1: 2020/06/09(火) 08:15:41.84
「BBC」でチェルシーに移籍した1995年当時を回顧
元オランダ代表FWルート・フリット氏が、イタリアからイングランドに渡ったのは25年も前のことだ。
当時はセリエAが世界最高峰のリーグであり、プレミアリーグは現在ほどの盛り上がりを見せていなかった。
キャリアの晩年でチェルシーへ移籍したフリット氏が、英公共放送「BBC」で当時を振り返っている。
フリット氏は自身がイングランドに渡った1995年が、プレミアリーグにとって一つの転機になったと語っている。
「あの夏は、もしかしたらプレミアリーグが現在のように変わっていく第一歩だったかもしれない。
当時はイタリアが王様だった。最高の選手は、みんなそこにいた。
イングランドは欧州でトップレベルに戻るために、海外から多くの選手を獲得しようとした。
デニス・ベルカンプ、ダビド・ジノラ、ジュニーニョ(・パウリスタ)は、私と同じ時にイングランドに来たんだ。
私個人としては、冒険という感覚だったね。もうすぐ33歳になる時で、長きにわたってトップでプレーを続け、多くのものを勝ち取ってきた。
なかには、引退後に備えて年金を稼ぎに来たと思った人もいたかもしれない。でも、彼らは間違っていたね」
1995年というと、日本のJリーグができて間もない頃。
欧州ではフリットの日本行きも噂されていたという。
だが、「チェルシーはパラダイスだった」というフリット氏は、他クラブとの交渉が進展していなかったことを明かしている。
「新聞では、いろいろな国のいろいろなチームへの移籍が報じられた。
バイエルン・ミュンヘンは一つだったし、ガラタサライもあった。モナコ、フェイエノールト、さらには日本のチームへ行くという話さえ出ていたね。
でも、どのクラブとも話し合いをしていない。1995年の5月にミラノで(当時チェルシー監督の)グレン(・ホドル)と会い、契約することを決めたんだ」と、説明している。
選手年俸の高騰にも意見 「多くの金額を貰い過ぎている選手がいる」
それまで黄金時代を過ごしたACミランやサンプドリアでは、攻撃的なポジションでプレーしていたフリット氏だが、
チェルシーではスイーパーの位置でプレーした。これは、彼自身の提案によるものだったという。
「チェルシーでスイーパーとしてプレーするように言ったのは、グレンじゃないんだ。
あれは加入する際、私が提案したんだ。攻撃的MFとしてプレーしていたイタリア時代とは異なり、後ろでプレーしたかったんだ。キャリアの最初は、あのポジションを務めていて大好きだったからね」
だが当時、“キック・アンド・ラッシュ”が主流だったイングランドで、ボールをつなぐことを望むフリットのスタイルは、受け入れられなかったという。
「問題は、私は当時のプレミアリーグであのポジションを務めるには、適していなかったんだよ。
ロングボールがペナルティーエリア内に蹴られてくると、私はそれを胸でトラップして、そこから組み立てようと周囲を見渡すんだ。
するとグレンに『ルディ(フリットの愛称)、ノー、ノー、ノー。
君がやりたいことは理解できるよ。でも、他のDFが困ってしまうんだ』と、注意されたんだ。
今のプレミアリーグのDFは、最終ラインから組み立てようとしているから、現在なら機能しただろうけどね」
その後、チェルシーで選手兼監督を務め、解任された後には、ニューカッスルを率いたフリット氏は、新型コロナウイルスによる被害拡大は、クラブが経営面を見つめ直すタイミングだと感じているという。
「私からすると、今のイングランドには、それほど上手くもないのに、あまりにも多くの金額を貰い過ぎている選手がいる。
大スターが、大金を得るのはOKだ。でも、そこにかすりもしない者も、大金をもらっている。
お金はプレミアリーグを良い意味で変えてきた。
でも、こうした事態が再び起きて、現在と同じ金額を使い続けていれば、多くのクラブは破産するだろう。気を付けなければいけないし、やり方を変えるべきかもしれないね」
イングランドのサッカー界に、少なくない影響を与えたフリット氏。「イングランドに行ったことを少しも後悔していないよ」と言う彼が、もしJリーグに来ていたら、日本のサッカーの歴史も、また変わっていたかもしれない
https://news.yahoo.co.jp/articles/efd0480eb060a48cd8175ddb1835f593cf1ea671
6/9(火) 7:30配信
https://image.middle-edge.jp/medium/
元オランダ代表FWルート・フリット氏が、イタリアからイングランドに渡ったのは25年も前のことだ。
