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<サッカー担当記者 マイメモリーズ>(1)

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。第1回はカズが激怒した夜-。


  ◇   ◇   ◇  

あの頃、カズは若かった。日本の宝・元日本代表FW三浦知良(53)が30歳だった97年10月26日の夜10時過ぎ。日本は、ワールドカップ(W杯)フランス大会アジア最終予選で、UAEとホームの国立で戦い1-1で引き分けた。2戦を残して自力突破の可能性がなくなってしまった。

試合後の30分が過ぎ、選手たちがロッカールームから引き揚げ、中央出口に横付けされた移動バスに乗り込んだ。バス横、約15メートル先には鉄格子の扉があり、怒った多くのサポーターが選手らに罵声を浴びせた。生卵やカン、コインが選手バスを襲った。中には鉄格子内に止めてあったNHK中継車の天井に登り、選手バス目掛けてパイプイスを投げる人もいた。

ここまではテレビや新聞にも報じられた有名な話。4年前「ドーハの悲劇」で悲しんだファンが暴走したのも、ある程度、想像はつく。「カズ辞めろ-」と絶不調だったエースFWカズが集中攻撃にあったのも想定内の話。しかし、サッカー担当2年目だった私は、想像もつかなかったことを目の当たりにした。

選手バスの扉そばにいた私の耳に、バスの中から「カズやめろ-」の声が聞こえてきた。「エッ、仲間からも?」と思って中をのぞくと、カズがスタッフの制止を振り切って扉に向かってすごい勢いで歩を進めている。「ヴァーー」。言葉にならない声を発している。とっさに私は、他の記者1人とともに扉の前に立ち、カズを止めた。ギリギリ、降りる寸前の第1ステップで制止できた。その直後、協会関係者らが次々と寄ってきて、結局カズは再び自分の席に戻った。

のちに「ジョホールバルの歓喜」で、W杯初出場が決まり、しばらくたって当時を振り返ってもらった。カズは「すぐ(6日後、対韓国)試合だったのに選手の移動バスを止めたことに腹が立った」と話した。私が止めたことを伝えると「そうだったの? 覚えてないな。そうなんだ。ありがとう」と笑顔を返してくれた。

今はサッカー担当歴23年。ずいぶん腹黒くなった今なら、止めないかもしれない。「カズがサポーターのところに駆け寄って口論になった方が絵になるし、記事にもなる」と判断し、道を開けるかもしれない。あっ、でもやはり止めるかな? あの頃はカズも若かったし、私も青かったな…、なんて思うと、口元が緩んできた。

【盧載鎭】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200405-24050026-nksports-socc

 

1 2020/04/05(日)
こう言う記事は足で稼いでる良い記事だと思うよ。最近のテレビ感想文みたいな記事は、本当に情けなく思う。

2020/04/05(日)
当時、テレビで見ていたけどあの時のカズの怒りようは凄いものがあったな。チームは不調で自力突破が一端消滅、チームのエースストライカーだったカズ自身も絶不調、更にこのUAE戦は審判のジャッジがとにかくひどかったから不満・怒りが一気に爆発しちゃったという感じだった。

2020/04/05(日)
あの最終予選、カズのゴールショーでスタートしたけど、最後は世代交代の波に飲まれたね。
やっぱりカズは、アメリカワールドカップでその勇姿を見たかった。

2020/04/05(日) 
9月アタマのウズベキスタン戦から始まってジョホールバルまで、ワールドカップ初出場を目指した約2ヶ月半。エピソードを時系列で並べると色々あって、ホントに中身は濃かったですね。

2020/04/05(日)
本当に殺気立ってたという言葉がピッタリだった。
あの試合はジャッジの不可解な点が余りにも多すぎたことや、記事にもあるように勝てない試合が続き、カズが絶不調だったのもあって、サポーターの怒りが頂点に達してたのは言うまでもない。
なのでその後のソウル蚕室での韓国戦での勝利は本当に胸のすく思いだった。アウェーにも関わらず確か1万人くらいが日本から応援に行ったということや、既に韓国が出場を決めていたのも相まったかもしれない。

2020/04/05(日)
あの時の絶望感は何とも言えなかったね。

何しろ初戦に勝ってから次の国立での韓国戦に逆転負けしてから敵地のカザフスタン、ウズベキスタン、帰国してからのUAEと攻めきれずドローばかり。

その間お隣韓国は悠々自力突破をほとんど手中にしていたしね。

点が獲れる雰囲気は皆無だったもんね。

カズさんも初戦こそ爆発したけどあとは不発だったしね。

まだ当時の日本にはワールドカップ出場はなかったし、4年前のドーハがあったから今回もダメかぁってなってしまうのは致し方無かったかもしれない。

あのバスでのカズさんの怒りはサポーターのヤジじゃなかったのね。

ただ御本人は我々の想像を超えるイライラがあったのは推察出来る記事だよね。

2020/04/05(日)
昨今のサッカー選手がワールドカップの本戦中ビジネスのことで悩んでいた。という話をYouTubeで観た。その中で代表が変な方向に行っていないか?とこの97年の試合に出てた名選手は苦々しく発言していた。

