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ラモス瑠偉


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久保建英は怖くない…ラモス瑠偉が指摘した“弱点” ヘタフェで求められる大胆な意識改革 

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<ラモス瑠偉>東京Vチームダイレクター就任!名門復活に意欲「私は神様ではないので奇跡は起こせない」 

1: Egg ★ 2020/02/10(月) 16:04:37.30 ID:jwKeHaRI9
昨季はアドバイザーを務めたなか。羽生社長からラブコールを受けて即決

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J2東京ヴェルディは10日、クラブOBで元日本代表MFのラモス瑠偉氏がチームダイレクターに就任することを発表した。ラモス氏は1998年の現役引退後、解説者や監督として活躍。昨季は東京Vのアドバイザーを務めており、「このクラブを誰よりも愛している」と意気込んだ。

 東京Vはヴェルディ川崎時代にラモス氏のほか、元日本代表FW三浦知良(現・横浜FC)、同DF柱谷哲二氏、同MF北澤豪氏らを擁してリーグ優勝2回、カップ戦優勝3回、天皇杯優勝1回を達成。チーム名を東京Vに変更後も、2004年に天皇杯優勝を果たしたが、2009年のJ2降格以降は昇格できず、近年はJ1の舞台から遠のいている。

 アドバイザーを務めた2019年を「自分の中であまり役に立っていなかったと思う」と振り返るラモス氏。昨年12月に羽生英之社長から「もう少し力になって欲しい」とラブコールを受け、迷わず返答したという。ラモス氏を突き動かすのは“ヴェルディ愛”だ。

「他の人には申し訳ないけど、僕はこのクラブを誰よりも愛している。なんのためにここに入っているのか。サッカーをやりながら当時は戦っていた。明るい、面白いヴェルディを取り戻したい。いくらヴェルディのサッカーやっても、DNAを忘れている。立て直すわけじゃなく、魅力あるサッカーを取り戻したい。私は神様ではないので奇跡は起こせないですけどね」

 元日本代表FW大久保嘉人などが加入し、永井秀樹監督の下、2008年以来のJ1復帰を目指す東京V。“チームダイレクター・ラモス”が、愛する古巣をどのようにバックアップしていくのか見ものだ。

2/10(月) 14:08配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200210-00245886-soccermzw-socc

闘将・柱谷がラモス瑠偉に最後通告。 オフトジャパン初優勝の夜の叫び 

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/01/31(金) 06:38:40.96 ID:TiAHTqtt9
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(2)

1992年8月のダイナスティカップ(現在のE-1サッカー選手権の前身)を直前に控え、日本代表は徐々にまとまりつつあった。

ハンス・オフト監督の気さくな性格が見えてきて、監督と選手が打ち解け始め、また柱谷哲二キャプテンの「まずは監督の言うとおりにやってみよう」との声掛けに、一部の選手たちが賛同していたのだ。

だが、ラモス瑠偉は自分のサッカーを曲げられず、オフトと内戦状態になっていた。ダイナスティカップは、日本にとって非常に重要な大会になる。
柱谷は再度、ラモスのところを訪れ、キャプテンとして話をしにいった。

「この頃、オフトはラモスとぶつかって、鬱陶しいなって感じていたと思う。でも、ダイナスティで結果が出れば、チームはまとまる。ここが勝負どころだと思ったんで、
ラモスに『ここで結果が出なかったら文句を言いましょう。それまでは監督が要求することをやってください』って言いました」

柱谷の言葉をフォローしてくれたのがカズ(三浦知良)だった。

カズは、中学卒業後、単身でブラジルに行き、プロになり、日本に戻ってきた。
ラモスと共に日本代表にプロフェッショナルという新しい血を入れ、アマチュアだった選手のメンタルをプロに昇華させてくれる存在で、ラモスも一目置いていた。
そのカズが「そのとおり、プロは監督に言われたことをやらないといけない。プロってそういうもんだから」と言ったのだ。

92年8月22日から29日まで、中国の北京でダイナスティカップが開催された。

日本はグループリーグ初戦の韓国に引き分けた。だが、続く中国と北朝鮮に勝利してグループ1位。2位韓国と戦った決勝は、2-2からPK戦で勝利し、優勝した。
日本が海外の国際大会で優勝するのは初めてで、柱谷は大きな自信と可能性をチームに感じた。

「前回大会は、韓国、中国、北朝鮮に全敗だった。負けて何もできない状態だったのが2年後に韓国に勝って優勝した。
オフトの言うことを守りつつ、自分たちがプラスアルファでやっていけば十分にやれるんだって自信がついた。
結果が出たことで、みんなオフトについて行くみたいな感じになって、一段と結束力が増した感じだった」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200131-00884980-sportiva-socc&p=1
1/31(金) 6:00配信

天才・小野伸二が語った“神”たち。山崎光太郎、中村俊輔への「すごっ」。  

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/05/31(金) 14:48:24.82 ID:QGlf6Oyw9
2015年3月に発売したNumber874号の取材で、ラモス瑠偉さんがこう言っていた。

「日本で天才がいるとしたら、僕は一人だけだと思う。小野伸二。もし怪我してなかったら、化け物みたいな選手になっていたよ」

サッカーにおいて「天才」の定義は難しい。シンプルに言えば「サッカーがとてつもなくうまい選手」ということになるだろうが、「うまい」の種類もさまざま。
華麗なドリブルで相手DFを何人も抜いてしまう人、正確無比なキックで味方の足元にぴたりとパスを届ける人、
抜群の嗅覚でゴールネットを揺らす人、などなど。それぞれのサッカー観によって、「うまい」のイメージは違ってくるだろう。

では、ラモス公認の「天才」小野伸二はどう考えるか。5月、北海道コンサドーレ札幌のクラブハウスで、本人に聞いてみた。

サッカーがうまい人って、どんな選手だと思いますか? 

