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ケガ


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「ケガがなければ…」日本代表の歴史を変えられた“未完の逸材”たち 小野 久保竜彦 小倉 

1: 2020/04/20(月) 17:15:47.67
サッカー日本代表が初めてワールドカップに出場した1998年のフランス大会から20年以上の時が経った。
中田英寿、本田圭佑など、長きにわたって代表チームの中心選手として存在感を放ったプレイヤーがいる一方、
ケガの影響で代表に定着できない選手もいた。

これまで6度ワールドカップに出場している日本代表の最高成績はベスト16だが、「あの選手が万全ならば、もっと上に行けたのでは?」と思わせた選手も少なくない。

そこで今回は、ケガがなければ日本代表の歴史を変えられたであろう、また今後復活して歴史を変えて欲しいプレイヤーを5人選出した。

*  *  *
■久保竜彦

恵まれたスピードに驚異的な跳躍力、日本人離れしたフィジカルに豪快なシュートーー。

まさに“規格外”のストライカーだった。「もし彼がいれば……」の筆頭候補だろう。世界基準の身体能力と技術を持ち合わせていた久保が、度重なるケガに泣かされてしまったことは日本サッカー史に残る悲劇だ。

プロ入り前は無名選手だったが、テストを経てサンフレッチェ広島へ加入すると、2003年に移籍した横浜F・マリノスで大ブレイク。同年のフットボーラー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。
日本代表にはジーコ体制で定着し、2006年ワールドカップ予選では3試合2ゴール1アシストと大活躍を見せたが、その後は慢性的な腰のケガに悩まされ、W杯出場は叶わず。代表キャップは「32」にとどまった。

もし彼がケガに泣かされていなかったのであれば、日本サッカー史も変わっていただろう。そういっても過言ではない、名ストライカーだ。


■小野伸二

先日SNSでトラップ動画が大きな話題を呼んだが、まさに“天才”の名声を欲しいままにした男。
その才能は海外でも絶賛されており、ウェズレイ・スナイデルやロビン・ファン・ペルシーらオランダ代表のレジェンドたちが、こぞって「最も衝撃を受けた選手」に挙げている。

1999年に主力として日本代表のワールドユース準優勝に貢献。黄金世代をけん引する存在として大きな注目を集め、
浦和レッズを経て、2001-02シーズンにオランダの強豪フェイエノールトへ移籍を果たした。名門でレギュラーの座をつかむと、同シーズンにUEFAカップ制覇という快挙も成し遂げている。

フル代表では1998年のフランスW杯で18歳と272日という若さで出場を果たし、2002年日韓W杯では全4試合に出場。
史上初のベスト16進出に大きく貢献した。しかし、1999年のシドニー五輪アジア1次予選では悪質なタックルを受け左膝靭帯断裂の大ケガ。
2003年頃からは何度も負傷離脱を繰り返すようになるなど、その溢れる才能を完全には発揮できなかった印象が強い。

両足での繊細で正確なタッチ、ピッチを俯瞰で見ているかのような視野、豊かなプレービジョン……。
全盛期の彼のレベルに到達できた日本人選手は、未だいないように思われる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200420-00000009-sasahi-socc
4/20(月) 17:00配信

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https://www.youtube.com/watch?v=wVaJub4h0yg


第70回全国高校サッカー 四日市中央工vs帝京【ダイジェスト】

https://www.youtube.com/watch?v=9Plpl0PsrVk


shinji ono ワールドユース in ナイジェリア

https://www.youtube.com/watch?v=PhkYYld9BJo


久保の一撃 日本代表国際親善試合(プラハ) チェコ0-1日本

松木里菜「私の膝の軟骨を移植出来ないのかと」Jリーガー夫の壮絶なケガとの闘い、引退に思いつづる  

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1: 久太郎 ★ 2019/12/14(土) 17:27:02.64 ID:t1qQvmwH9
「チューリッヒ」のテレビCMなどで知られるタレントの松木里菜(35)が14日、自身のブログを更新。今季限りでの現役引退を発表したJリーガーの夫、MF谷口博之(34=鳥栖)へ思いをつづった。

 谷口が川崎Fに在籍していた2009年4月に結婚し、同年8月に誕生した10歳の長男を筆頭に1男2女に恵まれた2人。

 「引退。」のタイトルでブログを更新した松木は「『俺、誰かのためにサッカーを頑張りたいって思ったの生まれて初めてだ』結婚する前に旦那さんが言ってくれた言葉です」と恋人時代に谷口から言われた言葉を明かし「その言葉が私の中の根っことなり結婚をする時に彼のサッカー人生の裏方として影で支えられるよう全力で頑張ろうと心に決めました」と仕事をセーブして家庭に専念することを決めた当時を振り返り「私のわがままを聞き入りれ受け入れてくださった事務所にもチューリッヒ自動車保険様にも本当に感謝しております」とまずは感謝の言葉をつづった。

