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1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/08/06(火) 12:46:45.19 ID:8WLmG44a9
世界2位の快挙から20年......今だから語る「黄金世代」の実態第14回:稲本潤一(2)

1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会の決勝は、スペインと対戦することになった。

U-20日本代表はチームに勢いがあり、選手もここまでの試合を勝ち抜いてきたことで、自信を持っていた。
唯一の不安要素は、キャプテンの小野伸二が準決勝のウルグアイ戦でイエローカードをもらい、累積警告によって出場停止になったことだった。

「伸二がいないのは、めっちゃデカかった」

稲本潤一は、厳しい表情でそう言った。

このチームは"小野のチーム"と言っても過言ではなかった。

小野は前年、18歳で日本代表に選出され、1998年フランスW杯にも出場した。技術の高さはピカイチで、人間性も優れ、リーダーシップもあった。
U-20日本代表は血気盛んな個性的な選手ばかりだったが、小野がいたからこそ、ひとつにまとまっていた。

稲本も、中学校時代から世代別代表で小野と一緒にプレーし、その存在の大きさを理解していた。

「(小野は)もう中学校の時から違っていた。ヤット(遠藤保仁)とか(中村)憲剛や(中村)俊輔さんらもすごいけど、彼らは努力してすごい選手になった。
もちろん、伸二も努力しているけど、最初に持っているセンスみたいなものがデカすぎたんよ。

その持っているモノは(努力して)作ろうと思っても作れるもんじゃないし、教えてもらっても得られるもんじゃない。
伸二って、メッシをどうやって作るのか、というレベルと同じ。そのくらいスーパーなんです」

稲本は、北海道コンサドーレ札幌時代にも一緒にプレーしたが、その際、あらためて小野のすごさを感じることがあったという。

「伸二に追いつこうと思っても、無理なんでね。まあ、1999年に(シドニー五輪アジア1次予選で)ケガをしてからは、自分の考えと体の動きがついていっていない感じやったし、
そこからケガも増えたけど、コンサ(札幌)で一緒にやって思ったことは、『伸二はやっぱり一番うまい』。
両足でスルーパスを出せる選手って、なかなかいないですよ。
今のサッカーでは、伸二のようなタイプを作り出すのは無理やと思います」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190806-00867480-sportiva-socc
8/6(火) 6:17配信


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2: 砂漠のマスカレード ★ 2019/08/06(火) 12:47:31.84 ID:8WLmG44a9
"稀代の天才"のすごさを冷静に語る稲本だが、小野とは違った意味で衝撃を受けたのは、中田英寿だったという。

「ヒデさん(中田)は、シドニー五輪のアジア最終予選から(チームに)合流したんやけど、マジで存在感がすごかった。
遠巻きで見ているだけで、話とかようせんかったもん。

当時、俺らの世代は、上の世代の選手が(同じチームに)来ても、ポジション争いで負ける気がまったくせんかった。
でも、ヒデさんだけは別格。ヒデさんは、伸二とは違う種類のすごさを持っている選手やった」

2000-01シーズン、中田は当時所属のローマ(イタリア)でスクデットを獲得するが、1998年にペルージャ(イタリア)に移籍してからの活躍は凄まじかった。
日本人がイタリアに行くと、あちらこちらで「ナカータ!」と呼ばれるほどの人気と知名度を誇っていた。

そんな選手が、世代別の代表に入ってきたのだ。
今で言うと、東京五輪世代のチームに、全盛期の本田圭佑が入ってくるぐらいのインパクトがあった。稲本が当時、中田の存在に舌を巻いたのも頷ける。

小野不在の決勝戦、稲本の名はスタメンになかった。小野に代わってピッチに立ったのは、大会初出場で初スタメンとなる氏家英行だった。

トルシエ監督は試合前、「おまえたちはスペインに勝てない」。いつものように、選手の気持ちを駆り立てるような厳しい言葉を投げかけてきた。

だが、チームは苦しい試合を戦い抜き、勝ち上がってきた。そこから得られた自信が、稲本にはあった。

「チームには明らかに勢いがあったし、(選手もチームも)1試合ごとに成長することができた。
普通に『負けへん』という自信があったし、大会の途中からフランス代表が(前年の)フランスW杯で勝ち上がっていく時の歌をみんなで歌ったりして、すごく盛り上がっていた。

そういう雰囲気って、すごく大事やなって思うんです。もちろん、実力も大事やけど、前向きな言葉とか姿勢とかを、選手全員が持っている。
多少の不満はあっても、チームのために全員で考え、全員が動く。この時は、そういうチームになっていた」

5: 砂漠のマスカレード ★ 2019/08/06(火) 12:48:21.39 ID:8WLmG44a9
しかしスペインは、そうした勢いと自信を持ったチームでも、まったく歯が立たなかった。後半から出場した稲本も、世界との差を強烈に体に刻み込まれた。

「スペインとは、勢いだけじゃあどうにもならない大きな差があった。ゲーム運び、個人のスキル、それまでのチームとは全然違ったね。
俺、結構調子がよくて、がっつりボールを取りにいったけど、まったく取れへんかったからね。
それまで、Jリーグではもちろん、世代別の代表の試合とかでも、そんなことはなかった。ほんまに『スペイン、すごいな』って思った」

スペインには0-4と惨敗を喫したものの、日本はFIFAの公式大会において当時の日本サッカー史上最高の2位という結果を残した。ただ、選手たちの表情はさまざまだった。
全7試合を戦って、その結果に満足している選手、決勝で負けた悔しさを露わにする選手......。

そんななか、稲本はほとんど表情を変えずにピッチに立っていた。

「決勝であれだけボコボコにされたんでね。満足できていない選手のほうが多かったと思う。自分もずっとレギュラーで試合に出ていたら、多少は充実感もあったと思うけど、ほとんど試合に出ていないからね。
まあ、チームにいられて楽しかったけど、ただ『準優勝したチームにおった』という感じ。充実感とかはなかったね」

膝のケガの影響が大きく、稲本のワールドユースは途中出場3試合に終わった。
予選まではチームの主力で、大会前のブルキナファソ遠征ではキャプテンも務めていただけに、思い描いたプレーができず、悔しさは人一倍大きく膨らんでいたことは、容易に察することができる。

それでもスペインのおかげで、稲本は"大きな財産"を得ることができた。

「大会を通して、世界での勝ち方とか学べたけど、個人的にはスペインとやって、世界との差を実感できたことがすごく大きかった。
スペインのレベルはほんまに高くて、この差は『リーガ・エスパニョーラとJリーグの差やな』って思った。そ
して、スペインに追いつくにはどうしたらいいのか、その時に初めて海外を意識したし、『海外に行こう』という気持ちになった」

7: 砂漠のマスカレード ★ 2019/08/06(火) 12:48:57.74 ID:8WLmG44a9
海外移籍――その時、稲本の脳裏に浮かんだのは、スペインだった。
言葉も知らず、スペインリーグの試合も見たことがなかったが、世界のすごさを目の当たりにして、海外に行くなら「スペインだ」と思ったという。

「ナイジェリア(の大会)のあと、2000年シドニー五輪や2002年日韓共催W杯に出場する目標もあったけど、それ以上を求めるなら、『日本におったらあかん』ってすごく思った。
日本で当たり前のように試合に出て、日本代表に入って......そのサイクルがマンネリになるのが嫌やったし、20歳ぐらいで成長のスピードが落ちるのが嫌だった。
だから、スペインをはじめ、より高いレベルの海外に行けるなら、そこでチャレンジしたいと思ったね」

その後、稲本はナイジェリアの地で芽生えた"志"を抱き続け、日本代表の中心選手になって活躍していく。
そして、ワールドユースから2年後、プレミアリーグの強豪アーセナルへの移籍を実現することになる。

(つづく)

稲本潤一いなもと・じゅんいち/1979年9月18日生まれ。大阪府出身。SC相模原所属のMF。
ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪→アーセナル(イングランド)→フラム(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→
カーディフ・シティ(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→ガラタサライ(トルコ)→
アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)→スタッド・レンヌ(フランス)→川崎フロンターレ→北海道コンサドーレ札幌

329: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:09:41.89 ID:GCjTN69N0
>>1
いつまで現役やってんだよ老害

225: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:42:51.58 ID:pOSUzsUS0
>>1
中田や小野は同世代からこの手の話よく聞くけど本田さんや香川は全然聞かんな

まぁ10年後くらいに言われるのかもしれんけど

309: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:04:32.30 ID:aPGn6Egy0
>>1
ウゼーーーーーーwwwwww

229: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:44:06.34 ID:N7noXSDz0
>>2
中田英寿の真実

CL→童貞
EL→予選4回戦止まり
W杯→2勝2分6敗 1G 0A(自国開催を除くと0勝1分5敗 0G 0A)
アジア杯→童貞。ちなみに2000年のレバノン大会(中田不在)と2004年の中国大会(中田不在)で日本代表は2連覇を達成
五輪→アトランタでは造反してチームを破壊、シドニーではPKを外して大戦犯に
vs強豪国→0勝5分8敗 得失点-19 0G 0A
Jリーグ→11位11位8位 (中田入団前年のベルマーレは5位)
スクデット→マンUで優勝した香川の3分の1以下の出場時間、3分の1以下のゴール&アシスト数
パルマ~ボルトン→5シーズンでわずか8G(PK1)※

※パルマではセリエA全選手中ワースト7位の評価、ボルトンではチーム内ワースト1位の評価を獲得

276: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:54:03.13 ID:SkJda5HZ0
>>2
中田の話は、これだけかよ
もっと記事にしろ 

281: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:55:19.02 ID:5Ex9mcB90
>>2
>今で言うと、東京五輪世代のチームに、全盛期の本田圭佑が入ってくるぐらいのインパクトがあった。

