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 ◇FIFAW杯カタール大会決勝 アルゼンチン3―3(PK4―2)フランス(2022年12月18日 ルサイル競技場)

 アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(35=パリ・サンジェルマン)が36年ぶり3度目の優勝をもたらした。延長3―3の末に突入したフランスとのPK戦を4―2で制した。前半10分に先制PK弾を決め、延長後半4分に一時勝ち越しとなるこの日2点目のゴール。ハットトリックを達成して通算8得点としたフランス代表FWキリアン・エムバペ(23=同)に1点差で得点王こそ譲ったが、後蹴りのPK戦で1人目に決め、86年メキシコ大会を制した英雄マラドーナに肩を並べる偉業を成し遂げた。

 始まりはサウジアラビアとの1次リーグ第1戦(11月22日)だった。出場32チームでFIFAランキングが下から2番目に低い51位の格下相手に先制しながら、1―2でよもやの逆転負けを喫した。

 国際Aマッチ36戦不敗で開幕を迎え、優勝への期待が高まっていた中で世界中の誰もが予想しなかった黒星発進。メッシはサポーターに「信じてほしい」と呼びかけた。サッカーに情熱をささげる熱しやすい国民性。厳しい批判を覚悟した主将だが、返ってきたのは圧倒的な激励だった。

 「もう結果だけではなく、過程が問題なんだ。以前のアルゼンチンは勝ち負けで判断されたけど、みんな異なるものに価値を見いだすようになった」とメッシ。スカロニ監督は「国全体や国民から愛とサポートを感じた。我々が必要としていた強さやエネルギーを与えてくれたんだ。敗北の中でこのような経験したことはなかった」と明かす。続くメキシコ戦をメッシの1得点1アシストで2―0と息を吹き返したアルゼンチンは、そのまま頂点まで駆け上がった。

 国内リーグのクラブでプレーすることなく13歳でバルセロナの下部組織に加入したメッシにとって、国民との関係は常に複雑だった。英雄マラドーナの後継者として早くから期待されたものの、W杯と南米選手権の主要国際大会では「優勝」という期待に応えられないまま年月が過ぎた。

 欧州チャンピオンズリーグ制覇やバロンドール(世界最優秀選手)受賞とクラブで活躍するほどに代表との落差が際立ち、マラドーナ監督が指揮を執っていた2010年W杯南米予選では有力地元紙のアンケートで6割がメッシの先発起用に反対。地元開催だった78年W杯優勝時のメノッティ元監督に「バルサではサッカーをしているが、代表では走っているだけ」と批判されたこともある。

 そんな環境をメッシの父・ホルヘさんは「息子は欧州では幸せだが、母国では侮辱される。理解しがたい」と嘆き、内向的な本人もフラストレーションをため込んだ。16年南米選手権決勝チリ戦では自らPK戦に失敗して敗北。14年W杯、15年南米選手権に続く3大会連続の準優勝に「もう十分トライした」と代表引退を宣言した。

 2カ月で代表引退を撤回後も苦しい道のりは続いたが、21年南米選手権で4得点5アシストを記録し、MVPに選ばれる奮闘でようやく28年ぶりの主要大会優勝をもたらした。この活躍でバロンドール受賞を7回まで伸ばし、国民感情にも変化があった。背番号10が「最後の出場」と公言するW杯カタール大会に向けた期待は、サウジアラビア戦敗北で批判に針が振れるほど弱いものではなかった。

 象徴的な出来事があった。準決勝クロアチア戦で快勝後、アルゼンチンの女性リポーターが取材の最後、メッシに告げた。「伝えたいのは決勝の結果がどうであれ、誰もあなたから奪えないものがあるということ。あなたのユニホームを持っていない子供はいない。アルゼンチンの全ての人々の心にいて人生に足跡を残した。それはW杯よりも大切なことで、あなたは既に勝ち取っている。ありがとう、キャプテン」。国民の声を代弁するかのような言葉を受け、メッシは感激した様子で「最初の試合で厳しい打撃を受けたけど、立ち直って決勝まで到達できた。模範的なチームで優勝できるよう願っている」と応じた。

 たとえ優勝を逃したとしても、これまでの足跡が色あせることはない。それでも言葉通り、国民との愛憎関係を乗り越え、メッシが頂上にたどり着いた。

 マテウス(ドイツ)をかわしてW杯単独最多となる26戦目の出場。マルディーニ(イタリア)の最多出場時間2217分もかわして2314分まで数字を伸ばした。今大会7点を積み上げたW杯通算13得点は王様ペレ(ブラジル)を1点かわして歴代4位タイ。さまざまな足跡を残し、メッシが最後のW杯を最高の形で終えた。










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