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「このままでは日本に帰れない。14歳の時に描いた『海外で活躍する』という夢は絶対に叶えたい」
 
 ドイツ2部・ザンクトパウリでの1年目を終えた2016年5月。宮市亮は目をぎらつかせながら、こう語っていた。
 
 あれから5年が経ち、彼は日本に戻る決断をした──。
 
 2011年2月、18歳の宮市はイングランドの名門アーセナルからオランダ1部・フェイエノールトへレンタル移籍。爆発的なスピードと突破力で、見る者の度肝を抜く鮮烈なプロデビューを飾った。その後、レンタル移籍を繰り返し、2015年夏にザンクトパウリへ完全移籍。しかし、ヒザなど複数箇所のケガに見舞われ続ける選手生活に、一時は「引退」の二文字が脳裏をよぎったという。
 
 それでも、宮市は現役を続行し「絶対に活躍してプレミアリーグに戻る」と誓っていた。そんな男が、なぜ日本に戻り、Jリーグに挑戦することを決断したのか。28歳となった彼に、どんな心境の変化があったのか。単独インタビューで聞いた。
 
「俺、終わっちゃうんだ」と絶望した3年前
 
――ザンクトパウリ移籍直後の2015年夏に左ヒザの前十字じん帯断裂、2017年夏は右ヒザの前十字じん帯断裂のケガで長期離脱。その復帰直後の2018年春には、3回目のヒザのケガに見舞われました。
 
「右ヒザをケガして10カ月離脱し、2018年4月にようやく復帰して試合に出ました。そこでまた相手選手と激しく接触して、MRI検査をしたら『同じヒザの箇所で3回目だね。手術しよう』とドクターに言われて、『ああ俺、終わっちゃうんだ』という感情が湧いてきました。ちょうどクラブとの契約も切れる時で引退も考えました」
 
――引退を考えるまで追い込まれた?
 
「はい。何度もケガはしましたが、サッカーができなくなる状況までは考えたことはありませんでした。すさまじい絶望感でした。当たり前だと思っていることが当たり前じゃないんだと感じたのもこの時です。自分の考え方がガラっと変わった時間でした」
 
――ヒザの手術には踏み切ったんですか?
 
「ドクターが目の前で手術の予約を取ろうとしましたが、『今回だけはちょっと待ってほしい』と言いました。ケガから1週間くらいしたら、少しずつ状態がよくなってきて、過去2回の経験から『(じん帯は)切れていないんじゃないか』と感覚的に分かったのです。案の定、日本で検査したら切れていなかった。そこからリハビリをして、次のシーズンには復帰できました」
 
――地獄から生還した感じですね。
 
「ホント、どんだけ泣かしてくれたんだみたいな感じです(苦笑)。ドイツで2回手術をしましたが、3回目は『すぐ手術します』という気持ちにはなれなかった。もし手術をするとしても、日本でやりたいと思っていたからです。結果的にメスを入れなくて良かったですが、この時にメスを入れていたら、また1年近くリハビリをすることになったでしょう。そうすると、2年実戦でプレーしてない選手をヨーロッパのクラブは取ってくれません。ザンクトパウリも契約の延長をしてくれなかったと思います。1つの判断で人生が変わったのは確かですね」
 
Jリーグ挑戦を決断した理由
 
 2018年夏にザンクトパウリに復帰した宮市は、18-19シーズンに25試合出場5ゴールとキャリアハイの数字を残す。翌19-20シーズンも29試合出場1得点と、コンスタントに活躍。「何度もケガをしてネジが飛んでいるから怖さがない」と本人は苦笑したが、ピッチを駆け回れたことは大きな喜びだったに違いない。
 
――ドイツ2部リーグの雰囲気は?
 
「日本ではあまり伝わっていないかもしれませんが、レベルはかなり高かったですよ。それと、サポーターがすごく温かった。松葉杖をついて歩いていると『頑張れ、いつでも待っているからな』と声をかけてくれて、ホントに感謝しかないです。キャリアを続けられたのもザンクトパウリのおかげだと思っています」
 
――それなのに、なぜ日本に戻る決断を?
 
