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カタールW杯最終予選で崖っぷちに立たされた日本代表を“救った男”、伊東純也(29歳)。彼が歩んできたサッカー人生は決してエリート街道と呼べるものではなかった。
 
小中高と全国大会を一度も経験せず、「家が近いから」と地元の公立高、大学のサッカー部で汗を流してきた。父親、サッカー部関係者、Jリーグスカウトの証言をもとに描く“伊東純也が救世主になるまで”(全3回の3回目/#1、#2へ)。

 2010年からヴァンフォーレ甲府のスカウトを務める森淳にも、伊東純也が神奈川大1年時(2011年)に関東大学リーグに初出場した“あの”流通経済大戦のプレーは強烈に刻まれている。

「何しろ残り30分くらいで足の速い選手が出てきた途端に、強豪の流経を相手に流れが完全に神奈川大にいったわけですから。それも、メンバー表を見たら1年生。得点の流れなどは昔のことで忘れましたが、たった1人の交代選手の登場で試合の形勢が一気に逆転したことに驚いたのははっきりと覚えています」

 森はさっそくそのルーキーについて調べると、逗葉高出身の伊東だとわかった。

 神奈川県出身の森は甲府でスカウトを務めるいまもベースは神奈川に置いている。前年に逗葉高にスピードのある選手がいるという噂は聞いていたものの、それが伊東だと気づいたのは試合後のことだった。

あの日、スカウトは1人だけだった
 森は当時、神奈川大の4年だった佐々木翔(12年甲府加入。現広島)の獲得に向けて試合を見に訪れていた。しかし、その現場に他のスカウトは誰一人としていなかった。

「失礼な言い方になりますが、神奈川大は当時1部と2部を行ったり来たりで、大きなクラブはやっぱり強豪校や代表歴のある有名選手の視察を優先するのでしょう。予算規模の小さい甲府は鳴り物入りでプロ入りするような選手を他クラブと競り合って獲得するのは難しく、どちらかといえば将来性を感じる隠れた逸材を探すようなところがありました。それで佐々木に目をつけていたところ、伊東まで出てきてくれたわけです。そういう状況で、私のほかに神奈川大を追いかけているスカウトがいなかったのはラッキーだったかもしれません。もし伊東が強豪校にいたら、他のJ1のクラブに持っていかれていたと思います」

 出会いは偶然だった。ただ、森は伊東のあまりのインパクトに夢中になり、以降、何度も試合に足を運び、ときには練習場にも顔を出すなどしてプレーをチェックし、3年時の冬の練習招待を経て、獲得に至っている。

9年前のクリスマスイブに「オレ、何でもできます」
 最終的には甲府のほかに、山形も伊東の獲得に名乗りを上げたが、すでに先輩の佐々木が甲府入りしていたことに加え、森が熱心に視察を続けていたことで交渉はスムーズに進んだ。

「スピードに圧倒されましたが、全然うまくないんですよ。いまでこそゴールライン深くまでドリブルでえぐり、高速クロスを上げますが、大学時代はそのままタッチラインに出てしまい相手のゴールキックになるシーンも多かったですし(苦笑)。ただ、そうした下手さは直るんですが、どんなにトレーニングをしても足は速くなりませんから。視察をするなかでは、この選手をどう使ったら生きるか、甲府で育てられるのかどうか、そんなことをずっと考えていました」

 2013年12月24日クリスマスイブ。神奈川大学が主宰していたボランティアのサッカースクールを終えたあと、鎌倉のハンバーグ店で大学3年になっていた伊東と初めてじっくりと話した。甲府の練習招待の件だった。

「そのときの印象は、マイペースでFWらしいなと。中盤から後ろの選手は割と、理論家が多いのですが、伊東は根拠のない自信に溢れていて、『オレ、何でもできます』『早く試合に出たいです』『何点取れますかね? 』みたいな。よく言えば何事にも動じない、悪くいえば事の重大さを本当にわかっているのかなと思ったりしましたが、そんな性格が大舞台で活躍するにはよかったんですかね」

「最初の仕事が中田英寿の獲得(95年)だったので…」
 2015年のプロ入り後、甲府で1年プレーした伊東は翌16年に柏へとステップアップし、19年2月にベルギーのヘンクへと移籍した。

「甲府には1年しかいなかったですが、ウチのカウンターサッカーではカットしたら伊東につなぐという形が非常に効いていました。レイソルに行ったときは、ボールを保持するサッカーのなかで対応できるのか心配もありましたが、そこはうまくやっていましたよね。

 26歳で海外に行って、代表にもずっと呼ばれ、こんなに飛躍するとは思わなかったですし、すごいなと。僕はベルマーレ平塚時代、スカウトとして最初の仕事が中田英寿の獲得(1995年)だったので、2人を比較すると伊東が代表の中心でやっていることを不思議に思う部分もあります。ただ、技術はあとからつきますし、試合に出続けている経験が伊東を引き上げたんでしょうね」

石原、中町、稲垣…森が発掘してきた選手たち
 森は、選手にとって最高のトレーニングは試合、選手が育つのは試合の数、と力を込める。逆にいえば、どんなスター選手でも試合から遠ざかれば成長は鈍化するということだろう。その点で、伊東にとってはプロ1年目から30試合出場(4ゴール)とピッチに立てたことは大きかったはずだ。

