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日本サッカー界悲願のワールドカップ初出場となった1998年大会。その後の選手たちの海外進出やサッカー界のさらなる進歩の礎となった当時の戦いぶりを、現地で取材をした西部謙司さんが振り返る。

文 西部謙司

気後れはなかったが気負い過ぎた初戦

 ワールドカップ初出場の日本、初戦はトゥールーズでの強豪アルゼンチンとの対戦だった。3万3400人収容のやや小ぶりなスタジアムだったが、あまりワールドカップという雰囲気でなかったのを覚えている。メインスタンドはほとんど記者席になっていて、その大半は日本からの取材者。客席も大方が日本人。まるで日本のホームゲームだったのだ。

 予選途中で加茂周監督が解任され、コーチだった岡田武史が昇格。一時は予選敗退が濃厚となったが、プレーオフでイランを破って初出場を手繰り寄せた。

 「アルゼンチンの2トップを4バックで抑えるのは難しい」(岡田監督)

 日本は[3-5-2]システムを採用している。アルゼンチンのガブリエル・バティストゥータには秋田豊、クラウディオ・ロペスには中西英輔がマンマークでついた。日本のマーク策自体は成功したと言っていい。秋田はバティと互角に渡り合い、中西はロペスを完全に抑え込んでいる。ロペスは何もできないまま61分にアベル・バルボと交代した。

 この試合については「惜しかった」という意見と「本気でないアルゼンチンに軽くひねられた」に分かれていたが、どちらもしっくりこない。

 アルゼンチンがバティの1点で勝ったわけだが、点差は1点なので十分試合にはなっている。バティのゴールもミスがらみの偶発的なものだった。ミスは名波浩ではなくアリエル・オルテガのミスである。オルテガがフリックしようとして失敗し、急にボールが目の前に来た名波が反応したが足に当たってバティにこぼれた。オルテガのミスがなければなかったゴールである。展開はややアルゼンチン優勢ながら、日本にもチャンスはあった。

 しかし、「惜しい」という感じはない。日本の攻撃にはほとんど得点の匂いがしなかったからだ。これは3戦通して同じで、チャンスらしい形になってもシュートに結びつかないことが多かった。FWへクサビを入れ、リターンをサイドへ、サイドからクロスボールという形はあるのだが、ラストパスに工夫がない。イーブンのボールで日本のFWが決める可能性を感じなかった。クロスボールに特化するなら、呂比須ワグナーが良かったはずだが先発は中山雅史と城彰二だった。

 アルゼンチンが「本気でない」のは、完全に向こうの問題である。7試合戦うつもりで来ているチームが初戦でコンディションのピークを持ってくることはない。いわば50%のコンディションでも勝ち切らなければならないが、アルゼンチンは危うく足をすくわれそうになっていた。開始早々から様子見、リードしてからはさらにスローダウンし、日本を前につり出して裏を取ろうとしていたが、それが上手くいかなかった。「軽くひねる」つもりで失敗した試合で、かなり苦労してしまっている。

 アルゼンチンが苦しんだ原因は、日本のコンディションが素晴らしく良かったのと、攻撃の中心となるバティ、ロペス、オルテガを抑えられたからだ。とくにオルテガがブレーキになっていた。日本と同じ[3-5-2]だが、アルゼンチンは機能性が異なる。10番のオルテガはトップ下というより右のシャドーだった。ボールを持ったら必ずドリブルで仕掛けてチャンスを作る役割なのだが、井原正巳を軸とする日本の守備陣にことごとく止められていたのだ。リベロの井原は2度連続でオルテガを止めるなど、抜群の守備力を見せていた。

日本は守備陣の健闘で僅差試合に持ち込んだ。ただ、あまりにもラインが低い。ラインコントロールとコンパクトな守備ブロックを身に着けるのは、この大会後にフィリップ・トルシエ監督が来てからで、この時の日本の守備戦術はワールドカップ基準からすれば古かった。アルゼンチンのウイングバック(ディエゴ・シメオネとハビエル・サネッティ)は日本と違ってインサイドへ入ってパスワークに関わる。そのため中央で日本は数的不利に陥り支配されている。山口素弘が卓越した守備で応戦していたが、カバーするスペースが大き過ぎた。

 アルゼンチンもその点では時代遅れのシステムだったので、互いに間延びした形での試合だったのだが、ボール支配力はアルゼンチンが優位だった。

 初舞台にかかわらず日本に気後れはまったく見られず、コンディションも万全。70分で足が止まったアルゼンチンに終盤は猛攻を仕掛けた。ただ、意欲と積極性は十分だったが空回り気味ではあった。非常にミスが多く、気後れがない代わりに気負い過ぎた印象である。

