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2月に日本でも刊行予定の『フランチェスコ・トッティ自伝・キャプテン魂』には、「日本」というキーワードが何度か登場する。元ASローマ所属の日本人選手・中田英寿とのポジション争いをはじめとして、フランチェスコ・トッティの人生に少なからず影響を与えた「日本」との関わり合いを紹介する。

◆お気に入のテレビ番組は『キャプテン翼』

フランチェスコ・トッティは自伝のなかで、子どもの頃、内気で怖がりだったことを明かしている。一人で家で留守番するのは大の苦手。ちょっとした物音が聞こえるだけで「泥棒が入ったのではないか」と怯え、毛布に潜り込んでいたそうだ。

そんなとき、彼を助けたのはテレビ。ボリュームをマックスにして恐怖心と戦いながら母親の帰りを待っていた。当然彼はテレビっ子になったわけだが、なかでもイタリアで『ホーリー&ベンジ』というタイトルで親しまれている『キャプテン翼』は大のお気に入りだった。「子どもの頃、この日本のサッカー少年のアニメに夢中にならなかったやつはいない」と語っている。

トッティ少年は物心ついた頃から、近所の仲間たちと夢中になってボールで遊んだ。当時から飛び抜けた才能を見せていた彼は、おそらく『キャプテン翼』の主人公、翼になりきって一層テクニックを磨いたことだろう。「遊びは、テクニックや才能、ピッチで生き残る能力を磨く上で、他と比べ物にならないほど効果的なんだ」と、子ども時代のボール遊びこそが、プロとして活躍する上で重要な基礎になると彼は説いている。

実際、トッティは、プロになってから、試合の重要な場面で子どもの頃の自分に戻ることがあるという。子ども時代遊んでいた感覚でプレーし、それが決定打につながった様子を自伝で明かしている。数々のスーパープレーが生まれた陰に『キャプテン翼』の存在があることは確かだ。

◆初めての海外遠征先は日本

ローマが世界の中心。ローマ中心に世界が回っていると思っているトッティ。そんな内弁慶な彼の初海外の渡航先はなんと極東の地、日本だった! 1993年8月、日本開催FIFA U-17世界選手権(現・FIFA U-17ワールドカップ)に招集されたのだ。

「人生で最初のビッグトーナメントに招集されたが、正直なところ、あまり行きたくなかったんだ。連絡がきたときはトルヴァイアニカのビーチで仲間たちと過ごしていた。すでにASローマでデビューしていたから、バカンスの地でもてはやされて楽しくてしょうがなかったんだ。イタリア国外に行くのが初めてだったというのも気が乗らない理由だった」と明かしている。

猛暑のなか、公式スーツを着て汗だくになって辛かったこともあるようだが、家を出るときは母が泣き出し、本人もローマの空港に着いたときは「涙も枯れていた」という。まるで宇宙に旅立つかのような親子のリアクションではないか。

このときイタリア代表は日本と同じグループA。3試合とも神戸で開催された。8月22日のメキシコ戦は1-2で破れたものの、トッティは25mのスーパーゴールを挙げている。これがこの大会での唯一イタリアの得点であり、トッティにとっては記念すべきアンダー世代の世界大会初得点となった。

続いて26日の日本戦はスコアレスドロー。ちなみにこの試合、日本代表先発メンバーには宮本恒靖、戸田和幸、松田直樹、イタリア代表にはジャンルイジ・ブッフォン、エウゼビオ・ディ・フランチェスコが含まれている。のちにASローマのチームメイトとなる中田英寿とトッティは両チームのベンチを温めていた。

最後のガーナ戦は0-4で完敗。日本は2位で予選突破したが、イタリアは2敗1分けで敗退した。初の海外遠征はトッティにとって苦い思い出となった。

◆「中田は火星人」

日本でトッティの名前が頻繁に聞かれるようになったのは、ASローマで中田英寿とのポジション争いが繰り広げられるようになってからだろう。自伝では中田との交代場面が何度か描かれている。なかでもセリエA優勝をかけた一戦となったユヴェントス対ローマの頂上対決における60分トッティと中田の交代についてはこのように思いを吐き出している。

「正直驚いた。そして失望した。この大事な試合でカピターノ(キャプテン)が交代させられるのかよ!」「俺は混沌としたゴミ置き場のような状態のなかからでもゴールを引き出せる男だ。俺をピッチに残してくれよ! あと20分の間に何が起こるかわからないぞ」。

