サッカー界
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10月19
1: Egg ★ 2019/07/16(火) 09:04:58.99 ID:fTWaJv1n9
サッカー界でも「くん」づけが主流になったのはなぜ?
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ジャニー喜多川さんが今月9日に亡くなり、その足跡が改めて注目されている。生まれ故郷・ロサンゼルスで現地のショービジネスに憧れ、歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。たのきんトリオや光GENJI、少年隊、SMAP、嵐などの国民的グループを育成し、売り出した手腕は卓越したものがあった。
そのジャニーさんが定着させたのが「くん」づけだ。同氏の後継者候補の1人と目される滝沢秀明氏が以前、テレビ番組で「大先輩には『さんづけ』をする」と語った通り、近藤真彦や東山紀之には後輩たちも「さんづけ」で呼んでいる。しかし、それ以降の世代は後輩が先輩を親しみを込めて「くん」づけで呼ぶのが一般的のようだ。SMAP時代の中居正広も木村拓哉も後輩たちから「中居くん」「木村くん」と呼ばれていた。その境界線は80年代後半からと言われるが、今では「くん」づけが普通という常識になっている。
実は、それと似た現象がサッカー界にもある。筆者は25年間、日本代表を取材しているが、平成生まれの選手が増えてきた2010年頃から先輩を「くん」づけする選手が増えてきたのである。最初が誰だったかと言われると定かではない部分があるが、平成生まれ初のA代表選手だった香川真司(ドルトムント)はその筆頭かもしれない。2008年北京五輪代表で一緒だったせいか、2学年上の本田圭佑(メルボルン)のことを「圭佑くん」と呼んでいた。長友佑都(ガラタサライ)とは仲がいいせいか「佑都と呼び捨てにし、岡崎慎司(レスター)にも「オカちゃん」とニックネームで呼んでいるが、こういった現象は彼らより上の世代ではほぼ見られなかった。
例えば、2000年シドニー五輪代表だった面々を見ても、中村俊輔(横浜FC)は2つ上の中田英寿を「ヒデさん」、宮本恒靖(G大阪監督)を「ツネさん」、1つ年上の柳沢敦(鹿島ユースコーチ)を「ヤナギさん」と呼んでいた。中村の1つ下の稲本潤一(相模原)や本山雅志(北九州)が中村俊輔のことを「シュン」と親愛の情を込めて呼んでいたのを聞いたことがあるが、それもある程度、年月が経ってから。異例のケースだったと言っていい。昭和生まれには「先輩をくんづけで呼ぶ」というのは、やはり違和感のあるものだったのではないか。
こうした価値観が香川以降の面々は薄かったようで、2012年ロンドン五輪世代の清武弘嗣(C大阪)、山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(HSV)、宇佐美貴史(G大阪)らは揃って先輩を「くんづけ」で呼んでいた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表の時代にその傾向が一気に進み、2018年ブラジルワールドカップの時点では大半の選手が本田を「圭佑くん」、長友を「佑都くん」と言うようになっていた。最後まで「さんづけ扱い」だったのは、川島永嗣(ストラスブール)と長谷部誠(フランクフルト)の80年代前半生まれの2人くらい。この2人はジャニーズでいうところの近藤真彦や東山紀之だったのかもしれないが、それ以降の80年代後半生まれ世代は「先輩後輩の壁を取っ払って自由にやるのがいい」といった空気が流れていたように感じられる
7/16(火) 6:32 DIME
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190716-00010000-dime-ent
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ジャニー喜多川さんが今月9日に亡くなり、その足跡が改めて注目されている。生まれ故郷・ロサンゼルスで現地のショービジネスに憧れ、歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。たのきんトリオや光GENJI、少年隊、SMAP、嵐などの国民的グループを育成し、売り出した手腕は卓越したものがあった。
そのジャニーさんが定着させたのが「くん」づけだ。同氏の後継者候補の1人と目される滝沢秀明氏が以前、テレビ番組で「大先輩には『さんづけ』をする」と語った通り、近藤真彦や東山紀之には後輩たちも「さんづけ」で呼んでいる。しかし、それ以降の世代は後輩が先輩を親しみを込めて「くん」づけで呼ぶのが一般的のようだ。SMAP時代の中居正広も木村拓哉も後輩たちから「中居くん」「木村くん」と呼ばれていた。その境界線は80年代後半からと言われるが、今では「くん」づけが普通という常識になっている。
実は、それと似た現象がサッカー界にもある。筆者は25年間、日本代表を取材しているが、平成生まれの選手が増えてきた2010年頃から先輩を「くん」づけする選手が増えてきたのである。最初が誰だったかと言われると定かではない部分があるが、平成生まれ初のA代表選手だった香川真司(ドルトムント)はその筆頭かもしれない。2008年北京五輪代表で一緒だったせいか、2学年上の本田圭佑(メルボルン)のことを「圭佑くん」と呼んでいた。長友佑都(ガラタサライ)とは仲がいいせいか「佑都と呼び捨てにし、岡崎慎司(レスター)にも「オカちゃん」とニックネームで呼んでいるが、こういった現象は彼らより上の世代ではほぼ見られなかった。
例えば、2000年シドニー五輪代表だった面々を見ても、中村俊輔(横浜FC)は2つ上の中田英寿を「ヒデさん」、宮本恒靖(G大阪監督)を「ツネさん」、1つ年上の柳沢敦(鹿島ユースコーチ)を「ヤナギさん」と呼んでいた。中村の1つ下の稲本潤一(相模原)や本山雅志(北九州)が中村俊輔のことを「シュン」と親愛の情を込めて呼んでいたのを聞いたことがあるが、それもある程度、年月が経ってから。異例のケースだったと言っていい。昭和生まれには「先輩をくんづけで呼ぶ」というのは、やはり違和感のあるものだったのではないか。
こうした価値観が香川以降の面々は薄かったようで、2012年ロンドン五輪世代の清武弘嗣(C大阪)、山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(HSV)、宇佐美貴史(G大阪)らは揃って先輩を「くんづけ」で呼んでいた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表の時代にその傾向が一気に進み、2018年ブラジルワールドカップの時点では大半の選手が本田を「圭佑くん」、長友を「佑都くん」と言うようになっていた。最後まで「さんづけ扱い」だったのは、川島永嗣(ストラスブール)と長谷部誠(フランクフルト)の80年代前半生まれの2人くらい。この2人はジャニーズでいうところの近藤真彦や東山紀之だったのかもしれないが、それ以降の80年代後半生まれ世代は「先輩後輩の壁を取っ払って自由にやるのがいい」といった空気が流れていたように感じられる
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