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サッカー界


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DeNAがサッカー界に進出 J2相模原の経営参画、株式19%取得へ 

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1: 2021/02/25(木) 18:07:10.00 _USER9
 J2相模原と株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)は25日、相模原のさらなる成長を目指し、DeNAが経営に参画することが決定したと発表。DeNAは21年4月にSC相模原の株式19%の取得とトップスポンサーとしての協賛を開始する予定。この日、Jリーグの理事会でも承認を得た。

 両社は今後、DeNAが横浜DeNAベイスターズや川崎ブレイブサンダースを通じて培ってきたプロスポーツマネージメントのノウハウを生かし、J2相模原のチームやビジネス力の強化、試合観戦を中心としたエンターテインメント性の向上、ホームタウンを中心とした地域への貢献拡大を目指す。

 相模原は28日、今季開幕戦でJ2京都をホームに迎える。

https://news.yahoo.co.jp/articles/02ecdebcbcce0d3ed6fc2d75386af22483a477cb
2/25(木) 17:12配信

「釜本邦茂」が今のサッカー界に思うこと 「個人の能力ばかりを評価している」 

1: 2021/02/14(日) 18:03:38.40 _USER9
※デイリー新潮(小林信也)

1968年メキシコ五輪、サッカー日本代表は3位決定戦で地元メキシコを破り、銅メダルを獲った。立役者は大会を通じ7点を挙げ得点王に輝いた釜本邦茂。 「私がやることは単純でした。ゴールを決めること。代表の合宿に行っても、シュートの練習ばっかり。あとは杉山さんとのコンビネーション。最初はうまいこと合わなかったんだ。お互いの癖が全然わからなくて」

 釜本が振り返る。殊勲者はもちろん釜本のほかにもいた。前線にロングフィードを送った小城得達(ありたつ)。そして「黄金の左足」杉山隆一。小城、杉山、釜本のホットラインが得点源だった。  銅メダル獲得は日本の子どもたちの遊びを変えた。少年たちが大きなボールを蹴り始めた。野球少年だった小学校6年の私も休み時間にはグラウンドに飛び出し、サッカーに興じた。真似をするのは杉山であり、GK横山謙三だった。釜本の真似はできなかった……。 「オリンピックの前、杉山さんは調子が悪かった。結婚して太ったせいかね」  メキシコ五輪に向けたヨーロッパ遠征で、日本代表は11連敗も記録した。 「杉山さんのせいだって、非難ゴウゴウだった。それでも長沼監督と岡野コーチは使い続けた。10月には必ず合わせてくるって」  首脳陣の期待どおり、杉山は復調した。 「不思議でしょうがないんだけど、メキシコ五輪が始まったら、杉山さんとの呼吸が合うようになった」  メキシコ五輪で釜本が決めた7点のうち、4点は杉山のアシストから生まれたゴールだった。その背景には杉山の復調があり、釜本の成長があった……。

ペレの真似はできないが

 メキシコ五輪イヤーの1月、釜本は「日本サッカーの父」デットマール・クラマーの勧めで西ドイツの1.FCザールブリュッケンに短期留学した。約3カ月、後に西ドイツ監督になるユップ・デアヴァルの薫陶を受けた。その留学が釜本のサッカー人生を大きく開花させたと言われる。訊ねると釜本はあっさり言った。 「その時期のザールブリュッケンは寒くてね、ほとんど外で練習できなかった。せいぜい室内サッカー。3カ月、ヨーロッパの空気を吸いに行っただけだった」

※続きはリンク先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b0dfce5cea52d9bf4c0d352190d2a6d50587c46
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サッカー界にイチローや野茂英雄みたいな海外でも一流の活躍をするスーパースターが出てこないのは何で ? 