そして中田とタッチして交代したわけだが、当時を振り返ってトッティはこう語る。「これまで数多くの“奇跡の交代劇”があったが、この中田との交代は記憶する限りでは最も驚くべきものだった。79分、ヒデはゴール上部隅に見事なミドルシュートを決めたんだ。ローマは蘇った」。

「ユヴェントス戦での中田の活躍あればこそ、ローマは優勝できた」と信じているロマニスタは今でも多い。トッティにとって、ASローマ優勝はワールドカップ優勝以上に価値あるものだったが、それをもたらした大きな要素が中田だったのだ。

そんなトッティはローマ優勝後、ロッカールームでの中田の行動をこう記述している。

「歌って踊っての大騒動に俺もすぐに参加した。全員と乾杯した。いや、それが全員ではなかったんだよ。俺は唖然とした。というよりも素直に面白かったよ。中田だ。彼は濃厚なるカオスのなか、隅っこに一人座って本を読んでいた。あいつは火星人だな」

◆悪夢のような日韓ワールドカップ

トッティは、2002 FIFAワールドカップに招集されて来日した。当時日本ではイケメン軍団アッズーリの一人として注目されたが、この大会は彼にとって幸せなものではなかった。それはピッチ上だけのことが理由ではない。当時付き合い始めたばかりだった現在の妻、イラリーも日本に帯同したのだが、彼女が日本で楽しめなかったのだ。

「毎試合後(イラリーに)20分だけホテルのホールで会うことができたのはよかったが、滞在先が観光地のど真ん中というわけでもなく、彼女は退屈していた。とにかくスクープを狙っている記者たちから逃げる以外は何もやることがなかったんだ」と語っている。そしてイラリーはイタリア代表が韓国に移動する前に、イタリアに帰国してしまったそうだ。

グループリーグは勝ち抜けたが、その後の韓国戦は1-2で敗北。バイロン・モレノ審判が転倒したトッティをシミュレーションとみなしてレッドカードを差し出し、退場となった。疑惑の判定として物議を醸したが、当時VARがあったらどういう結果になっていたのだろうか。トッティはその試合では延長戦に入る前から「4、5回続けて韓国有利な笛が吹かれていた」「反則の基準が拡大解釈されていた」と見解を示している。

自伝で最後に「日本」というキーワードが出てくるのは、引退前の日本のクラブからのオファーの話。日本以外にも中国、アメリカ、アブダビのチームからもオファーがあったという。それ以上のことは言及していないが、Jリーグでプレーするトッティの姿を見てみたかったファンは多いのではないか。

<了>
文=沖山ナオミ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200131-00010000-realspo-socc



1 2020/01/31(金)
トッティとデル・ピエロはJリーグでプレーするのを1度は見てみたかったな。特にデル・ピエロは獲得に動くチームがあったらオーストラリアではなく日本に来てくれてたと今でも思う。

2 2020/01/31(金)
キャプテン翼はすごいな。
日本は今でこそW杯常連で、世界で活躍できる選手も増えてきたけど、当時はアジアでもサッカー後進国だし、お世辞にもサッカーが盛んとは言えない国の漫画家が、サッカーを題材にして、世界のトップレベルのサッカー選手をも魅了してファンにさせる。
果たして、例えば野球が盛んではないアフリカや、ヨーロッパの一部の漫画家が、野球漫画を描いたら、日本をはじめ世界で流行るかなって考えたら、想像できない。

4 2020/01/31(金)
ローマでキャリアを全うしたの、もちろんクラブ愛からだろうけど、
内気というかそういう性格的な部分で海外クラブは好まなかったみたいな部分もあるのかなあ。

5 2020/01/31(金)
2002W杯 歴史に残るひどい大会だった。
そのすべての温床が韓国にある。予選のときから韓国寄りの判定。イタリア・ポルトガルは酷かった。いくら頑張っても勝てるわけない。あまりにもひどい判定なので少し緩めたドイツ、トルコ戦ではやっぱり負けた。FIFA自体がコリアンマネー買収で腐っていると感じた。

6 2020/01/31(金)
トッティとキャプ翼と言えば、日向小次郎のネオタイガーショットを練習してて骨折した話がまことしやかに広まり、かつ彼の性格からも否定しきれないところが好きです。
しかもプロになってからですからね。

