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 J1川崎の元日本代表MF中村憲剛(40)が1日、今季限りでの現役引退を表明した。かつて川崎を担当した本紙記者が中村にまつわる話を紹介する。
   ◇   ◇
 古い話になるが、中村憲剛は鹿島でプロ生活を始めていた可能性があった。J1鹿島を歴代最多の20冠に導き、「満(マン)さん」の愛称で多くの人から慕われる鈴木満取締役・フットボールダイレクターは「オレは憲剛が欲しかったんだよ。だけどなあ…」と、今でも悔しがることがある。

 中大4年当時、年代別代表入りの経験がない憲剛の評価は高くなかった。大学卒業が近づいてもプロ入り先は決まらず、同じ中大OBの満さんを頼って鹿島の練習に参加。憲剛の能力にほれ込んだ満さんは取締役会で獲得を強く訴えた。だが、他の取締役に「あんな細いヤツはプロで通用せん!」と一蹴され、泣く泣く獲得を断念。憲剛は満さんと高校で同級生だった庄子春男GMのいる川崎で、練習生からプロ生活を始めた。

 記者も「うまいけど、華奢(きゃしゃ)」と、憲剛が大成するとは思わなかった。だが、2年目、関塚隆監督(当時)がトップ下からボランチにポジションを代え、相手の圧力が減ったことが転機となり、メキメキとその実力を上げた。2006年には日本代表入りし、10年にはW杯南アフリカ大会に出場。16年のJリーグMVPなどの活躍は、ご存じの通りだ。

 鹿島には、憲剛のひとつ上で、1999年世界ユース選手権(現U―20W杯)で銀メダルを獲得した黄金世代の小笠原満男、中田浩二、本山雅志らがいた。憲剛がその才能を開花させられたかどうかは分からない。ただ、鹿島が世代交代に苦しみ、タイトルから遠ざかっていたころ、「庄子、憲剛を返せ」と、日本一の強化担当が冗談めかして愚痴ることがあったと聞いている。(相原俊之)

中日スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/74061d560e01efd3b5b1d02485975c433f4fe34b 

 

2020/11/01(日)
鹿島ファンですが、
たらればよりも、
この関係性で、小笠原選手も中村選手も
切磋琢磨して、お互いレジェンドになった
ことを応援出来た今に感謝してます。

2020/11/01(日)
線が細い=大成しないという古い考えを実績で覆した中村選手は凄いと思う。中村選手には鹿島行くより川崎でジュニーニョとかを走らせるほうがスタイルに合ってたと思う。

2020/11/01(日)
関塚監督や鬼木監督、鹿島アントラーズOBによって、育てられたので、
鹿島でも、大成していた選手でしょう。
10冠までの長く暗いトンネルはなかったかもだし、イタリアから戻った小笠原とのダブルボランチなら5連覇していたかも。

2020/11/01(日) 
トニーニョセレーゾが会うたびに憲剛を口説いていたと聞いたことがある。憲剛は「鹿島には行かないよ。川崎に恩があるから」と。

当時、絶頂期に強い鹿島を断るなんてなかなかできない。凄い男だ。

2020/11/01(日) 
憲剛は川崎のジュニーニョによって鍛えられたと思っているので
鹿島だったら今の憲剛にはなってないと思うな。
もちろん鹿島だったらのifも面白そうだけどね。
ただ「通用せん」と思われていたならすぐ切られていたかもな。

あとファンへの対応等、憲剛の考え方にはフロンターレにいたからのもので
本人もHNKの番組で「他のクラブにいたらこういう発想には
なっていなかったかも」と言ってるので、まあやっぱ川崎の憲剛だよ。

2020/11/01(日)
他サポですが、川崎は選手を上手く育てられるチームなんだと思う。

確か、大島選手も似たような経緯でしたよね?
誰が先発されても同じサッカーができる羨ましい限りです。

2020/11/01(日) 
まだまだ働けると思うがお疲れ様でした。
サッカーセンスは抜群だと思う。川崎が今やJ1トップを争うチームにした貢献度は計り知れない最大の功労者だろう。

2020/11/01(日)
関塚さんの時はボランチのイメージあるけど大島選手が頼れる存在になったこともあって、憲剛選手も最近は専らトップ下をやってましたよね。
もちろんチームスタイルによるんでしょうけど、サッカーはフィジカルに優れていなくても活躍出来るという事を明確に示してくれた選手ですね。抜きん出たサッカーIQが必要だとは思いますが。笑

2020/11/01(日) 
タラレバ言ってもしょうがない。鹿島に行ってれば、並の選手で終わったかもしれないし、逆にもっと凄い選手になって海外行ってたかもしれないし。そんなことは誰にもわからない。

2020/11/01(日)
全日本のオシム時代に招集され、アジアカップに俊輔、憲剛、遠藤のパサーの3人を同時に起用した時が記憶に残る。 大会は途中で敗退してしまったが、この3人が同時先発だからパスがよくとうって面白かったね。

2020/11/01(日)
やはり鹿島と川崎さんの関係は深かった。
風間監督が就任された辺りからだいぶ異なる道に進んでいってしまった印象ですが、間違ってはいなかった事は今の結果が物語っているのでは。
鹿島もまたそこを超えなければ。今年難しくても、可能な限り早く、必ず。
(中村選手もですが、小野選手や近年では岩崎選手が来ていたらどうなっていたのかも気になります)

2020/11/01(日) 
野球でもイチローは「線が細いから通用しない」と言われてドラフト4位でした。それが世界一のリーディングヒッターになるのだから、いかに選手の評価がでたらめかということです。

2020/11/01(日) 
中村さんは無冠のシルバーコレクター時代の川崎の主力、鹿島や浦和が強かった時代にそこにいたら活躍できたかは疑問、ちょうどよいクラブで上手くはまったと思うよ。

2020/11/01(日)
それも運だね。
ジュニーニョと我那覇の2トップの破壊力とともに憲剛が成長できたのでしょうね。
鹿島ではいい選手が多くて試合に出られない。

2020/11/01(日)
今の川崎もベースは鹿島からの派生なんだよな。例えば、鈴木隆行も川崎へレンタルされてたこともあるし、関塚さんも元々は鹿島のコーチをされてたし。

2020/11/01(日)
別に引退発表した今日話に出すことでもないけど・・・。

鹿島に行ったらもっと良かったかもしれんし、逆にここまでにならんかったかもしれない。そんなどうとでも考えられることを考えるんじゃなくて、今日は川崎の中村憲剛としてここまでの活躍をみんなで称えてねぎらうべき日だと思うけど。

2020/11/01(日)
ヨーロッパでも背が低いという理由でアカデミーの上のカテゴリーに昇格できず、移籍先でスターになるという話はよくある。
鹿島が見る目がなかったというより、クラブがどういう人材を求めているかとか、そういう所も関わってくると思うね。

2020/11/01(日) 
過去の試合を振り返ると、敵サポが唸るほどの絶妙なタイミングで繰り出す正確なスルーパスや、中盤でここぞのチャンスを潰す守備。本当にイヤな選手だった。

対戦が楽しみだった川崎の中村憲剛選手。
おつかれさまでした。

2020/11/01(日)
サッカー見なくなって随分と経つけど、中村憲剛は好きな選手の一人だった。ジュニーニョが動き出す瞬間をいち早く感じ取り、深い位置から強いインサイドキックで長いスルーパスを綺麗に通した時はスタジアムが大きく沸いた。
2014年のワールドカップで絶好調だった大久保を呼んで中村を外した時、ザッケローニじゃやっぱり勝てないなと大会前に諦めた。
お疲れ様でした。

2020/11/01(日)
残念ながら日本の指導者のほとんどがすぐに口にすることば、細い、フィジカルがない、足が遅い。だから使わない。このことで何人才能が潰れているか。
川崎という長所を見てくれる素晴らしいクラブに入ったからこそ今の姿があるのは間違いない。

2020/11/01(日)
とにかく止めて蹴る技術が圧倒的。まだまだできるのに残念。

指導者としてもセンスはありそうなので、そっちで期待してます。

2020/11/01(日)
鹿島のスタイルとして「けんご」を獲らないのをずっと貫いたおかげで、一時代を築いたとも言えるし、仮に入団していても今とはかなり違った選手になっていたかも。

2020/11/01(日)
憲剛が鹿島に入ったとしても、試合に出られなかったんじゃないの?入団した当時は、鹿島は常勝軍団で、片や川崎はJ2だったからね。川崎に入ったからチームに早く馴染めたと思うよ。

2020/11/01(日)
単に縁が無かっただけ。
そんな事を言い出したらキリが無いし、逆に「絶対に活躍する」と確信して入団したのに、サッパリだった選手だってたくさんいるんだから。

2020/11/01(日)
鹿島で大卒入団だと2〜3年でレギュラー等の結果を出さないと放出含みのJ2レンタルだから厳しかったかもね。

2020/11/01(日)
たられば。
中村選手は一から頑張って川崎のレジェンドとなった。
鹿島には縁がなかったが彼のこれ迄の功績を称えたい。

2020/11/01(日)
鹿島は中盤は黄金時代真っ只中だったから中村が入っても場所はなかったでしょうね。

2020/11/01(日)
憲剛には選手としての活躍、偉業はもちろん、大島をあそこまでの選手に育ててくれたことに感謝です!

2020/11/01(日) 
ケンゴは満さんが紹介したのか。
大島も柴崎がいるからと断ったらしいし。
そもそも関塚さんも鬼木さんも鹿島OBで、鹿島所属の選手が何人か川崎に籍を移したのはGM同士の関係があったからでしょう。
恩着せがましく鹿島のおかげ!とか言う気は無いんだけど(ごめんなさい、やはり少しあります)、川崎が強豪クラブへ進化した歴史の礎には、鹿島の存在があったと思う。
今の川崎はとんでもなく強いからしょうがないんだけど、史上最強!とか、真の常勝クラブ!みたいな事を川崎サポの方々が言うたびに、鹿島へのリスペクトや感謝がなさすぎでは…?と思ってしまう。

2020/11/01(日)
鹿島のスタイルからして憲剛を獲らなかったのは理解出来る
逆にその後、当時の憲剛が現れたからといって獲ったかも疑わしい
中村憲剛は生粋のフロンターレだったという事
中日スポーツさん元鹿島番記者の小ネタですな(笑)











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