スクリーンショット 2023-01-10 10.38.33

スポンサード リンク




 第101回全国高校サッカー選手権の決勝が9日に国立競技場で行われ、岡山学芸館(岡山)が3-1で東山(京都)を撃破し、岡山県勢初の全国制覇を達成した。前半終了間際に追いつかれた岡山学芸館だったが、後半7分と40分にMF木村匡吾(3年)が連続ゴールを決めて東山を突き放した。決勝戦に出場した13人の選手で、Jクラブのジュニアユース出身者はゼロ。年代別の日本代表も卒業後のプロ内定者もいない“無印軍団”は、なぜ全国3883校の頂点に立てたのか?

平清孝ゼネラルアドバイザーと長瀬亮昌トレーナーの指導で変貌
 めったに見られない光景だった。悲願の選手権制覇を告げる主審の笛が鳴り響いた直後。岡山学芸館の選手たちが次々に国立競技場のピッチに仰向けになった。喜びを爆発させる前に体中の力が抜けた。精も根も尽き果てるまで走り回った証だった。
 倒れ込んだ一人、キャプテンのDF井上斗嵩(つかさ、3年)は両手で顔を覆って号泣した。脳裏には高校3年間の喜怒哀楽が駆けめぐっていた。
「この最高のチームで、みんなで笑って終えることができたので。試合が終わった瞬間に心がホッとしたというか、そう思ったら泣き崩れてしまいました」
 昨夏を境に岡山学芸館は大きな変貌を遂げた。
 プリンスリーグ中国の前半戦を3勝6分けと勝ち切れないままターン。インターハイでは2年連続でベスト8へ進みながら準々決勝で帝京(東京)に敗れたチームへ、昨春に就任したばかりの平清孝ゼネラルアドバイザー(68)が諭すように語りかけた。
「特にプリンスリーグで引き分けが多かったので、いまは巧さだけで強さがないと。巧いチームは途中で負けるけど、巧くて強いチームは勝ち残るんだよ、と」
 監督および総監督として東海大福岡(旧・東海大五)を45年間にわたって指導。岡山学芸館を率いる高原良明監督(43)も教え子の一人である平アドバイザーは、目の前にいる選手たちを否定したわけではなかった。むしろ変わりつつあると前を向かせた。
 おりしも自身と同時期に招へいされた、トレーナーの長瀬亮昌氏による指導の効果が出始めていた。週4回のフィジカルトレーニングと、一日5食がノルマとして課された増量作戦で筋力が飛躍的にアップ。決勝でベンチ入りした20人の平均身長は約173cmだったが、平アドバイザーは「山椒は小粒でぴりりと辛い、ということです」と目を細めた。
「みんな胸筋がすごくなったし、筋力のアップが持久力にもつながっていた。小さくても当たり負けしなくなったし、自分たちは強い、という気持ちのプラスアルファですごく走れるようになった。逆に相手は倒されるたびに体力を消耗する。これは夏過ぎから一気にいく、と。大人もそうですけど、特に高校生は褒めたら顔色が変わってきますからね」
 岡山学芸館の創部は1988年。東海大を卒業した高原氏が2005年の岡山国体へ向けた強化選手として県に招かれ、岡山学芸館に就職したのが2003年だった。地域リーグ時代のファジアーノ岡山に所属しながら、コーチとして指導を始めた当時をこう振り返る。
「国立の舞台に立つのも夢なら、日本一になるなんて夢のまた夢でした」
 岡山国体後に保健体育の教員職に専念し、2008年には監督に就任した。選手権の舞台に初めて立ったのは2016年度大会。以来、今大会で5度目の出場を果たし、作陽と玉野光南の二強時代が続いていた岡山県の勢力争いに新たなページを加えた。
 プリンスリーグ中国にも2016年から定着。2019年には初優勝を果たし、選手寮や人工芝グラウンドなどのハード面も整えられた岡山学芸館は、高原監督の情熱的な指導とも相まって、全国を目指す中学生たちが進学を希望する高校のひとつになった。
 たとえば今年度の部員数は135人。最上級生から順に38人、46人、51人を数える部員数は、門を叩く中学生が確実に増えている証となる。しかし、全国の舞台でなかなか壁を越えられない。選手権の最高位は2度目の出場だった2018年度大会のベスト16。前回大会も2回戦で高川学園(山口)に敗れた。このとき、高原監督は改革を決心した。
 自身の指導には、メンタル面とフィジカル面で足りない部分があったと反省した。その上で東海大福岡を退職する恩師の平氏を迎えて前者の、アスレティックトレーナーとして関西を中心に幅広く活躍していた長瀬氏を迎えて後者の改革を託した。
 決勝戦のヒーロー、木村の言葉が心身両面の変化を物語る。