8 2020/01/31(金)
中田がローマを辞めたのもトッティの存在と関係が有ると思う。トッティはローマでは絶対的な存在だったからね。2002年は仙台で合宿して、韓国で八百長審判のせいで敗退したが、仙台の人達の熱い歓迎と応援で、親日になってくれたと思う。それだけ仙台の人達はイタリアチームを応援してたからね。当時の選手は親日の人が多いょね。デルピエロを筆頭にね。

9 2020/01/31(金)
マンガの日向の雷獣シュート(地面にキックをめりこませ、ソフトボールのライズみたいな弾道にするという謎原理)をマネして、足首を折ったんだっけ。
この人が晩年のようにFW寄りに早くシフトしてくれれば、中田もセントラル寄りにしてれば、共存できたのかな、と思う。タイプ違うトップ下で、決して中田が劣るとも言えないが、自国代表の若きエースで、ローマの王子様と、弱小国から来た助っ人では分が悪かった。

10 2020/01/31(金)
フランチェスコは俺の中で永遠のアイドル。俺のサッカーへの愛は トッティで始まり トッティで終わった。空間把握能力、ダイレクトパス、は今でも世界屈指の能力だと思う。トップ下としては 最強クラスの選手だった。もちろん ジダンなど、化物もいるが 俺の中ではトッティがNo.1。。

12 2020/01/31(金)
自分はイタリア料理をしていたので2002の時イタリアを応援してたよ
至宝であるトッティやレジェンドであるマルディーニへの暴行は本当に許せなくて、あれ以来奴等を心底嫌っている
トッティ、日本に遊びに来てね

13 2020/01/31(金)
中田がローマを訪れてトッティが引退する前に食事した話は嬉しかった。

14 2020/01/31(金)
まだ海外に行ったこともない選手がトップデビューするとか今では考えられないことだなぁ
育成年代でもいろいろ機会ありそうなもんだが

15 2020/01/31(金)

トッティは「ローマの王子」のまま、引退することが望みだったんじゃないかな?
デルピは、Jに来て欲しかったなぁ。

16 2020/01/31(金)
ワールドカップの時にトッティの奥さんが退屈してたっていうのが残念だね
当時は、今ほど日本が外国人にとって観光名所になってなかったからね
今だったら、絶対に楽しんでもらえたと思う

18 2020/01/31(金)
ユーベ対ローマ戦は熱かったな。
トッティみたいなファンタジスタが出てくるまであと何年かかるかな...

19 2020/01/31(金)
VARが当時あったとしても結果は変わらなかったんじゃないかなとこの前のアジア五輪予選観てたら思う。

20 2020/01/31(金)
あのシミュレーションはすごく上手かったよ
ネイマール、ケインなんて下手くそに見えるほど綺麗なダイブだった
並の審判ならPK取れただろうね
誤審ではないけどレッドは厳しいなーって感覚かな

22 2020/01/31(金)
中田がミドルを決めたあのユーベ戦、中田と途中交代したトッティの不満げな顔は怒りに満ちていたよなー

23 2020/01/31(金)
 東京ヴェルディで
 最後の花道を飾らせてあげたかった。
 トッティ本人はヴェルディのユニに袖を通す気
 満々でしたが
 御家族の意向を尊重したと聞きます。
 やはりイタリア人。 家族思いですね。
 チャオ!

25 2020/01/31(金)
DAZN参入みたいな話があと数年早かったら、トッティとデルピエロがイニエスタとトーレスみたいになっていたのかもしれない

26 2020/01/31(金)
トッティは最高の選手だ。
プレーは素敵だし、シュートは芸術的。
そしてコメントは抱腹絶倒。
こんな選手いないぜ?
チップキックでのゴールに「浣腸してやったぜ!」はもうたまらんね。

27 2020/01/31(金)
日韓ワールドカップの敗戦後、東京に来てエアロスミスのライブに行ってましたよね。

28 2020/01/31(金)
インモービレも頑張ってるし好きなんだけど、アズーリでゼロトップ観たかったな…

30 2020/01/31(金)
上手くて強かった

31 2020/01/31(金)
トッティよりロベルトバッジョ

32 2020/01/31(金)
EURO2004の相手選手への唾吐き行為だけはイメージ悪かったなぁ

33 2020/01/31(金)
実は大した内容でもなかった記事

35 2020/01/31(金)
トッティちょっとそれとってぃ

36 2020/01/31(金)
さぞモテモテ人生だったろうな

37 2020/01/31(金)
ローマの王様ですね!

38 2020/01/31(金)
そうかそうか











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