Samurai Goal

オシム


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巻誠一郎は経営者で、監督修行中。引退後のアスリートに何ができるか?  

1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/08/24(土) 15:24:57.98 ID:Qee7Kx8v9
猛暑が続く東京都内で巻誠一郎さんに会った。

サッカー選手や元サッカー選手の私服姿に驚くことはないが、巻さんが背負うそのリュックの大きさには目を見張った。今も暮らす熊本から上京したためかと思えば、すでに主な荷物はホテルに置いてきたという。

「結構本を持ち歩いているんですよね」

そう言って見せてくれたリュックのなかには、数冊のサッカー関連の戦術本や指導書などがあり、なかには恩師イビチャ・オシムのものもある。

あとは、ノートですかね。3、4冊は入っています」

そう言うと、A4サイズのいわゆる「大学ノート」を取り出した。

スマホよりノートを愛用する理由。

「現役時代はノートに何かを書くことは、本当にまれでした。オシムさんの時代に練習メニューを残していたくらいで、よくある『サッカーノート』すら書いたことがなかった(苦笑)。
引退してからですね。いろいろなシーンで様々な立場や職種の方とお話する機会が増えて、自分の考えをまとめるためには、一度ノートに書くのが一番だと。頭のなかをスッキリさせられるので。

スマホやパソコンなどに記しても、脳には残らないんです。パワーポイントも同じです。講演会などをさせて頂くこともあるんですが、パワーポイントは一切使わない。
スライドしていくと、脳から一瞬で前の情報が消えてなくなりやすいから。だから、プレゼンでは大事なことをポンとひとつだけ書き示すようにしています」

現役を引退してからまだ1年も経たないが、ビジネスや講演、サッカーなどに分類されたノートは「1カ月で1冊が終わってしまう」というぺースで増え続けている。

1980年熊本生まれの巻は、熊本の大津高校から駒澤大学へ進み、2003年に市原(現・千葉)でプロデビューを果たすと、オシム監督のもとで頭角を現し、2006年ワールドカップドイツ大会メンバー入りを果たした。

2010年夏にはロシアのFCアムカル・ペルミへ移籍。
2011年3月には中国の深セン紅鑽足球倶楽部に加入したものの、同年夏には帰国し、東京ヴェルディに在籍。
2014年からロアッソ熊本へ移籍した。そして、2019年1月現役引退を発表した。

そんな巻さんは今、何をしているのか、そこから話が始まった。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190824-00840453-number-socc
8/24(土) 11:51配信

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https://portal.st-img.jp/detail/4aeaf88eb3546594f5e339e587754675_1566615171_5.jpg
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オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」  

1: Glide Across The Line ★ 2019/07/03(水) 20:52:10.72 ID:ea/N1cM89
オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」
7/3(水) 17:01配信
Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190703-00839901-number-socc

コパ・アメリカの3試合にすべてフル出場したDF冨安健洋。「ボールを扱えるし空中戦も強い」とオシムも期待を寄せる。 photograph by Getty Images
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 イビチャ・オシムに日本対エクアドル戦の話を聞いたのは、試合の翌々日だった。初戦のチリ戦は見たが、日本が引き分けたウルグアイ戦は見ることができなかったオシムは、やはり引き分けに終わり準々決勝進出を逃したエクアドル戦を高く評価している。いったいオシムは、エクアドル戦に何を見たのか。コパ・アメリカでオシムが見出した日本の真実とは何であったのか。オシムが語った。

16番は期待以上の優れた逸材だ。

 ――元気ですか? 

