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ジーコ


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鹿島新加入ピトゥカ「ジーコのように」 新加入会見で新天地の意気込み 

1: 2021/02/17(水) 19:04:26.95 _USER9
2/17(水) 16:58
スポニチアネックス

鹿島新加入ピトゥカ「ジーコのように」 新加入会見で新天地の意気込み
ビデオメッセージで意気込みを語った鹿島・ピトゥカ
 J1鹿島は17日、新加入選手会見をオンラインで実施した。今季は高卒、大卒6人が入団し、移籍加入は新外国人2人のみ。埼玉・昌平高から加入したMF小川優介(18)は体調不良で欠席し、政府による入国規制で未合流のMFディエゴ・ピトゥカ(28)、MFアルトゥール・カイキ(28)はビデオメッセージを送った。

 ブラジル1部の名門サントスから加入したMFピトゥカは「勝者のクラブでありワクワクしています。1日でも早くそのユニホームに袖を通し、誇りを持ってプレーしたいと思っています。今季の目標は優勝することであり、日本最大のクラブに行くのでそこで歴史を作りたい。他のブラジル人やジーコのようにクラブの歴史に名を刻みたい」とコメントした。

 また、サウジアラビアのアルシャバブから加入したMFカイキは「ビッグクラブでプレーできる機会を得て非常に喜んでいます。良い試合をしてゴールやアシストでチームを助けられる選手になりたい。また、クラブの目標であるタイトル獲得が重要。羅日してからチームメートと全力を尽くし、達成できるようにしたい」と、動画を通じて意気込みを語った。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/86fd1024e7fc374ee6e7a6740e252a0d89254b94

ジーコ氏「素晴らしい友人」マラドーナ氏を悼む 

1: 2020/11/26(木) 13:12:34.03 _USER9
11/26(木) 12:54
日刊スポーツ

ジーコ氏「素晴らしい友人」マラドーナ氏を悼む
鹿島ジーコTD(2018年12月11日撮影)
現在鹿島のテクニカルディレクターを務めるジーコ氏(67)も、友人マラドーナ氏の死去を悼んだ。

【写真】60歳で亡くなったマラドーナさん

自身のインスタグラムに何枚も一緒の写真をアップ。「水曜日はいやな日ですね。私は今日、自分たちの世代で最も偉大な選手に敬意を表したい。彼は一緒にプレーする喜びを与えてくれた素晴らしい友人。サッカーと友情のためにあなたがしてくれたすべてのことに感謝します。安らかに眠ってください。神のご加護があなたの家族にあるように」などと記した。

ジーコ氏は05年にブラジルでチャリティーマッチを開催。2人は「ジーコスター」チームで一緒にプレーし、「今なら幸せな気持ちで○ねる」(ジーコ氏)「友だちのジーコとプレーできてうれしい」(マラドーナ氏)と喜んだこともあった。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/400a79d70f13eeeee8eacab77080904a7874b024

「彼は天才だった」 “神様”ジーコ が回顧、鹿島時代の“超絶FK弾”映像に海外反響 

1: 2020/10/10(土) 13:53:30.76 _USER9
公式インスタグラムに鹿島時代に決めた7つの直接FKの映像を公開

 1993年のJリーグ創設以降、数多くの世界的名手が来日しプレーしたが、アマチュア時代から日本サッカーに携わり、その発展に尽力した人物といえば、多くの人が元ブラジル代表MFジーコ氏の名前を挙げるだろう。選手としてはもちろん、Jリーグ最多優勝を誇る鹿島アントラーズの礎を築いた哲学は、何ものにも代えがたい功績と言える。そんな“サッカーの神様”ジーコ氏が、自身の公式インスタグラムを更新。鹿島時代に決めた7つの直接FKの映像を公開し、反響を呼んでいる。

 卓越したテクニックと得点力を誇ったジーコ氏は、母国の名門フラメンゴで長年プレーし、ブラジル代表としても1978年、82年、86年とワールドカップに3度出場。セレソンの10番を背負ったスーパースターは、91年に鹿島の前身である住友金属に加入し、“常勝軍団”の礎を築いて94年に引退した。日本代表監督などを経て、現在は鹿島のテクニカルディレクターを務めている。

 そんな伝説の司令塔は先日、自身の公式インスタグラムに住友金属時代の1991-92シーズン、日本サッカーリーグ(JSL)2部の試合で決めた直接FK10連発の動画を投稿。世界に名だたる元ブラジル代表の10番がプレーするとは思えないようなグラウンドで、次々と華麗なFKを叩き込む映像が反響を呼んでいた。

 そして今回は、Jリーグ創設後に鹿島の10番として決めた7つの直接FKの映像を公開。93年の開幕時には40歳になっていたジーコ氏だが、その技術はまったく錆びついていない。改めて説明するまでもなく、スピード、コース、そしてGKとの駆け引きも含めて超一流のゴールばかり。特に6本目に紹介されているベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)戦の一撃では、完全に逆を取られた元日本代表GK小島伸幸氏(現ザスパクサツ群馬GKコーチ)が、呆然と立ち尽くす姿が印象的だ。

華麗なFKの数々に海外ファンも感嘆 「信じられない」「センセーショナル」
 そして最後の7つ目の映像は、伝説となっている1993年開幕戦の名古屋グランパスエイト(当時)戦でのゴール。クロスバーに当たってゴールラインを越えたシーンを覚えているファンも多いはずだ。ジーコ氏は記念すべきこの試合で、Jリーグ史上初のハットトリックを達成し歴史にその名を刻んでいる。

 この動画が公開されると、コメント欄では母国ブラジルなどの海外ファンが反応。「センセーショナル」「最高!」「スペシャリスト」「彼は天才だった」「信じられない」など、ジーコ氏の鮮やかなFK弾に感嘆の声を上げていた。

 一つひとつの言動に、日本サッカーへのメッセージが込められていたジーコ氏。日本の地で決めた、天才司令塔の代名詞と言える華麗なFKの数々は、長い年月が経っても決して色褪せることはないだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/29b5f57f52553a951ec5c6449617aae91e25ce8d
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https://www.football-zone.net/archives/287234/3?utm_source=yahoonews&utm_medium=rss&utm_campaign=287234_6

「再会!神様ジーコ&キングカズ」 #松井大輔 、ファン垂涎の豪華3ショット公開 

1: 2020/09/10(木) 18:16:43.04 _USER9
日本のサッカー界を盛り上げてきた3人が集結

 サッカーJ1・横浜FCの元日本代表MF松井大輔が自身のインスタグラムを更新。同僚の元日本代表FW三浦知良と、鹿島でテクニカルディレクターを務めるジーコ氏との豪華3ショットを公開した。「再会! 神様ジーコ KINGカズ」などと喜びの声をつづっている。


 元日本代表のテクニシャンとキング、監督が一堂に会した。紫のシャツにチノパン姿のジーコ氏を中央に据えた3ショット。カズは右手でサムアップポーズを決め、カメラに爽やかな笑顔を向けている。逆側に立った松井は帽子にポロシャツ姿でニッコリ。再会を喜んでいるようだ。

 実際の画像を、松井は自身のインスタグラムに公開。文面には「再会! 神様ジーコ KINGカズ 2006年World Cup日本代表メンバー入らなかった。でもそれは自分に実力がなかったから。それがなかったら今の自分はない。無駄な経験なんてないね!」などとつづっている。

 2002年から2006年W杯ドイツ大会まで日本代表監督を務めたジーコ氏。カズも松井もドイツ大会のメンバー入りはしていないが、日本のサッカー界を盛り上げてきた3人が肩を並べ、ファンの注目を浴びていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1ba72b7818b1a35abe3e7667d27c7fa96839d8e9
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https://the-ans.jp/news/126537/2/?utm_source=yahoonews&utm_medium=rss&utm_campaign=126537_6

<鹿島アントラーズ> ジーコ氏「生き延びねば」選手に年俸減理解求める 

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1: 2020/08/10(月) 20:35:13.70 _USER9
ウィズ・コロナ時代のJリーグのあり方について、鹿島アントラーズでテクニカルディレクターを務めるジーコ氏(67)が「クラブの経営状況をみんなが理解して、生き延びていかないといけない」と危機感を示した。

ジーコ氏は7月下旬にブラジルから再来日し、14日間の隔離期間を経て4日にチームに合流。6日、オンライン取材に応じた。

先の読めない新型コロナウイルスの影響について「サッカー以外の業種でも収益が減る。スポンサー企業も試合放映がなければ露出が低下し、減額の動きになるのは当たり前。クラブの収益もそのぶん減っていく」と、連鎖的にクラブ経営にダメージを与えることを説明した。

その上で「今後は今までもらっていた金額がもらえない時代なのだと認識しないといけない。そうしないとこの業界を衰退させることになる」と、選手へ年俸が下がることへの理解を求めた。苦しいのは選手やクラブだけでなく、地域やスポンサー企業など、チームにかかわるすべての人たちも同じ。「クラブに関わるいろんなプロフェッショナルが減給されていくと思う。それを理解して、みんなで生き残っていかなくてはいけない」と、ステークホルダーと手を取り合って生き抜く必要性を訴えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ac8b2568956c0968fe7b32ff5c35ca72d4e80e2

<セルジオ越後>Jリーグで一番印象に残っている外国人選手「あのジーコが日本に来るとは信じられなかった」 

1: 2020/06/11(木) 08:23:14.69
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ひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手をほかに知らないと語るセルジオ越後氏

前々回、僕が選んだJリーグの歴代ベストイレブンを紹介したけど、そこにはあえて外国人選手を入れなかった。質だけを見れば、外国人だらけになりかねないからね。

Jリーグの歴史を振り返ると、それだけ多くの優れた外国人がプレーしてきたわけだけど、一番印象に残っている選手をひとり挙げるとすれば、リーグ全体に与えた影響の大きさ、現役引退後のクラブとの関係性を含めてジーコしかいない。

1993年、Jリーグ初年度開幕節の名古屋戦でのハットトリックは本当に衝撃的だった。僕は現場で試合を見ていたんだけど、1点目は鮮やかなミドルシュート、2点目は得意のFK。そして、3点目は左サイドを突破したアルシンドのクロスを左足ボレーで決めた。40歳にして速い展開のなかでもさすがというプレーを披露。彼の本気ぶりを実感した。

このハットトリックはスポーツニュースで大々的に報じられ、それを見てサッカーに興味を持った人も多かったはず。船出したばかりのJリーグにとって最高のPRになった。その後、どれだけのマスコミが鹿島町(現・鹿嶋市)に乗り込んでいったか。鹿島という地名を一躍、全国に知らしめた。

当時たくさんいた外国人の大物選手たちは皆、Jリーグ開幕に合わせて来日していた。でも、ジーコの来日は開幕の2年前。しかも、鹿島の前身の住友金属工業蹴球団は日本リーグ2部。いくら一度引退した身とはいえ、いくら好待遇とはいえ、あのジーコが日本の2部リーグでプレーするとは信じられなかった。

これは世界的にもビッグニュースだったんだけど、サッカーがまだマイナーな日本ではそれほど話題にならなかったね。2部リーグということもあり、プレーぶりもほとんど報道されなかった。

試合は控室にシャワーもないようなグラウンドで行なわれ、観客もほとんどいない。ゴルフにたとえるなら、タイガー・ウッズが自らゴルフバッグを担いで、河川敷でゴルフをやっているようなもの。よく途中でいやになって帰国しなかったと思う。

そんな状況で彼はプロ意識、技術、戦術など周囲の選手やスタッフに大きな影響を与えた。練習場の整備、ホぺイロ(用具係)の導入など、環境面も整えてチームのレベルを一気に引き上げた。一選手でありながら強豪・鹿島の土台を築いたんだ。

ジーコは94年の夏には引退しているので、実はJリーグでプレーした期間は2年にも満たない。でも、引退後も鹿島とアドバイザー契約を結び、ジョルジーニョ、レオナルドといった現役バリバリのブラジル代表を連れてきた。ジーコの存在がなければ、ふたりとも日本には来なかっただろう。

そのふたり以外にもジーコは鹿島にブラジル人選手、監督をたくさん連れてきているけど、ほとんどハズレがない。それは単にいい選手を連れてくるのではなく、鹿島のサッカーに合う選手、監督を連れてきているということ。そして鹿島は誰もが認めるJリーグの名門になった。

2006年ドイツW杯で日本代表の監督を務めたり、海外の代表やクラブの監督を務めるなど、鹿島を離れていた時期もあったけど、一昨年からはテクニカルディレクターとして再び現場ににらみを利かせている。ここまでひとつのチームに関わり、貢献した外国人選手を僕はほかに知らない。

6/11(木) 6:20 週刊プレーボーイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/669c0dcf3a8e788c36fdf936124c4bb593f7b669

「なんて車だ」 “神様”ジーコ、1981年製日本車と“お宝2ショット”公開「これは凄い」 

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「日本では国内リーグのほうが…」 ジーコの“優先順位論”に海外注目「欧州や南米と異なり…」 

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ジョルジーニョの告白。鹿島移籍時 「ジーコは私をほしくはなかった」 

1: 2020/04/24(金) 17:27:55.44
あのブラジル人Jリーガーはいま第1回ジョルジーニョ(前編)