このクソみたいな例えは何なんだww
引退した選手の例えを今に当てはめるのに、なんで劣化して一線から下がった選手の全盛期とかいう訳の分からないものを持ってくるんだw
しかもその本田の全盛期っていつだよw CSKA移籍時ぐらいだろ?それもう粗10年前だぞw

4: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:48:01.98 ID:KXtMvq2O0
小野ってボール遊びが上手かっただけで
サッカーが上手かったわけじゃなかったからな

18: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:53:29.52 ID:8RMAQetF0
>>5
>スペインとは、勢いだけじゃあどうにもならない大きな差があった。ゲーム運び、個人のスキル、それまでのチームとは全然違ったね。
>俺、結構調子がよくて、がっつりボールを取りにいったけど、まったく取れへんかったからね

当時既にバルサで試合に出てたシャビエル・エルナンデスのことだな
のちにバルサとスペイン代表の黄金時代の立役者となる

282: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:55:31.71 ID:EI9s3FBb0
>遠巻きで見ているだけで、話とかようせんかったもん。
マジかよwww

>>18
( ・∀・)つ∩ヘーヘーヘー

339: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:12:28.26 ID:tn+jXVVt0
>>5
この時は本山も相当凄かったよな

8: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:49:53.32 ID:o+n9IOBX0
張本みたいだな
昔は凄かった(笑)

9: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:50:15.59 ID:Od+O6ddZ0
何回同じ話するんだこいつらは

342: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:13:02.29 ID:rSPno2Mo0
>>9
この世代の話を聞いて回ってる乞〇ジャーナリストがいる
今年に入ってずっとこれで食ってる感じのやつが
今回ひとりでインタビュー答えてるけど、
ちょっと前に座談会形式でも何人かとやってたりする

10: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:51:17.23 ID:NVMyazfQ0
小野は中田とは全然タイプが違ったけど
中田と比べるとフィジカル弱かったよなあ
良い流れで味方が攻め上がっててもすぐ倒されて

17: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:53:29.45 ID:jC/eZ4w10
>>10
小野はフィジカル強かったよ
嘘は良くない

29: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:57:56.76 ID:nI/7X7o50
>>10
ちゃんと見てないでしょ
中田には負けるけど、小野はガタイもいいし当たり負けはしないタイプだった
怪我してからはプレイスタイル変わったけど

139: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:24:44.15 ID:0k+7NJ2k0
>>10
チーム全体的にパススピードが6割増だったら違ったかもな

11: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:51:18.69 ID:OLU7dw5h0
前園さんは?

289: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:58:13.97 ID:JDd55xXu0
>>11なんであんな全盛期に消えたんだろな?でもまたタレントで人気になっててあれ!?思ったわ

294: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:59:26.27 ID:cu+PgDt30
>>289
セビージャへの移籍が破談になって明らかに腐った

310: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:04:37.49 ID:SNyAdqGH0
>>11
ヴェルディ行ったのが間違い

326: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:09:14.07 ID:ROM81XdJ0
>>11
ゾノさんは95年のダイナスティカップから96年のアトランタ五輪予選くらいまでが全盛期
調子がいいの時の乾+原口=ゾノさん

333: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 14:10:08.30 ID:8RMAQetF0
>>326
それは持ち上げ過ぎ

14: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:52:18.87 ID:0fwyrfvP0
実際小野って誰からも教えてもらってないんだろ
近所の少年団に入りたかったけど貧乏で入れなくて
その周りでうろちょろしてた時に既に天才だったんだよな

171: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:30:37.45 ID:K90yOvd00
>>14
母子家庭で、困窮してた
との、話しは県内でも有名だったな
とにかくボール扱いは上手かった
フリースタイルフットボーラーが
11人制サッカーに、上手く適合できた感
足元で受けるのが仇になって
膝を壊されたけど
さもありなん、だったよ

16: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:53:15.15 ID:LVxkOAco0
本山の方が天才だった

253: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:48:10.93 ID:eo4gGbQn0
>>16
それな。
あの小野がいちもく置いてたのが本山。なんでもできると。
ただ性格が子分体質だったから過小評価されてる。
2002、2006年も三都主じゃなくて本山だったらなあとおもったわ。
あの天才が一度もワールドカップに出ないで終わったとか信じられないな。

19: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:53:34.75 ID:Q9HSv/1P0
もう聞きあきたよその話

20: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:53:54.22 ID:MK6dmjRf0
決勝でスペインに負けて坊主にしたよな
ああいうノリ好きだわ

21: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 12:54:01.55 ID:jOunQ0yK0
シャビお得意のくるくる回るドリブルで交わされてたな稲本

71: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:05:37.72 ID:9ltZ/H3y0
>>21
あれ何なんやろな
どんだけ囲まれても簡単にクルクルターンで剥がせる
シャビが別格過ぎたw

166: 名無しさん@恐縮です 2019/08/06(火) 13:29:38.80 ID:hwuTZMMS0
>>71
相手の一列目と二列目の狭いところでボールを受けて
そのプレスを交わして前を向いてプレーができる展開力があるCMF。

これが居ないチームの試合は視ててもつまらない。

引用元: ・http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1565063205/







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