それと同じで、記者も最近の記事はコタツ記事のようなタイトルだけで釣って、中身は誰かの又聞きや噂話をネットで拾ってきただけ、というアクセス数を伸ばす小手先の記者が多いように思える。記者にもぜひこの記事のような熱を感じるような人の想いを伝えていって欲しいな。と思える内容でした。

2020/04/05(日)
とてもよい記事です。
想像も出来なかったエピソードが手に取るように分かります。
筆者さんのカズに対する、サッカーに対する愛情も伝わって
きます。ドーハの悲劇のあの瞬間は私も酒を飲みながら大泣
きをしましたので。悔しさのあまり。
また、良い記事を読ませてください。ありがとう。

2020/04/05(日)
今でこそアジア4枠あってW杯出場当たり前?のようになってるけど、当時は本当に行けるのか、みんな疑心暗鬼で、フランス大会行けないと次の日韓で開催国での初出場なんて恥ずかしいという意識があったのか、選手ファン共に殺気だってたな。カズがファンに向かって、来いこの野郎!みたいな事叫んでた。

10 2020/04/05(日)
パイプ椅子覚えてる。たぶんまだ映像あるよね。カズが「やるのか、おい」などと口走ってブチ切れたことも。城の水掛けといい、なんか今では信じられないな。決していいことではないとはいえ、日本・日本サッカーにもこんな時代があった。

11 2020/04/05(日)
ドーハの悲劇ははっきり覚えていますし、UAEに1-1で引き分けた試合もロペスの先制弾の後追い付かれた引き分けではなかったでしょうか?2002年には日韓W杯が控えていて、ホスト国として出場か決まっていましたので、どうせ4年後には出場できるからと楽観視している知り合いもいました。懐かしいですね。

12 2020/04/05(日)
あのころのカズは本当に不調だった。それも長い不調だったように覚えている。
この記事を読んで思うのは、あのころの日本サッカーは
「カズは日本サッカーの象徴。どんなに調子が悪くともピッチから下ろしてはいけない。交代メンバーを探してはいけない」という雰囲気が代表やコーチ陣、その他日本サッカーを推進する人たちの中に固定観念として存在していたことが強く感じられていたこと。
まるでカズは彼らの御守りのような扱いだったなぁ。

13 2020/04/05(日) 
私はカズと同い年、身長体重も同じ、ただしカズのおなかは筋肉、わたしのは。。。
カズが記者に「(止めてくれて、)ありがとう」と言ったこと、彼の懐の深さを感じ、感動しました。頑固なわたしは見習わないと、と思いました。

14 2020/04/05(日)
ホームで韓国に逆転負けしたショックがその後の3試合(ドロー)に響いた。
W杯初出場への道が拓けたのも韓国戦。アウェーで2-0の勝利!
日本サッカーの歴史は長い長いイバラの道でしたね。
夢も大きかったけど苦悩も大きかった。
カズは現役選手の中で世界への道を切り開いた最大の功労者。
まだカズの現役生活は続くけど、彼のサッカー人生とともに日本サッカーの苦悩の歴史を若い世代の人にも知ってほしいですね。

15 2020/04/05(日)
当時のフランスW杯最終予選は
小学生ながらワクワクハラハラして
観てました。
日本全体が代表戦のトリコになってましたよね。

伝説の素さんの国立韓国戦のループシュートは
学校終わってダッシュで帰って見たっけなぁ
今はW杯出るのが当たり前な時代になったけど
初出場を掛けた当時でしか味わえない情熱を
体験できた自分は幸せです。
ラモスさんのNHK中継解説で
城へのブチギレなど、、笑

16 2020/04/05(日)
あの頃の代表は選手もファンも熱かったな。こういうことはよくあった。罵声だけでなく歓声もすごかったと思う。

17 2020/04/05(日)
この試合を国立で観戦してましたが勝てなかった結果の他にロスタイムの短さで周りは騒然となってた思い出がありますね
試合後にバイトと思われる人がピッチレベルでメンバー表とともにレフェリーの名前の紙を剥がしたあとに足で踏みつけて警備員にあっという間に排除されたのには笑ったけど・・

18 2020/04/05(日)
カズとともに日本ワールドカップ出場を夢見たサッカーファンは多かったと思う。そのカズがフランス大会に出れなくて、ファンも悔しい思いをした。当時を知るサッカーファンが、日本代表がふがいない試合をするときびしい批判をしてしまうのも、この悔しさが背景にあるような気がする。

19 2020/04/05(日) 
あの頃のサッカーは熱かったよな。
是非はともかく、ワールドカップから帰ってきた城に水かけたり。
強くするためには必要な必要悪なのか、やはり暴力は良くないのか、本当にわからないけど。