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1: 2020/07/30(木) 21:28:34.40 0
最高で本田圭佑とか中田英寿くらいでしょ
しょぼすぎるのはどうしてだぜ

#セスク、サッカー界でゲイが普通になることを願う 

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1: 2020/06/18(木) 22:20:37.31
2020/06/15 09:00

Text by
編集部I


アメリカで起きた黒人男性死亡事件を契機に、サッカー界でも声を上げる選手が増えている。

レアル・マドリーDFマルセロも再開初戦で得点を決めた後、ひざまずくポーズを見せた(以下動画1分20秒~)。

https://www.instagram.com/tv/CBbX67zg6--/?igshid=hpiivgj4b41u

片膝をついて、右手を掲げるポーズだ。



そうしたなか、モナコでプレーする元スペイン代表MFセスク・ファブレガスが、サッカー選手が声を上げることについて言及した。『Guardian』のインタビューでこう述べたそう。



"
セスク・ファブレガス(モナコMF)

「僕らにはこのプラットフォーム(SNSなど)がある。メディアを通じて、世界にポジティブな影響を与えられる。

よりよい世界のために僕ら全員は戦っている」

「将来、(サッカー界で)ゲイと名乗り出る人間がいるだろう。

最初はみんな変だと思うかもしれないし、バカな奴らは間違いなく何か言うはずだ。

だけど、誰が名乗り出た後、また別の誰かが名乗り出る、そして、また誰かが…。

そうすれば、全てが普通になり、僕らはそれが当たり前のことのように話すだろう。

いつかそうなるだろうし、何が起きても僕らが結束し続けることを願っている」
"
https://qoly.jp/2020/06/15/cesc-on-gay-iks-1

<中国サッカー界のレジェンド>「共産党打倒」宣言!国内世論に衝撃... 

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1: 2020/06/05(金) 21:25:44.82
 【北京=西見由章】中国当局が民主化を求める学生らを、北京で武力鎮圧した1989年の天安門事件から31年となった4日、サッカー元中国代表として歴代最多ゴールを記録した●(=赤におおざと)海東(かく・かいとう)氏(50)が米サイト「ユーチューブ」に「新中国連邦宣言」と題した動画を顔を出して投稿し、「中国共産党の殲滅(せんめつ)は正義にとって必要だ」と主張した。

 ユーチューブは中国で遮断されており、●(=赤におおざと)氏の発言に関する報道も禁止されたもよう。ただ特殊なアプリを使えば中国内からも同サイト視聴は可能で、サッカー界のレジェンドによる突然の「共産党打倒」宣言は一部に衝撃を与えている。

 ●(=赤におおざと)氏は動画で、中国共産党の全体主義統治が「人権を無視し、民主を踏みにじり、香港で殺戮(さつりく)を行ってきた」などと主張。また新型コロナウイルスによって「世界に生物化学兵器による戦いを発動した」とも語った。トランプ米大統領の首席戦略官だったスティーブン・バノン氏や米亡命中の中国人元実業家、郭文貴氏との連携も示唆した。

 中国の有力スポーツ紙「体育界週報」は4日、「元中国代表のH(●(=赤におおざと)の中国語読み〈Hao〉の頭文字)が政府を転覆し、中国の主権を侵害する言論を発表した」として●(=赤におおざと)氏を匿名で非難する声明を公表したところ、中国のネット上で「Hとはだれだ」との声が相次いだ。

 ユーチューブのコメント欄には中国人とみられるユーザーから非難や困惑、称賛の声が書き込まれた。「ヘディングの後遺症でおかしくなったのか」などと嘲笑する声もあった。

6/5(金) 20:08 産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd728d4cac06fd60ee873e301f37e6808e7fdd82

現在のサッカー界のベストイレブン組んだので見てください 

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1: 2020/06/05(金) 15:41:17.71
サンチョーレバンドフスキーメッシ

バルベルデーキミッヒーミュラー

アルバーアラバーヴァランーカルバハル

クルトワ

どうですか?

