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1: 2020/04/23(木) 09:30:33.49
ワシントンから浦和&Jへのエール。
「忍耐強さは世界一だからこそ……」


今年で28年目を迎えたJリーグの歴史は、外国人(外国出身)選手抜きでは語れない。

欧州や南米の各国リーグと同様、外国人選手の過半数がアタッカー。彼らはチームに得点と勝利をもたらし、他のアタッカーに刺激を与え、間接的にディフェンダーの成長も促して、Jリーグと日本のフットボールのレベルアップに多大な貢献をしてきた。

これら外国人アタッカーで、Jリーグで50試合以上出場した選手のうち、最高の得点率(1試合平均得点)を誇るのが、2005年から2007年まで在籍したブラジル出身のワシントンだ。

189cmの長身かつ屈強で、体の使い方がうまい。それでいて瞬間的なスピードがあり、技術レベルも高い。右足からの強烈なシュート、高い打点からのヘディング、巧みなポストプレーでJリーグを席巻した。

2000年代中盤に彼のパワフルなプレーを目撃したファンには信じがたいことだろうが、日本へ渡るわずか2年ほど前、ブラジルのメディアとファンの大半が彼の選手生命は終わったと考えていた。

◆不屈の「コラソン・ヴァレンチ」。

フェネルバフチェ(トルコ)在籍中の2002年末、27歳のときに心臓に疾患がみつかり、手術を受けた。医師から「もうプレーはできない」と宣告され、クラブからも解雇されて、2003年5月、ブラジルへ帰国。

母国でも多くの病院を訪れて検査を受けたが、どこでも「引退するしかない」と告げられた。しかし「再手術をして、それが成功すれば、ひょっとして……」と言ってくれた心臓外科医がみつかり、藁にもすがる思いで頼った。

手術は成功し、2004年初めにアトレチコ・パラナエンセと契約。主力としてチームを牽引し、ブラジルリーグで38試合に出場して実に34得点(1試合平均0.895点)をあげた。これはこの大会の最多得点記録を3点上回り、もちろん得点王。この記録は、今も破られていない。

得点をあげるたびに右手で心臓を叩くポーズが有名になり、いつしか「コラソン・ヴァレンチ」(雄々しい心臓を持つ男)と呼ばれるようになった。

◆その決定力はJで圧倒的だった。

翌2005年、東京ヴェルディへ移籍。33試合に出場して22得点をあげた(得点王ランキング2位)。
そして2006年に浦和レッズへ移籍すると、ロブソン・ポンテや小野伸二ら名手から絶妙のパスを受けてゴールを量産し、26試合で26得点。マグノ・アウベスと並んで得点王に輝き、チームのJリーグ初制覇に貢献した。

2007年はJリーグ26試合で16得点とややペースが落ちたが、クラブ・ワールドカップで3点を奪って得点王となり、浦和が3位に食い込む原動力となった。

日本での3シーズンの成績を合算すると85試合64点で、1試合の平均得点が0.753。複数シーズン活躍した彼に比類するのは、エジウソンの0.729点(70試合51得点)、サルヴァトーレ・スキラッチの0.718点(78試合56得点)、エメルソンの0.71点(100試合71得点)だ。

>>2以降に続く

2020/04/21 11:50
Number
https://number.bunshun.jp/articles/-/843245


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4: 2020/04/23(木) 09:32:59.39
◆浦和サポの歌声は今も耳に……。

――これまでJリーグで50試合以上に出場した外国人ストライカーの中で、あなたが1試合平均得点ナンバーワンです。

「それは知らなかった。偉大な選手が大勢いる中での一番だから、とても嬉しい。心から誇りに思うよ」

――日本へ渡る少し前、選手生命を脅かされる事態となりました。そのとき思ったことは?

「何人もの医者から『もうプレーはできない』と言われ、絶望的な気持ちになった。でも、再手術を受け、幸いそれが成功して、ピッチに戻ることができた。不可能を可能にしてくれた医師たち、常に励ましてくれた家族、そして神様のおかげだ」

――日本で成功を収めることができた理由を、自分ではどう考えていますか?

