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1999年、Jリーグのピッチでドラガン・ストイコビッチがユニフォームをたくし上げ、「NATO STOP STRIKES!(NATOは空爆をやめよ!)」とメッセージが書かれたシャツを示したことは日本でも当時大きな話題となった。

現在「ユニフォームを脱ぐ」行為は警告処分(イエローカード)対象として、FIFA(国際サッカー連盟)規則により厳しく禁止されている。なぜこのような厳罰が設けられたのか? 規則設定後の反抗の歴史とは? ある試合をきっかけにフランスで再燃しているというこの問題について追った。

(文=結城麻里、写真=Getty Images)

◆親友の死に対する「追悼」への仕打ち

ゴールの瞬間にガバッとユニフォームを脱いでセレブレーション! 観衆もこれに歓喜を重ねて――。昔はそんな楽しいシーンがよく見られた。だがある日からこれが禁止され、脱ぐとイエローカードで処分されるようになった。「なぜ脱ぐと処分?」と不思議に思ってきた人もいるのではないだろうか。実はこのルールをめぐっては、16年前から議論がくすぶってきた。そしてこの正月、思いがけずフランスで再燃することになった。それはフットボールのゴールと脱ぐセレブレーションについて、一考を促すものになっている。

悲劇は1月3日に起きた。ギャンガンのアタッカー、ナタエル・ジュランが、新年が明けて間もないのに交通事故で急逝したのだ。衝撃は多くのフットボーラーたちの胸をえぐった。ギャンガンで一緒にプレーしていた親友フレッド・デンビの悲しみはことさら深かった。FCルーアン(4部所属)の選手となっていたデンビは、このときから一つの思いにとらわれる。

「3日後の試合でゴールを決め、ナタエルにささげて友を追悼したい!」

そして1月6日――。華々しい歴史を誇るフランスのカップ戦クープ・ドゥ・フランスのラウンドオブ64。アマチュアクラブのFCルーアンがトップリーグのFCメスを迎え撃つ一戦だ。その晴れ舞台でデンビは試合開始後6分、見事にゴールを決めるとユニフォームを脱いだ。下から現れたのはギャンガンのユニフォーム。亡くなったジュランのユニフォームだった。これには多くの人々が目頭を熱くした。だが無情なホイッスルとともに、デンビにイエローカードが突きつけられた。

この日を境に、くすぶっていた議論が再燃。人の死を悼むという極めて人間的な感情と行動が、処分されたことになるからだ。テレビ討論会でも「人間的にみてやはりおかしい」の意見が噴出。「いや、いったん認めると、友人の結婚におめでとうだの何だのとキリがなくなる」という意見もあったが、多くの人々はやはり「人間的な理由なら認めるべき」「そもそも昔のほうが楽しかった」と感じたようだ。
やがてフランスサッカー連盟(FFF)の規律委員会がこのイエローを正しいレフェリングだったと認定。累積によるデンビの次戦出場停止処分を決定すると、委員会の独立性を守る必要から黙してきたノエル・ルグラエット連盟会長も「規則の誤用だ」と憤激した。元審判のブリュノー・ドゥリアン氏さえ、「ときには少々のヒューマニティーを証明しても悪くないのでは」とツイッターでメッセージ。多くの関係者がこのルールに疑問をもっていることを改めて示す格好となった。

◆FIFAにはFIFAの明確な立ち位置がある

試合中にユニフォームを脱ぐ行為またはユニフォームを頭上にめくり上げる行為は、FIFA(国際サッカー連盟)規則第12条により厳しく禁止されている。いったいなぜ、こんなルールができたのだろうか。
「罪つくり」の主は、実はディエゴ・フォルランだった。2002年、当時マンチェスター・ユナイテッド所属のフォルランは、サウサンプトンとの試合で決勝ゴールを決め、ガバッとユニフォームを脱ぐや、歓喜のあまり長々とセレブレーションを続けた。これに業を煮やした審判は試合を再開、フォルランも慌てて合流するのだが、ユニフォームを着直す暇がなかった。このためフォルランは片手にユニフォームを握ったまま上半身裸でプレーすることになり、皆が奇妙な感覚に襲われることとなった。

この結果も受け、FIFAは2004年7月1日以来、「過度に時間を失う事態」を想定して3種類の行為を警告処分(イエロー)対象に設定。「審判の目から見て挑発的、嘲笑的、または扇動的行為をした場合」「直前のゴールを祝うために周囲の柵によじ登った場合」「ユニフォームを脱いだりそれで頭を覆ったりした場合」、「選手は警告されねばならない」と明文化したのだった。

最初の理由はあくまでも「時間の喪失」だったわけだ。だが、「他にも正当化される理由がある」と主張する専門家もいる。それによると、第2の理由は「セキュリティー」。選手による過度のセレブレーションで狂乱した観客が、危険な群衆行動に出るのを回避する効果があるという。2017年にFCバルセロナのリオネル・メッシが、宿敵レアル・マドリード相手に2ゴールを叩き込み、ユニフォームを脱いで故意にレアルの観衆に見せつけた例がそれにあたる。

そこに第3の理由も加わった。もともと罰金などの処罰対象になっていた「政治的・宗教的メッセージ」である。1997年にリバプールのロビー・ファウラーは、ユニフォームの下のTシャツを誇示。そこにはストライキ中だったリバプール造船労働者を支援するメッセージが書かれていた。もっともこれなどは、まだほんわかしたローカルネタだったと言うべきだろう。ストライキは民主主義下では労働者の合法的権利であり、妥結しうるものだからだ。

ところが宗教となると趣はやや暗転してくる。「唯一神は誰か」をめぐって民主主義と相いれない紛争を煽り得るうえ、なかには危険なカルト集団もあれば、宗教と政治が合体してテロや戦争に発展するケースもあるためだ。

例えば2002 FIFAワールドカップでは、セネガル代表のエル=ハッジ・ディウフがゴール後にイスラム神学者アフマド・バンバの顔写真を誇示し、物議をかもした。危険ではないのだろうが、セネガルのイスラム神秘主義教団創始者であり、他国からみれば違和感があった。

だがイスラムだけではない。2007年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝では、ブラジル人カカも「I belong to Jesus」のメッセージを露出。翌2008年にはセルティックのアルトゥール・ボルツが、プロテスタントとカトリックの紛争地で「神は法王を祝福する」の文言を誇示した。また2009年には、当時セビージャ所属だったマリ人フレデリック・カヌーテが、こちらはパレスチナ支持の特製Tシャツを見せている。

要するにFIFAは、政治や宗教のプロパガンダが持ち込まれるのを警戒し、「中立」の原則を掲げているわけだ。確かに戦争プロパガンダや人種差別鼓舞は、フットボールも人間そのものも破壊しかねない。

◆「選手は警告され得る」

ただ問題は、人道的に立派な大義だろうが戦争プロパガンダだろうが内容を分析することなく、脱ぐ行為を一律に処分している点だ。ここに矛盾の原因があるとも言えるだろう。

このため選手たちの反抗も続いており、イエローを食らうと承知のうえでユニフォームを脱ぐ例があとを絶たず、歴史に残る名シーンさえ生まれている。名シーンの数々を挙げてみよう。

有名なのは2010 FIFAワールドカップ決勝のアンドレス・イニエスタだ。前年にピッチ上で命を落としたフットボーラーを追悼するためユニフォームを脱いだ。人として尊厳あるメッセージだった。ディディエ・ドログバも語り草になっている。2013年、アパルトヘイト廃止に命をかけたネルソン・マンデラにオマージュをささげたのだ。これにも黒人差別主義者以外のほとんどの人々が共感したに違いない。

2015年のズラタン・イブラヒモビッチも忘れられない。飢えに苦しむ世界幾百万人を象徴する約20人の名を上半身いっぱいに書きつけ、ゴール後に威風堂々ユニフォームを脱ぐと、逞しき体で飢餓問題を突きつけてみせたのだ。鳥肌が立つほど感動的なシーンだった。

エディンソン・カバーニもイブラを引き継いでいる。ブラジルのクラブ、シャペコエンセの選手たちを乗せた飛行機が墜落し、多くの犠牲者が出た直後の2016年11月30日、ゴールの瞬間にユニフォームを脱いでTシャツに記した追悼と支援のメッセージをささげたのだった。

女子フットボールでも反抗が行われている。昨年4人のアメリカ女子高校生が、サラリーの男女平等を要求して断固脱いでいる。同年にFIFA女子最優秀選手賞に輝いたミーガン・ラピノーはこの4人を激励した。

一方、冒頭のデンビは、予測していたとはいえ、失望と怒りを隠していない。彼は言う。「彼ら(処分する人々)だって、僕の立場になったら同じことをしたんじゃないかって聞いてみたいよ」「確かにルールは尊重しなければならない。その点では僕も気持ちが半々なんだ。でももう一度やり直せと言われたら、やっぱり同じことをすると思う」