当時はセリエAが世界最高峰のリーグであり、プレミアリーグは現在ほどの盛り上がりを見せていなかった。
キャリアの晩年でチェルシーへ移籍したフリット氏が、英公共放送「BBC」で当時を振り返っている。
フリット氏は自身がイングランドに渡った1995年が、プレミアリーグにとって一つの転機になったと語っている。
「あの夏は、もしかしたらプレミアリーグが現在のように変わっていく第一歩だったかもしれない。
当時はイタリアが王様だった。最高の選手は、みんなそこにいた。
イングランドは欧州でトップレベルに戻るために、海外から多くの選手を獲得しようとした。
デニス・ベルカンプ、ダビド・ジノラ、ジュニーニョ(・パウリスタ)は、私と同じ時にイングランドに来たんだ。
私個人としては、冒険という感覚だったね。もうすぐ33歳になる時で、長きにわたってトップでプレーを続け、多くのものを勝ち取ってきた。
なかには、引退後に備えて年金を稼ぎに来たと思った人もいたかもしれない。でも、彼らは間違っていたね」
1995年というと、日本のJリーグができて間もない頃。
欧州ではフリットの日本行きも噂されていたという。
だが、「チェルシーはパラダイスだった」というフリット氏は、他クラブとの交渉が進展していなかったことを明かしている。
「新聞では、いろいろな国のいろいろなチームへの移籍が報じられた。
バイエルン・ミュンヘンは一つだったし、ガラタサライもあった。モナコ、フェイエノールト、さらには日本のチームへ行くという話さえ出ていたね。
でも、どのクラブとも話し合いをしていない。1995年の5月にミラノで(当時チェルシー監督の)グレン(・ホドル)と会い、契約することを決めたんだ」と、説明している。
選手年俸の高騰にも意見 「多くの金額を貰い過ぎている選手がいる」
それまで黄金時代を過ごしたACミランやサンプドリアでは、攻撃的なポジションでプレーしていたフリット氏だが、
チェルシーではスイーパーの位置でプレーした。これは、彼自身の提案によるものだったという。
「チェルシーでスイーパーとしてプレーするように言ったのは、グレンじゃないんだ。
あれは加入する際、私が提案したんだ。攻撃的MFとしてプレーしていたイタリア時代とは異なり、後ろでプレーしたかったんだ。キャリアの最初は、あのポジションを務めていて大好きだったからね」
だが当時、“キック・アンド・ラッシュ”が主流だったイングランドで、ボールをつなぐことを望むフリットのスタイルは、受け入れられなかったという。
「問題は、私は当時のプレミアリーグであのポジションを務めるには、適していなかったんだよ。
ロングボールがペナルティーエリア内に蹴られてくると、私はそれを胸でトラップして、そこから組み立てようと周囲を見渡すんだ。
するとグレンに『ルディ(フリットの愛称)、ノー、ノー、ノー。
君がやりたいことは理解できるよ。でも、他のDFが困ってしまうんだ』と、注意されたんだ。
今のプレミアリーグのDFは、最終ラインから組み立てようとしているから、現在なら機能しただろうけどね」
その後、チェルシーで選手兼監督を務め、解任された後には、ニューカッスルを率いたフリット氏は、新型コロナウイルスによる被害拡大は、クラブが経営面を見つめ直すタイミングだと感じているという。
「私からすると、今のイングランドには、それほど上手くもないのに、あまりにも多くの金額を貰い過ぎている選手がいる。
大スターが、大金を得るのはOKだ。でも、そこにかすりもしない者も、大金をもらっている。
お金はプレミアリーグを良い意味で変えてきた。
でも、こうした事態が再び起きて、現在と同じ金額を使い続けていれば、多くのクラブは破産するだろう。気を付けなければいけないし、やり方を変えるべきかもしれないね」
イングランドのサッカー界に、少なくない影響を与えたフリット氏。「イングランドに行ったことを少しも後悔していないよ」と言う彼が、もしJリーグに来ていたら、日本のサッカーの歴史も、また変わっていたかもしれない
https://news.yahoo.co.jp/articles/efd0480eb060a48cd8175ddb1835f593cf1ea671
6/9(火) 7:30配信
https://image.middle-edge.jp/medium/
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17: 2020/06/09(火) 08:34:36.28
>>1
グーリットのピークはハーレム時代。
DFなのにガンガン点取ってた。
グーリットのピークはハーレム時代。
DFなのにガンガン点取ってた。
2: 2020/06/09(火) 08:16:45.76
誰?