「日本の文化を尊重し、日本と日本人から多くのことを学ぼうとした。それが、ピッチ内外で生きたと思う。

日本人の規律正しさ、他人への思いやりには感銘を受けた。プレーする環境、生活環境も文句なしだった。僕と僕の家族は日本と日本人に魅了され、素晴らしい時間を過ごした。いつも幸せな気持ちでプレーしたことが、良い結果につながった。

 浦和のサポーターは、いつも大声でチャントを歌って僕を励ましてくれた。今でもあの歌声が耳に残っている(笑)。とても感謝している」

◆中澤と松田、岩政は手強かった。

――Jリーグで対戦して、最も手強かったディフェンダーは?

「横浜FMの中澤(佑二)と松田(直樹)、そして岩政(大樹。当時、鹿島アントラーズ)。中澤はとてもクレバーで、先を読む力が優れていた。松田は闘志に溢れ、技術レベルが高かった。彼が(2011年に)病気で亡くなったと聞いて、ショックを受けた。岩政は、長身で空中戦が非常に強かった」

――あなたが挙げた3人は、いずれも日本代表でも活躍したJリーグ史に残る名CBです。2005年の来日直後のゼロックス杯(対横浜FM)で、その中澤佑二と守備に定評がある那須大亮を引きちぎって叩き込んだゴールは、日本のメディアとファンに衝撃を与えました。

「あれは僕の得意なプレー。ブラジルでもあの形から何度も点を取っていて、絶対の自信があった。

あの試合の少し後にチームの遠征で移動中、新幹線の駅で中澤に会ったんだ。彼は『あなたがあんなプレーをするとは予想していなかった』と話していた」


◆盟友はもちろんゴン、遠藤、憲剛も。

――その他に、優れていると思った選手は?

「浦和のチームメイトだったロブソン(ポンテ)、シンジ(小野伸二)、長谷部(誠)、ケイタ(鈴木啓太)、トゥーリオ(田中マルクス闘莉王)ら、対戦相手では、中山(当時ジュビロ磐田)、遠藤(保仁/ガンバ大阪)、中村(憲剛/川崎フロンタ-レ)らが特に印象に残る」

――当時、長谷部は20代前半でしたが、36歳の今もドイツ(フランクフルト)で奮闘しています。

「彼はとても賢く、よく努力し、常に最高の準備をする。選手としても人間としても、本当に素晴らしい。すべての選手が、彼を見習うべきだろうね」

――最後に日本へ行ったのは?

「2017年7月のケイタ(鈴木啓太)の引退試合のときだ。クラブ関係者、かつてのチームメイト、サポーターらと久しぶりに会えて、とても嬉しかった。

実は今年の東京五輪を家族全員で観戦するつもりで、日本行きの準備していた。五輪が延期になって、とても残念。でも、来年行くつもりだ」

政治の世界とまさかの解任劇。

――政界(市会議員、下院議員、スポーツ長官)で働いて学んだことは?

「ブラジルではフットボールクラブでも政治的な動きをする人が多いんだけど、本物の政治の世界はより一層複雑だった(苦笑)。でも。そのような状況でスポーツ振興に尽くしたことは、自分にとってとても貴重な経験となった」

――今年2月のコパ・ド・ブラジルの試合(カシアス対ボタフォゴ)では、一体、何が起きたのですか?

「カシアスは僕の出身クラブで、試合前にピッチで表彰を受けた。それからカシアスのベンチの脇で試合を見ていたら、カシアスにひどく不利な判定があった。携帯電話でテレビ映像のリプレーを確認して、それを思わずカシアスの関係者に見せてしまった。

 僕はブラジルサッカー連盟の役員という立場にあったから、特定のクラブを利する行動は取ってはいけなかった。それに気付いて会長に謝罪したんだけど、メディアからの批判もあって解任された。

あの行動は、思慮が足りなかった。反省している」

>>3以降に続く

5: 2020/04/23(木) 09:34:20.64
◆ブラジルの新型コロナの影響は?

――今後のプランは?

「フットボールの世界へ戻って、クラブの監督かGMをやりたい。すでに、ブラジルサッカー連盟による指導者育成コース、スポーツ・マネージメント・コースを履修している。愛する日本でまた仕事ができたら最高だ」

――ブラジルでも、新型コロナウイルスの感染が拡大しています。この現状をどう考えますか?


