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セルジオ越後


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【セルジオ越後】Jリーグの“新様式”に選手はイライラ? 再開マッチで印象に残ったのは五輪世代の… 

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<セルジオ越後が選ぶ、Jリーグの歴代最強チーム>「1993、94年のV川崎だ」 

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1: 2020/06/18(木) 08:40:44.96
今回は僕が選ぶJリーグ歴代最強チームを紹介しよう。27年間の歴史を振り返れば、魅力的なチームはたくさんある。2007年から3連覇を達成した鹿島。その鹿島と"2強時代"を築いた磐田。浦和とG大阪の時代もあった。

最近では川崎や広島も強かった。そんななかでも、僕が一番印象に残っているのは、初年度王者にして1993年、94年と連覇したV川崎(現・東京V)だ。

93年シーズンの開幕は5月中旬、アメリカW杯最終予選も重なり、週2試合ペースでの連戦が続いた。V川崎は日本代表にカズ、ラモス、武田、北澤、柱谷、都並と多くの選手を送り込んでいて、チームづくりや課題を修正する時間があまりなかった。

1stステージは鹿島に譲って2位。2ndステージは、W杯初出場を逃し、精神的にも肉体的にも疲弊した"ドーハの悲劇"後に9連勝して優勝し、そのままCS(チャンピオンシップ)も制した。よく気持ちを切り替えたと思う。

94年も夏にカズがセリエAのジェノアに移籍しているんだよね。1stステージは4位だったけど、カズの抜けた穴をブラジル人FWのベンチーニョが埋めて2ndステージ優勝。CSでは広島相手にラモスの見事なループシュートなどで連覇を決めた。

当時のV川崎の最大の魅力は、個性的かつプロ意識の高い日本人選手がそろっていたこと。後に鹿島でも活躍したビスマルクや、94年のMVPのペレイラなど頼もしい助っ人もいたけど、チームの顔はあくまで日本人選手たち。

ブラジルでプロ契約をして帰国したエースのカズ。日本国籍を取得し、日本代表の10番を背負うラモス。北澤も人気があったし、武田もピッチ内外で話題を振りまいて"夜の帝王"とか言われていた。そして、怖い顔をした柱谷が後ろを支える。

ある意味、彼らがJリーグ人気の火つけ役。皆、ポルシェやベンツに乗っていて、国産車に乗っていたのはビスマルクくらい。その人気ぶりはすさまじく、サッカー専門誌だけじゃなく、女性誌、ファッション誌、アイドル雑誌などにも取り上げられ、表紙を飾ることもあった。

アウェーの試合後、相手チームのファンにサインや写真をねだられたビスマルクは「ブラジルでは石を投げられてもおかしくないのに」と驚いていた。六本木が大好きなラモスも「人が大勢集まっちゃうから(街中での)待ち合わせができなくなった」と嘆いていたね。

フロントもプロの仕事をしていた。93年、Jリーグ第1号ゴールを決めたマイヤーが機能しないと見ると、夏にはビスマルクを獲得。94年にカズがイタリアに移籍すればベンチーニョを補強。すぐに次の手を打っていた。

思えば、そうした独特のチームカラーは日本リーグ時代から際立っていた。ほかのチームの選手が仕事をかけ持ちしているなか、V川崎(当時、読売クラブ)の選手はサッカーに専念。技術が高いのはもちろん、相手をおちょくるようなプレーを見せたり、相手のユニフォームを引っ張ったりと、当時の日本では異端の集団だった。

そして、試合が終われば、ジュリアナ東京(一世を風靡(ふうび)した巨大ディスコ)に集合。遊ぶときは思い切り遊ぶ、練習するときは集中して練習する。そしてピッチ上で結果を出す。ほかのチームが企業スポーツから完全に抜け出せないなか、プロとは何か、それを最初に示してくれたチームだった。

6/18(木) 6:10 週刊プレーボーイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/4d091a659201e5ddb48fd6ce299d289598db747d

<セルジオ越後>Jリーグで一番印象に残っている外国人選手「あのジーコが日本に来るとは信じられなかった」 

1: 2020/06/11(木) 08:23:14.69
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ひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手をほかに知らないと語るセルジオ越後氏

前々回、僕が選んだJリーグの歴代ベストイレブンを紹介したけど、そこにはあえて外国人選手を入れなかった。質だけを見れば、外国人だらけになりかねないからね。

Jリーグの歴史を振り返ると、それだけ多くの優れた外国人がプレーしてきたわけだけど、一番印象に残っている選手をひとり挙げるとすれば、リーグ全体に与えた影響の大きさ、現役引退後のクラブとの関係性を含めてジーコしかいない。

