Samurai Goal

中村俊輔


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中村俊輔は「最も偉大なレフティー」“史上最高のFKキッカー11人”に堂々の選出  

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1: 数の子 ★ 2019/03/17(日) 14:30:48.54 ID:V/4EIBR99
フットボールにおいて、FKは勝敗を分けるポイントの一つだ。鮮やかにネットを揺らす芸術性は観る者を魅了するが、英サッカーサイト「90min」ブラジル版は「フットボール史上最高のFKキッカー11人」と特集。日本が世界に誇るレフティーの元日本代表MF中村俊輔が登場し、改めて称賛されている。


「フットボール愛好家にとって最大の楽しみの一つは、間違いなく美しい直接FKのゴールを見ることだ」

 このように切り出し、最初に紹介されたのが中村だ。希代のレフティーは2005年にレッジーナからセルティックへ移籍。リーグ優勝3回、リーグカップ優勝2回、スコティッシュカップ優勝を1回達成し、2006-07シーズンにはリーグ年間MVPに年間ベストイレブン、年間ベストゴール賞を受賞した。

 セルティックで公式戦166試合34ゴールを決めた中村だが、そのなかでもファンの記憶に深く刻み込まれているのが、直接FKによるゴールだ。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで、マンチェスター・ユナイテッドから2試合連続で決めたFK弾は伝説となっている。

 記事では、「我々は中村俊輔とともにリストをスタートさせる。日本の40歳はすでにジーコによって称賛されている」と、“サッカーの神様”である元ブラジル代表MFジーコ(現・鹿島アントラーズ・テクニカルディレクター)も認める存在だと伝えている。

「狙った場所にボールを置ける能力、そして幻想的なゲームビジョンを持つテクニカルな選手だ。彼(中村)はフットボールの歴史上、最も偉大なレフティーの1人だ」

ロナウジーニョら名手を抑え、G大阪でもプレーした元ブラジル代表MFカリオカが1位

 Jリーグでも通算24本のFKを決めており、これは2位につける元日本代表MF遠藤保仁(ガンバ大阪)の17本を大幅に上回るJ1最多記録となっている。今企画に登場する11人のうち、中村とポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)だけが現役選手での選出となった。

 なお、元ブラジル代表MFロナウジーニョや元イングランド代表MFデイビッド・ベッカム、元イタリア代表MFアンドレア・ピルロら数多くの名手を抑えて1位に輝いたのは、2002年にG大阪でもプレーした元ブラジル代表MFマルセリーニョ・カリオカだった。アルゼンチン代表FWリオネル・メッシは選外となっている。

「90min」ブラジル版が選出した「世界最高のFKキッカー11人」は以下の通り。

11位 中村俊輔(ジュビロ磐田/元日本代表MF)
10位 アレッサンドロ・デル・ピエロ(元ユベントスほか/元イタリア代表FW)
9位 ロベルト・カルロス(元レアル・マドリードほか/元ブラジル代表DF)
8位 ロベルト・バッジョ(元ユベントスほか/元イタリア代表FW)
7位 デイビッド・ベッカム(元マンチェスター・ユナイテッドほか/元イングランド代表MF)
6位 ロナウジーニョ(元バルセロナほか/元ブラジル代表MF)
5位 クリスティアーノ・ロナウド(ユベントス/ポルトガル代表FW)
4位 ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(元リヨンほか/元ブラジル代表MF)
3位 アンドレア・ピルロ(元ミランほか/元イタリア代表MF)
2位 ディエゴ・マラドーナ(元ナポリほか/元アルゼンチン代表MF)
1位 マルセリーニョ・カリオカ(元コリンチャンスほか/元ブラジル代表MF)


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190317-00176898-soccermzw-socc

<Jリーグ>世界に誇る歴史的大記録5選!ギネス認定に色褪せない左足も。燦然と輝く偉業の数々  

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1: Egg ★ 2019/03/15(金) 21:51:55.70 ID:pa5ayc5D9
キング・カズ 50歳でゴール
27年目のJリーグが開幕した。四半世紀の歴史を築く中、日本のサッカーは着実に成長を遂げてきた。そして、数々の大記録が生まれている。そこで今回フットボールチャンネル編集部では、多くの記録から5つの偉業をピックアップした。

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 Jリーグ史上初の50代選手である三浦知良は、年齢を重ねてもサッカーへの情熱を燃やし続ける。50歳になって迎えた2017年もゴールを記録。自身の持つJリーグ最年長得点記録を更新するだけでなく、後に「ギネス世界記録」にも認定された。

 対象となったのは、前述の17年のゴールで、これが「Oldest professional football player to score a competitive league goal(リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手)」となり、ギネス世界記録認定となった。当時のカズの年齢は50歳14日だった。もちろん、2019年も現役である。