20 2020/04/05(日)
私はこの試合を見ていた。

笛が鳴った後、とぼとぼと国立競技場から新宿まで歩いていた。
私の前も後ろも、数メートルおきに青いユニフォームを着たサポーターが、肩を落として一言も発せずに、喘ぎながら歩いている。

そのころの実際の日本もバブル崩壊で崖っぷち。「これで日本も終るのか」とこんな情けない思いで歩いたことは他に一度もない。

21 2020/04/05(日)
懐かしい。みんな若くて熱かったんだね。かく言う私も…。
暴動は決して褒められたことじゃないけど、これによって選手たちに怪我人が出なかったのは良かった。最後の一線は超えちゃいけない、ってことが当時のジャパニーズ・フーリガンたちにもわかっていたのかな。

22 2020/04/05(日)
ホン・ミョンボがいたあの頃の韓国って荒くもあったけど強かったなぁ。日本戦だと特にアドレナリンが出るのかいろいろ凄かったけど。髪型が特徴的な選手がいたなマレットヘアーって言うんだったかな?日韓対決って毎回言われてて絶対負けて欲しくないと思って見てたな。それより以前は韓国には勝てなかった時代が長かったけど、勝てるようになってきたときは嬉しかった。
いまでは対戦して欲しくないのと関わりたくない相手NO1だけど。

23 2020/04/05(日)
ドーハで敗退して、そこからの4年に賭けていたからね。

カズも、日本サッカー協会も。

失格の烙印を押されたファルカン、その後の加茂も世代交代を進めたが、カズと井原はずっと中心だった。その4年で森島、名波、相馬、小村、秋田、名良橋らが頭角を現した。

その間、アトランタ五輪に出陣して前園や城、川口らが昇格した。

しかしながらアジア相手に加茂が植え付けたゾーンプレスが全く役に立たないし、期待の前園は自滅した。

97年に中田が出てこなかったらヤバかった。

その後、岡田は中田中心のチーム・戦術を作り上げるのだが、それに合わないカズは切られた。

皮肉だが、サッカーってこういうもの。

24 2020/04/05(日)
当時は初WCの機運が高まって居たし良しにつけあしきにつけサッカー界が熱かった。
今では夢の様、
懐かしい。

25 2020/04/05(日)
すいません、若かった私もあの時バスに押し寄せた一人でした。。。
しかし、後ろから押されるわ、何か投げられたものが肩に当たるわで、もみくちゃにされただけでした。
ほんとに悔しかったのだけは覚えてますが、良くないことです、、

26 2020/04/05(日)
懐かしいな。
初戦のウズベク戦、記事にあるUAE戦、カザフ戦を観にいきました。
当日の代表に対する熱気は凄まじいものがありました。

27 2020/04/05(日)
や、ちゃうんよ。

皆が思ってる意見はどれも間違いやない。
じゃあDF陣も責めろって、点取られてるんやから。

私は小学生からDFしかやってないけど、点取り屋とかエースだけ責めるのは違うよね。

94で井原とか松永をとことん責めた奴いないじゃん。

なのにカズだけさ。。

28 2020/04/05(日)
キャプテン翼でW杯というものを
初めて知った小学生時代。
日本がそんなものに出れるなんて
思いもしなかった。
まだ、ドイツが西ドイツと東ドイツに
わかれていた頃の話し。

29 2020/04/05(日)
本当にヤフースポーツニュースはネタがないさかいのう。コメントもそこを配慮して、当時のことや今のことを考えるネタにして、思考の一つにしたらいい。あんまり、やりすぎると、こんなネタで話ができなくなるさかいのう。多分、昔、話せなかったけれどっていう、ネタも出してくれればいいね。今年は。ただ、叩きとかあんまり、なしでね。フラットに。良くなる方向で考えることができれば、ね。本当にネタがないから。

30 2020/04/05(日)
あの時スタジアムにいたけど、試合終了のホイッスルが鳴ってスタジアムの空気が変わったのを覚えている。相手選手が何度も倒れてアディショナルタイムが5分はあるかと思ったが1分ぐらいでホイッスルが鳴った。
まさかのホームでドロー。自力消滅。異様な空気が漂う。悲鳴も鳴り響いた。その後気がついたら鉄格子をよじ登ってる自分がいた。カズがキレてこっち来いと
叫んでいて自分も叫んでいた。結局は鉄格子を超える事なく踏み止まった。そしてアウェイ韓国戦に向かった。なぜか勝てる気がして飛行機に乗ったのを覚えている。目の前に木村和司さんがいたのも覚えている。
最終的にはジョホールバルまで行って日本の初W杯
出場を見届ける事が出来た。懐かしい思い出だ。
ホーム韓国戦での逆転負けの悔しさはいまだに忘れる事が出来ない。帰りの地下鉄での私物をぶん投げたことも思い出すよ。











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