「アジアや欧米に比べると感染が始まるのが遅かったが、急速に広まっている。大都市では事実上のロックダウンが行なわれ、経済活動が著しく妨げられている。失業者、収入が激減した人が急増し、働きたい人がデモを行なっている。

 非常に複雑な状況で、国民の忍耐力と創造性が試されている」

――日本もかなり厳しい状況にあります。Jリーグのファンも試合を見ることができず、ストレスがたまっています。

「これまでのところ、日本は比較的うまく対応してきたようだね。日本人の規律正しさ、忍耐強さは世界一。でも、決して気を抜いてはならない。

 ファンの皆さんは、しばらくは家で昔の試合の動画を見たりフットボールの記事を読んだりして我慢してほしい。そして、いざ終息して公式戦が始まり、スタジアムに足を運べる日が来たら――笑顔で、大声で選手たちを鼓舞してあげてもらいたい。

 近い将来、皆さんと再会することを楽しみにしています。コロナなんかに負けず、お互い、頑張りましょう!」

◆再びフットボールの世界に戻ろうと。

「雄々しい心臓を持つ男」は、これまで選手、実業家、政治家として大きな成功を収めてきた。そして、45歳の今、再びフットボールの世界に戻ろうとしている。

これまでの人生で栄光と苦難の両方をたっぷり味わってきた好漢は、謙虚にして誠実で、他者への思いやりに溢れ、地道に努力することを厭わない。

かつて選手としてJリーグと日本のフットボールの発展に寄与してくれたこの男が、今度は別の立場で貢献してくれることを期待している。

<完>

2: 2020/04/23(木) 09:32:05.10
JでNO1ポストプレイヤーだったと思う

3: 2020/04/23(木) 09:32:13.09
ヴェルディ時代は忘れられてんのかw

6: 2020/04/23(木) 09:40:22.44
人格者かな

10: 2020/04/23(木) 10:08:07.17
>>6
そうだな

7: 2020/04/23(木) 09:40:30.13
トントンここワシントン

8: 2020/04/23(木) 09:44:08.35
「ザザ...こちらワ級..和レッズ...貴殿等の..事を祈っ..いる..ザザ」

9: 2020/04/23(木) 09:57:31.02
ワシントンのことロサンゼルスとか言って煽って
チンチンにされたDFいたよな

17: 2020/04/23(木) 11:15:23.18
>>9
マリノスの栗原だっけ?

23: 2020/04/23(木) 12:56:36.86
ワシントン対策本部スレは本当に楽しかった
「被弾、被弾、ひだーん!」とか大浦和日報とか
>>9の発言した栗原は懲罰対象になったw

25: 2020/04/23(木) 13:20:41.57
>>9
ロサンゼルス奇行か?

11: 2020/04/23(木) 10:13:28.28
「浦和 ワシントン」でググったらホテルしか出てこないw

12: 2020/04/23(木) 10:14:42.22
被弾!被弾!

13: 2020/04/23(木) 10:17:47.71
凄い破壊力だった

14: 2020/04/23(木) 10:46:34.01
一昨年得点王になったときのジョーを更にワンランク上にした選手

15: 2020/04/23(木) 10:54:52.71
エール
いい奴だな

16: 2020/04/23(木) 11:00:32.41
ワシントンですらブラジル代表では3軍扱いだったのが恐ろしい

18: 2020/04/23(木) 11:26:10.04
ワシントン対策本部

19: 2020/04/23(木) 11:53:51.32
街でばったり会ったことあるけど笑顔で握手してくれたんだよなあ

20: 2020/04/23(木) 12:34:03.97
フェズゴー

21: 2020/04/23(木) 12:39:21.56
【2005 J1第26節 2005年10月01日(土) 15:04KO】

東京V 4-4 磐 田
'36 ワシントン(東V)1-0  
'63 中山雅史(磐田)1-1
'64 ワシントン(東V)2-1
'69 ジウ(東V)3-1
'71 成岡翔(磐田)3-2
'79 西紀寛(磐田)3-3
'81 太田吉彰(磐田)3-4
'90+ ワシントン(東V)4-4

シトンと言えばこの試合を思いどす
ニッポン放送で中継してたので出先で聴いてた

26: 2020/04/23(木) 14:09:25.70
>>21
伝説の試合かww

22: 2020/04/23(木) 12:41:15.51
あんなに凄くてもブラジルでは3軍で世界的にはなんの実績もないんだよな

24: 2020/04/23(木) 12:57:46.13
トントントントンワシン

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1587601833/







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