中澤佑二 フィールドプレーヤー連続フル出場
 昨季限りで現役を引退した中澤佑二氏は、Jリーグの歴史に名を残すレジェンドだ。日本代表としても長く活躍し、チームに絶大な安心感をもたらしていた。

 Jリーグにおいて、178試合で連続フル出場を果たした。フィールドプレーヤーでは歴代最多の記録だ。コンディション調整にこだわり、ピッチで常に高いパフォーマンスを披露。監督が代わるたびに信頼を獲得してきた。たゆまぬ努力が大記録を支えたと言えるだろう。

森本貴幸 J1最年少デビュー
 今季、Jリーグでは久保建英が大きな注目を集めている。17歳ながらFC東京の主力としてプレーし、存在感を発揮。そして、若くして話題をさらったと選手と言えば森本貴幸を忘れてはならない。

 2004年に東京ヴェルディでトップチームデビュー。当時15歳10ヶ月6日で、J1において現在も破られていない最年少出場記録だ。さらに15歳11ヶ月28日で初得点をマーク。こちらもJ1最年少記録だ。和製ロナウドと呼ばれた男はセリエAでもプレーし、南アフリカワールドカップにも出場。現在はアビスパ福岡で奮闘している。

中山雅史 連続ハットトリック
 J1歴代得点王の中で、1シーズンに最も多くのゴールを挙げたのが中山雅史である。1998年、ジュビロ磐田のストライカーとしてゴールを量産。

 4月には4試合連続ハットトリックを達成し、これが「ギネス世界記録」に認定された。後にクロアチアの地域リーグの選手に破られたが、当時の中山は抜群の得点感覚を示していた。結局この年、中山は36ゴールで得点王に輝いている。

中村俊輔 直接FK最多ゴール
 その左足で数々の得点を生み出してきた中村俊輔にあって、FKは代名詞の一つだろう。独特のフォームから繰り出されるキックはことごとくネットを揺らす。チャンピオンズリーグでも印象的な直接FKを決めるなど、世界でも実力を示してきた。

 そんな中村はJ1通算直接FK得点ランキングでトップに立つ。ここまで24得点を挙げ、2位の遠藤保仁に7点差をつけている。昨季は怪我の影響もあってフル稼働できなかっただけに、今季は再び輝きを放ちたいところだ。

2019年3月15日 10時0分
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16163319/

中村俊輔が考える/日本サッカー積年の疑問「Jユースと部活、どっちが育つのか?」   

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1: Egg ★ 2019/02/25(月) 19:01:29.54 ID:llAEbQXq9
■部活動で経験した“明確な上下関係”で気づいたこと
 
しかし現実は甘くない。クラブユースと一線を画する部活動には明確な上下関係が存在する。高校1年生は全体練習に混ざるどころかグラウンドの隅でボール拾いをするのが仕事だった。
昼休みには汚れたボールを磨き、雨が降った日はスポンジを使ってグラウンドに溜まった水を吸い取る。試合出場はおろか練習すらできない、完全なる下積み時代を過ごしたというわけだ。

「マリノスのジュニアユースは人工芝のグラウンドで練習していたし、綺麗なボールに空気がしっかり入っていた。みんながサッカーをやるために集まっていたから、先輩・後輩という意識はあっても、必要以上に上下関係はなかった。
だから高校サッカーの世界に足を踏み入れてみてカルチャーショックを受けた部分はある。でも中学時代に一度犯した過ちを繰り返さないようにという思いが強かった」

また考えた。ボールを蹴るためにはどうするか。いつならば練習できるのか。サッカーが上手くなるためには、どうしたらいいのか。
出した結論が「朝練」だった。当時のサッカー部には朝練がなく、放課後の練習のみだった。そこで中村はグラウンドを自由に使える授業前の時間に目をつけた。

眠い目をこすりながらも朝6時台の電車に乗り、広いグラウンドで思う存分ボールを蹴った。当時、朝練を行っていた部員は中村を含めて3~4名ほど。顧問の先生もコーチもいないが、それは大きな問題ではなかった。
自分自身と向き合い、1時間足らずの練習時間に没頭した。

「誰かが褒めてくれるわけではない。1年生の自分が練習するには朝練しかなかったということ。全体練習後も自主練習はできたけど、遅い時間になると照明を落とされてしまうから。
朝なら自分が早く登校したぶんだけボールに長く触れられる。高校2年生の先輩とひたすら1対1の練習をしていた」

仮に、朝練が禁止されていたら? こんな質問にもまったく意を介さない。
「また考えただろうね。何か方法はあるはずだから。そこで諦めてしまうのは簡単だし、ふて腐れても意味がない。環境は大事だけど、一番大事なのは選手本人だから」

■40歳の今なお生きる習慣…“気づいて、考えて、行動する”

自身が過ごした中学・高校時代から20年以上の月日が流れた。その間に日本代表はワールドカップに6度出場し、欧州のトップリーグで活躍する日本人選手が普通にいる。
高校卒業後にJリーグではなく海を渡ってプロになるケースすらある。

「自分の頃の時代と違い、今は指導者ライセンスの制度が整っている。だからクラブと部活で指導者のレベルはほとんど変わらない。ただ、日本サッカー界にはさまざまな変化が起きた。
プロになることが目的ではなく、その先のワールドカップや欧州トップリーグという目標を立てられる時代になった。選手の目線が高くなったことは、指導者にも大きな影響を与えているはず」

クラブ育ちも部活動育ちも、そして指導者も、視線はより高みへ。そんな時代になりつつある。
もちろん最後は選手次第。足りないものに気づくことも大切な能力のひとつなのだから。桐光学園への進学を振り返り「後悔は一切ないし、自分が学ぶことや気づくことがたくさんあった」と頷く。

中村なりの答えはある。しかし、万人にとっての正解はない。

2/25(月) 16:03配信 THE ANSWER
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190225-00052892-theanswer-socc&p=1

磐田・大久保嘉人が早くも危機感を吐露。「このままだと去年と同じ」 

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磐田のポーランド人GK、“日本人3大選手”を名指し 「ほとんどの日本人が知っている」 

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中村俊輔(41)J1最年長・23年目を迎えたプロ人生…引退を踏みとどまらせた「師匠」とは?  

1: Egg ★ 2019/02/14(木) 19:32:06.60 ID:PaV/VbOA9
 日本サッカー史上で眩い輝きを放つ司令塔、中村俊輔が23年目を迎えたプロ人生で集大成を誓っている。
昨秋には「引退」の二文字が脳裏をかすめたと打ち明けた稀代のレフティーは、このオフにジュビロ磐田との契約を更新。

日本代表時代からの象徴でもある「10番」を背負い、6月にはJ1最年長の41歳になる2019シーズン。
完全燃焼を目指す決意を固めた軌跡をたどると、畏敬の念を込めて「師匠」と呼ぶレジェンドの引退がターニングポイントになっていた。(ノンフィクションライター 藤江直人)

● 現役続行を決意させた 「師匠」GK川口能活の引退

迎えた10月下旬に、またもや肉離れで戦線離脱を強いられる。恐らくはこの時期に、悲鳴を上げる体に呼応するかのように心も揺らぎ、折れかけてしまったはずだ。

しかし、引退との間で何度も揺れ動いた針は、最終的には現役続行を指した状態で止まっている。復活を期す俊輔の熱き思いは、ごく短いメッセージに凝縮されていた。12月4日の静岡新聞朝刊。
ある特集ページの一番下に、俊輔のこんな言葉がひっそりと綴られていた。

「僕はもうちょっとだけ頑張ります」

1ページを大々的に使った特集は『届け!静岡からヨシカツコール。夢と感動をありがとう』と題されていた。
J3のSC相模原でプレーした昨シーズンを最後に、四半世紀に及んだ現役生活にピリオドを打ったレジェンド、元日本代表GK川口能活をねぎらうものだった。

静岡県富士市出身の川口へ、同県内を中心に100を超える団体や個人から寄せられた、思いの丈が込められたメッセージが紙面を埋め尽くした。
そのなかに、川口の古巣でもあるジュビロに加入して2年目を終えようとしていた俊輔のそれも含まれていた。

もうちょっとだけ頑張るとは、イコール、現役を続ける意思を3つ年上で、俊輔が親しみの尊敬の念を込めて「師匠」と呼ぶ川口へ、紙面を介して届けたことになる。
川口の引退が電撃的に発表されたのが11月4日。ちょうど俊輔の心が揺れ動いていた時期だ。

「そこで(川口)能活さんのニュースがパッと入ってきて、逆に自問自答できるチャンスが生まれたというか。
自分は能活さんみたいにもがいたのかなと思うと、もうちょっとやりたいというか、やらなきゃいけない、もうちょっと完全燃焼してから、と」

心の片隅でくすぶっている残り火に気づかせてくれた川口との出会いは、神奈川県の強豪・桐光学園から横浜マリノス(当時)へ俊輔が加入した1997年にまでさかのぼる。
静岡県の名門・清水商業からマリノスの一員になって4年目の川口は、不動の守護神として君臨していた。

「1年目の時に同じ個人トレーナーの元へ誘ってくれたのも能活さんだったし、紫色のフェアレディZで送り迎えもしてくれて……いや、スカイラインだったかな。
とにかく、すごく緊張したのを今でも鮮明に覚えている。能活さんがいなかったら、今の僕も多分いないと思う」

写真
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2/14(木) 6:01配信 ダイヤモンドオンライン 一部抜粋
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190214-00193896-diamond-soci&p=1

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