 そして、膝の手術を4度も受けるなどケガとの闘いが続いた夫のサッカー人生に触れ、捻挫などでは絶対に言わないという「痛い」という言葉を夫がこの2年間は何度か口にしていたことを明かした。「私の『痛い』とは次元の違う痛み。術後何カ月も腫れる膝を見るたびにかわいそうで私の膝の軟骨を移植出来ないのかと何度か言ってみましたがそんなことできず…膝の傷や軟骨にいいと言われる食事をなるべく作る事しかできなくて私ももどかしい日々でした」と夫婦でともに闘った毎日をつづった。

 「『今シーズンで引退しようと思う。』と正式に報告を受けた時最初は、もう少し待ったら?これから良くなるかもよ!?なんてつい言ってしまいましたが唇に力を入れ『…痛いんだよね。100%の力が出せないのに選手ではいられないから』と膝をさすりながら言った彼に、もうそれ以上は言えませんでした」と松木。

 「ステージは変わりますが、今は新しい生活に家族でワクワクしています!これからも変わらず家族で頑張っていきますのでどうぞ宜しくお願い致します」と家族5人で撮った写真を添付して最後まで最愛の夫を労っていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191214-00000167-spnannex-socc

小野伸二が天才でなくなった日。「あのケガで、僕はすべてを失った」 

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/03/10(日) 13:13:39.00 ID:O7fLXtnf9
世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第1回:小野伸二(3)

1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会。U-20日本代表は、歴史的な快進撃を披露して決勝進出を果たした。

1999年4月24日、ワールドユース決勝のスペイン戦。累積警告による出場停止となった小野伸二は、ベンチでひとりだけ白いユニフォームを着て、ピッチで戦う仲間たちへ声援を送っていた。

開始5分、日本はGK南雄太がオーバーステップによる反則を取られてゴール前で間接FKを与えてしまい、早々に先制ゴールを許した。以降、スペインが完全にボールを保持。
シャビを中心としたパス回しに、日本はまったくついていけなかった。おそらく、スペインの支配率は70%を超えていたことだろう。

結局、日本は手も足も出ず、0-4という大敗を喫した。

小野は茫然と試合を見ていた。

「スペイン戦に関しては、日本の選手が力を出し切れていなかった、というのが間違いなくありました。初めての決勝の舞台、しかも相手がスペインということで、少し浮き足立っていた。

ただ、それを差し引いても、スペインはうまかったし、強かった。それまで戦ってきたチームとは違って、選手全員が堂々とプレーしていた。
ピッチ上で)戦った選手はそれを強く感じただろうし、いい経験になったと思うけど、僕は『優勝したかった』という気持ちが強かった。

やっぱり優勝しないと……。負けたら意味がないですし、このチームだったら優勝できるだろうって思っていたので、本当に残念でした」

チームの中には、準優勝で満足している選手もいたし、小野と同様、頂点に立てなかったことに悔しさを露わにする選手もいた。

しかし、当時の日本は前年に初めてワールドカップ(フランス大会)に出場したばかり。
サッカーの世界ではまだ”ひな鳥”みたいな国だった。U-20というカテゴリーではありながら、そんな国の代表チームがFIFA主催の国際大会で準優勝に輝いたのである。それは、世界に大きな衝撃を与えた。

「準優勝できたのは、運がよかったのもある。強豪のアルゼンチンやブラジルが勝ち上がってきませんでしたからね。
くに(優勝するためには準決勝で)ブラジルが勝ち上がってこなければいいな、と思っていたら、本当にそうなった。

あの大会では、自分が考えていることがそのまま現実になることが多くて、そのつど『これはイケるな』と思っていました。

あと、みんなが試合で自分の特徴を出して、力を出し切っていた。大会のベスト11には僕とモト(本山雅志)が選出されましたけど、日本の選手全員が選ばれてもおかしくないくらい、みんないいプレーをしたと思う」

それでも、スペインに圧倒的な差を見せつけられたのは確かだ。それから、小野の気持ちにも大きな変化が生じた。負けず嫌いの本能が喚起されたのだ。

「スペイン戦を終えて、もっとうまくなりたいと思ったし、世界にはまだまだうまい選手がたくさんいるなってことがわかった。それに、ただ楽しいだけじゃなく、もっともっと戦わないといけない、ということも感じた。

じゃあ、それを日本で……というと難しい。海外への意識がそこで生まれたし、(1年後の)シドニー五輪でまた世界と戦いたい、と思っていた。そこに向けては、実際にいい感じでやれていたと思います。あのケガをするまでは……」

http://news.livedoor.com/article/detail/16136135/
2019年3月10日 6時35分 Sportiva

https://www.youtube.com/watch?v=eDNeIN8AdE4


野伸二のサッカー人生を狂わせた最悪なタックル ●コンサドーレ札幌 ●サッカー日本代表

前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1552176614/



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