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「『失明の危機』を乗り越えて競技復帰を目指す」。昨年のFIFAクラブワールドカップに出場を果たしたサッカー選手・松本光平が切実な思いを託したクラウドファンディングの設立は多くのサッカーファンを驚かせた。現在プレーするニュージーランドの自宅でのトレーニング中の事故で失明の危機に直面し、それでも「再びクラブワールドカップの舞台に立つ」ため動き始めた31歳。鋼のようなメンタリティを持つ“決して諦めない男”のルーツと決意を聞いた。

(文・トップ写真=宇都宮徹壱、写真提供=11aside)


クラファンで知ったフットボーラー

「右目はまったく見えていなくて、左目はぼんやり見えてはいるんですよ。視力で言ったら、0.01もないくらいですね。目の前にある料理も、そこにあることは把握できるんですが、どんな料理なのかは口に運んでみないとわからない。そんな状態で2週間、ニュージーランドでひとり暮らしをしていました。食事も自分で作っていましたよ」

あらためて声の主を間近で見ると、その右目はばんそうこうで塞がれている。松本光平、31歳。ニュージーランド1部、ハミルトン・ワンダラーズに所属する、現役のプロフットボーラーだ。昨年12月には、期限付き移籍していたヤンゲン・スポート(ニューカレドニア)のサイドバックとして、カタールで開催されたFIFAクラブワールドカップにも出場している。そんな彼は、不慮のアクシデントにより、失明の危機の只中にいる。

私が松本の存在を知ったのは、彼の所属事務所が立ち上げたクラウドファンディングがきっかけだった。手術費や入院費やリハビリなど、必要な費用を賄うための目標金額300万円は、わずか3日で達成(7月10日現在で470万円を突破している)。私もわずかながらの寄付をさせていただいたところ、当人の状況を伝えるメールマガジンが毎日届くようになった。手術当日、6月8日の松本のメッセージを引用する。

《ニュージーランドや他の日本の専門医にも回復する可能性は0%と言われ投げ出されていた中で、まだ数%の可能性があると言っていただき、手術をしていただける病院と巡り合えただけでも僕にとっては大きな一歩です。どれだけ時間がかかっても絶対に競技復帰を果たします!》

右目の回復の可能性が数%しかなく、左目も失明のリスクがある中、これほどまでに前向きなメッセージが発信できる、鋼のようなメンタリティ。私は松本光平というフットボーラーに、無性に会ってみたくなった。実際にインタビューを始めてみると、私の想像をはるかに超えるポジティブさに、思わずのけぞりそうになった。

「手術前、右目の黄斑部に空いた穴は1カ所と思われていたんです。それでも厳しい状況でしたが、実際に手術してみたら穴が3カ所あって、先生からも『こんな症例は見たことない』と。普通だったら眼球が破裂しているそうで、先生も『これは奇跡だ』と言っていました。眼球が破裂しなかっただけでも、僕の勝ちだなって思いました(笑)」


コロナ禍のさなかに悲劇は起こった
 
運命の日は、5月18日であった。松本が暮らすニュージーランドは、新型コロナウイルス対策で「勝利宣言」したことで知られているが、それでも国内リーグは中断を余儀なくされていた。クラブの施設も使えず、松本は自宅のガレージで自主トレーニングをしていた時、悲劇は起こってしまう。

「チューブで引っ張る器具で、背筋を鍛えるトレーニングをしていたら、留め金が外れて右目に命中したんです。距離的には、1メートルくらいでしたかね。僕はわりと痛みに強いほうで、相手に削られても声が出ることはなかったんですけど、さすがにその時は叫びました。というか、変な声が出た(笑)。あまりの衝撃に、しばらく動けませんでしたね」

ようやく落ち着いて鏡を覗き込んだら、なぜか曇っている。布で擦ってみても、曇りは取れない。ここでようやく松本は、左目もチューブでダメージを受けていることに気が付く。この時、彼の脳裏をよぎったのは不安や絶望よりも「もし失明していたら、パラリンピックに切り替えんとあかんかな」であったという。

「そのあと、向こうの医師に診てもらったら『申し訳ないが、手の施しようがない』って言われましたね。左目はたぶん大丈夫だけど、右目はどうしようもないという話でした。そうしたら僕の事務所が、眼科の大家(たいか)といわれる先生を日本で見つけてくれて、手術の予約を取り付けてくれました。ただし、眼圧が落ち着くまでは飛行機に乗れなかったんです。結局、帰国できたのは(事故から13日後の)5月31日でしたね」
 

日本を飛び出してオセアニアで転戦
 
松本は、オセアニアのサッカー界では、かなり知られた存在だ。ニュージーランドでは、オークランド・シティFC、ホークスベイ・ユナイテッド、ワイタケレ・ユナイテッド、そして現所属のハミルトン・ワンダラーズでプレー。その間、期限付き移籍で、フィジーのレワFC、バヌアツのマランパ・リバイバース、そしてニューカレドニアのヤンゲン・スポートを渡り歩いている。そんな彼のキャリアの原点は、セレッソ大阪U-15であった。

「今は違いますが、僕らの時代のセレッソの育成は、ガンバ(大阪)にむっちゃ水をあけられていたんです。ユース年代でも、ガンバに全然勝たせてもらえない。それでユースに上がる進路相談の時に、はっきりと『僕はガンバに行きたいです!』って言ったんです。そうしたら、親が呼び出されましたね(笑)。それまで、セレッソからガンバに移るケースってなかったらしくて、僕が初めてだったみたいです」

自分の道は自分で切り開く性分は、こうしたエピソードからも見て取れる。結局、ガンバのユースに移籍したものの、レベルの違いを思い知らされた(同期が安田晃大、上には倉田秋、下には宇佐美貴史がいた)。すると松本は、一躍イングランドに飛び、チェルシーFCコミュニティというユースチームで1年半プレーする。

その後、いったん帰国。四国リーグのヴォルティス・セカンド、JFLのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに所属したものの、足の骨折や肩の脱臼などのアクシデントが重なり、日本でのプレー機会はほとんどなかった。ようやく傷が癒えたのが2012年の6月。タイミング的には、10月にシーズンが始まるオーストラリアしか、選択肢はなかった。幸い、Aリーグのブリスベン・ロアーFCでプレーする機会を得て、そこからオセアニアを転戦する日々が始まる。

「オセアニアのサッカーですか? 基本的にフィジカルと身体能力がすべて、という感じですね。ニュージーランドが一番、技術があるといえますけど、日本に比べれば全然です。去年、クラブワールドカップに出場したヤンゲンは、オセアニアの中でも究極でしたね。地元の選手は、狩りをしながら暮らしているんです。本当ですよ(笑)! 普段から動物と戦っているから、筋力とか走力とか、すごかったですね」


再びクラブワールドカップに出場するために

この野性味溢れるヤンゲンの一員として、松本は昨年のクラブワールドカップへの出場を果たす。初戦の相手は、シャビ監督率いる、カタールリーグ覇者のアル・サッド。松本はベンチスタートだった。当人いわく「フィジカルだけで、うっかり1-1のまま延長戦までいってしまったんですね(笑)」。続きを聞こう。

「ところが延長前半にGKが味方のバックパスをキャッチしてしまって、間接FKから勝ち越されて、それで一気に集中力が切れてしまいました。さらにダメ押しの3点目を入れられて、終了です。僕自身は70分からの途中出場でした。クラブワールドカップを目指して、オセアニアで頑張ってきたので、その意味ではうれしかったです。でも、結果も内容も満足できなくて、ものすごく悔しかったですね」

オセアニア王者の一員として、クラブワールドカップのピッチに立った日本人といえば、5年連続で出場したオークランド・シティFCの岩田卓也がいる。松本自身、その話ぶりから、岩田のことを意識している様子が伺えた。年齢は向こうが6歳上だが、Jリーグ未経験のままオセアニアに渡り、まったくの無名からFIFAの国際大会までたどり着いたキャリアには、近いものが感じられる。ただし岩田は、5年連続でのクラブワールドカップ出場。2014年には、3位にまで上り詰めている。

もちろん当人には、前回大会での悔しさもあっただろう。その一方で、岩田という先達がいたからこそ、フットボーラーにとって致命的ともいえる目の負傷をものともせず、松本は再び世界の舞台に立つことにこだわり続けているのではないか。OFCチャンピオンズリーグ再開は10月、そしてクラブワールドカップ開催は12月の予定だ。

「とりあえず年内は、左目は手術をせずに視力回復を目指します。僕的には、12月までに復帰できるかなと勝手に思っていて、先生には何度も『いつ復帰できますか?』って聞いているんですけど、そのたびに『そんな状況じゃない!』って怒られるんですよ(苦笑)。でも『片目でもいいからウチに来てくれ』と言ってくれるクラブもあるし、右サイドバックだったら右目が見えなくても十分にやれると思っていますから」

手術翌日のメールマガジンで、松本はこんなメッセージを発信している。いわく《最悪の事態は免れ、現時点でまだ完全に失明はしていません。まだ希望は残っています!》。あらゆる人々が「希望」を求めている、この時代。失明の危機にあった松本光平が、クラブワールドカップのピッチに戻ってくることが、フットボールファンに希望の灯火をもたらすことは間違いない。その時、彼の右目に光が戻っていることを、心から願う次第だ。

<了>

PROFILE
松本光平(まつもと・こうへい)
1989年5月3日生まれ、大阪府大阪市出身。ポジションはサイドバック・サイドハーフ。セレッソ大阪U-15、ガンバ大阪ユースを経て、高校卒業と同時にイングランドのユースチーム・チェルシーFCコミュニティに所属し海外経験を積むと、帰国後は徳島ヴォルティス・セカンド、ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに在籍。2012-13シーズンにオーストラリアのブリスベン・ロアーFCで海外でのプロキャリアをスタートさせると、その後、ニュージーランドの強豪オークランド・シティFC、ホークスベイ・ユナイテッド、ワイタケレ・ユナイテッド、ハミルトン・ワンダラーズと渡り歩く。その間、OFCチャンピオンズリーグに出場するため2017年2月にはフィジーのレワFC、2019年1月にはバヌアツのマランパ・リバイバースと短期契約。2019年11月にはニューカレドニアのヤンゲン・スポートに期限付き移籍し、オセアニア代表としてFIFAクラブワールドカップに出場する。

文=宇都宮徹壱
https://news.yahoo.co.jp/articles/06822a164ae2bb349f3e6471771473ef2fe5b21b?page=1 



2020/07/14(火)
書いてることは悲惨で怖くなるのに1つ1つのコメントがつい笑ってしまうほどポジティブ。

「もし失明していたら、パラリンピックに切り替えんとあかんかな」

とか自分に置き換えたら絶対言えん。

奇跡が起こることを祈ります。

2020/07/14(火)
私も今、網膜症で失明の危機に有り、昨日入院しました。そう、右目が失明しても、左目がある!!

2020/07/14(火)
トレーニングの時もアイウェアの着用した方がいいですね。
特に代償が大きいプロ選手は普段から予防出来る対策はきちんとした方が賢明。

2020/07/14(火)
僕も右目だけ円錐隔膜って病気でいずれ移植手術をしないといけない状況です。
医者にはおそらく両眼なるでしょうといわれて、すでに20年…
右目の視力は0.01
なんか他人事と思えずコメントさせて頂きました。
ちょうど今年で美容師になって20年、現役バリバリで頑張っています。

目が見えなくなったらという恐怖もありますが、時間があれば海でサーフィンしたりポジティブに毎日過ごしています。

松本さんも今と変わらずチャレンジして下さい。 応援しています!!

2020/07/14(火)
メンタリティも一流。
彼のような素晴らしい選手であれば、どんな結果になろうと乗り切ることができると思います。
応援したいですね。

2020/07/14(火)
目の病気は辛いね。

私も若年性の網膜中心静脈閉塞症に
なった事がありまして、当時は
特効薬の注射が認可されておらず
失明ギリギリまで悪化した事あるから
よく分かる。 

光を失う恐怖は半端ないですよ。
ガンでも平気だった私が激ヤセしましたから。

ここのコメントでも多いけど
明るく笑える話題にしてるから
素敵とかって話でもないと思う。

怖い時は怖い
悲しい、辛いって吐き出すことは本当に大事。
危機に陥った時こそ、そういう気持ちを
大切にした方が良いのではないかと思う。

2020/07/14(火) 
奇跡は待つものではなく起こすもの。
自分に起こったことは全て意味があること。
それを肥やしにして次のステップに行ける、この人は凄いと思う。
見習いたい。

2020/07/14(火)
もし同じ状況に置かれたらそんな前向きに動ける人はほとんどいないと思う

奇跡を信じるしかないけれど、自分の想いが少しでもプラスになるなら願わずにはいられない

2020/07/14(火)
自作器具なのかな?売ってる器具なら販売元と店側を訴えることができますよね。こんな危ない器具なら普通使えないし点検やゴムの劣化や交換時期を書いてなければ賠償してもらっていいと思う。障害を持って生きていくのは困難です。いろんな夢もこんな災難で絶たれるのは
くやしいですね。

2020/07/14(火)
中村が在籍していた当時のセルティック監督だったストラカンは子供のころに片目をほぼ失明して現役時代は片目だけで普通にプレーしてたので不可能ではない。SNSの時代だしストラカンにコンタクト取って助言を求めてもよいのでは?