「体です。ケガを繰り返す体になってしまい、人の手を借りてケアをし続けることでプレーできる状態になるというのが大きいですね。メディカル面は、やはり日本が一番自分に合うと考えたタイミングで、横浜F・マリノスから声をかけていただきました。ヨーロッパに残る選択肢ももちろん考えましたし、いくつかのクラブから声をかけていただきましたが、万全な体でやれるのは日本だと思いました」
 
――5年前に話していた「このままでは日本に帰れない」という気持ちに、どう踏ん切りをつけました?
 
「まずはプレーしたい気持ちからです。体の面で自分に合っている日本。そしてメディカル面でも充実しているF・マリノスの選手として、今はサッカーができる体を毎日維持することが第一です。正直言ったら、10代のときに自分が思い描いていたキャリアとは全然違いますが、サッカーができる幸せを今は感じています」
 
――18歳当時を振り返ってみると?
 
「アーセナルの選手になりたいと思って入団して以来、毎日すごいプレッシャーで、逃げ出したくなるような苦しい日々を過ごしました。『サッカーってこんな楽しくなかったっけ』と思うことも頻繁にありました。当時はケガもせず、サッカーができるのが当たり前の感覚だったから、その当たり前のことを見逃しがちでした。でも、これだけケガを重ねて、今は『サッカーができることって奇跡じゃん』って。その幸せをF・マリノスでとことん追求したいですね」
 
F・マリノス逆転優勝のラストピースに
 
――海外に挑戦して日本に戻って活躍している同じ92年生まれの「プラチナ世代」の宇佐美貴史(G大阪)選手らへの思いは?
 
「自分にとって、宇佐美は雲の上の存在でした。挑戦してきた彼らをすごくリスペクトしています。紆余曲折はありましたけど、失敗も成功も挑戦しないと経験できない。挑戦することに意義があると思う。自分自身もチャレンジしてよかったですし、人生で大きな10年でした。成功か失敗かは周りが判断してもらえたらそれでいいです」
 
――F・マリノスの一員になって感じることは?
 
「みんなものすごくクオリティが高いですし、誰が出ても結果を残しますし、F・マリノスのサッカーを体現しています。左ウイングで活躍している(前田)大然もすごくいい選手ですよね。自分も早く加わりたいと強く思います。チームは今、J1の逆転優勝を目指していますが、自分がそのラストピースになれるように頑張りたいです」
 
――近未来の姿はどうありたいですか?
 
「頭の中には、海外で活躍する自分のイメージは残っています。ただ、今は目の前のことにフォーカスして、やれることをやっていくだけです。他人を気にしてパフォーマンスが上がるわけでもないですし、最高の自分を求め続けていくだけだと考えています」
 
 宮市の言葉の1つ1つには重みがある。なぜなら、選手生命を左右する出来事に直面して、それを乗り越えてきたから。これまでの苦悩と努力を日本で結実させてほしいと切望する人は少なくない。今は、トリコロールのユニフォームを着て1日も早くピッチに立ち、宮市らしい爆発的な突破力を見せてくれることを強く願いたい。
 
■宮市亮
1992年12月14日生まれ。愛知県名古屋市出身。小学3年からサッカーを始め、愛知・中京大中京高2年時にU―17W杯出場。2010年12月にイングランド・プレミアリーグのアーセナルに入団。Jリーグを経験せず、プレミアリーグのクラブと契約を結んだ初めての日本人選手となる。2011年1月、オランダ1部のフェイエノールトに期限付き移籍。その後、プレミアリーグのボルトン、ウィガン、オランダ1部のトゥウェンテへのレンタル移籍を経験。2015年夏にドイツ2部のザンクトパウリに完全移籍。2021年7月、10年以上を過ごした欧州を離れ、JリーグJ1の横浜F・マリノスに完全移籍した。










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