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セリエAの外国人最年少デビュー記録を更新

ヴァレリ・ボジノフ(FW/元ブルガリア代表)
■生年月日/1986年2月15日
■身長・体重/179cm・78kg

 15歳11か月でプロのピッチに立った。13歳から所属するレッチェでのそのデビューは、セリエAの外国人選手最年少記録を塗り替えるものだった。

 2年目は15試合・2得点、3年目は28試合・3得点と、ブルガリア出身の若きストライカーは確かな成長曲線を描き、4年目の2004-05シーズンに大きな飛躍を遂げる。開幕から20試合で11ゴールを量産すると、フィオレンティーナとの交渉がまとまり、冬の市場でステップアップの移籍を果たす。18歳でのブレイクだった。

 強靭なフィジカルに高度なテクニックを併せ持ち、左右両足から放つシュートはパワフルでヘディングも強い。さらに機動力がありパスセンスが非凡で、前線から中盤に下がってビルドアップに手を貸せば、巧みなアシストも決める。

 自信と確信に満ち溢れ、先頭に立ってチームを引っ張るパーソナリティーも申し分ない。ヴァレリ・ボジノフが特別なタレントであることは、誰の目にも明らかだった。

 母国ブルガリアでは「英雄フリスト・ストイチコフの再来」と期待され、セリエAに現われた「新たなウェイン・ルーニー」とも称賛された。

 無限の未来が広がっている、はずだった。しかし、明るい未来はやって来なかった。

 フィオレンティーナでは満足なパフォーマンスを見せられず、2年目が終わるとユベントスへのレンタルが決まる。いまと違って当時のユーベは、いわゆるカルチョポリ(審判買収などの不正スキャンダル)の制裁でセリエBに落とされ、混乱の只中にあった。

 そのユーベでも苦戦を続け、翌シーズンはマンチェスター・シティへ。当時のシティもいまとは違い、アブダビ資本になる前の、決して強豪とは言えないチームだった。

 シティでは、試練が待ち構えていた。膝靭帯にアキレス腱の断裂と大きな怪我を繰り返し、ピッチに立つことすらままならなかった。在籍2年間でわずか11試合の出場、たったの1ゴールに終わり、パルマへと放出された。

 イタリアに戻って最初のシーズンは30試合で8ゴールと復活の兆しを見せるも、2年目は控えに降格し、シーズン終了後にはまたしても放出の憂き目に。それでもスポルティングが獲得の手を挙げ、5年間という長期契約を結んでポルトガルに渡ったのが11年。25歳の夏だった。

5か月で終焉を迎えたポルトガルでの挑戦

 再起を期したチャレンジは、しかし、わずか5か月で終わりを迎える。自分で自分の首を絞める決定的な過ちを犯したのは、リーグカップのモレイレンセ戦(グループステージ)だった。

 1-1で迎えた後半アディショナルタイム、スポルティングはPKのチャンスを得る。PKキッカーはチリ代表のマティアス・フェルナンデスに決まっていたが、何を思ったかボジノフはボールを手放さず、チームメイトの制止を振り切ってペナルティースポットに立つと、この大事なPKを蹴ってしまう。

 決まればまだよかった。だが、シュートはあえなくセーブされ、試合は引き分けで終了。ホームのファンからはブーイングの嵐が吹き荒れ、クラブ内からは怒りの声が上がり、それから出場機会が与えられることはなかった。

 それまでの6年間、1本のPKも決めていなかったのに、なぜ強行したのか。文字通りの乱心だった。

 こうしてスポルティングを追われると、その後はセリエB、ブルガリア、セルビア、中国2部リーグ、スイス、クロアチアを渡り歩き、現在に至るまでの9年間で所属したクラブは延べ14に上る。

 20年9月から在籍するレフスキ・ソフィア――三度目の在籍だ――では、今シーズンここまでたった16分間の出場と戦力になっていない。ストイチコフの再来、新たなルーニーと期待された逸材も、2月で35歳になる。どちらにもなれなかったことは、誰の目にも明らかだ。

 才能を浪費してしまったという悔いが、本人にもあるようだ。18年2月のリエカ加入時に語った言葉が印象に残る。キャリアを振り返る記者の質問に対して、 「後ろは向かない。後悔はなにひとつない」と素っ気なく答えたのは、自責の念からに違いない。

 天賦の才を無駄にしてしまったのは、プロとしての自覚、覚悟がなかったからだ。つまりメンタリティーの問題だ。ピッチでのハードワークより、その外でのパーティーライフにうつつを抜かし、フットボールに真摯に取り組むことがなかった。そう、こうなったのは誰のせいでもない、すべて身から出た錆だ。

文●ウラジミール・ノバク
訳●松野敏史

※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年1月21日号より転載
https://news.yahoo.co.jp/articles/e49316e6fb6794587c7ea4143d4ee1e58ca25f1e?page=1 

 

2021/02/12(金)
あの時のフィオレンティーナも今より酷くてようやく最後に残留決める有様だった

そして翌シーズンから皮肉にもチームの骨格が出来上がって安定してきてボジノフの付け入る隙はなく

以降全ての選択肢で全て失敗して転げ落ちていった

2021/02/12(金) 
久々にボジノフの消息を知った
まあたしかにフィオレンティーナ移籍から完全に歯車が狂って
徐々に表舞台から消えたのは事実だが35歳でまだ現役は十分だろう。
どのあたりから努力をおろそかにしたのかそれが知りたい。

2021/02/12(金)
どの辺りから努力をおろそかにして、パーリーピーポーになったんだろう。
そういうところも書かずに、最後にあの書き方はないわー

2021/02/12(金)
「後悔はない」って本人が言ってるのに、悔いがあったに違いないってまとめる記事の出し方。ひどいよね

2021/02/12(金) 
左利きの右ウイングが流行りだした2000年代頃の代表格ではあったんだよな。

2021/02/12(金) 
怪我にメンタリティーに運…
その辺りも全て実力の内なんだろうな。
たらればで考えて惜しいと思っちゃうけどね。

2021/02/12(金) 
若くデビューして神童神童騒がれたけど、実績としてはほどんど結果を残せなかったな

2021/02/12(金)
将来有望だった左で言ったらビセンテ、ルケ、カペルってのもいたね

2021/02/12(金) 
ルーニーも不摂生の塊で遊びも派手やったけど
こんな事にはなってないから
過大評価だっただけと思うがね○○2世とか大抵過大評価
単にプレースタイルが似てるとか身体的特徴が似てるとかそんなんばっか
あの頃のヴィオラで定着出来ないのに何が才能だよ

2021/02/12(金) 
シティで幸先よくゴールして期待できるかなーって思ったら消えてしまった。

2021/02/12(金) 
35歳までできるとかすごいやん

2021/02/12(金) 
懐かしい!
中田英寿の元同僚。

2021/02/12(金) 
森本貴幸を思い出した。

2021/02/12(金)
【消えた逸材】で紹介された選手がJリーグに来てくれればいいのになぁ…

2021/02/12(金)
いたなー!











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