15: 2020/06/09(火) 08:29:06.94
>>2
俺もグーリット走っているがフリットっていう揚げ物みたいな名前は知らん
俺もグーリット走っているがフリットっていう揚げ物みたいな名前は知らん
3: 2020/06/09(火) 08:16:56.23
4: 2020/06/09(火) 08:17:07.32
5: 2020/06/09(火) 08:18:46.56
来てなきゃ意味のない回答だよ
6: 2020/06/09(火) 08:20:17.65
ボスマン判決が94年でそれまでサッカー選手が億の年俸もらうなんて有り得なかった
だから草創期のJリーグに大勢大物がやってきた
だから草創期のJリーグに大勢大物がやってきた
12: 2020/06/09(火) 08:25:09.26
>>6
外国人三人縛りある方が良かった
外国人三人縛りある方が良かった
7: 2020/06/09(火) 08:20:44.95
何でこのスレ立てた?
8: 2020/06/09(火) 08:21:26.28
とんねるずの生ダラのPK合戦にフリット出ていたな
9: 2020/06/09(火) 08:22:39.98
だから何?としか
来てない以上、無意味な話。
来てない以上、無意味な話。
10: 2020/06/09(火) 08:22:47.22
代表で17点しか取ってないんだよ。
13: 2020/06/09(火) 08:26:18.32
よほど放射能が怖かったようだな
14: 2020/06/09(火) 08:28:39.87
>>13
だから韓国行きの話は無かったんだな。
だから韓国行きの話は無かったんだな。
16: 2020/06/09(火) 08:33:00.19
ラウドロップもきてるぐらいだしな
18: 2020/06/09(火) 08:38:24.54
髪型で覚えてる
20: 2020/06/09(火) 08:44:41.54
名古屋がオファー出してたような
25: 2020/06/09(火) 09:00:16.21
>>20
ベンゲルの時にシーフォのうわさはあった
ベンゲルの時にシーフォのうわさはあった
21: 2020/06/09(火) 08:53:56.58
日本人の彼女と別れた後か
22: 2020/06/09(火) 08:55:02.64
kappaの広告でミランの写真のジャンプヘッドしたフリットの写真は
周りの相手チームの選手の頭がフリットの胸のあたりだったな
あの跳躍力は凄い
周りの相手チームの選手の頭がフリットの胸のあたりだったな
あの跳躍力は凄い
23: 2020/06/09(火) 08:57:43.55
グランデミラン
24: 2020/06/09(火) 08:59:45.81
ちょうどその時期にフリットからいきなりグーリットに呼び方が変わった。
だからおじさんはフリットと呼ぶんすよ
だからおじさんはフリットと呼ぶんすよ
26: 2020/06/09(火) 09:06:25.91
石塚ってそのころには和製フリットと呼ばれたとか呼ばれてなかったとか
27: 2020/06/09(火) 09:08:06.41
フリット→グーリット
エムバペ→ムバッペ
エムバペ→ムバッペ
28: 2020/06/09(火) 09:09:07.99
そういや南米テイストだった読売ヴェルディが突然オランダ化してたな
フリット呼ぶつもりだったんじゃね?
フリット呼ぶつもりだったんじゃね?
29: 2020/06/09(火) 09:09:35.26
インターミラノでプレイするグーリットも見たかったな
すげえセンタリングとか上げてただろう
すげえセンタリングとか上げてただろう
33: 2020/06/09(火) 09:50:03.20
>>29
ミランのオランダトリオに対抗してインテルはドイツトリオだったな。
ミランのオランダトリオに対抗してインテルはドイツトリオだったな。
30: 2020/06/09(火) 09:36:16.41
城島健司が変装したらわからないレベル
31: 2020/06/09(火) 09:40:09.90
キャプテン翼に出てたしな
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1591658141/
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