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「この15年。人生すべてをかけてこの日本代表という場所で戦い続けてこられたことに大きな誇りを感じます。日本代表はいつまでも憧れ、そして夢の場所。でも、ここが一区切り。ここからはまた自分の挑戦に集中していきたいと思います」
  
「代表引退」と報じられたが、本当にそれが彼の真意なのか…。
 
 スペイン戦前に仲間たちの心を揺さぶった涙のミーティングとはどのようなものだったのか。そして自身4度目W杯で何を感じたのか…。
 
 現地・ストラスブールに飛び、本人を直撃した。
 
「ドイツとスペインに勝った自信で日本サッカーは進んでいく」
 
──改めてカタールW杯を振り返りたいのですが、川島選手は今回、初めてピッチ外から見る大舞台になりました。
 
「外から戦ったW杯という感じはないですね。もちろん試合には出ないで終わったけど、自分もみんなと一緒に戦っていました。それは過去3回と全く同じでしたよ」
 
──ドイツ・スペイン戦に勝てた要因を川島選手はどう考えますか?
 
「この4年間、自分たちが突き詰め、追求してきたものが出た2試合だったと思います。それは攻守両面で言えること。どういう形でプレッシャーに行ってボールを奪うのか、狙いどころ含めて、自分たちがやってきたことを1人1人が徹底的にやり切れたんです。
 
 2010年の南アフリカの時は戦い方が変わってからあまり時間がなかったですけど、今回は時間をかけて積み重ねた印象があります。各々が役割を果たして、やるべき仕事を全うした結果なのかなと感じますね」
 
──「強豪のドイツとスペインには、10回やって1~2回しか勝てない」という評価もありますが…。
 
「そういう評価があったとしても、W杯は勝たなければ何も始まらないし、何も残らない。勝った自信でチームは確実に変化しますし、日本サッカー界も進んでいくと僕は思います。10回やって何回勝てるかは今後、積み重ねていけばいい話なんです。
 
 ただ、W杯の後、フランスに戻ってきて、『日本はすごかった』といろんな人に言ってもらえた時に、『18年(ロシアW杯)の時と変わってないな』と感じた部分もありました。ベスト8に行ったうえで、そう褒められるのなら、心から嬉しかっただろうけど、18年の時と同じでやっぱり悔しい。クロアチアに勝てなかった悔しさは今も強く残っています」
 
ベンチから鬼気迫る表情でチームメートを鼓舞する川島と長友

──川島選手が考える「ベスト8の壁」とは?
 
「普通に考えて、ベスト16よりベスト8というのは明らかにハードルが高いですよね。世界でホントに選ばれた国しかそこには行けないレベル。クロアチアにしても、レアル・マドリードやインテル、トッテナムといった強豪クラブでプレーしている選手が揃ったチーム。前回の準優勝国ですし、本当にすごい相手だったのは確か。グループステージとは全く別の戦いでもあるので、そこに勝つ意味をしっかり認識する必要があると思います。
 
 そういう相手に対して、今回の日本は十分勝てるチャンスも自信もあった。だからこそ、16強止まりというのはあまりにも悔しすぎましたね。
 
 でも、壁を打ち破ることに関しては、僕は何も心配していません。時間は少なからずかかるにしても、必ずそこには行けると思う。ただし、選手も監督も協会も、みんなが高いものを追求し続けていかない限りは辿り着けない領域だとは感じますね」
 
「自分が何を喋ったか分からないくらい感情的になっていた」
 
──クロアチア戦に至る前に、日本はコスタリカ戦に負けて崖っぷちに立たされました。スペインに勝たなければいけない状況に追い込まれた時、川島選手の涙ながらの言葉が胸に響いたと多くの若手選手が言っていました。
 
「正直、自分が何を話したのか覚えてなくて。感情に身を任せたという感じだったんで(苦笑)。
 
 改めて思い返してみると、『カタールW杯に向けて全員が意識を高く持って努力してきた姿を自分は内側から見てきたんで、ここで終わるのは違うし、みんなが望んでる結果じゃない』というようなことは言った気がします。『ここで終わるチームじゃない』っていう強い思いは確かにありましたね」
 
──前田大然(セルティック)、相馬勇紀(カーザ・ピア)両選手なんかは「永嗣さんの話がなかったらスペイン戦には勝てなかった。それだけ熱いものがこみあげてきた」と言っていましたよ。
 
「どうなんですかね(笑)。心を揺さぶろうとか考えていたわけではなくて、自分が何を喋ったか分からないくらい感情的になっていたから。自分もやれるだけのことはつねにやってきたし、いろんな感情が自然に湧いてきたという感じですかね」
 
──川島選手は2019年コパアメリカ(ブラジル)から日本代表に戻って、3年以上の月日が経過したんですもんね。
 
「その間の東京(五輪)世代の成長率は凄まじかったですね。コパの時も2週間、一緒に過ごしましたけど、『若い選手ってこんなに成長するのか』と衝撃を受けたんです。あの時は高い要求をすればするほどよくなっていった。滉(板倉=ボルシアMG)や雄太(中山=ハダ―スフィールド)、タケ(久保建英=レアル・ソシエダ)…。大然や綺世(上田=セルクル・ブルージュ)もいましたね。コパに出て数試合やったことで、彼らは尋常じゃない伸び方をした。森保さんが段階的にチーム作りを進めていったことは非常に大きかったと思います」
 
森保監督は長期的にチームを作るのにすごく長けた人
 
──2019年のコパアメリカ、2021年の東京五輪、21~22年のW杯最終予選と徐々に若手を引き上げましたよね。
 
「そう。森保さんは長期的にチームを作るのにすごく長けた人だと感じます。2次予選の頃も律(堂安=フライブルク)やタケといった東京五輪世代を意図的に使って経験を積ませていましたからね。
 
 東京五輪のオーバーエージの使い方もスムーズだったし、そこで麻也(吉田=シャルケ)たちが融合したからA代表もすぐ1つのチームになれた。東京五輪世代を2年間かけて中心になるように組み立てていったのも大きかった。『こういう日本人監督はなかなかいないな』と間近で見ていて痛感させられました。
 
 森保さんの続投が決まって、次のチーム作りが始まるわけですけど、ここからどういうプランで先を見据えていくのかはすごく興味があります。楽しみですね」
 
──川島選手はW杯が終わった後、ご自身のSNSで「日本代表はいつまでも憧れ、そして夢の場所。でも、ここが一区切り」と発信されました。あれは本当に「代表引退」という意味なんでしょうか?
 
「代表っていうのは、引退とかそういうことを言う場所ではないと、今までずっと思っていました。ただ、自分としては、一区切りつけないと前に進めないという気持ちが強かったんです。
 
 今はフランスにいますけど、試合に出られない状況が続いていますし、それをまずクリアしないといけない。自分が代表にふさわしい選手でなければいけないんで、まずは自分の挑戦に集中することが大事。そういう思いを込めて、SNSで発信したんです」
 
15年間の代表に一区切りつけて、次の挑戦に向かう川島

「自分としては一区切りつけないと前に進めない」
 
──確かに目の前のクラブでの挑戦が最優先というのはよく分かります。
 
「左肩の手術もしましたからね。去年の夏に脱臼して、チームのドクターからは手術をした方がいいとW杯前から言われていたんですけど、どうしてもW杯に間に合わせるために保存療法を選択し、12月に戻ってきたらまた同じことが起きてしまったんです。復帰できるのは3~4月になりそうです」
 
──しばらくかかりますね。そして3月には40歳になります。
 
「はい。キャリアのことを考えた方がいい年齢ではあると思いますけど、プレーする情熱は自分の中では何も変わらない。逆に変わらないからこそ、W杯が終わった後、すぐに次の準備をしたいと思ったんです。別に休みなんかいらなかったし、つねに高いレベルでやりたいという前向きな気持ちを持ち続けています。この先のことも自分の感情としっかり向き合って決めていきたいですね」
 
──今季ラストにストラスブールで定位置をつかむ川島選手をぜひ見たいです。
 
「そうですね(笑)。ストラスブールは昔(イビチャ・)オシムさんがプレーしたクラブなんです。そのことを知ってる人は少ないと思いますけど、自分が2018年に加入すると決まった時にはすごく嬉しかった。
 
 僕がオシムさんの下でプレーしていた頃はフランス語が話せなかったんで、直接尋ねることはできなかったですけど、どういうことを考えているのか聞いてみたかったですね。練習でも謎かけみたいなことが多くて、いろいろ考えさせられましたから。
 
『考えなさい』というオシム流は今もすごく生きてます。その経験も生かしながら、これから先もしっかりやっていきたい。まずは早く復帰できるように頑張ります」
 
 自分自身が過ごした代表での15年間、参戦した4度のW杯、そしてともに戦った仲間たち…。さまざまなことに思いを馳せながら、川島は1つ1つの問いに真摯に答えてくれた。今後の身の振り方や代表とどう関わるかは未知数だが、間もなく40代の突入する彼が現役選手としてピッチに立ち続ける強い意思を持っていることだけは変わらない。
 
 さまざまな経験をし、選手としてだけでなく、人としても成長を続けている偉大な守護神が我々に何を見せてくれるのか…。それを楽しみに待ちつつ、まずはフレデリック・アントネッティ新監督率いるストラスブールでの復帰を見守りたい。

元川悦子

スポーツジャーナリスト
1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。



















































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