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 Jリーグを代表する点取り屋がまた1人、現役生活にピリオドを打った。元日本代表の前田遼一だ。

 実働期間は実に21年。2000年に暁星高から鳴り物入りでプロの門をくぐった若者も、すでに39歳になっていた。

 ジュビロ磐田に在籍した09、10年にJ1史上初の2年連続得点王を獲得。J1通算154ゴールは歴代5位の記録になる。もっとも、生まれながらの9番(ストライカー)だったわけではない。

 プロ入り当時はMF。それも2列目からの仕掛人である。ただ、当時の磐田と言えば、日本代表の名波浩や藤田俊哉など当代屈指のタレントがひしめく激戦区だ。そこへ割って入るには何かが欠けていた。

「独りで突っかけて取られてしまう。とにかく、ボールロストが多かった」

 名波の回想だ。試合中はもとより、日々の練習で先輩たちから、たびたび球離れの悪さを指摘された。あのまま一騎駆けに執着していたら、プロとしてのキャリアは短命に終わっていたかもしれない。

ゼロから始めた「FW」
 やがてFWに転じ、独自の道を極めることになるが、容易な道のりではなかった。何しろ、磐田の前線には重鎮の中山雅史と飛ぶ鳥を落とす勢いにあった高原直泰という二門の大砲がそろっていたからだ。

 いや、それでなくともストライカーは他のポジションとの互換性に乏しい特殊な仕事である。GKと並ぶ専門職と言っていい。おいそれと適応できるような類のモノではない。しかも、得点王を手中に収める領域へ到達するとなれば、なおさらだ。名波が言う。

「どうすればシュートエリアで打てるのか。そこが出発点だったからね。ほとんどゼロから始めたと言ってもいい」

 その意味で中山、高原という格好の手本が身近にあったのは大きい。だが、飛躍の理由はそれだけではあるまい。一介のFWから脱皮する契機があったはずだ。

 プロ5年目の2004年。アテネ五輪最終メンバーからの落選である。名波は当時のことを鮮明に覚えているという。

「バスで移動中にコーチから落選の報を聞かされた。周りからいじられ、本人もおどけていたけど、バックアップメンバーに選ばれた話を聞いた瞬間、顔色が変わって……。間髪を入れず『俺、行かないっす』と。あいつの意地とプライドを強烈に感じたね」

 事実、この件を境にゴールラッシュが始まることになる。翌05年のJ1で自身初の2ケタ得点をマーク。中山、高原の跡目を継ぐ3代目に名乗りを上げ、あらゆる形からネットを射抜く頼もしい決め手となった。

 そして、06年にイビチャ・オシム監督の率いる日本代表に初選出された。これを機に「もうひと皮むけた」と名波が言う。

「岡崎慎司をはじめ、ライバルたちとは違う独自のストライカー像を追い求めたと思う。自分の何を武器として磨けばいいのかと」

オシム、ザックも惚れ込んだ特殊技能
 183cm。足元の技術に加えて、サイズにも恵まれていた。そこで体幹を含むフィジカルを鍛え、守備側の懐に潜り込み、味方の遊撃を手引きする『トロイの木馬』として鮮やかに立ち回る。果たして、ポストマンの値打ちをよく知るオシムから、その仕事ぶりを高く評価されるに至った。

 いや、オシムだけではない。10年秋から代表の指揮を執ったザックことアルベルト・ザッケローニ監督も特殊技能に惚れ込んでいる。本田圭佑、香川真司ら2列目にひしめく若いタレント群の強みを最大限に引き出すためのキーパーソンでもあった。

 しかも空陸自在。もっぱら地上戦における仕掛けが目についた若い頃とは違い、空中戦でも危険な存在へと変貌を遂げる。制空権を握り、頭でもゴールを量産。クロスへの入り方から守備者の視野から逃れる動きに至るまで長足の進歩を遂げた――とは名波の弁だ。

 なお、FC東京に在籍していた2016年の湘南ベルマーレ戦でヘッドによる通算得点を45に伸ばし、中山の持つJ1記録を更新した。

 さらに、仕えた指揮官から重用される隠れた武器がもう1つあった。最後まで足を止めない馬車馬のような運動量だ。守りに回ると、すかさずプレスの先兵として敵を追い回し、逆襲へ転じる隙を与えなかった。一見、地味な仕事に映るが、黙々とハードワークに徹する姿はオシムをはじめとする監督たちの心をわしづかみにする代物だった。

 その献身的な仕事ぶりはまさに先代譲り。ストライカーとしてのタイプこそ違ったが、チームのために走り回り、体を投げ出すこともいとわぬ姿勢に中山の影響が色濃く感じられた。三代目は身上を潰す――とも言われるが、前田は違ったわけだ。

