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若くして才能を披露して高く評価された選手が、そのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみコンディションを落とす選手がいれば、ピッチ外での問題で活躍の場を失っていく選手も多い。今回は大きな期待を背負いながらも、大舞台から姿を消した5人の韓国人選手を紹介する。

FW:パク・チュヨン

生年月日:1985年7月10日
主な在籍クラブ:FCソウル、ASモナコ、アーセナル
現所属クラブ:蔚山現代

 パク・チュヨンは、デビュー当時から凄まじい活躍を見せていた。2005年に加入したFCソウルでプロデビューを飾ると、同シーズンに新人王を獲得。また、同年に行われたワールドユースに出場すると、翌年のドイツワールドカップに臨む韓国代表メンバーに選出され、同大会ではグループリーグの第3戦スイス戦で先発出場を果たしている。

 その後、2008年にフランスの名門モナコへ加入したパクは、リーグアン初挑戦ながら31試合5得点7アシストを記録し、一気に主力へ駆け上がった。だが、2010/11シーズンにモナコは降格となってしまったため、移籍を志願。リールへの移籍が目前に迫っていたが、メディカルチェックをキャンセルし、アーセナルへ電撃移籍することとなった。

 しかし、アーセナルでは出場機会を得ることができず。2011/12シーズンのリーグ戦出場はわずか1試合のみで、公式戦6試合の出場に終わってしまった。その後、2012年8月にレンタルでセルタへ加入すると、ラ・リーガで韓国人選手初ゴールを決めるなど、リーグ戦21試合で3得点を記録。翌シーズンにアーセナルへ復帰するも、居場所を築くことはできず、2014年1月にワトフォードへレンタル移籍に出されている。

 2014年6月にパクは契約満了によりアーセナルを退団し、同年10月にサウジアラビアのアル・シャバブ・リヤドへプレーの場を移した。だが、加入後わずか4ヶ月で契約解除となり退団。2015年からはプロデビューを果たしたFCソウルでプレーし、2022年に蔚山現代へ移籍している。

 パクは、2度目の五輪出場となったロンドン大会では銅メダル獲得に貢献し、ワールドカップ出場は3回を誇る。若くして期待され、アーセナルも認めた才能の持ち主だが、現在のソン・フンミンのように欧州で輝けたかと言えばそうではない。期待が大きかっただけに、周囲の落胆も大きかった。

MF:パク・チョンウ

生年月日:1989年3月10日
主な在籍クラブ:釜山アイパーク、アル・ジャジーラ
現所属クラブ:釜山アイパーク
 
 パク・チョンウはU-23韓国代表としてロンドン五輪に出場。6試合中5試合に出場し、韓国の銅メダル獲得に貢献した。だが、日本代表と対戦した3位決定戦の試合後の行動が問題となった。

 パクは日本代表戦の後、上半身裸になり国旗の太極旗とともに「独島(竹島)は我々の領土」と韓国語のメッセージを掲げた。この行動に対して国際オリンピック委員会(IOC)と国際サッカー連盟(FIFA)が調査に乗り出した結果、同選手には国際Aマッチ2試合の出場停止と罰金処分が下された。

 釜山アイパークでプロデビューを果たしたパクは、2014年に中国・スーパーリーグの広州富力(現広州城)に加入。翌年に移籍したUAEのアル・ジャジーラでは加入1年目から公式戦30試合に出場し、AFCチャンピオンズリーグ(CL)でもプレーした。その後、UAEのエミレーツ・クラブを経て2018年に水原三星ブルーウィングスに加入し、現在はプロデビューを飾った釜山アイパークでプレーしている。

 ロンドン五輪後の2012年10月、パクはイラン代表とのワールドカップアジア予選でA代表デビュー。A代表でキャップ数を重ね、2014年に行われたブラジルワールドカップに臨む韓国代表メンバーに選出された。だが、同大会後は代表から遠ざかり、2017年10月に行われた親善試合で3年ぶりに代表復帰するも、それ以降代表ではプレーしていない。

