア時代の日本代表選手たちは、欧州クラブへの練習参加を繰り返していたので、釜本とトップレベルの比較は出来た。

「当時世界最高のストライカーはゲルト・ミュラー。そのミュラーと得点王争いをしていたユップ・ハインケスと比べても見劣りしなかった」(日本代表の同僚だった落合弘)

つづく

6/29(月) 6:03 サッカーダイジェスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/b54d8588e7b83755b5ef3b8766230f336c1b02a1

<カズ、中田、中村、本田…>セリエAを彩った歴代日本人選手の「リアル評」は?―― イタリア人記者に訊く 

1: 2020/05/07(木) 23:23:44.04
●1試合プレーするごとにスポンサーが金を払う

1993年夏に“キングカズ”がジェノアと契約して以来、のべ12人の日本人選手がセリエAでプレーしてきた。
メディアやファンの目も厳しいこの世界屈指のリーグで、ジャポネーゼたちはいかなる印象を与えたのか――。ベテランのイタリア人記者に訊いた。

―――◆――◆―――

もしイタリアのどこかのチームが日本人GKを獲得していたならば、セリエAでプレーした日本人選手だけでひとつのチームが作れたはずだ。それもなかなか豪華な。
イタリアに好印象を残していったサムライは少なくない。中にはその実力を発揮できずに去っていった者もいたが、それでも真面目さ、プロフェッショナル精神、向上心はイタリア人の心に残り、チームメイトたちに良い影響を与えた。
日本の伝統的な教育の賜物だろう。

最初にイタリアにやって来た日本人は三浦知良(現・横浜FC)だった。1993年当時のジェノアの会長アルド・スピネッリは、ヴェルディ川崎でプレーするカズの姿を見て感銘を受けた。そのテクニック以外にも魅力的な点があった。
イタリアではジェノバ人は一般的に“ケチ”“金に汚い”と言われているが、スピネッリもその例に漏れない。彼が三浦獲得を決めたのは、ジャパンマネーを見越してだった。1試合プレーするごとにスポンサーが金を払う――。こうして契約は成立した。

結局、三浦は21試合に出場して1ゴールを決め、スピネッリは“円”を手に入れた。1シーズンで契約は終了し、日本のスターは去っていた。しかし、残した功績は小さくない。このパイオニアのおかげで“壁”は取り払われた。
イタリア人にとって、それまで日本はサッカー未開の地だった。「世界最高峰」を謳っていたセリエAとは無縁のものだと考えられていた。その概念を打ち壊したのが、このストライカーだったのだ。
おかげで、98年夏に中田英寿がイタリアにやって来た時、「寿司がピザの国に何をしに来たのか」とは、決して言われなかった。おかげで若き司令塔はサッカーに集中することができた。

それにしてもヒデは本当に優秀だった。残留できれば御の字のペルージャでのデビュー戦で、ユベントスを相手に名刺代わりの2ゴールを奪ったインパクトは絶大だった。今でも多くのイタリア人があの時の衝撃を覚えている。
翌シーズンの途中に移籍したローマでは、2年目に歴史的スクデット獲得に貢献。イタリアでプレーした日本人の中で、間違いなくもっともレベルの高い選手だった。
ライバルだったバンディエーラ(旗頭)のトッティがいなければ、ヒデはローマでもっと活躍できたはずだ。それでも、残した印象はこれ以上ないほどポジティブだった。カズが壁を壊し、ヒデが日本人選手のイメージを変えた

5/6(水) 6:41配信 サッカーダイジェスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200506-00072816-sdigestw-socc

写真
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1 Egg ★ 2020/05/06(水) 09:32:43.73
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588725163/

<カズ、中田、中村、本田…>セリエAを彩った歴代日本人選手の「リアル評」は?―― イタリア人記者に訊く 

1: 2020/05/06(水) 09:32:43.73
●1試合プレーするごとにスポンサーが金を払う

1993年夏に“キングカズ”がジェノアと契約して以来、のべ12人の日本人選手がセリエAでプレーしてきた。
メディアやファンの目も厳しいこの世界屈指のリーグで、ジャポネーゼたちはいかなる印象を与えたのか――。ベテランのイタリア人記者に訊いた。