ルールが先か、人間が先か――。フットボーラーは深い命題を突きつけてもいる。全て杓子定規に処分しなければならないのか、それともヒューマンなセレブレーションなら処分しないとの立場を示せるか。本当に解決策は皆無なのだろうか。

前述の元審判ブリュノー・ドゥリアン氏は「レキップ」紙にこう語っている。

「審判に選択肢と自由を与えて、審判に判定を任せるようルールを修正する必要があると思う。規定にはこう書くだけでいいのだ。ユニフォームを脱ぐまたはそれを頭にかぶった場合、『選手は警告されなければならない』ではなく、『選手は警告され得る』とね」
たった一つ単語を変えるだけで、非人間的処分をなくすことができるかもしれないのだ。一考の余地あり、ではないだろうか。<了>

文=結城麻里
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200128-00010000-realspo-socc



1 2020/01/28(火)
セレブレーションは人それぞれだし、覚悟で弔ったり祝ったり。決まりの上で自由にセレブレーションしているので個人的に今のままで良いと思う。

2 2020/01/28(火)
イエロー覚悟のパフォーマンスだから、それはそれで良いと思う。
イニエスタのユニフォーム脱ぐパフォーマンスは本当に感動したし、記憶に残っている.


3 2020/01/28(火)
セレブレーションや追悼の場合もあれば、政治的要素を含む内容の時もあり、言語の違いもあってその内容を主審が即座に判断するのも難しい。遅延の一つとして扱われていることもあり、イエロー出るのは致し方ないのでは。

5 2020/01/28(火)
追悼メッセージも、例えばこの間の香港の暴動の被害者の追悼は中国共産党の批判という政治的なメッセージを持ってしまう一面もある。
ピクシーの件も、NATOの批判という面もあれば空爆被害者を増やさないでほしいと言う人道的な意味合いもある。
これはいい、これはダメ、は価値観が異なる場合は問題になってしまう可能性がある。
他の人も言ってるように、「イエロー覚悟」でやるからこそ響くメッセージもあるから、現行のままでいいんじゃないでしょうか。

6 2020/01/28(火)
追悼のセレブレーションかどうかの判断はカメラだから出来ることで、主審にはその判断は出来ないよね。
一律にイエローにしておかないと無秩序になってします。
本当に追悼したいなら、ゴールセレブレーションのように非確定的な要素じゃなく、入場の時にするとかいろいろあるはず。

7 2020/01/28(火)
例えば亡くなられた友が仮に政治的な活動をしている人だったとしたら、イエローを出しても出さなくても、それぞれ一定の層から審判が非難され、場合によっては身の安全を脅かされるかもしれない。そう言った、本来サッカーとは関係ない部分でしかもナーバスな線引きを審判1人にとっさに判断させるのはあまりに酷というもの。
世界を見れば色々な主義主張があり、穏健なものばかりではない。特に世界中に浸透しているサッカーではそこまで考える必要がある。
明確に例外なくイエローということにした上で、個々の選手がそのことを承知の上でそれでも脱ぐ時は脱ぐという今の状況は一番合理的だと思う。

8 2020/01/28(火)
記事の例はどれも審判を含め皆が事前に知っているケースだけど、選手一人ひとりのプライベートな事情まで審判が把握できるだろうか?個人的に今のままでいいと思う。警告を受けることを承知してまで伝えたいから、そのメッセージが尊い側面もある。

9 2020/01/28(火)
確かユニフォームを脱ぐ行為を、遅延行為の1つ。また、相手チームへの侮辱行為の1つと捉えられたんじゃなかったかな!?
それでユニフォームを脱ぐ行為を警告の対象と定めたはず。
親友の死への追悼の為ならいいけど、それ以外は警告って事ではルールとして成り立たない。

10 2020/01/28(火)
これはいい、これは駄目。の線引きはむずかしい。
どのような行為も全て一面的というわけではなく
多面的に考えられる行為も多い。
それをいちいち細かく判定することなど不可能だし
一律で罰則とするべきだと思う。
どんな理由があれルールはルールとして
きちんと判定するべき
個々の思いや背景によって判定がかわるなど
ルールの意味が薄れてしまう。

12 2020/01/28(火)
選手もイエローカードだと分かってやっているし、両チーム公平なルールだし現状で問題ない。これ以上の罰を与える必要はないし、これ以下では無意味。丁度良いルールだと思う。
それでも発信したいのであればイエローを受け入れる覚悟のあるとしてメッセージにも重みがある。
変更の必要なし。