「当時の甲府はJ1でしたが、(試合出場への)ハードルはそれほど高くなかったですから。選手の価値は試合に出場することで上がりますし、仮にJ1にいて出場機会が限られるなら、J2で常に出場した方が経験を積めます。大きなクラブで試合に出たり出なかったりを繰り返すなら、たとえレベルが低かったとしても90分フルに何試合も続ける方が、よっぽど選手は成長するものです」

 伊東のキャリアを振り返れば、高校、大学はもちろん、甲府、柏、ヘンクとプロ入り後も常に試合に出場できる環境だったことが成長に欠かせない要素だったのだろう。

 森は湘南時代、中田だけでなく、石原直樹(元湘南)や中町公祐(現ムトンド・スターズFC)といった全国的に知られていなかった高卒選手を発掘している。甲府に移ってからは佐々木や伊東のほか、稲垣祥(現名古屋)ら大卒の選手を獲得した。彼らは早くから試合出場を重ね、プロとして順調なステップを踏んでいる。

「自分が獲得した選手が成長してくれるのはうれしいですよ。ただ、クラブとしては数年先を見ているので、伊東のように1年で出ていかれてしまうと喜んでばかりもいられないんですけどね」

 森自身、かつては湘南の前身、日本リーグのフジタ工業でプレーし、日本代表への招集歴もある選手だった。29歳で現役を退き、当初はコーチを希望していたものの、スカウトに就いた経緯がある。だからこそ誰もが知る出来上がった選手を獲得するよりも、これから成長するような選手を獲得したい意向があるのだという。

「スカウトは、いい選手を競い合って獲得するのが大切だと教えられ、最初は僕もそう思っていました。ただ、最初に運よく中田は取れましたが、そのあとは柳沢(敦)も中村(俊輔)も高原(直泰)も来てくれない。そんななか路線を変えて獲得した石原や中町らとの出会いが大きかった。1年では無理かもと思いながら2、3年経つと芽が出てきて、その感覚はそれまでにない快感でした。

 大きなクラブにいれば、履歴書に代表歴がないような選手を獲得することは説得力を欠きますが、僕が仕事をしているのは甲府という地方クラブ。正直、すでにアンダー世代の代表に入っている選手にあまり魅力を感じないですし、選手の名前も覚えていません。そこは、他のクラブに任せて僕は他で探します、と。そもそもU-18にしてもU-20にしても、誰かが選抜した枠組みで、それに縛られなくても自分なりのU-18やU-20を作ってその選手たちをチェックすればいいわけですからね」

“弱小校”がベスト16にいったら何かある
 石原や中町はJリーグで確かな実績を残し、伊東のみならず、佐々木や稲垣も代表歴がある。学生時代は全国的に無名でも森が発掘しプロ入り後に化ける選手は少なくない。どうやって鼻を利かせているのだろうか。

「神奈川県の高校サッカーでいえば、それまで弱いとされていた学校が突然県でベスト8とか16くらいに勝ち上がってきたら何かあるわけで、だいたい何人かいい選手がいるものです。しかも、有名校は上手な子が多く、サイドバックならサイドバック、中盤なら中盤の動きをテクニカルに叩き込まれている一方、弱小校の場合はチーム全員が上手なわけではありません。なかにはボール扱いの下手な子もいて試合では1人で2、3人に囲まれても勝負せざるを得ない場面や、場合によっては1人で攻撃も守備も、主将までぜんぶやるみたいなこともあったり。

 だから本当に化ける選手は、そこまで強くない学校から出てきたりするというか。代表選手の経歴を調べてみても、半分は有名校かもしれないですが、半分はそうじゃなかったりします。アンダー世代で代表に入っていても、それがそのままA代表にいくわけではなく五輪でおしまいの選手もかなりいますし、あとで伸びる選手もいるじゃないですか」

 そんな目利きの森だけに、さぞ最近の伊東のブレイクぶりに快感を覚えているかと思えば、そうでもないと笑う。

「伊東はあれだけのスピードがありましたし、たまたま3、4年時は関東2部にいたから他のクラブに見逃されただけです。攻撃的な選手にとって、やっぱり一瞬のスピードに勝るものはないですから。それにスカウトはクラブに入れるまでが仕事で、それが終われば、もう私にとっては“過去の人”。彼はもう立派に成長して、僕がいま気になるのは甲府のこと。だから、最終予選の活躍はどちらかといえば冷めた目で見ちゃっていたかもしれません(笑)」

 日本代表で現在、伊東と右サイドのポジションを争う久保建英(マジョルカ)や堂安律(PSV)はアンダー世代から大きな期待を背負い、若くして海を渡り結果を出してきた選手たちである。歩んできた道はそれぞれのプレースタイルにも表れているが、そんな彼らが切磋琢磨し、混ざり合って“ケミストリー”が起きることもサッカーの奥深さであり、楽しさであるのかもしれない。

<#1、#2から続く>

(「サッカー日本代表PRESS」栗原正夫 = 文)










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