 「ああ、君はどうだ?」

 ――元気ですが、パリはすごく暑いです。

 「この季節に雪は降らないからな(笑)。女子の試合(ワールドカップ・ラウンド16の日本対オランダ戦。ちなみにオシムは日本対イングランド戦はテレビで見ている)は見られなかったが、男子の試合(日本対エクアドル戦)は見た。技術的には悪くなかった。チームが試合を重ねるごとに進化しているのはわかるし、見ていて楽しいチームでもある。しかしこういうプレーをしていたら常にミスがつきまとう。16番の選手は名前を何というのか?」

 ――冨安健洋です。若い選手です。

 「どこでプレーをしているのか?」

 ――シント・トロイデン、ベルギーのチームです。

 「10番(中島翔哉)はどこの所属だ?」

 ――カタールのクラブです。以前はポルトガルでしたが今はカタールです。

 「積極的に仕掛けていたのは良かったがボールを失い過ぎてもいた。仕掛けてはミスを繰り返し、ひとりでプレーしていた。そういう選手なのだろうと思うし、ゴールチャンスも作り出せるのだろうがひとりでは難しい。スピードと俊敏さに秀でているものの小柄で相手をかわし切れず、何度も単独で攻撃を繰り返しボールを失い続けた。

 後方は16番をはじめこれから伸びていきそうな選手が多かった。特に16番は体格に恵まれプレーをよく知っている。(日本人選手全般に)期待していた以上の優れた逸材だ。周囲との連携が申し分なく戦いにも強くボールをよく奪う。

 守備は全員が本当によくやっていた。前線の選手まで含めてしっかりと仕事をこなしていた。それだけで3~4歩の前進だ。もっとかも知れない。エクアドルはそれだけ手強い相手であるからだ。技術も体格もスピードもある。日本はそんな相手に勇気をもって対峙し、最後まで自分たちのプレーを貫こうとした。

 勝利に結びつかなかったのは、終盤に作った少なくとも2度のゴールチャンスを決められなかったからだ。ただそれを批判しても仕方がない。試合の内容はそこまで悪いわけではなく、むしろ良くやったと言えるからだ。特にフィジカル面で自分たちより優れている相手に対して、運動能力でもサッカーの面でも彼らは果敢にトライした。勇気をもって日本は戦いを挑んだ」
以下ソース参照

オシム氏がズバリ!!『ハリルは何でクビになった?』 

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1 2018/09/13(木) 10:02:20.85 _USER9
Jリーグの原博実副チェアマンが元日本代表監督のオシム氏と会談を持った。12日、都内で取材に応じ明かした。

9月頭にオーストリアを訪ね、Jリーグの今後などについてアドバイスをもらったという。「非常にお元気だった。ワールドカップ(W杯)では日本とクロアチアが新しい発見だったとおっしゃっていた」。

ロシアでの日本の戦いや、日本人の良さ、特長など話し合いは食事も挟み約5時間のロングランだったという。その場では「『ハリルは何であのタイミングでクビになったんだ? だけど西野はいい仕事をした』という話にもなった」という。

9/13(木) 7:53配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00328718-nksports-socc

何故ワールドカップで番狂わせが起きたのか?その理由をオシムが紐解く!! 

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1 2018/07/19(木) 21:22:04.03 _USER9
いわゆる強豪国と、そうでない国との実力の差が縮まっているのだ。

一つには、スター選手たちの「疲労度」がある。
各国の長いリーグ戦、欧州チャンピオンズリーグなどW杯直前まで日程がぎっしりで、
身体的、精神的な疲労をリフレッシュできなかったのかもしれない。

格下の国が、相手の長所を発揮させない作戦を研究した成果でもある。

番狂わせは1度までは許されるが、2度続くとドイツのようになる。
一部選手がトルコの大統領選挙に協力して激しい批判にさらされるという、グラウンド外の政治問題もあったが、
サッカーの内容は前回王者らしくないものだった。

2年前の欧州選手権でも番狂わせは起こり、アイスランドなど小国が躍進した。
しかし、ドイツを含む強豪国は、有効な対策(格下国の作戦への対抗策)を立てられないままW杯に臨み、そのツケを支払わされた。

別の角度から見れば、世界のトップレベルが停滞しているとも言える。
W杯で、どんな新しい戦術が登場するか楽しみにしていたが、戦術的イノベーション(革新)は今のところ見られない。

https://worldcup2018.yomiuri.co.jp/news/4215/

世界のサッカーのスピードは進化する!!オシムの見解とは? 