1994年アメリカW杯。ブラジルは決勝でPK戦の末にイタリアを下し、24年ぶりに世界チャンピオンのタイトルを手に入れた。
その立役者はロマーリオだった。彼は大会中チーム内最多の5ゴールを決め、大会最優秀選手にも選ばれた。しかし、その優勝を陰で支えたもうひとりの功労者がいた。それがジョルジーニョだ。

本大会を前にブラジルは危機に陥っていた。南米予選の最終戦で、ブラジルはウルグアイに勝たなければならなかった。
そうでなければ、史上初めてW杯出場を逃す可能性さえあった。しかしこの時、セレソン(ブラジル代表)の雰囲気は最低だった。
ロマーリオがその少し前の親善試合出場を拒否したことで、カルロス・アルベルト・パレイラ監督との仲が決裂しかけていたのだ。

そこで立ち上がったのがジョルジーニョだった。彼はロマーリオにチームに戻るように説得し、モチベーションを上げさせると同時に、パレイラ監督を落ち着かせた。
その結果、ロマーリオはこの試合で2ゴールを決め、ブラジルは無事W杯出場を決めた。
ジョルジーニョ自身も1ゴール目をアシストなど活躍。
ロマーリオはゴールを決めると。真っ先に彼のもとにかけつけた。

温厚で常に礼儀正しく、他人をリスペクトするジョルジーニョは、いわばロマーリオと正反対の性格であったが、それがよかったのかもしれない。
セレソンの合宿でふたりはいつも同室で、ジョルジーニョは多くの伝説を持つ悪童に忠告ができる、数少ない人間でもあった。いまでも彼らは仲のいい友人である。

彼がサポートしたのはロマーリオだけではない。
ドゥンガも一筋縄ではいかない性格をしているが、彼の代表監督就任中、ジョルジーニョはそのアシスタントを務めている。
チームメイトのみならず、対戦相手やサポーターなど、誰からも愛される存在であった。
ブラジルサッカーの歴史の中でも、最も紳士的で謙虚な選手といっても過言ではないだろう。

ジョルジーニョは1964年、リオデジャネイロの郊外の貧しい地区で生まれた。父親のことをジョルジーニョはこう語っている。

「彼はポルトガルからの移民だったが、とにかく酒が好きだった。家に帰るといつも暴力をふるった。
今でいうDVだ。母はあまり何度も殴られたため耳が聞こえなくなってしまった。私も手加減なしに殴られた。本当にひどい子供時代だった」

その父親も早くに亡くなり、一家は貧しかった。ジョルジーニョ少年にとって、サッカーはそんな現実から逃れる唯一の手段だった。

「サッカー人生で最も栄光に輝いていた時でさえ、かつての家での風景がフラッシュバックのように脳裏に蘇る。
母が泣き、自分は殴られないようにどこかに隠れ震えている。そんなシーンがまるで映画のように見えてくるんだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200424-00892200-sportiva-socc&p=2
4/24(金) 17:00配信

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https://www.youtube.com/watch?v=2CvhkJETnBc


FAMILIA ANTLERS?ジョルジーニョメッセージ&ゴール集~

https://www.youtube.com/watch?v=KLik6bnu2pg


ジョルジーニョチャント

https://www.youtube.com/watch?v=gsrpZPSJKbY


【鹿島アントラーズ】FAMILIA ANTLERS?レオナルド・ゴール集~

ジーコ氏ら82年W杯ブラジル代表が再集結、新型コロナ支援呼びかけ 

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1: 2020/04/12(日) 10:35:31.00
サッカー=82年W杯ブラジル代表が再集結、新型コロナ支援呼びかけ

[10日 ロイター] - サッカーの1982年ワールドカップ(W杯)スペイン大会に出場したブラジル代表のメンバーが、新型コロナウイルスの感染拡大で苦しむ母国のスラム街(ファベーラ)の人々への支援と寄付を募るために集結した。

元日本代表監督でもあるパウロ・ロベルト・ファルカン氏の呼びかけに応じて集まったのは、同じく元日本代表監督のジーコ氏ら19人で、ビデオメッセージを介して寄付を呼びかけた。

ファルカン氏は「1982年のブラジル代表チームは創造性と協調性、規律の共有で知られていた。いま、私たちは再びブラジルのために行動を起こしている」と語り、1週間足らずで260万レアル(約5500万円)が集まったと明らかにした。

ブラジルではすでに新型コロナウイルスによって900人以上の死者が出ている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200411-00000019-reut-spo



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