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 ◇FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグD組 オーストラリア1ー0デンマーク(2022年12月1日 アルジャヌーブ競技場)

 【金子達仁 W杯戦記】長くサッカーを見てきた人間ほど、そう思い込みがちな傾向があるかもしれない。少なくとも、自分に関しては確実にそう感じてしまっている部分があった。

 世界とアジアは別。

 アジア予選で苦戦する。つい、アジアごときで苦戦しているようでは、世界では到底通用しない、と思ってしまう自分がいた。

 カタールへの切符を獲得した敵地でのオーストラリア戦。わたしは素晴らしい内容だと思った。だが、後輩のライターから「オーストラリアは史上最弱。あんなところを圧倒したからって評価はできません」と言われ、つい言葉に詰まってしまった。世界とアジアは別だという思い込みがあればこその狼狽(ろうばい)だった。

 そんなオーストラリアがベスト16進出を決めた。前日にはイランが、あと一歩のところまで米国を追い詰めた。最後まで反撃意欲を失わなかったサウジの一撃は、ダークホースと目されたメキシコの希望を叩きつぶした。

 アジアのレベルが世界トップクラスに追いついた、とは思わない。正直、まったく思わない。

 だが、欧州や南米が嘲笑していられる時代は完全に終わった。そう断言してもいい結果を、今大会におけるアジア勢は残してきた。そろそろわたしたちは、アジアで出した結果やつかんだ自信を、そのまま本大会に持ち込んでもいい時期にさしかかりつつあるのではないだろうか。

 自分たちの足りない部分を自覚し、補うべく努力する姿勢は必要なことだ。だが、アジアでの戦いを世界とは別次元だととらえる発想に、何かプラスの部分があるとは思えない。

 これまでのわたしたちは、コンプレックスを標準装備して大会に臨んできてしまった。危機に陥るたびに「ああ、やっぱり」と感じてしまう精神構造で世界と戦い、ほとんどの試合でその予感を的中させてしまってきた。

 22年11月23日まで、日本がW杯で先制された試合をひっくり返したことは一度もなかったのだ。

 みなさんがこの原稿を目にするころ、すでに日本はスペインとの決戦を終えている。もし願いが叶(かな)わなかった場合、相当に手厳しい批判が森保監督や選手に向けられることは容易に想像がつく。

 そのこと自体は当然というか、むしろ健全なことだと言っていい。これまではあまり声をあげることがなかった日本代表OBからも、今回は手厳しい声が聞かれた。ずいぶんと昔、「ボクが辛口だなんて言われてるうちは、日本のサッカーはまだまだだよ」とセルジオ越後さんが笑っていたことを思い出すが、ようやく、「まだまだ」ではない時代がやってきたと言えるのかもしれない。

 わたし自身、ドイツ戦の前半の戦いぶりや、コスタリカ戦でのリスクを取るべき状況で安全第一のプレーが目立ったことなど、不満は山ほどある。この原稿が活字になるころには、新たな怒りを爆発させている可能性もある。

 ただ、どんな結果に終わろうとも、批判の根っこに「アジア代表であること」「日本人であること」を据えることだけは卒業するつもりだ。

 大会前、オマーンはテストマッチでドイツを大いに苦しめた。その結果を、内容を、2週間前のわたしは、いろいろな理由をこじつけて黙殺した。

 これからは、違う。

 アジアも、世界。

 生まれて初めて、そう思わせてくれたW杯である。(スポーツライター)










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