13 2020/01/28(火)
始めからルールでダメだってわかっていてやっているのに後から文句を言うのはどうかと思う
自分は尊いことをしたんだから別だろなんて論理が通るようになったらパフォーマンスが過激化しかねない
やりたいなら入場時や試合後でもいいはず
それでもダメだとわかっているゴール後にやるんだから処分は受け入れるべき
正直、試合に政治的な意味もそうだけど、私情も持ち込むのはどうかと思う
それでも表現したいなら、それ相応の覚悟はしておくべきだと思うな

14 2020/01/28(火)
難しい問題ではあるが試合中にユニフォームを脱ぐ行為自体は褒められる行為ではない。
ユニフォームはいわば戦闘服であり、それを脱ぐという行為は試合の放棄にも繋がる。
何か主張したいメッセージがあったり伝えたい思いがある場合はそれを覚悟の上で出された警告に対しては甘んじて受け入れるべきだ。
カバーニの時はカードを提示した審判もどこか心苦しそうだったがルールはルール。
カバーニも判定に対して抗議せず審判に対しても「彼は自分の仕事をしただけだ。」と言っていた。
その後カバーニと同じようにユニフォームを脱いでシャコペエンセに弔意を示した選手にカードを提示しなかった審判もいた。
前者は審判として、後者は一人の人間としての思いを貫いただけだ。
どちらも非難されるべきじゃない。

15 2020/01/28(火)

コメントシャツは一発退場でもいいと思います。
この行為は個人がイエローだから個人の責任で、他の選手には関係ない、チームに関係ない、監督にも関係ないというものではないですよね。
これが追悼ではなく国に対する主張とか個人的主張ができるのって多分ゴール決めた人だけですからね。
ゴールを狙える選手以外の選手や、対戦相手もできませんよね。
追悼でコメントしたいのであれば他のSNSとかユーチューブとかですればいいのではないでしょうか。

16 2020/01/28(火)
個人的に、異常なほどの違和感がある記事内容だ。
厳しく大元が禁止されていることについて何故従う事を勧めないのかな、まずは禁止事項になっていることを評価すべきことから次の議論が始まるのではないかな。
私見的な見解では、このパフォーマンスは個人の思想、演出だという事、であるならばサッカー競技は個人競技ではなくチーム競技であるという根本を置き去りにしている。大観衆にアピールしたければ、その場でなくても可能であるともいえる、場外でもやればいい。例えば自分の親族が亡くなった、その日自分はゴールして得点を挙げた、その喜びと親族の悲しみを同時にファンにアピールした、ゴールは嬉しいが亡くなったことは悲しい、ファンはどうやって喜べばいいんだな。可笑しいでしょ。

17 2020/01/28(火)
ルールはあやふやにすると更にややこしくなる。人間的とかそんなフワフワした理由だけで色々認めていたら収拾がつかなくなるし。
カード覚悟で主張するならありだと思うし。そこは個々が考えて、動くべき。理由があるからそのルールもあるわけだから。

18 2020/01/28(火)
筆者の最後の文、あれでは、審判の裁量によりメチャクチャになる可能性があるからダメでしょ。
他の競技からしてみてもユニフォームを脱ぐ行為は疑問がある。挑発・遅延行為・政治利用等、反スポと捉えられてしまう競技が多い。得点後にインターバルがない競技さえあるし。
「脱ぐのがダメ」の判りやすい規定通りでいいじゃん。競技に集中して他の機会にアピールして下さい。


19 2020/01/28(火)
イエローを貰ってでも伝えたい思い、なのだから余計に熱い思いを感じる。脱ぎ放題になってはまた違うと思うし。パフォーマンスを見せるためにそれまでは絶対にイエローは貰わないという2010w杯決勝でのイニエスタのような選手もいる。カード覚悟で脱いで追悼して、審判も仕方なくイエローを提示する、僕はこれをセットで素晴らしいものだと見ていました。なので変える必要は無いと思います。

21 2020/01/28(火)
意味を込めてする人もいるし、歓喜余ってする人もいる、もちろん挑発行為や遅延で行う人もいるから線引きは難しい。だからルールで統一しているのだと思うから今のままで良いと思う。

22 2020/01/28(火)
せめて追悼の場合のメッセージは見逃して欲しいと思うが、イエローは仕方ないと思う。何故なら審判が全世界の言語を理解できる訳ではないから。追悼のメッセージでもそれと分からない場合もあるだろうし…。試合前に審判に内容を伝えておくとか、方法はあるような気もするが、現時点でのイエローの制度は妥当だろう。
シャペコエンセの事故の後の追悼メッセージでイエローを出さなかった審判がいたけど、あれは良かったと思う。が、逆にイエローを出した審判が責められるべきでもないと思う。
試合後に問題のないメッセージだったと確認の取れた場合はイエローを取り消すとかの措置はあってもいいかなと思う。

23 2020/01/28(火)
後から裁定を決めてはいけないのだろうか。
審判も、何が書いてあるかなのかなんて瞬時に判断するのは難しいだろうし、それが宗教的な事だったり、悪質な物だったり、あまりにもプライベートな事だったり、そういった物に対して後から出場停止処分や罰金を課せばいいと思う。
もちろんあまりに長いパフォーマンスだったら、目的が何であろうと遅延行為としてその場でカードが出されるべきだと思うが。


24 2020/01/28(火)
ピクシーの「NATO STOP STRIKES」は覚えてる。祖国が瓦解した悲しみや、日本から祖国を思う叫びの様で。あれはFIFAがユニフォームを脱ぐセレブレーションに強硬に出る一因だったとも思う。
政治的なものを許容しちゃうと、民族対立や人種差別に繋がりかねないし、韓国の様に積極的にスポーツと政治を絡めようとする国もあるし、カードは仕方がない。それ覚悟で表現したい選手はやるだろうし。
中山がカズのユニフォームを下に来て、ゴール後に捲って一緒に戦ってるんだってアピールも良かった。

25 2020/01/28(火)
ドライな考え方なのかもしれませんが
今回の問題の一つは脱ぐ行為というよりメッセージ性の方にあると思う。
脱ぐ云々がイエローっていうのは後付け(言い訳)に使ってるだけにしか見えないですね。
脱ぐ問題とそこに秘められるメッセージの関係は別として扱わないとだめだと思うので
何が描かれていようと、何を着ていようとも
脱いだ時点でペナというのは、この件では曲げたらいけないと思う。
この件と関係なしに
メッセージの出し方の是非なら大いにやるべきだと思うけど。
弔う意味なら許していいとか、単純に合わせて考えてはいけないと思う。
ただ、個人の感情としては
こういう事情なら自由に出来るようになればいいのにな。とは思います。
(どこまでが良いのかというラインが難しくなりそうですが)

26 2020/01/28(火)

事前申告制にするにしても、判断が難しい。
試合としては時計が進んでいるし、場合によっては終盤体力回復の時間稼ぎとも見られかねない。
選手たちの意図、立場と試合を律する立場で思いも異なるだろうし、結局現行ルールにするので致し方ないのでは。

27 2020/01/28(火)
個人的には今のままでいいと思う。そういう背景があったのは事実だし、スポーツに政治が入るのはやはり良くない。
ただそういうセレブレーションもわかる。なら、現行ルールの厳密な規定は忘れたけど、自分の服の前面をまくり上げるだけにすればいいのでは。たぶん脱がなきゃセーフだったはず。まあ、それでまた政治とか出てきたら嫌だけど。

28 2020/01/28(火)
追討メッセージなら良いにすると、今後選手がユニフォームをまくる度に審判は内容をチェックしなければならなくなる。
そこにもし震災をお祝いますとあったら、欧米人審判は理解できるだろうか。
そういったのを見越して、FIFAは一律イエローと定めているんじゃないの。

29 2020/01/28(火)
ルールはルール、そこで警告もらってもくってかかる選手はいません。
審判もほんとは出したくなくても出さざるをえない時もあるでしょうし、やってる選手みんな警告を覚悟で、承知の上でやっていると思います。
そんな覚悟をもってパフォーマンスした選手も、ルールにのっとり厳格に判定を下した審判もどちらも素晴らしいと思います。

30 2020/01/28(火)
個人の追悼や天災への哀悼は感動する。
あのパフォーマンスはイエローカード出すまでが一括り。レッドへのリスクはあるが、それすらも厭わない感じが尚良い。

31 2020/01/28(火)
極論だけど、ホームチームがゴールを決めた際に追悼の意を込めてユニを脱いで警告が無く、同じ試合でアウェイチームがただのパフォーマンスで脱いで警告等になるとそれはそれで問題になるかも。
難しい問題ですね。。。

33 2020/01/28(火)
一応紳士のスポーツなので脱ぐ行為はどうなのかな?と、
追悼の意味ならベンチに置いておきそれを掲げるとかやり方はあると思う。

34 2020/01/28(火)

イエローは妥当なんじゃないか? 別にユニフォームを脱がないと追悼できないわけでもないし。











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