「平さんには『もっと賢くなれ』とか『頭が堅い』とよく言われました。いまではピッチを幅広く見るように心がけていますし、守備面では褒めてくれます」
 ボランチながら果敢に最前線へ飛び出し、後半7分に先発陣で最小兵となる身長165cm体重63kgの体で目いっぱいジャンプ。左サイドからのクロスに頭を合わせて勝ち越し弾を奪えば、同40分には右サイドからのロングスローがファーサイドへ流れてきたところへ右足を一閃。東山の反撃ムードに水を差す、勝利を決定づけるダメ押しの3点目を決めた。
 衰え知らずのスタミナの源泉を、木村は笑顔で振り返った。
「セカンドボールに対する出足の速さなどの面で成果が出ているというか、瞬発力が少し上がったのかなと思っています。最初のころはつらかったけど、いま思えばフィジカルトレーニングをやっていて本当によかった、というのがありますね」
 巧さと強さが融合された結果として、数的優位を作り出して相手ボールを奪うや素早く縦へ運び、FW今井拓人(3年)を起点に多彩なコンビネーションで攻めるスタイルがよりスケールを増した。それでも高原監督は、試合後の会見でこんな言葉を紡いだ。
「それぞれのチームに優秀な選手がいるなかで、ウチには(年代別の)日本代表経験がある選手もいないですし、中学生年代のジュニアユースのチームでは2番手、3番手ぐらいだった子も多い。そのなかでもサッカーは個人ではなくチームのスポーツなので、ひとつになって戦えばどんな強敵でも倒せると証明してくれたと思っています」
 年代別の日本代表に招集された選手だけではない。卒業後のJクラブ入りが内定している選手もいなければ、途中交代を含めて決勝のピッチに立った計13人のうち、中学生時代にJクラブのジュニアユースチームでプレーした選手もいない。
 対照的に東山の「10番」を背負うMF阪田澪哉(れいや、3年)は大会後のセレッソ大阪入りが内定。先発陣にはJクラブのジュニアユース出身者7人が名を連ねた。準決勝でPK戦の末に退けた神村学園(鹿児島)も、ドイツのボルシアMG入りするFW福田師王(しおう、3年)とセレッソ入りするMF大迫塁(3年)の両エースを擁していた。
 決勝前のミーティング。選手たちの反骨心を煽るように、高原監督は岡山学芸館と東山の“違い”に言及した。ただ、一戦ごとに自信を膨らませ、勢いに変えてきた選手たちのモチベーションはすでにマックスの状態にあった。代表歴を含めた肩書きや卒業後の進路はあくまでもピッチ外のもの。自分たちのサッカーを貫けば勝てると誰もが信じて疑わなかった。
 通算3ゴールで福田らと並んで大会得点王になった今井が言う。
「応援してくれている3年生たちと会うたびにみんなの声がかすれていた。それだけでも本当にうるっときましたし、実際の試合でもつらいときや流れが悪いとき、自分のプレーがよくないときにはスタンドを見て、あいつらの本気の声出しに感謝していました」
 135人の部員だけでなく、岡山学芸館に関わってきたすべての人々の思いが結実した岡山県勢としての悲願の全国制覇。歓喜の輪はさまざまな広がりを見せていく。
 連覇への挑戦権を得た第102回大会へ。後半29分に放たれた阪田のヘディングシュートにとっさに反応して右手中指をかすらせ、バーに弾き返させた守護神・平塚仁(2年)は、最上級生になる自分が新チームの中心になって帰ってくると試合後に誓った。
「日本一の景色をもう一度見るために、自分が引っ張っていきたい」
 木村と今井は駒沢大へ、準決勝のヒーロー岡本温叶は中央大へ、ボランチの山田蒼は福岡大へ、そして井上は日体大へ進学。日本一の肩書きを背負い、次のステージでさらに心技体を磨きながら、大学を経由して4年後にJリーガーになる夢を追い求めていく。
 そして、県内の優秀な中学生たちが県外の強豪校へ進んできたこれまでの流れにも影響を与えるだろう。岡本や今井と「岡山学芸館を日本一にしよう」と誓い合い、倉敷市のハジャスFCからそろって門を叩いた井上が優勝の価値に声を弾ませた。
「ずっと育ってきた岡山の歴史を変えられた。自分たちの試合で元気や感動を伝えられたら本当に嬉しい。岡山のサッカーがもっともっと強くなってくれたら」
 開幕前は無印だったチームが一気呵成に頂点へと駆け上がる。岡山学芸館が紡いだドラマは大団円ともに、痛快無比な軌跡と熱戦の余韻を続編への期待に変えながらひとまず幕を閉じた。
(文責・藤江直人/スポーツライター) 










スポンサード リンク

ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログへ