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 見れば見るほど、不思議な魅力に惹きこまれていく――。

 桐蔭横浜大のMF橘田健人(たちばなだ・けんと)の川崎フロンターレへの加入内定が先日、発表された。

 鹿児島県の強豪・神村学園高では1年時からエースナンバーの「14番」を託され、独特のリズムを刻むドリブルと、柔らかなラストパスを繰り出すトップ下のアタッカーとして活躍。大学に入ると、1年時は左サイドバックを経験し、さらにプレーの幅を広げるべく、2年時にはボランチにコンバート。サイドや中盤の底からテンポ良い配球を見せる一方で、相手の激しい寄せに対してもひらりとかわし、そのままゴール前まで運んでいくドリブルに磨きをかけた。


スピードに乗っても、バランスが崩れても。
 
 筆者が彼を初めて見たのは高校時代。当時の神村学園には橘田の1学年下に現在J3ギラヴァンツ北九州で10番を背負う高橋大悟がおり、正直に言えば“高橋目当て”に足を運んだ記憶がある。だが、試合が始まると、すぐさま彼の動きに目が留まった。 トップスピードに乗った状態でも、バランスを崩された状態でも、決して倒れない。「14番」が作り出す独特な間や、相手のリズムを切り裂く俊敏性に富んだドリブルに心を奪われたのだ。

 だが、これだけの才能を持ちながら、実績や周囲の評価は驚くほど地味だった。高校時代は全国大会に一度も出場できず、Jクラブからのオファーはなし。大学3年になり、守備力が向上したことで、Jクラブの関係者から高い評価を受け始めたが、「知る人ぞ知る存在」の枠から出ることはなかった。

 橘田の評価が劇的に変わったのが、昨年のインカレだ。関東大学リーグ1部を史上最高順位となる2位でフィニッシュし、同大会初出場を決めた桐蔭横浜大は、この大会でも快進撃を続けて準優勝に輝いた。そのチームで攻守の要として躍動したのが橘田だった。彼がひときわスカウトの視線を集めることになったのは、準々決勝の法政大戦のプレーにある。


スタジアムを沸かせた6人抜き。
 
 21分、右中央でボールを受けた橘田は、法政大の鋭いプレスバックを受ける。完全に彼の視野外からのプレスだったが、倒れることなく、逆にその反動を利用して右足のアウトサイドでボールを前に持ち出した。対峙したDFとの球際の競り合いを制して、そのまま相手の股を抜き、2人の間をすり抜けてスピードアップした。

 法政大はすぐにもう2人DFで縦と左へのサイドチェンジのコースを切ったが、橘田は再びその間をドリブルで切り裂き、さらにカバーに入っていたCB森岡陸(ジュビロ磐田内定)をかわした。最後は飛び出してきた2mのGK中野小次郎(北海道コンサドーレ札幌内定)の長いリーチをも翻弄し、シュート。最終的にゴールカバーに入ったDFに阻まれたが、計5人のDFとGKをかわした「6人抜きドリブル」にスタジアムは大きくどよめいた。

「インカレの前はJ1、J2の3クラブからお話をもらっていたのですが、インカレ後に安武亨監督(桐蔭横浜大)から『お前、すごいことになってるぞ! 』って言われたんです。どうやらJ1の数クラブからの打診が殺到していたようで。一番驚いたのはフロンターレからオファーが来たことなんですけどね(笑)」

「知る人ぞ知る存在」から「超優良銘柄」へ。彼にとって川崎からのオファーは驚きであると同時に、断る理由がない最高の吉報だった。


川崎で驚いた大島、守田らのレベル。
 
 橘田がこのオファーを「まったく予想していなかった」と語るのには理由がある。桐蔭横浜大と川崎の練習場は車で15分程度とすぐ近く。それゆえに川崎で怪我人などが出た時の補充として、桐蔭横浜大サッカー部の選手数人が練習に加わっており、橘田もその1人だった。

「サッカー部から3~4人駆り出されるのですが、僕も1年、2年の時に年に数回参加しました。大学3年になるとその頻度が増えて、週1に近いペースで参加していた時期もありました。ただ、それはあくまでも練習の補充要員であって、期待の選手として『見られている』感覚が一切なかった。なので僕がフロンターレに入れるなんてまったく思っていませんでしたし、到底考えられませんでした」 練習に参加する度に川崎のレベルの高さに驚かされた。

「同じボランチだと、大島僚太選手は見ている世界が凄すぎる。ボールが来る前に何度も首を振って状況を把握しているし、正直いつ見ているのか分からない時もある。守田英正選手は守備が強いし、自分では絶対にターンしないところをターンするのは衝撃でした。下田北斗選手もキックの質が半端ないし、同い年の田中碧選手は止めて蹴るが正確で、やっぱりレベルがめちゃくちゃ高い。原田虹輝選手も前を向く力があるし、みんなうまいんです。

 そうした選手たちのプレーをずっと『凄いな』と思って見ていて、『自分が入ったら』というイメージは到底できなかった。それに紅白戦になると僕らはあくまで対戦相手を想定した動きをしますし、ポジションもサイドバックやFW、ボランチ、トップ下といろんなポジションに配置されるんです。僕自身も選手たちやチームに迷惑をかけないように、忠実にプレーしたり、普通の練習でも流れを切らさないように緊張しながらやっていました。もう完全に第三者目線でしたね。練習終わって帰る時に、『次元が違いすぎる』と参加したチームメイトと話しながら帰っていました」


「俺の名前を覚えてくれているんだ」
 
 だが、すでに川崎にとって彼は魅力的な選手に映っていたのだろう。彼をずっと見続けてきた向島建スカウトはこう明かす。

「練習に入ってもミスが少ないんです。特にポゼッションの練習では前からこのチームにいたのかと思うくらい違和感なくプレーする。1年時は線が細い印象だったのですが、3年になるとガッチリとした身体になって、ボール奪取も格段にうまくなった。『うちにフィットする選手だな』と注目していて、インカレで確信に変わりました」

 そんな評価を露知らず、川崎の練習に参加していたある日のこと。橘田にとって驚きの出来事があった。 「昨年の夏前、しばらくフロンターレの練習に参加していない時期があったんですよ。久しぶりに麻生グラウンドに行ったら中村憲剛選手が笑顔で寄ってきて、『おう、橘田!  久しぶり』って声をかけてくれたんです。『俺の名前を覚えてくれているんだ』とめちゃくちゃ嬉しかったんです」

 この時点で中村は彼のポテンシャルを見抜いていたのかもしれない。実はこの練習参加も向島スカウトが「最近来ていないので参加させてほしい」と安武監督にリクエストしたものであった。


自分のプレーを淡々と語る橘田。
 
「プレーする時、まずボールを奪いに来る選手を見て、(自分が)ボールを受けた時に食いついてきたら『相手がこっち来たから、あっち行こう』とドリブルをします。もし食いついて来なかったら、サイドチェンジ、スルーパス、縦パス、もしくは繋ぐパスに切り替えます。

 ドリブルに固執しているわけではなくて、自分の感覚で『抜ける』、『ドリブルで運べる』と思った時しか仕掛けません。常に相手の立ち位置や(ボールを)取りに来る姿勢、狙いを見ているので、ボールを受けた瞬間に感覚で分かるんです。その感覚に忠実に従いながら判断を積み重ねています」

 彼のプレーは相手の間合いに入っているか、入っていないかで判断を変えている。ドリブラーというと、自分の間合いを作りながら相手の間合いに入っていくものだが、彼は相手の間合いに飛び込んでそのリアクションを見て、そこからアクションを選択し、実行できる能力を持ち合わせている。それは確かな足元の技術とアジリティーを備え、上半身と股関節の可動域が広くないとできないスペシャルな技である。

 さらに相手の間合いに入っていないと判断すればシンプルにパスに切り替えられるのだから、相手からすればかなり捕まえづらい。

 橘田は自らのプレーをさらっと説明する。だが、すでに自分が次元の高いレベルにいることを、本人が一番気付いていない印象だった。

「まだ他の選手と比べると周りが見えていないし、フロンターレが求めるレベルの選手にはなっていないと思います。でも、他の選手とタイプは違うのかなと思うところもあります。たとえば三笘薫選手のドリブルは相手に向かってグッとスピードを上げて仕掛けていく。僕は三笘選手のようなスピードもないので、相手の奪う動きを利用してドリブルを仕掛ける。僕は味方のパスがズレた時や、僕のトラップがズレたときこそ『抜ける』と感じるんです。

 僕は守備の時、相手が自分の置きたい場所に完璧なトラップをしたら無闇にボールを奪いにいかない。ズレた時に奪いにいく。相手もその感覚が持っていて、(トラップが)ズレた時の方が(相手が)チャンスだと思ってボールを奪いに来てくれるので、その心理を逆手にとれる。相手が足を出した瞬間にセカンドタッチを素早くして、自分が置きたい場所にボールを置きます。セカンドタッチの速さは自分の得意とするところでもあります」

 感覚を言葉にし始めたことで、徐々に「不思議のベール」が剥がれてきた。こうやって自分の能力を把握するきっかけとなったのは、川崎のレジェンド・中村憲剛の存在が大きい。橘田がずっと磨いてきた独特の感性に大きなポテンシャルを見出していたのが、他ならぬ中村だったのだ。


キャンプで中村憲剛と話したこと。
 
「安武監督からフロンターレのオファーの話を聞いたときに『憲剛選手がお前のプレーを気に入ってくれているらしい』と言われたんです。憲剛選手はもう見ている場所が異次元すぎるし、ドリブルも取られないし、何よりトラップが上手過ぎる。どんなボールもピタッと意図した場所に止めるんです。憲剛選手に学びたいことがたくさんあるし、その環境は他にない。レギュラー争いは厳しいかもしれないけど、学べるチャンスがこれほどあるクラブはそうないと思ったことが、フロンターレに行こうと決めた要因の1つでもあります」

 1月の宮崎キャンプで中村と同部屋になると、いろんな話をしてもらったという。実はこれも向島スカウトが「憲剛から学びを得てほしい」と、意図的に同部屋に組み合わせたものだった。

「印象的だったのがロアッソ熊本と練習試合をした帰り。その試合で僕が(FWレアンドロ・)ダミアンにボールを当てて、そのまま中に入っていってアシストをしたプレーを褒められたんです。その流れで『健人はいつも結構いい位置に立っているんだよね。そのポジショニングとかどうやって勉強しているの? 』と聞かれました。『僕、そんなに意識していないんです』と答えたら、『逆にそれすごいな! 』と驚かれたんです」

「感覚」でプレーしている。サッカー界きっての理論派である中村が驚くのも無理はない。筆者もそのリアクションに頷いたが、同時に今後それを言語化し、理解を深めていくとしたら、まだまだ伸びしろがあるということの裏返しでもある。

「ずっと衝撃を受けてばかりの人たちと一緒にプレーするということに、なかなか現実味を感じませんでしたね」(橘田)


自己評価と他者評価のギャップ。
 
 自己評価と他者評価のギャップ。普通は前者が高くなるが、橘田は後者が高い。もしかすると、そこに彼の未知なる可能性が潜んでいるのかもしれない。

 チーム編成を考えても、ボランチとインサイドハーフのポジションは強者揃いの最激戦区だ。そこに新たなピースとして迎え入れるのだから、それ相応の実力者であり、武器を持っている選手でないと獲得には至らない。それでも、川崎は獲得を決めた。他のクラブもまた、獲得に動き出していた。これが彼の評価の真実である。

 橘田自身、もちろん自信がないわけではない。むしろ自分の評価を控えめにすることで 大きな野望を宿らせている。

「(川崎の)ボランチはJトップレベルの激戦区。僕が一番下ですが、だからこそ多くのことを吸収できるし、学べる。成長できる可能性が大きいと思ったので、フロンターレに入ることは一切迷いはありませんでした。

 それに僕が目標とする中村憲剛選手や大島僚太選手の領域に進むためには、すべての面を引き上げる『究極の進化』が必要だなと感じました。その進化を手にできる可能性がある場所がフロンターレなんです」

 ただの補充要員からチームの未来を担う存在へ。橘田健人の謙虚でありつつ野望に満ち たサッカー人生にこれからも注目していきたい。不思議な力に魅了され続けながら――。

(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7602e445b126729cd847ab91d5842e7e603eba3 


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