2020/07/14(火)
傷害事件の被害者になり片目失明しました、犯人はまだ捕まってません。野球をやっているのですが外野手だとフライの距離感が掴みにくいのでサードにコンバートしました。日常生活は意外とすぐ慣れます。逆に両目での視野を覚えてない。改めて命あることに感謝しようって気持ちになれました。

2020/07/14(火) 
サッカー 一筋…
何かに対して本当に一筋な人って、何が起きても「それどころじゃない」って感じで本当に感心します。
私の上司(医師)も自身が癌になっても「それどころじゃない、それより診療、診療」という感じで呆気にとられました。

強靭な精神力・ある意味鈍感力も備わっている人って本当に凄い。

2020/07/14(火)
明るくお話されてるけど、人知れぬ苦労や恐怖と戦っておられるはず。
視力を失うかもという恐怖は本当に凄まじい。
これは経験した人にしかわからない。
私もかろうじて救われた片目を大切にして、松本さんの強さを見習って生きていきたい。

2020/07/14(火)
私も幼稚園の頃に2階から転落し外傷性の視神経萎縮で右目はぼんやりしてて、物があるかは分かるが何かはわからず、人の顔もテレビも見えません。
同じ右目で他人事とは思えず記事を開いて読みました。
私は視神経なので回復の可能性は0%ですが、
まだ松本選手は数%でも可能性あるならば諦めないでほしいチャレンジ応援してます。
左目も視力がぼんやりということで本当に回復望むばかりです。

私の場合は小さい頃で両目見えてた時代の記憶が無いので30歳過ぎた今も幸い左目は近視はあるものの眼鏡、コンタクト使えば健常者と同じで最近は3Dの映画とかアトラクションが見えないくらいしかハンデを感じないですが、松本選手は見えていて当たり前の生活だったのでお辛いこともあるでしょう。
いつかピッチに戻れること願っております

2020/07/14(火) 
彼ほどではありませんが、私も左目がよくありません
片眼だとバランスよく物が見えず、気分が悪くなったり、頭が痛くなります
状態でさえ、不安でたまらないというのに、彼のチャレンジ精神は素晴らしいと思います
奇跡的な回復はもちろんですが、たとえ回復する事が出来なかったとしても、プレーヤーとして活躍できる事を心より願っています
ガンバレ!

2020/07/14(火)
自分は生まれつき右目の視力がありません。(視力検査で点数でない)1番大きい文字も読めません。近距離も見えません。片方の左目も高校入学くらいから、視力低下し、現在は矯正して1.0くらい。矯正歴は、約20年。高校卒業後、すぐに運転免許を取得できました。両目で一定の視力があれば可。弱視で産まれてきたことに、悔やんだりすることは正直、ありました…しかし、わたしはこうやって産まれて生きてきたからこそ、不自由はありません。
逆に、見える片目の視力のおかげで、やりたいことはやろう、後悔ない人生を生きようと、物心ついたときから目標として生きています。現在まで悔いのない人生を送ってます。
不慮の事故で失明の危機にある松本さん。体育会系ポジティブマン!現実受け止めるのは大変だが、さすがスポーツマン!切替の速さ!たくさんの勇気もらいました。残りの人生もやった後悔よりやらない後悔!勇気をありがとう。

2020/07/14(火)
プロアスリートとして致命的な事故で普通なら失意のドン底に叩きこまれるはず。彼のメンタルの強さは尊敬に値する。奇跡が起きる事を切に願います。

2020/07/14(火)
前向きで勇気づけられます。
自分も一昨年、白内障の手術をした際に使用したステロイドの目薬の副作用で急性の緑内障を患い左目の視野が3割くらい欠けてしまい、右目も去年網膜剥離を患い手術をして完治したものの物が歪んで見えるようになってしまったため、今でも不自由で不快な視界で悲しくなることがあるんですけど、目が見えるだけでも素晴らしい事だし自分も前向きに生きていこうって思えました。

2020/07/14(火) 
自分の旦那も、昨年に交通事故で、右眼失明しました!
義眼も無理な状態。眼玉陥没してました。でも?半年後には、仕事復帰しましたよ!
現場仕事です。左官職人です。車、バイクも乗ってますからね笑 左眼はかろうじて視力あります。0.3あります。でもこのまま、左眼も視力がなくなると言われます。意識を持てば、復帰できます!頑張って下さいね。

2020/07/14(火)
前向きで素晴らしいとは思うし、復帰することが心の拠り所なんだろうけど。。。
自分の身内だったら、たとえ寛解しても、その後もサッカーで激しい運動を続けるのが目に好影響なことはないだろうし、選手としての復帰より指導者側に回るとか、別の選択肢を選んでほしいと思うかもなあ。
まだ若いし選手引退後の生活のほうがずっーと長いんだし、ポジティブ思考礼讃の世の中だけど、変にそれに踊らされて、心身ともに無理はしないでほしいと思う。

2020/07/14(火) 
トレーニング中の事故。
こういう話は積極的に取り上げてほしい。
今では子どもだって大人みたいなトレーニングしているのだから。
大人になる前にトレーニングで事故に遭う可能性だってあるんだよ、ということを発信してほしい。

2020/07/14(火)
ガレージでってあるから自作したんだろうか?
留め具がパチンコのように張力で目に向かって跳んでくるのは想像しただけで寒くなる
足の爪切っていてたまに顔に来る事あるから眼鏡してる位。

漫画だと他の感覚が研ぎ澄まされてとかなるけど現実はリハビリ、リハビリだろうから頑張って欲しい。
努力は色々な形で発信されれば目に障害がある人の大きな力になる。

2020/07/14(火)
バラエティ番組でお互いがゴムチューブ口でくわえながら離したらダメみたいなあるけど、こんな事も起きると考えらと怖いですね。
とにかく良くなる事を願う事しか出来ないけど頑張って!!

2020/07/14(火)
耳が聴こえなくなるよりも目が見えなくなる方が怖い。
(ヘッドホンで音楽ガンガンかけながらも歩けるけど、目を塞がれたらとてもじゃないが歩けない)
前向きな松本さんに奇跡が起きますように。頑張れ。

2020/07/14(火) 
誰でも、恐怖とか絶望に襲われる事態です。精神的に強い方はそれに耐え克服し打ち勝っていきます。松本さんはこの事態でも恐怖感、絶望感を感じさせない。明るく、元気に前をむいている。まさに尊敬に価する方です。こんな凄い人見たことも会ったこともありません。復帰成功、活躍応援します。

2020/07/14(火) 
そんな出来事があって二ヶ月も経ってないのに、何故そこまでポジティブになれるんだ。

俺ならまだドン底にいるよ。這い上がる事すら出来ないと思う。そして周りを傷付ける言動をするだろう。
凄いメンタリティ。頑張って欲しい。

2020/07/14(火)
チューブが切れるのは私もやった事ある 無茶苦茶痛い、そして危険

チューブトレーニングのチューブは基本的に消耗品で(金のあるプロなら)定期的に出来るだけ頻繁に変えていくべきだと思う
またチューブは紫外線や乾燥などでも劣化が進む

片目失明は視界の大幅な低下だからサッカーではパラリンピックならともかく他はプロは無理なんじゃないかな

2020/07/14(火) 
職業柄トレーニング中の事故。とは言え失明の危機の中、再びフィールドに立ってプレーをする。本人しかわからない辛さだと思う。プロの世界はそんなに甘くない事は理解していると思うけど。挑む気持ちは素晴らしいです。その諦めない心が自分を強くする。でも医者が言うように、パラリンピックなら…自分ならかける言葉が見つからない。でも、サッカー選手ばかりじゃなくても、今好きでやっている事から逃げてはいけないと思う。どんな形でも前向きに考えている考えを持つ事が大事です。

2020/07/14(火) 
元々の性格もあるんでしょうけど、スポーツをやる事で精神も鍛えられたんでしょうね。私だったら落ち込みから立ち直れず殻にこもってしまう。無理せずに、でも視力が回復する事を祈ってます。お顔も心もイケメンだなぁ。

2020/07/14(火)
他の記事でこの人の状況は知っていたけど、たしかチューブトレーニングしていたら留め金が外れて猛烈なスピードで目を直撃したんだっけか……。これ、学校のトレーニングとかでもよくチューブトレを導入しているところもあるし、他人事じゃないかもね。劣化したチューブ見ると自分も怖いと思うことがある。











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