1: 名無しさん 2016/05/03(火) 19:47:06.54 ID:CAP_USER9
■サッカー選手名鑑『ジョージ・ベスト』

 ベスト(最高)――。

 それが、れっきとしたファミリーネームである。サッカーの王様ペレは全盛期のベストを「世界最高の選手」と評している。
彼こそベスト・オブ・ベストということか。また、こんな言い回しも残されている。

『クライフは地上でつくられ、ベストは天でつくられた』

 巨星ヨハン・クライフは、若い頃に『オランダのベスト』と呼ばれた時期がある。
わずか1歳違いだが、当時のベストはクライフのはるか先を走っていた。

 名誉ある『バロンドール』(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)を獲得したのが、22歳のとき。
史上最年少でヨーロッパのサッカー界の頂点へと駆け上がったわけだ。

 生まれ故郷は北アイルランドの首都ベルファスト。15歳のときにスカウト担当のボブ・ビショップに見いだされ、
2年後の誕生日に名門マンチェスター・ユナイテッドとプロ契約。それから数カ月後の9月にプロデビューを飾った。

 2年目には早くもユナイテッドの主力となり、リーグ優勝に貢献。18歳を迎えた頃には英国全域にその名が知れ渡った。
ポジションは右ウイング、背番号は7。のちにカントナやベッカムらに受け継がれる『ナンバー7』の神話は、
このベストが始まりである。

1968-69シーズンにイングランドリーグの得点王を獲得。さらに欧州チャンピオンズカップではユナイテッドを
初優勝へ導いた。ベンフィカ(ポルトガル)との決勝では延長前半に決勝点をマーク。
その活躍が、バロンドール受賞の決め手になったといわれる。

 ベストがひとたび球を持てば、誰も止められなかった。同じ相手を二度、抜いたこともある。
相手が球の在りかを見失うほど、速く巧みなドリブルは魔法のようだった。

ある時は太ももで球をリフティングしながらピッチの半分を駆け、ある時は背中で球を止めてみせた。
試合中に球の上に腰を下したかと思えば、おもむろに脱いだユニホームで闘牛士のマネごとをして、
相手を挑発したこともある。相手どころか、味方の球を奪ってドリブルを始めることさえあった。

 保守派や良識派はベストのとがったキャラに眉をひそめたが、若者たちは熱狂した。長髪に甘いマスク。
若い女性たちからアイドル視され、やがて『5人目のビートルズ』と呼ばれるようになる。
サッカー界の枠には収まらないポップスターの先駆けだった。

 もっとも、最盛期は短かった。1972年5月に引退を宣言。まだ25歳のときだ。
すぐに撤回したが、同年末に再び引退願いを提出し、半年間もピッチから遠ざかる。
復帰後は二度と全盛期の姿に戻ることはなかった。

 アルコール依存症、実母の死、離婚、ギャンブル、破産……。
晩年もトラブルがついて回り、2005年に59歳の若さでこの世を去る。太く、短く。
ベルファストの異端児はあっという間に人生を駆け抜けていった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-00010000-asahit-socc
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