名波に電話で相談したこと
 昨季限りでFC岐阜(J3)との契約が切れると、複数のクラブからオファーがあった。そのうちの1つに「トップ下での起用を考えている」との話もあったという。この一件について、名波が振り返る。

「本人から電話があって『どう思います? 』と。いまさら難しいだろうと返したけれど。結局、その誘いも断った。ストライカーとしての矜持だろうね」

 次なる道は指導者だ。今季から古巣である磐田のU-18コーチに就任。次代を担う人材の育成に力を注ぐ。そこで「第二の前田」を育てるつもりなどないだろう。目の前の壁を一つひとつ乗り越えながら、自らの手で独自の型を築いていく道をそっと指し示す――そんな指導者像が似合いそうだ。

(「ひとりFBI ~Football Bureau of Investigation~」北條聡 = 文)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7927172b18c57de37757ac55979746cf8e5ae784?page=1 

 

2021/01/20(水)
巡り合わせであることは分かってはいるが、それでも前田遼一をオリンピック、W杯で見たかった。黙々と点を取り続ける背中に、男を感じる選手でした。

2021/01/20(水)
中山がトップに、前田がU18に戻ってくる。
ジュビロに、いい選手、特に良いストライカーが
育つことを期待。
チームも早くJ1に復帰できれば。

2021/01/20(水)
ブラジルWCの敗因は幾つかあるが前田の不調による選外は一つの要因かなと考えている。

大迫はまだ開花前だったし岡崎はザック政権下では右サイドと香川や本田の為にスペースを作りボールを収め供給し黒子に徹することができる選手はそうそう見当たらない。

困ったザックはいきなり大久保を呼び寄せるが一朝一夕でコンビネーションができるわけもなくむしろ前線は混乱、攻撃力が発揮されることはなくたった2得点で敗退。

なぜか地味な扱いをされている選手だけどそれだけ貴重な戦力だったと個人的には思っている。

2021/01/20(水) 
背が高いのに、足元技術が特殊能力。その才能さえあればFWで覚醒するのは必然だったのであろう。目の前にはプロになってからも上手くなり続けたお手本がいたのだから

2021/01/20(水) 
鹿島サポーターです。


正直、ジュビロの復活、期待してます!
我々のライバルは永遠にジュビロだと個人的には思ってます!
是非、またやり合いましょう!

2021/01/20(水)
ワンタッチプレー、2列目、サイドを上手に引き出すポストプレー、キープ力とヘディング。圧倒的なスピードが無くても戦える事を見せてくれた。彼がいると流れる様に攻撃にリズムが出る。そんなイメージです。口じゃ無く結果と背中で語る選手でした。同世代としてまた1人スパイク脱ぐと月日が流れるのは早いなと。

2021/01/20(水) 
名波ら多くのジュビロの選手たちや、Jリーガーたちが「天才」と称していたのを覚えています。「あいつはホントにうまい」と。
指導者としてのリスタートも応援しています。

2021/01/20(水) 
W杯予選ではかなり助けられたのに本番呼ばれないのは可哀想だった…。私は前田の功績を忘れません!

2021/01/20(水)
黄金期のメンバーが口を揃えて、「遼一は天才」と言ってたんだっけ
アテネ五輪予選ではボランチ起用で、大久保にアシストしてたな
岡田は守備要員で矢野を南アに呼んだけど、前田は守備めっちゃするぞと思ってた
あの頃の前田はスペ体質だったのが響いたんだろう

2021/01/20(水)
アルゼンチンとの親善試合だったかな
点は取れなかったような気がするけど
あの時のプレーがいまでも記憶に残っています。
本当に素晴らしい選手でした。
ただ、タイミングと言うか運なのか…
大きな大会にはご縁が少ないような気がしたのは残念です。

2021/01/20(水) 
前田、佐藤寿人、大久保嘉人と、アテネ世代は良いフォワードが多かったよ。
川島、長谷部も含め、息の長い選手も多いね。

2021/01/20(水) 
マークに付いてるディフェンスを剥がす為に視界から消える動きをひたすら行い、フィニッシュの時にはノーマークに見える抜群の駆け引きはスゲ〜勉強になった!
今度はその経験をジュビロの若手に伝えて自身の持つ2年連続得点王の記録を破る選手を生み出して欲しいですね!

2021/01/20(水) 
前田も引退かぁ。
寡黙に点を取り続ける姿はまじで惚れた。

自分が小さい頃から憧れていた選手が辞めていくのは、本当に寂しい。
自分も歳を取るわけだ。

2021/01/20(水) 
「06年にイビチャ・オシム監督の率いる日本代表に初選出され」以前に02年トルシエに代表候補に呼ばれ、体力測定数値では最高点だったのに日韓W杯メンバーには入れなかった。体力技術ポテンシャルは最高レベルだけど、性格的に謙虚さがプレーにおいてマイナス要素になってた印象が有ります。

2021/01/20(水) 
ブラジルW杯に前田と中村憲剛は呼ぶべきだったよ。

コンフェデやフランスに善戦してたのもこの2人がいたから。

2021/01/20(水)
運動量は暁星時代、林先生にめっちゃ走らされてたからなぁ。
でも走り練習も最初からぶっちぎりで早かったらしい。
皇居走りは暁星サッカー部で前田さんより早い人は過去から今まで誰もいないと林先生談。
生まれ持った能力に努力を惜しまないからここまで凄い選手になったのだなと改めて思う。

2021/01/20(水) 
高校時代に何回か対戦経験がある。(俺の方が1年上)
技術が高く、運動量豊富なチャンスメーカーだったよ。
反面、チャンスは作るけど、本人に怖さはあまり感じないタイプだった。
だから彼がプロでFWをやっている姿を見て、ストライカーと評されて、違和感しか無かった。

思い返せば、2001年シーズン終了後のオフに、彼の先輩経由で「自分はもっと出来る選手だと思っている」という話を聞いたなあ。
自分の中の自信とあまり起用されないというギャップを埋めるために色々努力して、元々の持ち味は残しつつ、ポストプレイヤーとして開花したのかな。

本当にお疲れ!

2021/01/20(水) 
ユース代表の頃は14番着けてトップ下時々FWだったな。
ゾノの番組で、

代表の合宿で体力テストがビリ。身体能力がなかったから駆け引きを学んだ

とか言ってたけど、DFの動きをよく見て嫌らしいトコに入ってくるストライカーだった。岐阜の時に気さくに子供にサインしてたのを思い出す
第2のサッカー人生、幸多き事を祈ります。

2021/01/20(水) 
トップのJ1復帰もそうだが、個人的には正直これからのジュビロの育成が楽しみ。
10年後のトップチームがどんなか早く見たい。

2021/01/20(水)
五輪懐かしいね
人間力はなんでボランチで使おうとしたんだろ、あいつは当時のジュビロの試合なんか見てないよ
五輪選考の最後の試合、途中出場でなぜかボランチ、意味不明
その後、ジュビロの監督になぜか就任
可哀想な前田だったな、もっと主張すべきだったんだろうけどね
人間力酷いもんだ

2021/01/20(水) 
アテネ五輪の頃は正直"器用貧乏"な感があって、トップ下としてはライバルの松井大輔より劣ってた感じがした。ただ時は過ぎてFWにコンバートされてストライカーとして覚醒してからW杯メンバーに選ばれなかったのが残念でならない。(2010年W杯はバックアップメンバー、2014年W杯は選考外)

2021/01/20(水)
前田が輝き始めた頃にはジュビロは下火だったからな。その辺は運が無かったとは思うけど、頭角を現せたのも一流揃いのジュビロだったからこそだよな。

2021/01/20(水)
むかーし、前田はFWで育てて欲しいというリクエストがクラブに対して協会側からもあったみたいな事を聞いたことがあった気がします。

2021/01/20(水) 
前田ワントップの岡崎右に置いといた時(サイドというより2トップの一角)は結構チームとしてイケイケだったよな。
まあ香川、本田がイケイケだった時だけれども

2021/01/20(水) 
2006年は選外でしたが久保、高原柳沢といたので選外も仕方ない。ただ2010年段階では既に国内随一で2014はややピークを過ぎ、選外。素晴らしいキャリアですが、もっと見たかった選手かと。

2021/01/20(水)
山本監督は前田を最終チェックで謎のボランチ起用したの覚えてる。酷すぎた
あの扱いで落とされたらさすがに穏和な前田も断ると思う

2021/01/20(水)
オシムもザックも重用したと書いてあるが、オシムが倒れた後、3年間監督だったやった岡田監督は、代表合宿に1度呼んだ記憶はあるが、代表には選んでなかった。嫌われていたのか、監督に見る目がなかったのか。

2021/01/20(水) 
最初はドリブルでスルスル抜いて、凄く選手だなぁという印象でした。ザックの時はコーナーの時の跳ね返しなんかも効いてた。
2014の時に下り坂だったのが残念。

2021/01/20(水)
当時の前田のポジションはトップ下で松井・山瀬らと推定2枠の座を争っていました。
結果、選出されたのは松井とオーバーエイジの小野でした。

2021/01/20(水) 
日本にもW杯を経験した選手がコーチになり始めた。経験を伝えてやってほしい











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