20200522-00894410-sportiva-000-1-view




1: 2020/05/22(金) 08:03:17.94
リーガに挑んだ日本人(5)

城彰二、西澤明訓に続いて、リーガ・エスパニョーラ1部のピッチに立った3人目の日本人選手もストライカーだった。

2004年12月、大久保嘉人(現東京ヴェルディ)はセレッソ大阪からマジョルカへの移籍を発表している。Jリーグでゴールを量産し、20歳で日本代表としてデビューを飾り、アテネ五輪にもエースとして出場。ものを言わせぬ勢いがあった。

2005年1月には、リーガでいきなり初舞台を踏んでいる。当時、リーガで抜群の強さを誇ったデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦だった。

「立ち上がりはボールに触れる機会もなかったし、静かだったかもしれん。少しナーバスになっていたと思う。それが、相手に足を蹴られて目が覚めた。こんなんじゃダメだって。それで気分が高揚して、試合に入っていけた」

大久保はそう振り返っている。試合序盤、敵ディフェンダーのスパイクをひざに食らった。動きについていけず、東洋人にプライドを傷つけられた相手の"返礼"だろう。ポイントで肉を抉られ、骨が見えた。即座にドクターがストップをかけたが、大久保自身は手で丸を作って「大丈夫」と遮った。ホチキスで皮と皮を結び合わせ、肉が見えないようにした。

そして大久保は、見事にアシストを決め、ゴールも叩き込んだ。

「ケガをして、力が抜けているのはあったかな、と思う。(ゴールにつながった)あんなパスは初めての感覚だった。あ、これはまたチャンスくるかも、と思っとって。FWはそういう日があるけん。夢でゴールするところを見とったし。夢では足やったけど。それでクロスが来て、あの瞬間はさすがに我を忘れた」

得点シーンでは、ポルトガル代表センターバック、ジョルジュ・アンドラーデをかく乱。完全にマークを外すと、右からのクロスに頭で合わせ、ゴールネットを揺らした。中田英寿のセリエAデビュー戦に匹敵するインパクトだった。

大久保は第19節のベティス戦を治療で欠場した後、第20節から5試合連続出場(3試合が先発)を果たしている。レアル・マドリード、バルセロナとのアウェーゲームでもピッチに立った。レアル・マドリードの選手には喧嘩腰になり、
「クレイジー」と呆れられ、バルサ戦はカルレス・プジョルをまた抜きし、きついタックルを見舞った。少しも物おじしていない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200522-00894410-sportiva-socc
5/22(金) 6:20配信


スポンサード リンク

2: 2020/05/22(金) 08:03:51.62
「日本人は見下されとる、なめられとる、というのを感じる」

大久保は、そう洩らしていた。超がつくほど負けん気が強い男だけに、相手の態度が許せなかった。試合では、敵選手としばしば衝突した。汚い言葉を使い、罵り合った。コンタクトプレーの応酬で、相手がキレて、ボクシングのアッパーカットのような掌底を食らい、失神しそうになったこともある。

全方位的な戦いは、精神を疲弊させた。デビュー戦の衝撃でポジションをつかんだ一方、試合のたびに、評価は下がっていたのだ。

「大久保は、言葉の壁によるコミュニケーション不足でストレスをため込んでいる」

当時の指揮官であるエクトール・クーペルは、そう説明していた。

「デビュー戦で示したように、大久保は生来的なゴールゲッターと言える。ただ、コミュニケーションが取れず、イラつきを感じるようになって、迷いが見えるようになった。そこで、『パスが来ない』という不満を吐き出させた」

しかし、その後も大久保の調子は上がらない。第25節のレバンテ戦からの10試合は3試合出場で、スタメンは1試合のみだ。

実は、デビュー戦で華々しい活躍をした代償があった。「痛くない」と強がっていたが、ひざは思うように伸びず、曲がらず、違和感が続いていた。本人は言い訳になる気がして、外には洩らしたくなかった。

それが5月に入ると気温が上がって、ひざの関節の痛みが消え、動きが戻ってきた。デビュー戦の前にコンディションが戻った。その証拠に、第35節のオサスナ戦には残り2分出場しただけだが、体の切れが違っていた。幻のゴール(ゴールライン上でのクリアと判定された)の好機も作った。