人種差別が横行する世界のサッカー界に倣いJリーグサポーターも開幕戦後SNSに人種差別投稿をしてしまう 

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1: 2020/02/24(月) 16:55:21.70 0
湘南によると、21日に開催されたJ1リーグ第1節・湘南対浦和の試合終了後に「一部選手に対する差別的な投稿がSNSでなされたことが確認されました」という。また、浦和も「2020シーズンが始まって以降、一部選手に対する差別的な投稿がSNS上で確認されました」と発表している。

本田圭佑「サッカー界は古い、進んでない」一問一答  

1: 牛丼 ★ 2019/12/15(日) 11:58:49.96 ID:wq5OEL6P9
【エンスヘーデ=エリーヌ・スウェーブルス通信員】フィテッセのMF本田圭佑(33)がアウェーのトゥエンテ戦にフル出場し、チームは3-0で快勝した。

先発復帰した本田は、トゥエンテの中村敬斗との日本人対決も制した。

チームはリーグ戦7戦ぶり、本田加入後のリーグ戦初白星をあげた。

試合後の本田とのやりとりの一部は次の通り。

-おめでとうございます

本田 そうですね。ありがとうございますと言っていいかは分からないですけど。細かいところで見たら、チームとしても、個人としても、大きく変わったことは、勝ったことくらいだと思っているので。

こういう時に冷静に見ると、これで自信がつく選手はたくさんいる。それはいいことですね。本当は良くないですけど(笑い)。

本当は良くないけど、まあ、単純な選手はここでいい自信をつけて、いいプレーをできる方向に、うまく傾いてくれればいい。(そうなれば)僕の作業はやりやすい。

でも、本当に結果出せたというのは良かった。それが一番いい薬だと言うことは分かっていったので。

-本田選手も半年ぶりの勝利

本田 初戦は割とプレッシャーを感じずにやれて、2戦目、ちょっとそのプレッシャーが増して、監督がああいう決断(辞任)下して、3戦目も勝てずに、カップ戦除いて、ウインターブレークまで2試合しかなくて、個人的にすごくプレッシャーを意識しはじめた。ホッとしているのは正直な気持ち。

何も結果を出さないというわけには絶対にいかないので。でも、本当にこの1週間、カップ戦に出れば3日後なんで、喜んでいる暇はない。改善できない部分が結構、いっぱいあって。そこは、点が入ると、できるようになってきているんですけど。同点の時とか、失点すると全くできなくて。結局自信の問題なんですけど。

-1点目で、相手も変わった

本田 そうですね。こちらが変わっただけじゃなくて、トゥエンテの方も、微妙にバラバラになりはじめたので、総体的にこちらが優位に立つことができた。それは根本的な解決じゃないので。それを本当は、ちゃんと明日から議論を始めないといけないですけど。

なぜか、サッカー界は勝っている時に、議論をしない傾向にあるので、面白いですね。長いこといるんですけど、どこのクラブも勝った時は、全然反省会をしない。このへん、サッカー界は古い、進んでない。

多分、他のスポーツを見ると進んでいると思いますね。もっとテクノロジーを導入したりしているし。

サッカーも、データは出ている。どれだけスプリントしているか、どれだけデュエルに勝っているかとか。見るものはあるけど、勝っている時は、全然分析しない。9割の監督はしないですね(苦笑い)

-ミランもCSKAも?

本田 結果良ければ、全て良しだという文化が根付いちゃっている部分はあります。僕は、結構いろいろと違うことをやっているから。いい意味で、違う世界を見させてもらっているので、

あ、こんな人いるんだと結構見てきてます。ちょっとしたことで一喜一憂することは、一切ないので。

ミッションがあるから。1試合でミッションを終えたらだめですよ。ちゃんと自分たちのフィロソフィーを実現するまで、やるべきだと思います。

-明日のミーティングで言うつもりか?

本田 一応、もう言いました。今日、負けたときみたいに話し合おうと。みんな笑ってましたけど(笑い)。今はね、ディテールを話すべきだ、と(伝えました)。

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https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/201912150000177_m.html?mode=all

日本サッカー界の五大レジェンドは?  

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1: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2019/10/19(土) 10:11:08.23 ID:2KAceuu00
釜本 カズ 中田 本田

先輩に「くん」づけするようになったのはいつから?サッカー日本代表とジャニーズの意外な共通点  

1: Egg ★ 2019/07/16(火) 09:04:58.99 ID:fTWaJv1n9
サッカー界でも「くん」づけが主流になったのはなぜ?

写真
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ジャニー喜多川さんが今月9日に亡くなり、その足跡が改めて注目されている。生まれ故郷・ロサンゼルスで現地のショービジネスに憧れ、歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。たのきんトリオや光GENJI、少年隊、SMAP、嵐などの国民的グループを育成し、売り出した手腕は卓越したものがあった。

 そのジャニーさんが定着させたのが「くん」づけだ。同氏の後継者候補の1人と目される滝沢秀明氏が以前、テレビ番組で「大先輩には『さんづけ』をする」と語った通り、近藤真彦や東山紀之には後輩たちも「さんづけ」で呼んでいる。しかし、それ以降の世代は後輩が先輩を親しみを込めて「くん」づけで呼ぶのが一般的のようだ。SMAP時代の中居正広も木村拓哉も後輩たちから「中居くん」「木村くん」と呼ばれていた。その境界線は80年代後半からと言われるが、今では「くん」づけが普通という常識になっている。

 実は、それと似た現象がサッカー界にもある。筆者は25年間、日本代表を取材しているが、平成生まれの選手が増えてきた2010年頃から先輩を「くん」づけする選手が増えてきたのである。最初が誰だったかと言われると定かではない部分があるが、平成生まれ初のA代表選手だった香川真司(ドルトムント)はその筆頭かもしれない。2008年北京五輪代表で一緒だったせいか、2学年上の本田圭佑(メルボルン)のことを「圭佑くん」と呼んでいた。長友佑都(ガラタサライ)とは仲がいいせいか「佑都と呼び捨てにし、岡崎慎司(レスター)にも「オカちゃん」とニックネームで呼んでいるが、こういった現象は彼らより上の世代ではほぼ見られなかった。

 例えば、2000年シドニー五輪代表だった面々を見ても、中村俊輔(横浜FC)は2つ上の中田英寿を「ヒデさん」、宮本恒靖(G大阪監督)を「ツネさん」、1つ年上の柳沢敦(鹿島ユースコーチ)を「ヤナギさん」と呼んでいた。中村の1つ下の稲本潤一(相模原)や本山雅志(北九州)が中村俊輔のことを「シュン」と親愛の情を込めて呼んでいたのを聞いたことがあるが、それもある程度、年月が経ってから。異例のケースだったと言っていい。昭和生まれには「先輩をくんづけで呼ぶ」というのは、やはり違和感のあるものだったのではないか。

 こうした価値観が香川以降の面々は薄かったようで、2012年ロンドン五輪世代の清武弘嗣(C大阪)、山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(HSV)、宇佐美貴史(G大阪)らは揃って先輩を「くんづけ」で呼んでいた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表の時代にその傾向が一気に進み、2018年ブラジルワールドカップの時点では大半の選手が本田を「圭佑くん」、長友を「佑都くん」と言うようになっていた。最後まで「さんづけ扱い」だったのは、川島永嗣(ストラスブール)と長谷部誠(フランクフルト)の80年代前半生まれの2人くらい。この2人はジャニーズでいうところの近藤真彦や東山紀之だったのかもしれないが、それ以降の80年代後半生まれ世代は「先輩後輩の壁を取っ払って自由にやるのがいい」といった空気が流れていたように感じられる

7/16(火) 6:32 DIME
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190716-00010000-dime-ent



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