1993年、Jリーグ初年度開幕節の名古屋戦でのハットトリックは本当に衝撃的だった。僕は現場で試合を見ていたんだけど、1点目は鮮やかなミドルシュート、2点目は得意のFK。そして、3点目は左サイドを突破したアルシンドのクロスを左足ボレーで決めた。40歳にして速い展開のなかでもさすがというプレーを披露。彼の本気ぶりを実感した。

このハットトリックはスポーツニュースで大々的に報じられ、それを見てサッカーに興味を持った人も多かったはず。船出したばかりのJリーグにとって最高のPRになった。その後、どれだけのマスコミが鹿島町(現・鹿嶋市)に乗り込んでいったか。鹿島という地名を一躍、全国に知らしめた。

当時たくさんいた外国人の大物選手たちは皆、Jリーグ開幕に合わせて来日していた。でも、ジーコの来日は開幕の2年前。しかも、鹿島の前身の住友金属工業蹴球団は日本リーグ2部。いくら一度引退した身とはいえ、いくら好待遇とはいえ、あのジーコが日本の2部リーグでプレーするとは信じられなかった。

これは世界的にもビッグニュースだったんだけど、サッカーがまだマイナーな日本ではそれほど話題にならなかったね。2部リーグということもあり、プレーぶりもほとんど報道されなかった。

試合は控室にシャワーもないようなグラウンドで行なわれ、観客もほとんどいない。ゴルフにたとえるなら、タイガー・ウッズが自らゴルフバッグを担いで、河川敷でゴルフをやっているようなもの。よく途中でいやになって帰国しなかったと思う。

そんな状況で彼はプロ意識、技術、戦術など周囲の選手やスタッフに大きな影響を与えた。練習場の整備、ホぺイロ(用具係)の導入など、環境面も整えてチームのレベルを一気に引き上げた。一選手でありながら強豪・鹿島の土台を築いたんだ。

ジーコは94年の夏には引退しているので、実はJリーグでプレーした期間は2年にも満たない。でも、引退後も鹿島とアドバイザー契約を結び、ジョルジーニョ、レオナルドといった現役バリバリのブラジル代表を連れてきた。ジーコの存在がなければ、ふたりとも日本には来なかっただろう。

そのふたり以外にもジーコは鹿島にブラジル人選手、監督をたくさん連れてきているけど、ほとんどハズレがない。それは単にいい選手を連れてくるのではなく、鹿島のサッカーに合う選手、監督を連れてきているということ。そして鹿島は誰もが認めるJリーグの名門になった。

2006年ドイツW杯で日本代表の監督を務めたり、海外の代表やクラブの監督を務めるなど、鹿島を離れていた時期もあったけど、一昨年からはテクニカルディレクターとして再び現場ににらみを利かせている。ここまでひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手を僕はほかに知らない。

6/11(木) 6:20 週刊プレーボーイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/669c0dcf3a8e788c36fdf936124c4bb593f7b669

<セルジオ越後>衝撃を受けた、中学1年生の小野伸二「日本にもこんな子がいるのか」 

1: 2020/06/04(木) 10:18:48.74
前回は僕が選んだJリーグの歴代ベストイレブンを紹介したけど、今回はそのなかでも僕が特に好きな選手について語ろう。ズバリ、小野伸二。プロとして"魅せる"ナンバーワンだね。

初めて見たのは彼が中学1年生のときだったと思う。サッカー教室の仕事で沼津を訪れたときに、静岡県サッカー協会の人が「面白い子が手伝いに来ますよ」と言って、やって来たのが彼だった。

体は小さくても、テクニックがずばぬけていて、ボールを持つと敵も味方も見入ってしまうほど。後日、彼が当時の僕のボールさばきを見たときに「めちゃくちゃうまい」と言っていたと伝え聞いたけど、それはこっちのセリフ。日本にもこんな子がいるのかと驚いたものだよ。

だから、彼が清水市商(現・清水桜が丘)に入学したと聞いたときには、専門誌の担当編集者に「インターハイを絶対に見に行けよ。清商にスゴいのがいるから」と勧めたんだ。そうしたら、「セルジオさん、あの選手は怪物ですよ」と興奮しながら帰ってきたっけね。

当時はスター選手のプレー映像をネットなどで気軽に見られる時代ではなかった。彼の技術は誰かのマネをしたのではなく、自分で身につけたもの。だから彼にしかできない。もちろん、相当な努力をしたのだろう。

両足を同じレベルで自由自在に使えるから、相手は次のプレーを予測しづらいし、守りづらい。ファウルすることすら難しい。戦術眼も高く、一瞬のひらめきもあるから、味方のFWはラク。動きだせば、決定的なチャンスにつながるパスがどんどん出てくる。今、Jリーグではイニエスタ(神戸)のプレーが注目を集めているけど、小野も全然負けていないよ。

あれだけの技術があれば、自分でも面白いだろうし、楽しいだろうね。だから、彼はいつも笑顔でプレーしているのかもしれない。

実は僕は小野とちゃんと話をしたことがないんだけど、いろいろな人から礼儀正しい好青年だと聞く。フェイエノールト在籍時、UEFA杯(現・ヨーロッパリーグ)で優勝した試合を僕が取材に行った際のことだ。前日練習が終わってほかの選手がロッカールームに戻るなか、彼はチームのホペイロ(用具係)と一緒にボールを片づけていた。そういう振る舞いを自然にできるから、どこのチームに行っても皆に好かれるのだと思う。

残念だったのは、シドニー五輪アジア1次予選のフィリピン戦(1999年)でのこと。実力差のある相手の悪質なタックルを受け、左膝靱帯断裂という大ケガを負ってしまった。"たられば"を言っても仕方ないけど、あのケガがなければ、フェイエノールト以上に大きなクラブでも活躍できたんじゃないかな。

Jリーグ史上、彼よりもっと数字を残し、タイトルを獲得した選手はたくさんいる。でも、彼ほどサッカーの面白さ、魅力をわかりやすく伝えてきた選手はなかなかいない。プロのお手本といえる存在だ。

小野は昨季からJ2の琉球でプレーしているけど、デビュー戦には1万2000人以上のお客さんが集まり、スタジアムは超満員だったそうだ。40歳になった今でもそれだけの存在感を発揮できるのだから素晴らしいよ。少しでも長く現役を続けて、サッカーの楽しさを伝えてほしいね。

6/4(木) 6:10 週刊プレーボーイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/89813f4a8451bbfc50cb18a272c7b932da7c1ad5

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セルジオ越後「僕が選ぶJリーグの歴代ベストイレブン。その選考理由を語ろう」 

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セルジオ越後「W杯連続出場はJリーグ誕生の成果! ただし競争力向上、親企業依存からの脱却は必須課題」 

1: 2020/05/16(土) 11:40:41.16
Jリーグ28年目を迎えてもう一度足もとを見直すべきだ

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5月15日でJリーグは28年目を迎える。1993年に開幕して以来、丸27年の月日が経過したんだね。

 Jリーグは開幕当時、ジーコやリネカー、ラモン・ディアスといった多くのスター選手が集まって華々しいスタートを切った。どの試合もたくさんのお客さんが入って、サッカーは一大ブームになった。同時期に行なわれたワールドカップ・アジア予選の効果も大きかったよね。

 僕は当時のJリーグ幹部の人に聞いたんだけど、プロ化する前の日本リーグ時代のサッカー界は“ケジメがない”のが一番の問題点だと言っていた。ボランティアにしろ、クラブの社長にしろ、好きでやっている人たちが集まって、自分たちのペースでやっているから競争が生まれない。それじゃあ強くならないだろう、ということでプロ化した競争社会で日本サッカーを強くしようという動きが高まっていったというんだ。

 そうして日本サッカーを強くすることで、何を目指したかといえば、やはり日本代表がワールドカップに出ることだよ。隣の韓国はひと足先にプロ化して、それを代表チームの強化につなげていた。日本も93年のJリーグが開幕したシーズンこそ本大会出場を逃したけど、リーグの活性化とともに代表チームも強化されて4年後の初出場につなげ、その後も6大会連続でワールドカップに出場できた。そういう意味では、プロ化した意義が大いにあったんじゃないかな。

 だけど、Jリーグも27年を経過して、もう一度自分たちの足もとを見直すべき時期に来たと思う。課題はいろいろあるよ。例えば、競争力を高めるためにプロ化したJリーグだけど、毎年クラブ数を増やしていったために、トップレベルの選手たちが分散して競争力が低下したのは否めない。代表クラスの選手たちも海外を目指すようになって久しいが、それでもアジア予選やアジアカップで苦戦する現状があるし、選手強化がうまく回っているとは限らないよ。

 韓国は欧州のビッグクラブで中心選手を生み出すようになっているし、中国やタイ、ベトナムも経済力を背景に急速に力をつけている。現状維持の強化では、世界に追いつくのはおろかアジアでも優位を保てなくなるよ。

つで

5/15(金) 11:02 サッカーダイジェスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/090b726011f19d7c67f14ad17d64ae4b1f6e6844

セルジオ越後が選ぶJ歴代ベスト11「他の10人も”別格”と認めるだろうベストプレーヤーは…」 

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1: 2020/05/03(日) 18:30:50.34
「長くJリーグを支えてくれた」という基準で選んだ
 4月23日発売のサッカーダイジェストでは、「Jリーグ歴代ベストイレブン」と題し、現役選手や元日本代表など総勢50名に“マイベストイレブン”を選んでもらっている。人選の条件は現在までに登録されたJリーガーで、外国籍選手は3人まで。ここでは、辛口な評論でも知られるセルジオ越後氏の“マイベストイレブン”を紹介しよう。

 選手の「質」に着目して考えたら、ジーコ、ドゥンガ、ピクシー(ストイコビッチの愛称)、レオナルド、サンパイオ、ブッフバルト、エムボマ、ジョルジーニョ、ビスマルク、リトバルスキー、マルキーニョス……、挙げたらキリがないね。強いチームを作ることだけを考えて、仮に外国人枠をなくしたら、日本人は入ってこないだろう。

 だから今回は「長くJリーグを支えてくれた」という基準で選んだ。ちなみに僕は、Jリーグよりも海外歴が長い選手はJリーガーと思っていないから、そういった選手は入れていない。さっき言った助っ人たちも、インパクトは強かったけど、日本でプレーした期間は長くないよね。Jリーグ歴代ベストイレブンを選ぶなら、僕は「長くJリーグを支えてくれた」ことを考慮して選ぶべきだと思うんだ。そうして一応、ポジション別に選手は並べたけど、「試合を戦う」つもりの11人じゃないから、システムは決められない。
 
 たしかに小野や俊輔などのように海外移籍した選手もいるけど、Jクラブの在籍歴のほうが長いし、レッズやマリノスでアイドルとなってJリーグの人気を下支えしていた。遠藤はガンバ、小笠原はアントラーズに長くいて、それぞれのサポーターにずっと語り継がれ、一生思い出に残る選手だよね。レジェンドで、それぞれのチームの「ミスター」と呼んでいいよ。

 大久保はJ1最多185得点という記録が、Jリーグにたくさんの熱狂をもたらしてくれた立派な証拠。カズやラモスは開幕当時のヴェルディで注目が凄かったし、その後も日本で長く活躍してくれた。ラモスは指導者としてもね。

 守備陣はなかなか目立ちにくいけど、それでも松田、中澤、闘莉王、川口は日本サッカーを盛り上げてくれた。DFの3人はセットプレーなどで得点能力もあって、素晴らしい選手だったよ。

FW 大久保嘉人、三浦知良
MF ラモス瑠偉、小野伸二、中村俊輔
  小笠原満男、遠藤保仁
DF 田中マルクス闘莉王、松田直樹、中澤佑二
GK 川口能活

監督アーセン・ヴェンゲル

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200503-00072499-sdigestw-socc
>>2以降に続く

セルジオ越後「東京五輪の1年延期を機に、森保監督をA代表に専念させるのもアリだ 

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1: 2020/04/11(土) 00:14:08.51
新型コロナウイルスの影響で東京五輪の1年延期が決まった。

当然の判断だと思う。世界中でウイルスによる被害が拡大し、いつ収束するのかもわからない状況にあって、五輪を強行開催する理由は何もない。五輪が大好きな日本人も、さすがにお手上げだ。

アスリートも試合どころか練習さえできない状況が続いている。すでにこの段階で、夏の五輪にベストコンディションで臨むことは難しくなっているはず。むしろ1年延期でホッとしている人が多いんじゃないかな。

サッカー(男子)に関していえば、他の種目と異なり、出場資格が23歳以下という年齢制限がある。サッカーのメインイベントはあくまでW杯だというFIFA(国際サッカー連盟)の意向によるものだ。それが来年に延期されたことで変更されるのかどうか。これは日本に決める権限があるわけではないけど、個人的には絶対に24歳以下に引き上げるべきだと思う。

対象となる選手が気の毒なのはもちろん、厳しい予選を勝ち上がってきたチームが全く別のチームになる可能性もあるわけだからね。平等ではなく、魅力が薄れる。FIFAとIOC(国際オリンピック委員会)は早く決定して安心させてほしい。

また、日本代表については、五輪が1年延期になったことで、A代表と五輪代表の監督を兼任する森保監督をA代表監督に専任させてはどうかという話が出てきた。これも賛成だ。

兼任といいつつ、森保監督はこれまでもスケジュールの都合でA代表を優先、五輪代表の指揮は横内コーチにまかせることが多かった。ようやく今年1月のU-23アジア選手権で五輪代表の指揮を執ったけど、まったくチームの形が見えず、グループリーグで早々と敗退。森保監督はどうしていいのかわからないように見えた。

でも、A代表の専任となれば森保監督の負担は軽くなる。選手たちにとってもずっと五輪世代を見てきた横内コーチのほうが正直、安心だろう。

強化が遅れていた五輪代表にとって、準備期間が増えたのはプラス。当落線上の選手にとってもアピールするチャンスが増えた。1年で急激に伸びる選手が出てくるかもしれないし、新たな競争が生まれる可能性もある。そう前向きにとらえればいい。

ただ、それにしても問題はコロナがいつ終息するかだね。Jリーグに限らず、今は世界中のサッカーがストップしていて、いつ再開できるのかわからない。Jリーグでアピールしようにも、J1は本当に5月9日にリーグ戦を再開できるのか。今の状況では再び先延ばしとなってもおかしくない。

欧州の主要リーグもこのままシーズン打ち切りになるという見方もある。給与をカットされたり、契約を切られる選手も出てくるかもしれない。そんな状況でコンディションを維持するのは至難の業。精神的にも苦しいと思う。

来年はA代表も2022年カタールW杯アジア最終予選があるし、五輪代表強化のマッチメイク、選手の招集も難航が予想される。オーバーエイジ枠候補の選手を強化試合で試すこともできないだろう。難しい条件ばかり揃ったなかで何ができるのか。日本サッカー協会はいろいろな事態を想定し、強化策を練ってほしい。

無駄になることも多いかもしれないけど、来年の夏に「延期になったことがメダルにつながった」と言えるようにしたいね。

4/9(木) 6:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200409-01110760-playboyz-socc

セルジオ越後、 Jリーグの新型コロナ対策に「無観客試合で再開すべき」「産業が止まっちゃいけない」 

1: 2020/03/10(火) 17:56:49.01
サッカー解説者のセルジオ越後が日本サッカー界のコロナウイルス対応について言及した。

セルジオ越後コメント

マラソンもレスリングもやってますよね。結構やっているじゃない。

相撲もテレビを見ながら記事を書くとか、野球もプレシーズンマッチをやって記事を書くとか。メディアが本来の伝える仕事を素晴らしくやっているのもマーケットじゃないかなと思いますね。

このまま行ってメディアも雑誌もつぶれたらリーグもつぶれますよ。自分だけじゃない、自分の周りにすごい産業があってそれがリーグを支えているという認識をもう少し持つべきじゃないかなと思いますね。

スポンサーが払ってくれるお金は試合のため、放映権も試合のため。マーケットがずっと止まるということは収入が減るということじゃないかな。

入場料だけじゃないんですね。各チームに放映権の分配金をやっているけど、これだけ試合をやらないで売り上げが上がらなかったら本当に大丈夫かなというところも考えなくちゃならないよね。

産業が止まっちゃいけないんですね。今、デパートから飲食関係まで時間を短縮してもやっている。誰も中止にしていない。電車も止まっていない。

産業があってスポーツがあるんですね。新聞とかテレビとかラジオの売り上げがガタ落ちしたらどうなるんだというところも含めてできる範囲のことを。

だから担当の決断が早くほしいんですよね。

今は無観客だけども、お客さんが来るようになったらその時に満員にしてくださいというお願いを込めてやったらいいと思うんですよね。

J1、J2、J3は全試合が売り切れたとか満員になる社会じゃないんですね。入るところと入らないところがありますから。スポンサーあるいは放映権をもらってプールしたところをこういうときに使わなかったらいつ使うんだということじゃないかなと思うんですよね。まさか一銭もプールしてないことはないでしょうね。

声を上げて今のスポンサーに理解をもらって応援してくださいと言えば、できないことはないと思います。

やることを全てやってそれで決断するという準備が必要。国がOKというまで待つのであればトップはいらないんですよ。

3/10(火) 17:50配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200310-00010002-tvtokyos-socc

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セルジオ越後が大予言!?今年のJリーグで流行る言葉は “オ〇〇ガ” 

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