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アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表は2010年に発足し、2014年ブラジルワールドカップをもって終焉を迎えた。その間、様々な選手が名将の下でプレー。本田圭佑や香川真司らが存在感を放った。一方で、活躍できなかった選手もいる。今回は、ザックジャパンにおいて輝けなかった5人の選手を紹介する。

DF:田中マルクス闘莉王

生年月日:1981年4月24日
日本代表成績:43試合8得点
ザックジャパン成績:0試合0得点
 
 2010年の南アフリカワールドカップで、岡田武史監督率いる日本代表はベスト16進出を果たした。その原動力となったのが中澤佑二、そして田中マルクス闘莉王によるセンターバックコンビ。パワフルさと高さを兼ね備えたこの両者は、同大会4試合でわずか2失点という堅守を築き上げている。

 闘莉王は南アフリカW杯終了後から日本代表に招集されなくなった。しかし、日本代表が2013年3月に行われたブラジルW杯アジア最終予選のヨルダン代表戦で1-2と敗戦。さらにコンフェデレーションズカップで失点が積み重なったこともあり、当時名古屋グランパスで守備の要としてだけでなく、FWとしても存在感を示していた闘莉王のザックジャパン招集が期待されるようになった。実際、当時にはアルベルト・ザッケローニ監督が闘莉王の招集を示唆したとも伝えられていた。

 しかし、最終的に闘莉王がザックジャパンでプレーすることはなかった。当時のCB陣にはディフェンスラインを高く保つことが求められていたため、最終ライン中央に立つのは背後のスペースをしっかりとカバーできる人材が好ましかった。だからこそ、スピードに難のある闘莉王は、待望論が高まる中でも最後までザックジャパンに縁がなかったと考えられている。

FW:佐藤寿人

生年月日:1982年3月12日
日本代表成績:31試合4得点
ザックジャパン成績:0試合0得点
 
 サンフレッチェ広島でエースの座に君臨した佐藤寿人は、ジーコ監督の下で日本代表デビュー。その後、イビチャ・オシム監督、岡田武史監督の下でもコンスタントに招集を受けた。しかし、南アフリカワールドカップ後に就任したアルベルト・ザッケローニ監督には、全く目を向けられなかった。

 広島で調子を落としていたわけではない。とくに2012シーズンはチームの年間優勝に貢献し、個人としては得点王とJリーグMVP、さらにベストイレブンを受賞するなど、代表招集を受けるに相応しい大活躍をみせていた。しかし、同年に日本代表選出を果たしたのはわずか1回のシリーズのみ。それも、前田遼一の負傷離脱に伴う追加招集という形であり、出番が訪れることはなかった。

 佐藤はその後も広島で得点を量産したが、相変わらずザッケローニ監督の心は揺れず。2013年には国内組中心で臨むE-1サッカー選手権が開催されたものの、ここですらJリーグを代表するFW佐藤が呼ばれることはなかった。高さ不足、戦術にフィットしないなど、不遇となった理由は様々考えられるが、いずれにしてもクラブでの活躍ぶりがここまで報われない選手は珍しいと言えるだろう。

FW:大久保嘉人

生年月日:1982年6月9日
日本代表成績:60試合6得点
ザックジャパン成績:7試合1得点
 
 セレッソ大阪でプロデビューを飾った大久保嘉人は、その後マジョルカ、ヴィッセル神戸、ヴォルフスブルクなど様々なクラブでプレー。日本代表はジーコ監督の下でデビューを飾っており、岡田武史監督の下では南アフリカワールドカップ出場を果たしている。ここでは主力として、ベスト16入りに貢献していた。

 ザックジャパンに初めて名を連ねたのは2012年2月に行われたキリンチャレンジカップでのこと。それ以降しばらくは代表から遠ざかっていた。しかし、2013年に移籍した川崎フロンターレで大活躍したことで、なんとブラジルワールドカップメンバーに選出。「サプライズ選出」として、当時は日本中のサッカーファンを驚かせていた。

 その大久保は本大会で全3試合に出場。ギリシャ代表戦とコロンビア代表戦はスタメンだった。しかし、今までザッケローニ監督の下で連係を高めてきた選手と、ザックジャパンでの経験が少ない大久保とではなかなか歯車が噛み合わず。日本代表の攻撃は軟弱なものとなっていた。結局、ザックジャパンは3戦未勝利でグループリーグ敗退。大久保の輝きは残念ながら見られなかった。

FW:豊田陽平

生年月日:1985年4月11日
日本代表成績:8試合1得点
ザックジャパン成績:4試合0得点
 
 豊田陽平の名が広まったのは、サガン鳥栖時代だろう。2011シーズンに23得点をあげてJ2得点王になり、他クラブから注目を集めると、翌2012シーズンには19得点をマークしJ1得点ランキングで2位にランクイン。自身初のJリーグベストイレブンに選出されるなど、大きく羽を広げていた。

 その活躍が認められ、豊田は2013年のE-1サッカー選手権でアルベルト・ザッケローニ監督から招集を受けることに。日本代表デビュー戦となったオーストラリア代表戦ではいきなり2アシストをマークし3-2勝利に貢献するなど、アピールに成功している。その後、豊田は2013年8月開催のキリンチャレンジカップ2013、翌2014年開催のキリンチャレンジカップ2014にも日本代表として出場している。ブラジルワールドカップメンバー選出の可能性もあった。

 しかし、185cmの巨漢FWはブラジルW杯メンバーには選ばれず、予備登録に回った。2列目の本田圭佑や香川真司らを活かすポストプレーヤーという意味で豊田は申し分なかったが、アルベルト・ザッケローニ監督は単に身長のある選手ではなく、2列目の選手とより相性の良かった柿谷曜一朗や大迫勇也をFW枠に選出したのである。結局、豊田はザックジャパンで無得点に終わるなど、輝ききれなかった。

MF:中村憲剛

生年月日:1980年10月31日
日本代表成績:68試合6得点
ザックジャパン成績:18試合1得点
 
 川崎フロンターレでJリーグ屈指のMFに成長した中村憲剛は、イビチャ・オシム監督の下で日本代表デビュー。岡田武史監督の下では南アフリカワールドカップメンバーに選出されており、ラウンド16のパラグアイ代表戦に出場している。そして、岡田監督の後を継いだアルベルト・ザッケローニ監督の下でも、コンスタントに招集を受けることになった。

 ザックジャパンにおける中村はボランチだけでなく、トップ下でもプレーした。2011年10月のブラジルW杯・アジア3次予選のタジキスタン代表戦では1得点3アシストの大活躍を果たしている。しかし、当時のトップ下には本田圭佑という絶対的な存在がおり、ボランチには長谷部誠や遠藤保仁らがいた。そのため中村は招集こそされるが、あまり多くのプレー機会を得ることができていなかった。

 その中村は2013年のコンフェデレーションズカップ終了後、日本代表に招集されなくなった。長谷部、遠藤、青山敏弘、山口蛍が名を連ねたため、ブラジルW杯メンバーからも落選。予備登録メンバーに回っているなど、ザックジャパンではあまり自身をアピールできなかった。



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