―――◆――◆―――

もしイタリアのどこかのチームが日本人GKを獲得していたならば、セリエAでプレーした日本人選手だけでひとつのチームが作れたはずだ。それもなかなか豪華な。
イタリアに好印象を残していったサムライは少なくない。中にはその実力を発揮できずに去っていった者もいたが、それでも真面目さ、プロフェッショナル精神、向上心はイタリア人の心に残り、チームメイトたちに良い影響を与えた。
日本の伝統的な教育の賜物だろう。

最初にイタリアにやって来た日本人は三浦知良(現・横浜FC)だった。1993年当時のジェノアの会長アルド・スピネッリは、ヴェルディ川崎でプレーするカズの姿を見て感銘を受けた。そのテクニック以外にも魅力的な点があった。
イタリアではジェノバ人は一般的に“ケチ”“金に汚い”と言われているが、スピネッリもその例に漏れない。彼が三浦獲得を決めたのは、ジャパンマネーを見越してだった。1試合プレーするごとにスポンサーが金を払う――。こうして契約は成立した。

結局、三浦は21試合に出場して1ゴールを決め、スピネッリは“円”を手に入れた。1シーズンで契約は終了し、日本のスターは去っていた。しかし、残した功績は小さくない。このパイオニアのおかげで“壁”は取り払われた。
イタリア人にとって、それまで日本はサッカー未開の地だった。「世界最高峰」を謳っていたセリエAとは無縁のものだと考えられていた。その概念を打ち壊したのが、このストライカーだったのだ。
おかげで、98年夏に中田英寿がイタリアにやって来た時、「寿司がピザの国に何をしに来たのか」とは、決して言われなかった。おかげで若き司令塔はサッカーに集中することができた。

それにしてもヒデは本当に優秀だった。残留できれば御の字のペルージャでのデビュー戦で、ユベントスを相手に名刺代わりの2ゴールを奪ったインパクトは絶大だった。今でも多くのイタリア人があの時の衝撃を覚えている。
翌シーズンの途中に移籍したローマでは、2年目に歴史的スクデット獲得に貢献。イタリアでプレーした日本人の中で、間違いなくもっともレベルの高い選手だった。
ライバルだったバンディエーラ(旗頭)のトッティがいなければ、ヒデはローマでもっと活躍できたはずだ。それでも、残した印象はこれ以上ないほどポジティブだった。カズが壁を壊し、ヒデが日本人選手のイメージを変えた

5/6(水) 6:41配信 サッカーダイジェスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200506-00072816-sdigestw-socc

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トルシエが語る中田、俊輔、小野。 そして世界の扉を開けた森島寛晃。 

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1: 2020/04/19(日) 18:29:47.60
 フィリップ・トルシエインタビューの続きである。話題はU-21アルゼンチン戦の中村俊輔のゴール(https://number.bunshun.jp/articles/-/843237)から、中田英寿、中村俊輔、小野伸二という、2000年代の日本を代表する3人の選手について、さらにはトルシエが中村のゴールと並んで日本の運命を変えたという、日韓ワールドカップにおける森島寛晃のゴールへと移っていった。

――中村のゴールに話を戻します。稲本潤一と福田健二のワンツーが相手にわたり、それを俊輔がすぐに自分のものにして技術の高さを示して決めたわけですが。

「本当に魔法のようなゴールだった。サッカーで最も素晴らしいゴールは常に精巧だが、決めるためにはまずアルゼンチン守備陣の中に入っていかねばならない。それにはショートパスやワンツーが必要だ。また俊輔も、GKが前に出ていることを知らないと打てない。彼の示した動作は適切だった。

そこに資質が現れるが、彼は状況をコントロールした。自分がどこにいて、GKがどこにいるか状況を的確に把握した。それから彼は稲本のパスをよく見ていた。そこでボールを保持すべきかドリブルすべきかどうか、どのタイミングでシュートを打つかの判断も正しかった。

サッカーの3つの基準を完璧に満たしていた。

 さらに効果的な動きの実現という点でも、彼の仕上げは完ぺきだった。つまりサッカーを評価するための根本的な3つの基準――状況把握と判断、動作――を完璧に満たしていた。

 ふたつのことがこのゴールにはあった。ひとつは今言ったように3つの基準が完璧に満たされていたこと、そして卓越した技術と知性を持つ選手がそれを実現したことだ。だからこのゴールは私にとって、これからスタートしようとするプロジェクトの象徴となった。日本はディシプリンに溢れる方向を目指し、サムライの道を目指し、より技術的な道を目指す。サッカーのよりモダンなアプローチをとりながら」

中田、中村、小野の3人の関係性は?

――当時は中田英寿、中村俊輔、小野伸二という3人の才能あふれた選手がいました。あなたにとって彼ら3人はどんな違いがありましたか?

「3人は補完しあっていた。ヒデ(中田)にはフィジカルの強さ、力強さがあった。またパーソナリティもあった。だが中でも目立ったのはフィジカルの強さだ。決して怪我をしないし、力強く、大きな動きを作り出すことができた。技術的にも確固としたベースがあるから容易にボールを失わないし、攻撃でも効果的な動きをすることができた。

 繰り返すが3人は補完的だった。それぞれのパーソナリティは異なっていたが、選手としてのクオリティは同じレベルにあった。プレーをよく理解して、そこから最善の判断を下し、高い技術力でそのアイディアを実現する。3つの基準を彼らは才能として付与されていた。

>>2に続く


2020/04/18 11:55
Number
https://number.bunshun.jp/articles/-/843239?page=1

プレミアリーグ歴代最高の日本人選手は?世界各国のNo.1を英メディア特集!「香川と中田のほうが…」   

1: Egg ★ 2019/11/26(火) 22:42:15.05 ID:Czs7SoBe9
レスター奇跡の優勝に貢献した岡崎が選出 「常にたゆみないハードワーク」
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プレミアリーグは現在、世界最高峰のリーグとして絶大な人気を誇っているが、英メディア「GIVE ME SPORT」は「世界各国のプレミアリーグ歴代最高プレーヤー」と特集を組み、日本から昨季までレスター・シティに所属していたFW岡崎慎司(現ウエスカ)が選出されている。

【動画】「彼の表情がゴールをより良いものにした」 岡崎がレスター時代にCLで決めた“豪快ダイレクト弾”
https://www.football-zone.net/archives/230850/2?utm_source=yahoonews&utm_medium=rss&utm_campaign=231218_6

 放映権の高騰化などにより、近年プレミアは莫大な資金力を誇っていることもあり、熾烈な上位争いを繰り広げる“ビッグ6”から中堅クラブまで、数多くのワールドクラスを擁している。同メディアは、これまでプレミアに在籍した世界各国の歴代ベストプレーヤーを選出している。

 フランスからはアーセナルで活躍したFWティエリ・アンリ(現モントリオール監督)、ベルギーからはチェルシーで活躍したMFエデン・アザール(現レアル・マドリード)、イングランドからはFWウェイン・ルーニー(現ダービー・カウンティ)ら世界トッププレーヤーが選ばれているなか、日本からは岡崎が抜擢されている。

「才能という面では、岡崎よりも香川真司や中田英寿のほうが優れている。しかし、このストライカーは常にたゆみないハードワークを示し続け、忘れ難い優勝のシーズンに重要な5ゴールを決めている」

 記事では、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしたMF香川真司(現サラゴサ)、ボルトンでプレーしたMF中田英寿氏らが能力値としては高いことを指摘しながらも、岡崎の献身的な働きがレスターの“奇跡の優勝”に不可欠だったとして、日本を代表するプレミア戦士に指名されたようだ。

11/26(火) 19:26 フットボールゾーン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191126-00231218-soccermzw-socc



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