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【今日は何の日?】2002年6月9日:日韓W杯、日本代表vsロシア代表
稲本のゴールに歓喜するトルシエジャパンの面々。横浜国際に駆けつけた6万6000大観衆を熱狂させた。(C)Getty Images

 日本中を熱狂の渦に巻き込んだ2002年のFIFAワールドカップ日韓大会から、はや21年が経つ。


 1998年のフランス大会で念願のワールドカップ初出場を成し遂げた日本代表は、3戦全敗でグループリーグ敗退。それまでのワールドカップ史上、1回戦あるいは同リーグで開催国が敗退した例はなく、地元開催の2002年大会には威信が懸かっていた。そして、同リーグ突破を大きく引き寄せる1勝、ワールドカップ初勝利が生まれたのが、6月9日のことだった。

 5日前のベルギーとの初戦を2-2と引き分け、ワールドカップ初勝点を記録した日本が、横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)で顔を合わせたのはロシア。初戦でチュニジアを難なく2-0で下していたロシアに負けるようなことがあれば、16強入りへ雲行きが怪しくなりかねない。試合前日の記者会見でフランス人のフィリップ・トルシエ監督は「負けないことが大事。少なくとも勝点1を得たい」と控えめに話していた。

 ロシア戦に出場した日本のメンバーは、GK:楢﨑正剛、DF:松田直樹、宮本恒靖、中田浩二、MF:明神智和、戸田和幸、稲本潤一(85分:福西崇史)、小野伸二(75分:服部年宏)、中田英寿、FW:鈴木隆行(72分:中山雅史)、柳沢敦。初戦で左足を負傷した森岡隆三に代わって宮本がディフェンスラインの中央に入り、右のウイングバックに粘り強い守備に定評のある明神を起用したのが、ベルギー戦からの変更だった。
 
 キックオフの笛が鳴ると、日本は積極的にプレスを掛けてこの試合に懸ける意気込みを示す。ロシアもこれに対抗して主導権争いが続くなか、前半はスコアレスで終了。明神はサイドでイゴール・セムショフを警戒するだけにとどまらず、中央でボランチのカバーリングも精力的にこなし、左サイドの小野はロシア攻撃の起点となるヴァレリ・カルピンへの抑止力となって、決定機を作らせなかった。

 均衡が破れたのは後半開始から間もなくの51分。左サイドから中田浩が上げたクロスをペナルティーエリア内で柳沢が落とすと、そこに待っていたのは稲本。「オフサイドかとも思った」と稲本は振り返ったが、「あとはゴールに入れるだけ」という丁寧なパスを、右足を振り抜いてゴール上右隅に決めた。ベルギー戦に続く2試合連続得点だった。

 その後はロシアの攻勢が増した。肝を冷やしたのは58分。その1分前に交代出場したブラジーミル・ベスチャツニフが楢﨑をかわして無人のゴールにシュートを放ったが、腰が十分に切れず、ボールはサイドネットに飛んで日本は難を逃れた。最後尾では大会前の練習試合で鼻骨を折った宮本が、黒いフェースガードを着けてしっかりとコントロール。「守備ラインを深くして、リスクを冒さないように心掛けた」(宮本)。

 一方で、71分には中田英のミドルシュートがクロスバーを叩く場面もあり、ロシアに脅威を与えていた。

テレビ視聴率66.1%! いまだ破られていない「歴代最高」

 シュート数では9-15と下回った日本だが、最後まで集中を切らすことなく虎の子の1点を守り切って1-0の勝利。ワールドカップ通算5試合目にして、歴史的な初白星をものにした。トルシエ監督は「この勝利は日本全体に大きな自信を与えた」と、影響力の大きさに胸を張った。ロシアのオレグ・ロマンツェフ監督は「前半は試合を支配できなかった。後半は何度かチャンスを作ったが、日本に運があった」と肩を落とした。

 6万6108人の観客で埋まったスタンドは、ロシア戦勝利を告げるホイッスルが鳴り響くと、大歓声が上がり「ニッポン」コールが巻き起こった。競技場近くの新横浜駅周辺では、深夜に「約五百人のサポーターらが騒ぎ、数百人の警察官が出動」(読売新聞、6月10日朝刊)したという。また、ロシア戦のテレビ視聴率はビデオリサーチ公式ホームページによると66.1%で、これはサッカーの歴代最高視聴率として現在もその座をキープしている。

 ロシア戦から5日後のチュニジア戦も2-0と連勝した日本は、2勝1分けのグループ首位でラウンド・オブ16進出を果たした。しかし、トルコに0-1の苦杯を喫して、ベスト8には手が届かなかった。以来、その壁を突破できずにいる。

文●石川 聡 



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