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「日本サッカーの未来のために、銅メダルを-」。元日本代表GKの横山謙三氏(78)は、6日の3位決定戦でメキシコと対戦する日本代表に期待した。68年メキシコ五輪では守護神として銅メダルに貢献。メキシコとの3位決定戦では相手のPKを止めて2-0勝利の立役者となった。Jリーグ発足直前に日本代表監督を務めた経験から、継続強化の重要性を強調。W杯上位進出、日本サッカーの成長へ、メダル獲得を願った。

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日本サッカーの歴史に残る「アステカの奇跡」。日本は10万観衆のアステカスタジアムで、地元メキシコに勝った。中1日で強豪を次々と破り疲労はピーク。圧倒的に攻められながら、銅メダルを手にした。

横山 みんな疲れていたね。僕は立ってるだけだから平気だったけど(笑)。メキシコは4月には0-4で敗れたけど、手応えは感じていた。簡単ではないけど、勝てると思っていた。

試合は前半、杉山のアシストで釜本が2ゴール。後半開始早々に与えたPKを完璧にストップ。相手に傾きかけた流れも止めた。

横山 あれは、相手がボールを僕の体にぶつけただけだよ(笑)。ただ、本当に攻められた。(DF)小城たちが、頑張ったよ。

埼玉・川口高3年からGKを始め、立大2年で代表入りした。クラマー氏の猛特訓を受け、東京五輪から活躍。日本サッカー史上最高のGKと言われる。

横山 東京五輪の時は素人。ルールもよく知らなかった。そのままのチームでメキシコ五輪まで戦ったから、そこで日本サッカーの成長が止まったんだ。

少数精鋭の一貫強化でメダルは獲得したが、その先が続かなかった。大胆な若手への切り替え、思い切った世代交代を提唱。88年に日本代表監督に就任した時は、その思いを実行した。

横山 井原ら若い選手を入れて、ずいぶん怒られたよ。でも、今勝つこと以上に大切なのは、先でも勝ち続けること。だから、最後まで自分の考えを貫いた。

92年バルセロナ五輪予選は総監督として指揮し、若手への切り替えを進めた。井原は日本の守備の要として成長。W杯初出場チームの基礎をつくった。

横山 森保はいいチームをつくった。A代表を兼務することでスムーズな強化もできる。今大会のメダルは53年前と違い、来年のW杯、さらに日本サッカーの未来につながるメダル。僕らのことなど関係ない。銅メダルをとってほしい。

日本サッカーの未来に期待する熱い心で、かつての守護神、横山氏は言った。【荻島弘一】

◆横山謙三(よこやま・けんぞう)1943年1月21日、浦和市生まれ。立大-三菱重工(現浦和)でGKとして活躍。20歳で代表デビューし、75年まで171試合(Aマッチ49試合)出場。引退後は三菱監督、日本代表監督、浦和監督などを歴任した。










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