FW:チェ・ソングク

生年月日:1983年2月8日
主な在籍クラブ:蔚山現代、柏レイソル
現所属クラブ:なし
 
 2004年に行われたアテネ五輪の韓国代表で10番を背負ったチェ・ソングクは、かつて”リトルマラドーナ”と呼ばれ、将来を期待されていた。卓越された技術によるドリブルが武器で、この世代の韓国代表の中でも群を抜いていたという。

 そんなソングクは、2003年に蔚山現代に加入。2005年に柏レイソルへレンタル移籍でやってきたが、J1リーグ出場はわずか8試合に終わり、半年で蔚山現代に復帰となってしまった。その後、ソングクは2007年に城南一和に移籍。同年10月に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝2ndレグの浦和レッズ戦で同点ゴールを決めたが、PK戦で失敗してしまい、チームは準決勝敗退となった。

 ソングクはその後も韓国でプロキャリアを続けていたが、2011年10月に八百長に関与していたことが発覚。大韓サッカー協会(KFA)から永久追放処分を言い渡され、さらに懲役10ヶ月、200時間の社会奉仕活動を科された。

 それでも、2012年にマケドニアのラボトニツキと契約。再びプロキャリアを歩むと思われたが、国際サッカー連盟(FIFA)により全世界のプロリーグでのプレーを禁止され、事実上の永久追放となってしまった。これにより、当然ラボトニツキを退団。また、2013年12月には飲酒運転の疑いで逮捕されたと報じられた。ソングクはアテネで背番号10を背負った逸材だったが、八百長に関与したことでFIFAからも見放されてしまった。

FW:キム・ヒョンソン

生年月日:1989年9月27日
主な在籍クラブ:FCソウル、清水エスパルス、城南FC
現所属クラブ:慶州韓国水力原子力FC
 
 FCソウル下部組織出身のキム・ヒョンソンは、2009年にトップチームに昇格したが出場機会を得られず、翌年に大邱FCへ移籍した。2012年8月には清水エスパルスへレンタル移籍すると、韓国代表コーチ経験のあるアフシン・ゴトビ監督の下で途中加入にもかかわらず主力に定着。186cmの長身を活かしたポストプレーやセットプレーで強さを発揮し、J1リーグで12試合3得点1アシストを記録した。

 そんなキムは、2012年に行われたロンドン五輪に出場。3位決定戦の日本代表戦に途中出場し、韓国代表の銅メダル獲得に貢献した。しかし、A代表ではチャンスがもらえず、欧州の舞台へも行くことができなかった。

 2016年にはプロデビューを果たしたFCソウルを離れ、釜山アイパークへ完全移籍。2019年からは城南FCでプレーしていたが、2022年1月以降は無所属の期間が続き、2023年1月に韓国3部リーグの慶州韓国水力原子力FCに加入している。

MF:ペク・チフン

生年月日:1985年2月28日
主な在籍クラブ:蔚山現代、水原三星ブルーウィングス
現所属クラブ:現役引退
 
 高校時代から数々のタイトルを獲得してきたペク・チフンは、2003年に全南ドラゴンズへ加入。その後、FCソウルを経て2006年7月に水原三星ブルーウィングスへ移籍すると、同クラブで長きに渡ってプレーし、4つのタイトル獲得に貢献した。水原三星在籍時には、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に出場し、幾度となくJリーグ勢と対戦している。

 各年代別の韓国代表に選出されていたペクは、2005年に行われた東アジアサッカー選手権2005(現EAFF E-1サッカー選手権)の日本代表戦で韓国代表デビュー。日本代表戦で強さを発揮したことで“日本キラー”とも称された同選手は、21歳の時に2006年のドイツワールドカップメンバーに名を連ねた。だが、同大会後は代表から遠ざかることに。2010年8月に行われたナイジェリア代表との親善試合で約4年ぶりに韓国代表復帰を果たしたが、同試合以降は代表でプレーすることがなかった。

 端正な顔立ちからイケメンKリーガーとしても有名で、2008年には元アイドルで女優のパク・スジンと交際していたことが報道されるなど、ピッチ外で話題になることもあった。そんなチフンは、2019年に香港で現役を終えている。若くから期待されていただけに、残念な逸材となってしまった。 



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