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【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ペレイラ(V川崎、札幌):後編――1994年はCBで年間MVP受賞

 1992年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に加入したDFペレイラは、93~94年に達成したJリーグ連覇のキーマンの1人として貢献。96年に移籍したコンサドーレ札幌(当時JFL)では、「北海道からJリーグチームを」を合言葉に誕生したばかりのチームを支え、“ミスター・コンサドーレ”と呼ばれた。状況も環境もまったく異なる二つのチームで、センターバックとしてプレーした日々を、ペレイラは今も懐かしそうに思い出す。

「僕が日本に行ったのは、Jリーグ開幕(1993年)の前年。その劇的な変化の前後に立ち会えたことで、Jリーグが日本サッカーにとってどんな意味を持つものなのかが、よく理解できたつもりだ。当時から、日本のクオリティーは高かったよ。特に、ヴェルディには驚かされた。実質、日本代表の半分がヴェルディにいたようなもので、柱谷(哲二)、ラモス(瑠偉)、カズ(三浦知良)、北澤(豪)……。パスワークなんて、ブラジルのチームみたいだった」

 4年間在籍したV川崎で、心に刻まれる瞬間をペレイラに訊いた。

「まずは1993年のJリーグ開幕戦(横浜マリノス)だ。スタジアムを覆う高揚感、あの華やかなショー。ピッチに入る前、ここから歴史が始まるんだっていうのを感じて、身震いしていたんだ。僕らはJリーグ初代優勝チームとなった、1993年のチャンピオンシップも忘れられない。知らない国に来て、その国の文化に溶け込みながら、勝利を義務づけられたクラブで仕事をした。しかも、プロ化1年目のタイトルだからね。

 それから、1994年のJリーグ年間最優秀選手賞(MVP)受賞。たくさんの有名な選手、ブラジルやイタリア、他にも各国の代表選手がいて、あの年のワールドカップに出場した選手たちもいた中でだった。しかも、僕はセンターバック。このポジションでこういう賞をもらえるなんて、想像したことすらなかったよ」

 当時、Jリーグの試合がブラジルのテレビでも見ることができたこともあり、ペレイラの活躍は母国でも話題となった。今でもブラジルの人々には、バイーアやグアラニーでのプレーだけではなく、“日本で成功したペレイラ”という印象も強い。


当時は井原正巳の大ファン V川崎MF廣長優志の“学ぶ姿勢”にも感銘
 
 1996年に移籍した札幌は同年に改称し、Jリーグ準会員となったばかりだった。

「初めてのプロチームに対する、札幌や北海道の人々の大きな喜びが感じられた。そのなかで、チームの1部昇格を手伝うことは、すごく幸せなことだった。ヴェルディの時はクラブの基盤が整っていたし、経験豊富な選手たちが揃い、チームはすでにでき上がっていた。そういうクラブが優勝を目指すのを、手助けしに行った形だった。一方、札幌は他のビッグクラブでの経験や、情報を求めている時期だったし、若い選手も多かった。だから、チームとクラブを作るために、また選手を育てるために、力になれた気がする。そういう二つの違った状況でやれたことは、僕にとっても、素晴らしい経験だった」

 ペレイラに関して当時よく言われていたのは、サッカーを見始めたばかりの日本のサポーターに、攻撃のスター選手たちが輝く試合において、それを支える守備の大切さや、その魅力を教えたということだった。

「だからこそ、Jリーグ最優秀選手賞に選んでもらえたことは、サッカーを志す少年たちにとって、ディフェンダーの重要性を学ぶきっかけになったし、若いセンターバックにも刺激になったと思っている。僕の信念なんだけど、良い守備をするのにラフプレーやファウルは必要ない。素早く予測して、相手がボールを受ける前に、そのボールを奪えばいいんだ。今思えば、日頃からそういうふうに、プレーを理論立てて説明しながら若手をサポートしていたことで、引退後、すんなりと指導者への道を選べたのかもしれない」

 そして、ペレイラは当時の日本人ディフェンダーを称えることも忘れなかった。

「僕は井原(正巳)の大ファンだったんだ。特に、彼が日本代表でプレーしている時、すごく注目していた。それから、ヴェルディの廣長(優志)。センターバックやボランチとしてプレーしていた彼はいつでも僕と話し、一緒にポジショニングの練習をしようとしていた。彼の姿勢を尊敬したものだよ。それによって僕も、プロとして始めたばかりの若手を手助けするという、プレー以外の自分の役割を知ることができたんだ」


「日本の人たちへの感謝の気持ちを今も胸に抱いて、サッカーの仕事を続けていく」

 最後に、ペレイラに日本のサポーターへメッセージを語ってもらった。

「ヴェルディが長年J2にいるのは、僕にとっては寂しいこと。ラモスがよく言っていたよね、“ヴェルディ・スピリット”って。彼は、勝者であり続けるために戦うことを、言っていたんだ。だから、サポーターのみんな、クラブにパワーを与え続けてほしい。いつもそうだったように、応援する気持ちを選手たちに伝えてほしい。ヴェルディがあの偉大なチームに戻るためにね。

 それから、コンサドーレのサポーター。みんなは今も、北海道にできた初めてのプロチームを誇りにしていると思う。だから、当初のあの感動を忘れずに、これからも参加していってほしい。それが、ここ数年J1を維持しているチームに、さらなる自信を与えることになる。

 サッカーというのは、サポーターの存在がチームをますます強くするんだ。そして、ここブラジルにも、僕という強力なサポーターがいることを覚えていてほしい。僕も、温かく受け入れてくれた日本の人たちへの感謝の気持ちを今も胸に抱いて、サッカーの仕事を続けていく。そしてまた、いつかみんなに会える日を楽しみにしているよ。その時の挨拶は決めてある。

『ニホンノ ミナサン、オヒサシブリ。ペレイラ デス(笑)』」

藤原清美 / Kiyomi Fujiwara
https://news.yahoo.co.jp/articles/081c4ffe6ef12c62463c0b76f058be95974a7732?page=1 

 

2020/06/24(水)
スタメンの殆どが日本代表(しかも代表スタメンや主力)のスター軍団の中で、しっかり守備を支えるいい選手だったな。
当時最強だったヴェルディでも長く活躍したし、その後も日本で活躍した。
ジーコとか大物でなくても、優良な助っ人はいるって証明してくれた。

2020/06/24(水) 
ロッサムとのセンターバックコンビでしたね。パワーのあるキックも好きでした。あのころはヴェルディに夢中だったなあ。

2020/06/24(水)
いまや札幌はJ1で優勝を狙えるチームで、ヴェルディがJ2からなかなか抜け出せない。この状況を一番驚くだろうな

2020/06/24(水)
> 僕の信念なんだけど、良い守備をするのにラフプレーやファウルは必要ない。素早く予測して、相手がボールを受ける前に、そのボールを奪えばいいんだ。

ブラジル人からこの言葉を聞くとは。
実際、ラフプレーに逃げるディフェンダーは、技術を向上するチャンスを失ってるだけだからな。

2020/06/24(水) 
ヴェルディはいい選手をたくさん送り出してるのに、この位置は不思議だな。
ヴェルディスピリット=読売スピリットじゃないんだし、そろそろ上がってこないと。

2020/06/24(水)
向上心があって研究熱心でアトランタ五輪代表でも活躍した廣長優志が20代で引退してしまったことをペレイラはどう思ってるかな。カズやラモスも残念がってた。

2020/06/24(水)
ホントにラフプレーをしないスマートなディフェンダーだった。

2020/06/24(水)
ペレイラとディド、ウーゴマラドーナとデリーバルデスは札幌のレジェンド。

2020/06/24(水) 
ペレイラと聞いてまず思い浮かべるのはあなたです。

来てくれてありがとう。

2020/06/24(水) 
ペレイラ!いました!あの頃のヴェルディは最強でした!パスは回る、シュートは決まる!最後のコメントカッコエエわぁ!

2020/06/24(水)
攻撃のスター選手たちが輝く試合において、それを支える守備の大切さや、その魅力を教えたということだった。

ペレイラよ、残念ながら魅力は伝わってない。
ガヤは相変わらず攻撃バカばっかだ。

2020/06/24(水)
なんて感慨深いインタビューだ

2020/06/24(水) 
すごいいい選手でしたよね

2020/06/24(水) 
ヴェルディの3番といえばペレイラ。

2020/06/24(水)
プレーもコメントもクレバーだわ。











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