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1 2018/07/18(水) 16:50:59.71 _USER9
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(77)がスポーツ報知に寄稿してきたロシアW杯特別評論は最終回。大会を総括し、世界のサッカーはさらにスピードアップしていくと指摘した。日本代表のロシアでの活躍を喜ぶと同時に愛情ある激励も送り、次期監督には「何かをポジティブに変えたいという野心を持つ人物を求めるべきだ」と希望した。

 ロシアW杯は素晴らしい大会だった。組織・運営はしっかりしていて、ピッチもスタジアムの雰囲気も申し分なかった。モスクワはヨーロッパからも日本からもそう近いわけではない。南米からはさらに遠い。それでも多くのサポーターがロシアを訪れ、W杯を楽しんだ。プレーのレベルも高く、サッカーそのものもとても興味深かった。

 いい大会だったと言えるのは、いくつかの試合が延長戦にもつれ込んだからだ。あるいは終了間際の決勝ゴールなどドラマに満ちていた。延長やPK戦は、90分で決着がつくよりずっとスリリングでサスペンスに満ちている。勝利の喜びも大きいし、負けても何がしかの満足感やカタルシス(精神の浄化)を得ることができる。

 ビデオ判定によりPKが与えられるのもまたスリリングで、サポーターも大いに納得したはずだ。ビデオを確認したレフェリーが判定を下すのを、誰もが息をのんで待っていた。スタジアムが静まり返り、その緊張感は心地よかった。選手にしても隠しごとは一切できないから、ビデオ判定に抗議しても始まらない。

 多くの政治家が大会中にロシアを訪れた。決勝ではロシアのプーチン大統領やクロアチアのグラバルキタロビッチ大統領、フランスのマクロン大統領、過去の名選手たちもピッチ上で選手を祝福した。とても感動的なセレモニーだった。サッカーの素晴らしいイメージを世界に与え、それはおそらくさまざまな政治的な問題を、多少なりとも沈静化させることができるのだろう。サッカーは人々の心を穏やかにする。こうした大会が続いていくようなら、世界は今よりも平和になっていくだろう。

 プレーに関して言えば、総じて適切な方向へと進んでいるように見える。チキ・タカ(バルセロナ流のショートパスをつなぐスタイル)は終わりを告げ、スピーディーで動きにあふれたスタイルが主流となった。

 これからのサッカーはさらにスピードアップしていく。選手自体のスピードも、プレーのスピードもだ。それにはさらなるフィジカルの強化が不可欠で、フィジカルに問題のある選手は、これからのサッカーではプレーができない。

 テクニックも同じで、多くの選手は自分が優れたテクニックを持っていると思い込んでいる。しかしプレーのスピードがアップしたとき、またボールを正確にコントロールしなければならないときに決して十分ではない。さらに技術は向上できるし、それにはもっと練習を積んでいく必要がある。

 サッカーがより面白く進化すれば、スプリントや1対1の局面などにおいて、よりスピーディーになっていく。人々は魅了され、試合を見にスタジアムに通う。静かにだが着実に完成へと向かっている。

 それから、GKももっとプレーに加わるべきだ。GKこそ、さらなるプラスアルファを加えられる唯一の可能性であるからだ。どこが危険であるかを素早く判断してプレーをスタートさせる。日本戦のベルギーの決勝点がそうだった。クルトワのような優れたGKが、どれだけ瞬時に状況を判断したか。

 日本代表はロシアで新たな歴史を築いた。だが成功に浮かれることなく、足元を常にしっかりと見据えて、あまり先走らないことだ。選手にも進歩は必要だ。そして世代交代も。その意味で、長谷部が大会直後に代表引退を表明したのは、タイミングといい、引き際の良さといい、エレガントな引退宣言だった。

 次の代表監督は、少しでもプラスアルファをもたらすことのできる人物―何かをポジティブに変えたいという野心を持つ人物を求めるべきだ。日本人であれ外国人であれ、時間をかけてじっくりと選んでほしい。その監督に、日本のこれからの4年間を託すことになるのだから。(元日本代表監督)=おわり=

https://www.hochi.co.jp/soccer/worldcup/CO034055/20180717-OHT1T50256.html

オシム氏、W杯審判の判定に苦言!!『強豪国やスター贔屓が残念だった』 

osim1
1 2018/07/15(日) 19:13:04.48 _USER9
「このワールドカップがいい大会だったといえるのは、多くの試合が延長戦にもつれ込んだからだ。あるいは試合終了間際の決勝ゴールなどドラマに満ちていた。サッカーにカタルシスを求められないのであれば、試合を見ても仕方がない。何もせずに大人しくしていた方がいい」

「モスクワはヨーロッパからも日本からもそう近いわけではない。それでも多くのサポーターがロシアを訪れ、ワールドカップを楽しんだ。組織・運営はしっかりしていて、ピッチもスタジアムの雰囲気も素晴らしかった。 
プレーのレベルも高くとても興味深かった。

 レフェリーの技術も向上しているが、サッカー大国やビッグスターへの判定と、いわゆる小国に対する判定に今も隔たりがあるのは残念なことだ。そこはFIFAがこれから改善していかねばならないことだ。

 今のところ……総じてサッカーは適切な方向へと進んでいるように見える。
“ティキタカ”は終わりを告げ、スピーディで動きに溢れたスタイルが主流となった。 それでは、サリュウ」

――メルシー、イバン。

http://number.bunshun.jp/articles/-/831346?page=2

オシム氏“西野JAPAN”を分析!!『パスサッカーに可能性あり』 

osim
1 2018/06/14(木) 12:02:37.65 _USER9
 サッカーW杯ロシア大会が14日に開幕する。日本代表は12日、ロシアW杯前最後の強化試合をパラグアイと対戦し、4―2で勝利した。西野朗監督(63)就任後3試合目の初白星。スポーツ報知に日本戦全試合の特別評論を寄稿する元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(77)がパラグアイ戦を分析し、西野ジャパンの「パスサッカー」に可能性を見いだした。

 西野ジャパンはパラグアイ戦で大きな進化を遂げた。

 前半はためらいがちで、成り行きを見守る様子があり、運悪く失点を喫した。展開がそうなるとちょっと難しい。特にワールドカップでは先制を許すと致命的である。だが、後半は攻撃的になり、得点も決めたうえにいくつかの決定機を作った。これまでよりずっと危険でアグレッシブ(積極的)であることを知らしめた。

 パラグアイのようなチームには、のど元にナイフを突きつけるような戦い方をするべきではない。よく頭を働かせて、相手と同じように慎重になるべきだ。彼らは待ち構えてカウンターの機会をうかがっている。それに対処しながら、同時に自分たちが危険な存在であることを示す。待っているだけではチャンスは訪れず、試合に勝てないからだ。そこのバランスが難しい。

 ゴールはいずれも素晴らしかった。とりわけ1点目は素晴らしい位置取りから、乾がループ気味のシュートをゴールの隅に放ち、キーパーは触ることができなかった。日本が実践するチキタカ(バルセロナ流のショートパススタイル)は、実は私はもう時代遅れだと思っていた。バヒド(ハリルホジッチ前監督)の実践する縦に速いスタイルが、今は世界の主流であるからだ。

 だが、ワールドカップでは、それが本当に過去のものかどうかが分かる。そして日本に関しては、とても合ったスタイルであるといえる。相手も守りにくく、このやり方で日本は機動性に富んだアグレッシブなプレーができる。

 課題としては、もっと効率をあげること。パスやコンビネーションはより確実にすることができるし、ゴール前の決定力もまだ足りない。本番までの1週間の練習で上げていくしかない。