天才は、いつもの柔らかな笑顔とともにこう語り始めた。

「うまい選手って、会った瞬間にわかるんですよ。まずオーラがある。相手が小さい子でもそう。すれ違ったときに『あれっ? 』って。
顔つきが違うし、雰囲気がめちゃめちゃ出ているんですよ。わかる人にはわかるかもしれないですけど……」

1歳上の「本当に神様」だった選手。

ほぉー。と、相槌は打ったものの、凡人にはやっぱりわからない。ならば、小野のキャリアの中で出会った「うまい」と思った選手は? 
小野がまず挙げたのは同郷の先輩、名古屋グランパスエイトや清水エスパルス、ヴァンフォーレ甲府で活躍したドリブラーだ。


「山崎光太郎さん。1歳上で、もともと名前は知っていたんですけど、中学2年のときに地域選抜のセレクションで初めて見て、“この人、すげぇな”って。
プレーも、雰囲気も、1人だけ別次元で。身長は165cmくらいですけど、技術が高くて、FWとして動き出しがすごくいい。
僕のタイミングを理解してくれるから、めちゃめちゃパスが出しやすかったですね。タカ(高原直泰)は光太郎さんと同じ清水東高出身だから、きっと僕と同じことを言うと思います。
僕らの高校時代、光太郎さんは本当に神様でしたから」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190531-00839516-number-socc
5/31(金) 12:51配信

<生き証人3人が語る 平成5年「ドーハの悲劇」の真実>「カズの足がもう数センチ長ければ…」  

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1: Egg ★ 2019/04/30(火) 17:22:00.48 ID:CXzcP9mp9
 不動の左SB都並が1993年10月のアメリカW杯最終予選でプレーすることは不可能――。そのことを知っているのはオフト監督、清雲コーチらスタッフに主将のDF柱谷哲二、そして都並本人だけだった。最初に代役候補として招集されたのが、ジェフ市原所属のDF江尻篤彦だった。同年9月のスペイン合宿に帯同した江尻は、宿舎で都並と相部屋となった。もちろん「オフト日本の左SBについてあれこれ伝授してほしいというオフト監督の意図だった」(都並)。しかし、江尻は合宿最初の練習試合に先発したが、後半からセンターバック(CB)が本職のDF勝矢寿延(横浜M=当時)が入った。左SBでプレーするのは初めてだった。

■「バックアッパーは江尻が共通認識だった」

六川則夫「江尻さんは守備力を買われての代表入りだったと思いますが、合宿中の練習を撮っていても<ラモスからパスが出ない>ので江尻さん自身、どのタイミングでオーバーラップすればいいのか、中に絞り込めばいいのか、分からなくなってピッチ上で孤立無援となり、日に日に表情から生気が失われていくのが、カメラのファインダーを通して分かりました」 

都並敏史「相部屋だった江尻のメンタルが、日ごとにダウンしていくのが手に取るように分かった。言っておきますが、ラモスさんがパスを出さないのは、それ相応の理由があったからです。ラモスさんというのは<ここで攻め上がり!><今は守備に専念!>と誰もが予測できるようなプレーに対して、彼独特の感性が合わないとパスを出してくれません。経験値と言ってしまえばそれまでですが、僕にはラモスさんがパスを出してくれるタイミング、同じ左サイドのカズと連係しながら攻め上がる呼吸など分かっていた。でも江尻にそれを求めるのは酷でしたね」

森雅史「(熱狂的サポーター集団の)ウルトラスが中心になってW杯最終予選の前、代表選手それぞれの応援チャントのCDをソニー・ミュージックで制作して販売。ヒットチャートの20位くらいに入ったのですが、左SBとして都並さん、江尻さんのチャントは収められていましたが、最終予選前に招集されてドーハで戦ったDF三浦泰さんのチャントはありません。都並さんのバックアッパーは江尻だ! それがサポーター仲間の共通認識でした」

 オフト監督には「サイドバックの理想像」があった。まずは守り、そして他選手との連係、そして攻め上がってクロスを放り込む――。Jリーグ開幕前の1993年4月にアメリカW杯アジア1次予選が行われ、UAEとのアウェー戦でオフト監督は、不動の左SB都並に「互いにナイフで刺し合うような(緊迫した)試合では、前後半に1本ずつクロスを上げればいい」と指示を送った。大前提として守備重視があり、攻守のバランス感覚も重要視していた。

都並「あの当時の勝矢はフィジカルもメンタルも高いレベルで整い、ストッパーとしては最高の選手だった。でも左サイドバックとしての技術が足りなかった。サイドバックには<安定した守備><中盤でのつなぎ><攻撃の仕掛け>が求められます。手前みそになってしまいますが、それぞれの役割を最もバランス良くこなせる選手は自分しかいなかったと思います」

日刊ゲンダイDIGITAL 2019年4月30日 17時0分
https://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_539076

ラモスが武田に“怒り爆発”!!「ドーハの悲劇」の帰りの機内で武田がしたこととは?? 