勝機のあったクロアチア戦

 こちらは正真正銘「惜しかった」試合だ。勝つチャンスは十分あった。

 クロアチアはアルゼンチン同様にスローペースの試合運び。アルゼンチン戦での日本の運動量を見て、中盤の戦いを回避している。後方でキープしてから、中盤を飛ばしたロングパスを前線に送って個人技で仕留める省エネプランである。この日のナントの暑さも考慮したのだろう。しかし、この作戦は完全に裏目だった。

 日本を引き込んだことで、日本の陣形は自然にコンパクトになる。中盤のスペースが狭くなったことで日本の機動力が存分に発揮された。アルゼンチンのシメオネのような遊軍的ウイングバックもおらず、緒戦ではファン・セバスチャン・ベロンがフリーになっていたが、この試合ではプレーメイカーのロベルト・プロシネツキを各所で潰してクロアチアの組み立てを機能不全に陥った。

 相手が引いたことでスペースを得た名波、山口、中田英寿のトリオが自由にボールを持ち、縦へのボールの出し入れからサイドへ展開というパターンが何度も見られた。ただ、手数は多くなっても決定力がないのは変わらない。攻め込む回数は日本なのに、決定機はカウンターからクロアチアの方が多いという流れだった。

前半の劣勢から、クロアチアは後半に戦術を変えた。ロングボールのカウンターではなく、全体を前へ押し出した。それによって前線からプレスもかかるようになり、決勝点は日本のパスワークを高い位置で引っかけてのハーフカウンターで、エースのダボール・シュケルが抜け目なく決めている。

 ミロスラブ・ブラシェビッチ監督は「日本戦がターニングポイント」だったと後に話している。後半に変更したプランが、その後の戦い方を決めたのだそうだ。クロアチアはオランダを破って3位になっている。

勝たなければならなかったジャマイカ戦
 
 最も良いプレーをしたのがクロアチア戦なら、ジャマイカ戦は最悪と言っていい。これは勝たなければならない試合だった。

 アルゼンチン、クロアチアが失敗していたのを見ていなかったかのように、ジャマイカも後方からのロングボールをメインとして攻撃をしていた。最初の20分間は日本のワンサイドゲーム、ここまでは日本が負けるとは考えられない内容だった。

 ただ、39分のジャマイカの先制点は最後尾からのロングボールから生まれているので、結果的には作戦成功だった。トップのマルクス・ゲイルが競り落としたボールを拾いに行った秋田とステファン・マルコムが激突し、偶発的にフリーになったセオドア・ウィットモアが決めている。事故的な失点だったが、そもそもディフェンスラインが低過ぎることに根本的な原因があるわけだ。最初にロングボールを競った井原の位置はペナルティエリアのすぐ外だった。

 日本は初戦にコンディションを合わせていたようで、ジャマイカ戦は疲労が見えていた。攻め疲れたところで失点を喫している。しかし、54分の2失点目は疲労よりも怠慢プレーだった。中山、名波、城の3人が攻め込んだ後、そのまま攻め残っている。パワーを使った後とはいえ、戻るだけの時間は十分あった。ジャマイカのDFとGKの間に3人が残ったままジャマイカが攻めているので、フィールドプレーヤーは日本7人、ジャマイカは10人。そのままパスを繋がれ、最後はウィットモアがドリブルで持ち込んでゲット。

 ロングボールで先制されはしたが、それ以外は空中戦で劣勢だったわけでもなく、ジャマイカは引いたことで日本のパスワークに翻弄されていた。いくつもあった決定機を決め損ねたことが敗因だ。2点目を取られた直後、GK川口がCKで上がりかけたのを名良橋晃が押しとどめている。残り時間5分ならともかく、30分間はたっぷりあった。このあたりに日本の焦りが現れていた。

 3戦全敗に終わったとはいえ、アルゼンチン戦とクロアチア戦の内容は良く、圧倒して勝つ力はないまでも日本の力は発揮できていた。ジャマイカ戦がガス欠になったのは残念だが、3戦全敗といっても何もできなかったわけではない。未知だったワールドカップとの距離感をつかめたのは収穫だったと思う。

 2010年、岡田監督は大会直前に守備型の戦術に変更してベスト16まで勝ち上がった。自他の距離感をつかめていたのだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3183458285b144454810662f7d866c63308502b5










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