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<悲劇から歓喜へ 森保ジャパンinドーハ(7)堂安律>

 W杯日本代表に初選出されたMF堂安律(24=フライブルク)は自身がオーナーに、元J3AC長野パルセイロなどで活躍した兄憂さん(26)が代表になり、今春から故郷の兵庫・尼崎市でサッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB(ラボ)」を共同運営で始めた。

 堂安以上の選手育成を目指し、兄弟による新たな挑戦となっている。

    ◇   ◇   ◇

 堂安兄弟の共同運営の形で始まったスクールは、大会などに出場せず、個人技を教える“塾”にあたる。幼稚園の年中から小学6年までを対象に、子どもたちは現在、当初から2倍の約200人に増えた。

 名前の「NEXT10」は、未来の背番号10を担う選手をつくりたいという堂安の願い。同時に昨年の東京オリンピック(五輪)に続き、いつか日本代表でも10番を背負いたいという、本人の目標だ。堂安は開校時、こう説明した。

 「『堂安律って、誰だよ?』と思うくらいの子が出てきてほしい。生意気な子がやっぱ、僕の経験上、上にきている。飛び抜けた子を育てたい」

 ドイツでプレーする堂安は1~2週間に1度、テレビ電話で兄憂さんと練習メニューを話し合う。「海外では、うまい選手はいっぱいいるが、プラスアルファで点を取れる選手が重宝される。ゴールを意識したドリブルの練習を取り入れている」と堂安は言う。

 実際、日々の運営を任される憂さんは「スクールでは保護者との3者面談も入れて、心のケアもやっている。子どもの短所が3個あれば、長所は6個伝えてあげる。律が参加していても、同じことを言う」と、きめ細かい指導が売りだ。



 堂安家の3兄弟、右利きの次男憂さんはMFとしてJ3長野、地域リーグのおこしやす京都で活躍。左利きの三男の律は、G大阪から19歳で欧州へと羽ばたいた。ともにプロ選手になったものの、2人に差がついた理由は、憂さんが一番知る。

 「僕は地域リーグで現役が終わった、そこまでの選手。律と大差がついたのは、例えば朝食で野菜が食卓にでれば、僕は拒んでいた。律は嫌いなのに全部食べていた。その日は変わらなくても、そういった食事のケアが10年以上も積み重なれば、僕と律の体は太さ、筋力量も違ってくる。大学で気付いた僕は必死に食べようとしたが、もう追いつけるわけがなかった。僕だから、子どもに伝えられることがある」

 3学年違いの2人は堂安が小学生になると、尼崎市の実家近くにある小田南公園で朝からサッカーに明け暮れていた。それでも、憂さんは「弟は朝30分、僕より早く起きてボールを蹴っていた。それが積み重なったら、その差も大きくなる」と言い切る。

 出世街道を走ってきた堂安は今年、それでも悔しい思いをした。3月のW杯アジア最終予選の代表メンバーから落選。堂安は「時間がたって考えると、すごくありがたくて。自分の性格をみんな知ってくれていると思うが、そういう状況になればなるほど燃えるタイプ」と話した。

 だからこそ、憂さんは今季開幕からフライブルクで活躍する弟の姿に、頼もしさを覚えている。

 「僕は弟が日本で一番うまいと思っているし、だから別に頑張れという気もない。ゴールはしてほしいが、自信を持って自然体でいてくれればいい。それが結果についてくる。特に(現在プレーしている国の)ドイツ戦は、本人もすごく楽しみにしているでしょう」

 スクールに通う子どものため、堂安2世を育てるためにも、初めて出場するW杯は、お手本を示す最高の舞台になる。【横田和幸】

 ◆堂安律(どうあん・りつ)1998年(平10)6月16日、兵庫・尼崎市生まれ。G大阪ユースの高3時に飛び級でプロ契約。17年7月にフローニンゲンへ移籍し、その後はPSV、ビーレフェルト、PSVを経て、22年7月にフライブルク移籍。日本代表は18年9月のコスタリカ戦でデビュー、国際Aマッチ通算28試合3得点。21年東京五輪は6試合1得点。172センチ、70キロ。










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