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“殿堂入り”ラモス瑠偉、森保JAPANに太鼓判!!「絶対に成功するって」 

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1 2018/09/10(月) 19:22:28.59 _USER9
日本サッカー殿堂の掲額式典が10日、都内で行われ、元日本代表MFラモス瑠偉氏(61)、同DF加藤久氏(62)、1968年メキシコ五輪銅メダル獲得の日本代表チームに記念のプレートなどが贈られた。

ラモス氏は式典のあいさつで「まさか、こんな日がくるとは思わなかった。努力してきてよかった。ここまで…」と話しながら涙ぐむ場面もあった。
これまで、協会に対して厳しい意見を訴えることも多かったが「日本がよくなるために言ってきた。これからも言い続ける。それが“ラモス瑠偉”だよ」と語気を強めた。

また「ドーハの悲劇」と呼ばれる93年米国W杯アジア最終予選をともに戦った日本代表のチームメート、森保一氏(50)が日本代表監督に就任し、
初陣に臨むことに「この世代がやっていかないと…。絶対に成功するって。間違いない。最高だよ」と言い切った。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000045-tospoweb-socc
9/10(月) 18:56配信

武田修宏が森保JAPANに自己推薦!?『ラモスと球拾い行くよ?』 

キャプチャ
【武田修宏の直言!!】

A代表と五輪代表を指揮する森保一監督(49)の「兼任」が不安視されているね。たしかに1人で2つの代表チームを指導するのは大変なことだし、重複する日程もあるとのことで各方面から「難しい」という意見が出ている。

 でも森保監督なら困難な作業もこなせるんじゃないか。ロシアW杯に臨んだ西野ジャパンのコーチを務めたことで、A代表候補の選手状態はわかっていると思うし、選手選考の不安はないよ。それに現状の把握ならコーチ陣もサポートできる。今までの代表監督だってスタッフに任せていた部分は多いからね。

〈続く〉
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180802-00000026-tospoweb-socc

日本協会発表“殿堂入り”に元代表・加藤久、ラモス瑠偉の二名が決定!! 

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1 2018/08/01(水) 18:44:12.04 _USER9
サッカー加藤、ラモス氏殿堂入り
日本協会が発表、ともに元代表
2018/8/1 18:35
©一般社団法人共同通信社

 日本サッカー協会は1日、元日本代表の加藤久氏(62)とラモス瑠偉氏(61)の日本サッカー殿堂入りが決まったと発表した。
投票選考による選出で、満票123票のうち加藤氏は109票、ラモス氏は93票を集めた。特別選考では1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表チームが選出され、
掲額式典は9月10日に東京・日本サッカーミュージアムで行われる。

 加藤氏とラモス氏は現役時代に日本リーグの読売クラブ、JリーグのV川崎(現東京V)でタイトルを獲得し、ともに日本代表の中心選手として活躍した。
https://this.kiji.is/397321941083915361

『チャンスあれば』日本代表監督にラモス氏が意欲的!! 

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1 2018/07/07(土) 11:33:27.03 _USER9
7/7(土) 11:00配信
ラモス氏、W杯代表を高評価 監督就任には「チャンスあれば」

 ビーチサッカー日本代表のラモス瑠偉監督や茂怜羅オズ選手ら4人が6日、兵庫県明石市の大蔵海岸での国際親善試合を前に市役所(同市中崎1)を訪れ、泉房穂市長を表敬した。週末は雨の予報だが試合は開催予定といい、ラモス監督は「ラモスが待ってるよ!! 見に来いよ」と呼び掛けた。

 7日の親善試合は中止するが、当日の天候を見て練習試合を行う。8日は予定通り親善試合をする予定。両日とも午後2時からイングランド代表と対戦。観覧は無料。

 ラモス監督は取材に、大蔵海岸の印象を「故郷ブラジルのビーチと同じぐらい環境も景色も最高」と絶賛。同競技のワールドカップ(W杯)予選を控えており、「まず突破。そして世界を驚かせたい」と力強く語った。

 W杯で16強に入ったサッカー日本代表は、「一体感があって応援したくなるチームだった」と高評価。自らの代表監督への意欲を問われると「(サッカー協会)会長に任すしかない。チャンスがあれば。焦らずに」と笑顔を見せた。

 泉市長は「ビーチスポーツの聖地として、環境整備で協力したい」。ラモス監督は、自身や選手のサインを入れたユニホームを贈った。(藤井伸哉)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180707-00000007-kobenext-socc



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