 また守備も、細かいミスが目立った。とはいえ西野監督はどう守ったらいいかよく分かっているはずで、これも改善されるだろう。

 いずれにせよパラグアイ戦は、日本がこれからもっと良くなっていくことを示した試合だった。コロンビアはじめ対戦相手も日本を十分に警戒するだろう。

 選手にとっても自信の回復になる試合だった。しかし、あまり先に行き過ぎてはいけない。自信を持ち、勇気が得られたとしても、相手を軽視すべきではない。初戦のコロンビアは厄介な相手だ。経験豊富で抜け目のない選手たちが、技術と個の力を発揮する成熟したチームで、FIFAランキングの上位に常に位置するのは決して偶然ではない。

 日本は勝ち点1でも悪くはないが、もしも勝てば大きな風が吹く。それにはパラグアイ戦のように、シリアス(真剣)にプレーして、よく走る。全員が勇気を持って攻め、相手のカウンターを警戒しながら時に抜け目のなさも発揮する。

 岡崎は、以前に比べ機動力が少し落ち、ゴール前のクオリティーも欠いていた。しかしコンディションは上向きのようで、彼が良くなれは周囲もプレーしやすくなる。

 香川も同様で、本来はもっとずっと危険な選手でチームに与える影響も大きい。2人の調子が上がれば、乾が何をしてくるか相手に予想がつかないだけに、3人の絡み合いは攻撃の基軸として面白いものになる。

 パラグアイ戦では出番のなかった本田も、難しい状況では頼りになる選手だ。日本が彼を必要とする場面は出てくるだろう。

 勇気を持つのも、自分に自信を持つのも、すべては頭の中で生じることだ。頭の中がすべてと言ってもいい。そして相手も頭の中で同じことを考えている。だからこそそこで負けることなく、強い気持ちをもって戦いに臨んでほしい。(元日本代表監督)

スポーツ報知 6/14(木) 6:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180614-00000000-sph-socc

オシムジャパン、「日本化」の枠を超えていた野心。格上の相手をも圧倒しうる、リスク冒す戦い 

1: 名無しさん 2016/09/28(水) 21:24:36.55 ID:CAP_USER9
日本サッカーの「オシム化」

 イビツァ・オシム監督は就任時に「日本サッカーを日本化する」と言った。しかし、日本にすでにあるプレースタイルを尊重するという意味ではなかったようだ。簡単に言ってしまえば、オシム監督が行ったのは日本の「オシム化」である。同じように、ジーコ監督はジーコ化ないしブラジル化であり、その前はトルシエ化だ。どの監督も素材(選手)の特徴を最大限に引き出そうとするわけだが、とりあえず自分の型に入れている。

 オシム監督の戦術は特殊な部類だった。アルゼンチンやチリを率いたマルセロ・ビエルサ監督、現在ではセビージャのホルヘ・サンパオリ監督と似ている。この型のサッカーをやるチームは極めて少なく、「日本化」されているはずの選手が最初に感じたのは違和感だったはずだ。

 守備は基本的にマンツーマン。しかも前方からハメ込んでいく。70年代には主流だったが、オシムが代表監督になった時期にマンツーマン・ベースで守るチームはほとんどなかった。04年のユーロで優勝したギリシャ、60年代から同じ戦術で通してきたギー・ルー監督のオセール(フランス)ぐらいである。その意味では、マンツーマンは時代遅れだった。しかし同時に先進的だったともいえる。

 80年代末にACミランが始めて、00年代にはほぼ世界中に普及したゾーンディフェンスは、08年ユーロでのスペインの優勝を境に「ゾーンの隙間」を浸食されるという危機に直面する。ところが、マンツーマンで守れば「隙間」はない。スペインとバルセロナの登場で世界的に抱えることになる難題が、最初から存在しない。


「考えて走る」の真意

 敵陣内でプレッシングを行うにもマンツーマンは適している。ただし、1人がマークを外されてしまうと玉突き的にズレてしまう弱点があり、何より守備の重点地域を確定できず守備範囲が広すぎる。多大な運動量が要求され、それ以上にリスク管理の速さと的確さが求められた。