そこからの残り3試合、大久保は華々しい活躍を見せている。

第36節アスレティック・ビルバオ戦は、前半、2人のディフェンスを手玉に取り、エリア内でファウルを受け、PKを誘う。後半には、右からのクロスを、開幕戦以来、頭で叩き込んだ。4-3の勝利の殊勲者になった。

第37節のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦は、足の遅さを見抜いて相手の左サイドバックを翻弄。右サイドからの攻撃で、ベネズエラ代表FWアランゴの得点の起点になる。後半には、裏に抜け出してGKとの1対1を撃ち抜いた。0-3のアウェー戦勝利の原動力になった。

4: 2020/05/22(金) 08:04:11.35
そして最終節のベティス戦も先発して1-1で引き分け、チームの1部残留を決めた。

「救世主」

それが大久保に対するシーズンの評価となった。記録以上に、記憶に残る1年だったと言える。それは小さな日本人が、「スペイン」という巨大な敵に挑みかかるようだった。全力で戦い、ひとつの結果を残した。

しかし、その消耗も相当なものだったのだ。

2005-06シーズン、大久保は開幕から6試合連続出場(4試合が先発)と、上々のスタートを切っている。しかしノーゴールと結果を出せず、チームも低迷。やがて先発の座を失う。語学も含めたコミュニケーション不足は解消できておらず、じわじわと足を引っ張った。

年が明けた1月、デポル戦で得点を決めたあとは4試合連続で先発出場し、地力を見せた。3月のセビージャ戦ではシーズン2点目を決めたが、それが限界だった。26試合に出たが、先発は7試合、得点はわずか2だ。

シーズン終盤には、大久保の心は帰国に動いていた。楽しみにしていたドイツワールドカップメンバー入りを逃したこともあった。

「Jリーグに戻って活躍し、日本代表に選ばれ、ワールドカップに出たい」

その欲望を抑え切れなくなった。マジョルカには1シーズン半在籍して5得点。過去の日本人FWの記録は超えたが――。

リーガで学び取ったことは何だったのか?

「結局、サッカーは結果なんやと思う。フォワードはゴール。それがスペインに来て、痛いほどわかった」

そう言う大久保は、その後、日本代表として2度のワールドカップに出場した。Jリーグでは3年連続で得点王となり、歴代最多得点を記録している。(つづく)

5: 2020/05/22(金) 08:04:27.14
聖おおんな女学院

6: 2020/05/22(金) 08:06:26.91
アランゴ

7: 2020/05/22(金) 08:06:30.96
負け犬

8: 2020/05/22(金) 08:07:47.42
少子化には貢献した

9: 2020/05/22(金) 08:10:42.79
バルサ戦でプジョルに殺人タックル食らったのは覚えてた。
そこそこ通用してたと思う。

10: 2020/05/22(金) 08:11:32.27
妬みのレスが続きます

11: 2020/05/22(金) 08:13:23.55
若い時川崎時代ぐらいのシュート力があればな。中々人間上手く行かない。

12: 2020/05/22(金) 08:13:42.05
お前の態度が許せないサッカーファンはその1000倍くらいいるぞ。

13: 2020/05/22(金) 08:14:12.27
密着取材で、クラブが用意してくれた語学教室を
どうどうとサボってるとか言ってたからなぁ

海外で通用しなかったのは当たり前だと思う

14: 2020/05/22(金) 08:15:37.32
まあ、大久保とかヨーロッパで生まれてたら相当成功してただろうな。
差別と言葉は大きいよな、サッカーだと。
個人競技だと影響小さいだろうけど。

15: 2020/05/22(金) 08:16:25.08
サイドでおもくそ空振りして目の前の相手サポから大喝采されとったのこいつだっけ?

16: 2020/05/22(金) 08:19:15.32
海外で成功するには語学が必要なことを学べなかったのかな

17: 2020/05/22(金) 08:19:32.80
大久保は言葉を覚える気がサラサラ無かったって言われてたな
サッカーが上手ければ関係ないってのは中々難しいんだろう

18: 2020/05/22(金) 08:22:03.77
大久保さんがジェコ、グラフィッチと組んだFW陣でリーグで54得点を記録したことを知らないニワカかよ

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1590102197/







スポンサード リンク

ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログへ