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元ジャニーズ手越祐也「プロをあきらめてジャニーズに」サッカー半生を告白 

1: 2020/07/26(日) 02:12:23.21 _USER9 BE:529235722-2BP(0)
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7/25(土) 23:23
SmartFLASH

手越祐也「プロをあきらめてジャニーズに」サッカー半生を告白
中高生18人を相手に、熱心に指導する手越
 7月25日、東京・江戸川区で開かれたサッカー教室に、ボランティアのゲスト講師として登場したのは、手越祐也(32)。同教室のメイン講師と同じサッカーチームという縁で、参加した中高生18人にサッカーを指導した。

 これまで日本テレビ系のFIFAクラブワールドカップ特番や『手越祐也&城彰二のサッカーアース』(テレビ朝日系)といった番組でMCを務めるなど、芸能界でもサッカー通として認められている手越。あまり明かされてこなかった、サッカー人生を語った。

「サッカーは4歳からやっていました。小学生のときは地元のクラブチームの一員として神奈川県の大会に出場して、ヴェルディ(川崎/当時)とか(横浜)マリノスのユースなんかと、よく試合をしていました。神奈川で2位になったこともあります」(手越、以下同)

 中学は、部によってはプロや日本代表が教えに来るような、私立のスポーツ推進校に入学した。

「都大会への出場をかけた地区大会があって、決勝で負けてしまったんです。でもじつは、チームの主要メンバーが、東京都の選抜を受ける試験の日とぶつかって、出場できなかったという裏話があって。

 俺も、一次審査は通過していた。二次審査と決勝がぶつかって、決勝に出ることを選んだんです。二次を受けても東京都選抜選手になれるか、わかりませんでしたし」

 じつは、少年時代の夢は「ジャニーズ」ではなかった。

「Jリーガーを目指していました。でも中2~中3になると、うまいやつはめちゃくちゃうまくなってきて、『サッカーの道に行きたいけど、きついなあ』と感じるようになった。それでジャニーズを目指すことにしたんです。

 高1でNEWSのメンバーになったので、最初のころは全力で仕事をしなくちゃいけなくて、18~19歳まではサッカーを一切やりませんでした」
手越祐也「プロをあきらめてジャニーズに」サッカー半生を告白
周りが舌を巻くプレーを見せる手越
 あるとき、転機が訪れる。

「『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ系、2006年)というドラマをやっていたとき、出演者や監督からカメラマンまで、たまたまサッカー好きが集まったんですよ。しかもワールドカップイヤーだったから、『みんなでサッカーをやろう』ということになった。

 それで中打ち上げのときに、長瀬(智也)君を筆頭に、僕ら『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』チームで、練習試合をして。そのときの対戦相手が、いま所属しているチームだったんですよ。

 対戦したら相手チームの人達と仲良くなって、俺も久しぶりにサッカーやって楽しかったから、『練習に参加させて下さい』とお願いした。それで、『参加するからには、キャプテンをやりたい』と(笑)。じつはいまだに俺が、キャプテンとしてチームの練習場を取っているんですよ」

 手越は2013年、音楽関係者が参加する「音蹴杯」というフットサルの大会に初出場し、チームとしては3位の成績ながら、大会MVPを獲得したほどの実力の持ち主だ。現在も、同大会をはじめ、大学生や社会人の大会に出場している。

 この日の教室でも、最後におこなわれたミニゲームに出場。手越の足の速さやフェイントの巧さを見た高校生が、「すげー、マジでうまい」と、舌を巻いた。
手越祐也「プロをあきらめてジャニーズに」サッカー半生を告白
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「好きなポジションは左のウイング(フォワード)で、自分のチームでも左ウイングです。それから、好きな選手は(FCバルセロナのリオネル・)メッシ。同い年なんですよ。

 バルセロナでインタビューをさせてもらったことがあるんですけれど、身長もほぼ一緒だし、それで大男たちと戦っているのが、やっぱりすごいと思う。体格でまさっていないのに、得点王やバロンドール(世界年間最優秀選手)を取れるんですから。俺にとって、同い年の『スーパースター』ですね」

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https://news.yahoo.co.jp/articles/5fd74774e62c95c3e008b78a70a614d0a052ae47

先輩に「くん」づけするようになったのはいつから?サッカー日本代表とジャニーズの意外な共通点  

1: Egg ★ 2019/07/16(火) 09:04:58.99 ID:fTWaJv1n9
サッカー界でも「くん」づけが主流になったのはなぜ?

写真
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ジャニー喜多川さんが今月9日に亡くなり、その足跡が改めて注目されている。生まれ故郷・ロサンゼルスで現地のショービジネスに憧れ、歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。たのきんトリオや光GENJI、少年隊、SMAP、嵐などの国民的グループを育成し、売り出した手腕は卓越したものがあった。

 そのジャニーさんが定着させたのが「くん」づけだ。同氏の後継者候補の1人と目される滝沢秀明氏が以前、テレビ番組で「大先輩には『さんづけ』をする」と語った通り、近藤真彦や東山紀之には後輩たちも「さんづけ」で呼んでいる。しかし、それ以降の世代は後輩が先輩を親しみを込めて「くん」づけで呼ぶのが一般的のようだ。SMAP時代の中居正広も木村拓哉も後輩たちから「中居くん」「木村くん」と呼ばれていた。その境界線は80年代後半からと言われるが、今では「くん」づけが普通という常識になっている。

 実は、それと似た現象がサッカー界にもある。筆者は25年間、日本代表を取材しているが、平成生まれの選手が増えてきた2010年頃から先輩を「くん」づけする選手が増えてきたのである。最初が誰だったかと言われると定かではない部分があるが、平成生まれ初のA代表選手だった香川真司(ドルトムント)はその筆頭かもしれない。2008年北京五輪代表で一緒だったせいか、2学年上の本田圭佑(メルボルン)のことを「圭佑くん」と呼んでいた。長友佑都(ガラタサライ)とは仲がいいせいか「佑都と呼び捨てにし、岡崎慎司(レスター)にも「オカちゃん」とニックネームで呼んでいるが、こういった現象は彼らより上の世代ではほぼ見られなかった。

 例えば、2000年シドニー五輪代表だった面々を見ても、中村俊輔(横浜FC)は2つ上の中田英寿を「ヒデさん」、宮本恒靖(G大阪監督)を「ツネさん」、1つ年上の柳沢敦(鹿島ユースコーチ)を「ヤナギさん」と呼んでいた。中村の1つ下の稲本潤一(相模原)や本山雅志(北九州)が中村俊輔のことを「シュン」と親愛の情を込めて呼んでいたのを聞いたことがあるが、それもある程度、年月が経ってから。異例のケースだったと言っていい。昭和生まれには「先輩をくんづけで呼ぶ」というのは、やはり違和感のあるものだったのではないか。

 こうした価値観が香川以降の面々は薄かったようで、2012年ロンドン五輪世代の清武弘嗣(C大阪)、山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(HSV)、宇佐美貴史(G大阪)らは揃って先輩を「くんづけ」で呼んでいた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表の時代にその傾向が一気に進み、2018年ブラジルワールドカップの時点では大半の選手が本田を「圭佑くん」、長友を「佑都くん」と言うようになっていた。最後まで「さんづけ扱い」だったのは、川島永嗣(ストラスブール)と長谷部誠(フランクフルト)の80年代前半生まれの2人くらい。この2人はジャニーズでいうところの近藤真彦や東山紀之だったのかもしれないが、それ以降の80年代後半生まれ世代は「先輩後輩の壁を取っ払って自由にやるのがいい」といった空気が流れていたように感じられる

7/16(火) 6:32 DIME
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190716-00010000-dime-ent



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