スクリーンショット 2020-12-15 11.10.58

スポンサード リンク




サッカー名将列伝第26回 イビチャ・オシム

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回はジェフユナイテッド市原や日本代表を率いたイビチャ・オシム監督。考えて走るサッカーが見る者を熱くさせた。今回は改めてそのサッカーの戦術的特徴を振り返る。

◆ ◆ ◆

<格上を圧倒して倒す>

 初めてその姿を見たのは、パルチザン・ベオグラード(当時ユーゴスラビア、現セルビア)を率いて来日した1991年の時だった。190㎝の巨体がミニゲームでレフェリーをやっていた。のしのしと黙って歩いていたが、ある瞬間に「そこ」という感じで指さすと、まさにそのスペースへパスが通ってゴールに結びついた。

 2回目は、たぶん2002年ワールドカップだ。ジョゼフ・ベングロシュ(スロバキア)とコンビでFIFAの技術レポートを作成していたようだ。ベングロシュは元チェコスロバキア代表監督で、02年はジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督だった。

 3回目は03年、ジェフ市原の監督に就任してから。その後のイビチャ・オシム監督についてはすでに多くのことが語られつくしている。

 オシム監督は中位くらいのチームをトップクラスに引き上げる手腕に定評があった。最初に指揮を執ったジェリェズニチャル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)やシュトルム・グラーツ(オーストリア)がそうで、ジェフもそうだった。ユーゴスラビア代表にも当てはまるかもしれない。

「走るサッカー」が代名詞、FWやMFを育てるのが上手で、結果だけでなく内容にもこだわり見応えのあるチームをつくる。

 現在ならマルセロ・ビエルサ監督(リーズ)のようなタイプだろう。できあがった強いチームを予定どおり優勝させる「優勝請負人」ではなく、言ってみれば「幸福請負人」。ファンに感動を与え、誇りに思えるようなチームにするスペシャリストだ。

戦術的な特徴は、マンツーマンの守備と反転速攻。相手を分析してフォーメーションをかみ合わせ、マークを早い段階で確定させることで強度の高い守備をする。

 しかし、真骨頂はそこからの攻撃だった。「リスクを冒せ」が口癖で、マークしていた相手を置き去りにして攻撃に出ていくことを奨励していた。ただ、闇雲に攻撃するわけではなく、リスクを計算させ、そのうえで踏み切れと言っている。「考えて走るサッカー」の「考える」の部分だ。

 見た目は乱戦上等。マークを置いて前へ出た時にボールを失えば、当然相手にカウンターを許すからだ。

 サッカーでは、負けているほうのチームが終盤にリスク覚悟で攻撃し、逆にカウンターも受けるために、急に双方に決定機が生まれることがよくある。それまでの膠着が嘘のように試合が活性化する。オシム監督は、そのアディショナルタイム状態をキックオフから仕掛けていたわけだ。

 ただし、乱戦を制するリスク管理を仕込んでいたので、彼のチームにはアドバンテージがある。乱戦に引き込んで圧倒する戦い方は上位チームを慌てさせ、格上に真っ向から勝負を挑んで勝つというロマンに満ちていた。

<ゲームの達人>

 ジェフでも日本代表でも、初期に行なっていた練習メニューがある。オシムのサッカーを読み解くのにカギになるトレーニングだった。

 2対2くらいからスタートして、「なぜ助けにいかないんだ?」と攻撃側に問いかける、守備側も同様。かくして2対2が3対3、4対4となっていくのだが、7対7くらいになるとこう言うのだ。

「そんなに行ってどうする」

 オシムは優秀な数学科の学生で、数学者になるかサッカー選手になるか迷っていた時期があったそうだ。サッカーの見方も数学的なところがあった。数学というより、単純な算数だが。

 ゲームは11対11で行なう。局面で数的優位をつくれれば、有利になるのは自明だが、相手ペナルティーエリア付近に14人も選手がいれば話は変わってくる。スペースが埋められているので、それ以上、数が増えても攻撃側には大して有利にならない。そればかりか、ボールを失えばカウンターされるリスクは増大している。

逆に考えても同じだ。自陣でボールをキープしている。4バックでパスを回していて、守備側はFWひとりしかいないとしよう。ハーフウェイラインの手前は攻撃側4人(GKを含めれば5人)に対して、守備側ひとりの4対1だ。

 ここで攻撃側が相手陣内に縦パスを入れたとする。ボールを縦に入れない限り得点は取れないから、縦パスはよい選択のように思われるが、ハーフウェイラインの向こう側はフィールドプレーヤーだけでも6対9であり、3人も少ないエリアにボールを送り込んだことになるわけだ。

◆優勝請負人ではなく「幸福請負人」。名将ビエルサの魔法の正体を探る>>

 せめてふたり、できればそれ以上の相手をつり出してから縦へ入れたほうが受けた味方は楽になる。自陣で数的優位3人なら、敵陣は3人の不利なのだ。単純に算数の問題なのだが、それができない選手は実際にいる。

 オシム監督のトレーニングは「頭が疲れる」とよく言われたが、算数に慣れていない、あるいは意識していないから疲れたのだと思う。局面の算数がわかれば、全体もわかる。オシム式のトレーニングは「数」を明確に意識させるものが多かった。そこからリスクを割り出し、リスクを冒すか止めるかの判断をしていく。

 本能的にプレーする選手も好きだったようだが、オシム監督の指導は基本的に理詰めであり、ボールに集中しがちな選手にゲームのやり方を覚えさせるものだった。

<リスクを計算して冒す>

 初めてインタビューした際、最初の質問に20分間も回答された時は面食らったものだ。アジアカップのあとに話を聞いた時も、やはり最初に20分ぐらい一方的に話されてしまった。聞きたいことが聞けるのはそのあとで、オシム監督が話し疲れてからだった。

 ただ、最初の長い回答で、聞きたいことの答えはおおむね含まれていた。もう、こちらの質問などわかっているようだった。こちらの手の内は見透かされていたが、オシム監督の心の内は読みにくかった。言葉どおりには受け取れないのだ。というより、2つ3つの可能性を示唆するので、どれが本音なのか判別しにくかった。

07年のアジアカップの前も、「エクストラキッカーはひとりかふたり」とさんざん言っておいて、大会が始まってみれば3人並べていた。中村俊輔、中村憲剛、遠藤保仁。

「3人呼んだ時点で、ふたりをベンチに置くつもりはなかった」

 あとでそう話していたが、大会前はリスクばかりを強調していたものだ。

 まさにリスクを冒したわけだが、4位に終わって批判も多かったアジアカップの日本代表をオシム監督は気に入っていたように見えた。

 ただ、そのあとはまた違ったチームづくりをしたと思う。日本はアジアのトップクラスだが、ワールドカップでは中位以下だからだ。

 むしろその状況こそ、オシム監督の得意とするところである。実現しなかったのは残念だが、きっと強豪国にひと泡吹かせるようなチームをつくっていただろう。

イビチャ・オシムIvica Osim/1941年5月6日生まれ。旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身。選手時代はFWで、ユーゴスラビア代表として1964年東京五輪でプレーしたことがある。78年にジェリェズニチャルから指導をスタートし、ユーゴスラビア代表やパルチザン・ベオグラード、パナシナイコス(ギリシャ)、シュトルム・グラーツの監督を歴任。03年からジェフユナイテッド市原の監督に就任。06年夏から07年まで、日本代表監督を務めた。

西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
https://news.yahoo.co.jp/articles/6931f3e6dc9975909c622c9e9ad9290cebb05f94?page=1

 

2020/12/15(火)
「ジャパニゼーション」という言葉を用いて、日本人の特性を活かした独自のサッカーで世界と戦うという考え方を提唱したのはオシムが初めてだったと思う。

その後しばらくはその思想が根付いていたけど、ブラジルW杯で惨敗したあたりからすっかりなりを潜めてしまった。もっとも、ザック・ジャパンもスペインの模倣とも言えるし、本当の意味でジャパニゼーションに取り組んだのはオシムが最初で最後だったのかも。

強豪国に倣ったやり方でも、当面の目標であるベスト8には手が届くかもしれないけど、偉大なる"先輩"がいる時点で優勝は難しいでしょう。オシム・ジャパンこそが、本気で優勝を目指して作り上げようとしていたチームだったような気がします。

まあそんなに簡単に優勝できるわけではないけど、考えて走るサッカーの完成形がW杯でどんな戦いをしたか、見てみたかったなあ。その後の日本サッカーの指針になっていたかもしれない。

2020/12/15(火)
ジェフサポですが、オシムが監督だった時ほどジェフのことを誇りに思ったことはない。
スタジアムで、どんどん選手がボール持ってる選手を追い越していくのは痛快だったな。
点取られても、まあ追いつくだろうと思える位点をとって勝ってたな。

2020/12/15(火) 
数的優位、リスク管理、スペース、トランジション。
現代サッカーでの基礎を早い段階で日本代表に植え付けたね。
代表監督にはやはり哲学がありそれをトレーニングから落とし込める人にやって欲しいな。

2020/12/15(火)
「幸福請負人」
代表の監督を続けて欲しかった…
さらには、協会に残ってくれていたのなら
僕らは、今、幸福を感じていられたのかも…
病に倒れてしまったのは、本当に残念

2020/12/15(火)
初めてオシムの試合を見たのが浦和との試合でした。戦力差は言わずもがな。
記事の通り真っ向から勝負しており攻撃時にサイドで2対1になる局面が多く見ていて惹かれるものがありました。
いまだにオシムサッカーを見た時の衝撃が忘れません。

2020/12/15(火)
W杯では、ベスト16どころかもしかしたら1勝も出来なかったかもしれない。
でも、オシムさんのサッカーでW杯が見たかったです

2020/12/15(火)
オシム時代の代表戦を見たことがありますが、本当に展開が早かった。
そこでキーマンになっていたのが中村憲剛。
彼のサイドチェンジのスピードには度肝を抜かれた記憶があります。

2020/12/15(火)
当時のアジアカップに出た遠藤保仁が(ベトナムでは)暑くて省エネサッカーにしたけど、アジアカップ後にはもっと速く攻めたいって言ってた記憶がある。オシムにとっても就任序盤の対アジアで小兵の田中達也を起用してたけど苦戦して、そのあとの対アジアでは我那覇巻高原と大型の2トップを使っていた。ベトナムではボール転がすより、浮き玉で相手を振るやり方狙ってたと思う。

2020/12/15(火)
キリチャレンジカップでも内容の良い試合を見せてくれた。選手生かし方の旨さ。特に俊輔は楽しそうな表情してた。

2020/12/15(火) 
退任までのスイス、オーストリア、エジプトの3試合はあまり語られないけど、少し格上の相手に余裕すら感じる戦いぶりやったですね。

2020/12/15(火) 
できれば06年のドイツW杯の率いて欲しかった。

2020/12/15(火)
オシムさん、最近見かけないけど,元気にしてるかな。日本人にとって、すごく愛着があって,尊敬できる監督です。

2020/12/15(火) 
オシムが監督していた頃のジェフの試合は例え負けても見応えのある良いサッカーをしてたね。
逆に勝っても内容が悪いとしょんぼりしてて、「あーこの後オシムに叱られんのかな」と思ったりしたもんだ(笑)

2020/12/15(火)
間違いなくバルカンの偉人
こんな人をよく日本に連れてこれたなぁ…

2020/12/15(火)
もう一度、オシムサッカーが見たい!

2020/12/15(火)
自分達のサッカーって本田がやりたいサッカーだったからね。

2020/12/15(火)
オシム信者が凄く多いことに驚きを感じます。代表監督としてのキャリアは短期で凄い結果があったわけでもないと思います。たしかにカリスマ性はあったけど、みんなタラレバで夢を見たいのかな。











スポンサード リンク

ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログへ