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1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/01/31(金) 06:38:40.96 ID:TiAHTqtt9
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(2)

1992年8月のダイナスティカップ(現在のE-1サッカー選手権の前身)を直前に控え、日本代表は徐々にまとまりつつあった。

ハンス・オフト監督の気さくな性格が見えてきて、監督と選手が打ち解け始め、また柱谷哲二キャプテンの「まずは監督の言うとおりにやってみよう」との声掛けに、一部の選手たちが賛同していたのだ。

だが、ラモス瑠偉は自分のサッカーを曲げられず、オフトと内戦状態になっていた。ダイナスティカップは、日本にとって非常に重要な大会になる。
柱谷は再度、ラモスのところを訪れ、キャプテンとして話をしにいった。

「この頃、オフトはラモスとぶつかって、鬱陶しいなって感じていたと思う。でも、ダイナスティで結果が出れば、チームはまとまる。ここが勝負どころだと思ったんで、
ラモスに『ここで結果が出なかったら文句を言いましょう。それまでは監督が要求することをやってください』って言いました」

柱谷の言葉をフォローしてくれたのがカズ(三浦知良)だった。

カズは、中学卒業後、単身でブラジルに行き、プロになり、日本に戻ってきた。
ラモスと共に日本代表にプロフェッショナルという新しい血を入れ、アマチュアだった選手のメンタルをプロに昇華させてくれる存在で、ラモスも一目置いていた。
そのカズが「そのとおり、プロは監督に言われたことをやらないといけない。プロってそういうもんだから」と言ったのだ。

92年8月22日から29日まで、中国の北京でダイナスティカップが開催された。

日本はグループリーグ初戦の韓国に引き分けた。だが、続く中国と北朝鮮に勝利してグループ1位。2位韓国と戦った決勝は、2-2からPK戦で勝利し、優勝した。
日本が海外の国際大会で優勝するのは初めてで、柱谷は大きな自信と可能性をチームに感じた。

「前回大会は、韓国、中国、北朝鮮に全敗だった。負けて何もできない状態だったのが2年後に韓国に勝って優勝した。
オフトの言うことを守りつつ、自分たちがプラスアルファでやっていけば十分にやれるんだって自信がついた。
結果が出たことで、みんなオフトについて行くみたいな感じになって、一段と結束力が増した感じだった」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200131-00884980-sportiva-socc&p=1
1/31(金) 6:00配信