 例えば、マンマークと言ってもリベロを1人余らせているから、1対1のマッチアップを10個作れるわけではない。相手の誰か1人はフリーになる。フリーにしていい相手は誰か、あるいは同数で守るべきかどうかを的確に判断しなければならない。

 抜かれてしまったときのカバーをどうするか、プレスを外されたときは、マークを引き連れてスペースを空けようとする相手にどう対処するか……オシム監督は「走る」をテーマに掲げていたが、実は走る以上に「判断力」が重要だった。

 オシムのサッカーは「考えて走るサッカー」と形容されていたが、そもそもサッカー選手が走るときは何かの意図がなければ走れない。無目的に走る選手はいないので、「考える」と「走る」はどうしたってセットなのだ。

 しかし、間違えて走る選手もいる。チームの中心だった遠藤保仁は、「オシムさんのときの代表が一番やりにくかった」と話している。これは初期段階で、やみくもに走る選手が多かったからだろう。

 オシム監督の練習は「多色ビブス」が有名になったように、常に判断力を問うもので占められていた。「考える」は「走る」と並んでこの型のサッカーに必須であり、的確な判断によるリスク管理は重要なカギだった。

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オシムジャパンの戦術的先進性。「日本サッカーの日本化」。可変システムとアジア仕様の使い分け 

1: 名無しさん 2016/09/14(水) 10:49:33.76 ID:CAP_USER9
「日本サッカーを日本化する」

 2006年ドイツワールドカップの後、イビツァ・オシムが日本代表監督に就任。それまでの監督の中では、最も実績のある人物だった。オシム監督の名を高めたのはジェレズニチェル、シュトルム・グラーツといった中小規模のクラブチームでの実績だ。

 ユーゴスラビア代表を率いてのベスト8(1990年イタリアワールドカップ)という華々しい戦績があり、旧ユーゴとギリシャのビッグクラブであるパルチザン・ベオグラード、パナシナイコスを率いたこともある。

 しかし、オシムの手腕が発揮されたのは中規模クラブのほうだ。ユーゴもワールドカップでは中堅であり、Jリーグでのジェフユナイテッド市原・千葉もしかり。その点で、当時FIFAランキング40位あたりの日本を率いるにはうってつけの監督だったかもしれない。

 オシム監督は就任会見で「日本サッカーを日本化する」と話している。世界標準を周回遅れで追いかけるのではなく、持っている素材を生かして独自の道を歩もうという姿勢は前任のジーコと同じだ。マンマーク寄りの守備戦術も似ていた。ただし、オシムとジーコは似て非なるものといっていい。もちろん、その前のトルシエ監督とも違っていた。

 トルシエは「戦術は60パーセント」と話していた。しかし、その60パーセントに関しては100パーセントを要求している。細かい約束事を徹底させ、選手は選択の余地なくそのとおりにやらなければならなかった。ジーコは約束事自体を選手間の話し合いで作ろうとしていた。トルシエとは対照的なアプローチだ。

練習は設問の連続。「正解」を与えない

 オシム監督はトルシエ方式と違って「正解」は与えない。練習はいわば設問の連続だった。問い詰めるように状況を設定して、選手に考えることを強要した。自分たちで答えを出しなさいというところはジーコと似ているが、考えなければいけない状況を作って強制的に考えさせている。

 例えば、就任緒戦のトリニダード・トバゴ戦ではメンバーだけ発表してフォーメーションもポジションも指示しなかった。練習段階でそれなりの準備はしていたしヒントも与えていたが、決定は選手に委ねている。自分たちで考えなさいと言うだけでなく、考えられるような訓練をするのがオシム流だった。

 ちなみに、オシム監督はマルセロ・ビエルサ監督とよく似ていると思う。マンツーマンの厳しい守備、切り替えの速さ、多大な運動量とインテンシティ……格上のチームに対しても攻撃的な姿勢を変えず、ときどき強豪を圧倒して勝つ。守ってしのいでのジャイアントキリングではなく、圧倒して勝ってしまう。そういう希有な特徴を持つフットボールだ。

