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 Jリーグは今季、発足から30周年を迎え、J1は17日、J2は18日、J3は3月4日に開幕する。リーグ初年度の1993年に静岡・東海大一高から清水に加入して以来30年、J一筋でプレーし続けているJ3沼津のMF伊東輝悦(48)がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じた。J1からJ3まで全カテゴリーを歩んできた男がリーグへの思いを語った。(取材・構成=武藤 瑞基)

  18歳でプロの道に入った伊東は、48歳の今も変わらず走り続けている。

 「(30周年の)特別な感情があるかと言われると、それはない。1年、1年が勝負。その積み重ねが気がつけば30年になった」

 地元清水で始まったプロ生活。当時ならではの苦労もあった。

 「トップとサテライトが分かれていた。僕はサテライトで、練習場所もロッカールームも違う。トップはバス、サテライトはそれぞれの車に乗り合い。(練習場も固定されず)富士川の河川敷とか、日本平ホテルの庭。契約も複数年はない。本当に1年、1年の勝負で毎年12月になると『来年どうなんのかな?』と」

 J1で517試合、J2で25試合、J3で18試合。計560試合分の年輪を重ねてきた。清水、甲府、長野、秋田、沼津。J1からJ3まで踏んだからこそ、感じたことがある。

 「『こんなピッチで練習しているの?』みたいに環境で驚いたことはたくさんある。ただ、サッカーに対する情熱は変わらない。J3には仕事をしながら(サッカーを)しているところもある。自分に投資しようとしても、お金はないし、時間にも制約がある。最初にそういう選手を見た時は本当にすごいと思った」

 元日本代表FWの三浦知良が55歳でポルトガル2部に挑戦した。伊東自身も年齢を重ねても変わらないものがある。

 「カズさんに関しては、すごいとしか言えない。自分が変わらないのはサッカーが好きという部分。それがなかったら(この年齢まで)できない。肉体的な部分はしょうがないよね。サッカー関係なしに老化は避けられない(笑い)。でも調整法で変えたことを強いて言えば、ここ2年くらいでプロテインをとっているくらい。食事も奥さんが作ってくれるけど、普通に健康的な食事を心がけて作ってもらっているだけ。体重は若い時と比べて5キロも変わってない」

 伊東は96年アトランタ五輪のブラジル戦で決勝ゴールを決め「マイアミの奇跡」の立役者となった。Jリーグと日本代表は両輪となって成長してきた歴史がある。

 「今は海外の選手が多いし、代表もそういう選手で構成されている。Jリーグでも(代表に)入っていけるレベル、環境になっていかないといけないと思う」

 所属する沼津は今季から元日本代表FW中山雅史監督(55)が指揮を執る。この中で迎えるJリーグ30周年。伊東はこれも通過点と感じている。

 「順調に段階を踏んでいると思うので、このまま行ければ。みんなで同じ方向を向いて継続できたらと思います。我が街のクラブって地域の人に誇ってもらえるような存在にならないといけない」

 ◆伊東 輝悦(いとう・てるよし)1974年8月31日、静岡・清水市(現静岡市)生まれ。48歳。東海大一高(現東海大静岡翔洋高)から93年に清水入り。甲府、長野、秋田と渡り、17年に沼津に加入。日本代表では98年フランスW杯代表に選出されるなど27試合無得点。J1通算517試合30得点、J2通算25試合無得点、J3通算18試合無得点。168センチ、70キロ。

報知新聞社



















































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