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取材の最後に両手をこちらに差し伸べ――

2013年のリーグカップ優勝後、サッカーダイジェストのインタビューに応えてくれた工藤壮人さん。屈託のない笑顔を見せてくれた。(C)SOCCER DIGEST

 2004年、柏U-15はナイキプレミアカップジャパンを制し、世界大会であるマンチェスター・ユナテッド・プレミアカップへの出場権を手にした。国内大会であるナイキプレミアカップジャパンの年齢制限は14歳以下のため、中心メンバーは当時の中学2年生たちだった。


 しかしマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは年齢制限が1歳引き上げられ、15歳以下となる。中学3年生が対象になることで、押し出される形で世界大会の遠征メンバーから漏れる選手も出てきた。工藤壮人は、そのメンバー外になったひとりだった。

「自分たちが勝ち取った出場権なのに、なぜ自分が出られないんだ」

 工藤は涙ながらにアカデミーのコーチに訴えたという。

 ただ、世界大会に出場したメンバーたちは帰国後、工藤の変貌ぶりに驚かされた。同じくメンバー外となった指宿洋史、畑田真輝とともに、悔しさを噛み締めながら日本に残って練習に励んだ工藤は、この出来事を契機に柏U-15の“絶対的エース”の称号を手にしていく。

 私が工藤のプレーを初めて見たのは、彼がU-15にいたちょうどその頃である。そして初めて言葉を交わしたのは、それから1、2年後、柏U-18が出場した関東クラブユース選手権だと記憶している。

 得点を決めた殊勲者として、工藤に声をかけた。礼儀正しく、こちらの質問に対してハキハキと答えた彼は、取材の最後に両手をこちらに差し伸べ、握手を交わし、「ありがとうございました!」と言って深々と頭を下げた。これ以上ない最高の第一印象だった。
 
 2007年12月24日、Jユースカップ決勝。工藤が挙げた反撃の一撃も実らず、柏U-18は1-2でFC東京U-18に敗れ優勝を逃した。人目を憚らず工藤は涙を流した。後にも先にも、私があそこまで涙を流す彼を見たのはこの一度きり。もちろん試合に負け、準優勝に終わった悔しさもあっただろうが、それ以上にジュニア時代からともに戦ってきた1学年上の仲間を「勝って送り出せなかった」という思いが大粒の涙に変わった。
 
 2008年8月1日、日本クラブユース選手権準決勝。宇佐美貴史擁するG大阪ユースとの拮抗した勝負に決着をつけたのは、CKからファーサイドに飛び込んだ工藤の得点だった。高校3年生にとっては進路を左右する重要な時期である。この得点はチームを決勝に導いただけでなく、自分自身のトップチーム昇格を勝ち取る大きな一撃でもあった。
 
 ピッチ外での振る舞い、礼儀正しさ、仲間を思いやる気持ち、悔しさを原動力に努力を積み重ねる強さ、そして大一番でこそ発揮されるエースとしての輝き。それらはすでにアカデミー時代には備わっていた工藤の長所と魅力である。

きっと大勢の人から愛されていたと思う

 プロ2年目のグアムキャンプでは紅白戦のメンバーにも入れず、「悔しいです」と心情を漏らした。その想いを布部陽功コーチにぶつけ、居残り練習を志願した。柏に戻ると、全体練習終了後には必ず布部コーチとの居残り練習に明け暮れる工藤の姿があった。

 自分の立ち位置を変えるためには誰よりも努力をして、チャンスが訪れたときに結果で示すしかない。そのギラギラとした感情が彼の身体中から溢れ出ていた。

 2010年3月21日、J2リーグ3節の福岡戦。努力を積み上げてきた工藤に、そのシーズンで初めてのチャンスが訪れた。まるで獲物を捕らえた野獣の如く、彼はそのチャンスを逃さなかった。81分、相手のバックパスを奪った工藤は0-0の均衡を破る値千金の決勝弾を決めた。のちに「自分の人生を変えたゴール」と彼自身が位置付けたとおり、この福岡戦の得点を機に出場機会を増やし、コンスタントに得点を決めていくことになる。

 U-15時代、世界大会のメンバーから外された悔しさをバネに、自らの手でエースの称号を勝ち取った時と同じように、トップチームでも自分の手で主力の座を掴み取った。その背景にたゆまぬ努力があるのは言うまでもない。

 時には大胆な発言でメディアを驚かせることもあった。ビッグマウスやリップサービスというよりは、あえて大きな目標を言葉にすることで、自分自身にプレッシャーをかけているようにも思えた。

 例えば2011年J1リーグ28節の前日練習にて。1995年のJリーグ参入以降、柏がリーグ戦では一度も勝てていない“鬼門”のカシマスタジアムでの試合を前に「僕がゴールを決めて、カシマスタジアム未勝利の歴史を終わらせます」と豪語した。翌日、柏は初めてカシマスタジアムで鹿島を下した。工藤の決勝点だった。

 2013年11月1日、ヤマザキナビスコカップ決勝の前日練習では、大勢のメディアに囲まれた中で、「大舞台で結果を残してこそレイソルの9番なんです。明日は僕が決めて、チームを優勝させます」と明言した。翌日の決勝戦、浦和に押し込まれる苦しい展開を強いられながらも、工藤は前半アディショナルタイムに決めた渾身のヘディングシュートで優勝を手繰り寄せた。

 J1リーグ通算56得点は柏のクラブ最多記録。また、カップ戦を含め柏で出場した全公式戦では92得点を記録した。工藤が得点を決めた試合は56勝11分8敗、非常に高い勝率を誇った。

 練習から努力を惜しまず、試合では誰よりも結果にこだわった。多くの得点でチームに勝利をもたらし、柏というクラブに大きな功績を残した。敬愛する先輩・北嶋秀朗が付けていた背番号9を継承し、エースと呼ばれる存在になっても、ピッチ外の振る舞いや人間性は、彼と初めて会話を交わした16年前の“最高の第一印象”から何も変わらなかった。そんな工藤のことだ、広島、山口、宮崎、バンクーバーやブリスベンでも、きっと大勢の人から愛されていたと思う。

 アカデミー時代から見てきた思い入れの強い選手のひとり。本来はこうした形ではなく、顔を合わせ、笑いながら昔話に花を咲かせたかった。

 ご冥福をお祈りいたします。そして、どうもありがとう。

(文中敬称略)

取材・文●鈴木 潤(フリーライター) 










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