 ただ、練習方法は正反対。ビエルサはドリル方式、いわば正解を先に出してしまうトルシエと同じやり方だが、オシムは正解を出す過程を重視する。ところが、やり方は正反対なのに出来上がったチームは非常によく似ていた。

 オシム監督は2007年アジアカップでベスト4の後、12月に脳梗塞を発症して退任してしまった。アジアカップは同等ないし格下の相手にいかに勝つかを問われる大会だが、ワールドカップは格上をいかに食うかが焦点になる。オシム監督が得意としていたのは後者のほうなので、本領発揮の前に退任となったのは残念だった。

就任後の7試合、守備はマンツーマンで守っていた。この間、海外組は招集せず国内の選手で編成している。フォーメーションは3バックが多かったが、オシム方式は相手によって形が変わる。相手が2トップなら3バック、1トップ(3トップ)なら2バック(4バック)。フォーメーション変化のキーマンが阿部勇樹だった。

 2トップ対応のときは阿部がFWの1人をマークして3バック、1トップならMFとしてプレーした。阿部がDFになるときにはアンカー役を鈴木啓太がこなす。つまり、この可変式システムでは守備力のあるMFが2人必要になる。2人のCBとSB、阿部、鈴木の計6人が後方部隊だ。

 前方は1トップ+3人の攻撃的MF、あるいは2トップ+2人の攻撃的MFの編成である。おそらく、これがワールドカップを想定した形だったのではないか。しかし、アジアカップでは編成を変更していた。

 阿部をCBに下げ、ボランチには鈴木と中村憲剛を起用。3バックもほとんど使わなかった。アジアカップでは可変式を使わず、そのかわり中村俊輔、中村憲剛、遠藤保仁のプレーメーカー3人を共存させた。「エキストラキッカーは1人ないし2人」と話していたオシム監督だったが、3人を同時起用したわけだ。
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イビチャ・オシムが語る当時の日本代表「コンパクトで本物の自信作だった」 

1: 名無しのSamurai
イビチャ・オシムが語る当時の日本代表「コンパクトで本物の自信作だった」
http://sports.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2015/columndtl/201507040004-spnavi?page=1
 元サッカー日本代表監督であるイビチャ・オシム氏にとっての日本とのファーストコンタクトが、ユーゴスラビア代表として出場した1964年の東京五輪だというのはよく知られている。氏は瞳を輝かせながら、当時の思い出を饒舌に語る。

「東京に行った時には、いろんなお土産を買ったな。(当時、婚約中だった)妻には日本人形と着物を買った。今でも彼女は時々、それを家の中で着ているんだ(笑)。オリンピック村には、さまざまなスポンサー企業が店を出していて、そこでトランジスタラジオや真珠も買ったよ。(当時のユーゴでは)見られないものばかりが、そこにはあった」

 その後、91年にパルチザン・ベオグラードの監督として、2002年のワールドカップ(W杯)にFIFA(国際サッカー連盟)の技術委員会スタッフとして来日。そのたびに日本サッカーの発展を目にしてきたオシム氏が、数々の魅力的なオファーを断って03年にジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に就任したのは(少なくとも当人にとっては)極めて自然の成り行きであった。そしてまた、千葉での実績を認められ(そのプロセスには明らかに問題があったものの)日本代表の新監督に就任したのもまた、W杯ドイツ大会での惨敗に打ちひしがれていたサッカーファンにはうれしいニュースであった。

 それだけに、オシム氏が志半ばで病に倒れたのは極めて残念であり、「もしもオシム監督率いる日本代表が南アフリカで戦っていたら」という想いを今も密かに抱えている人は決して少なくないのではないか(かくいう私もそのひとりだが、だからといって後任の岡田武史氏が果たしたベスト16という結果を否定するつもりは毛頭ない)。今回のインタビューでは、まずこのテーマについて当人に語っていただくことにした。

宇都宮徹壱
2015年7月13日 10:40
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