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◆ヴェンゲルとの出会いが転機に

 平成の世も残りわずかとなり、まもなく令和元年を迎える。平成30年間のスポーツ史のなかでも、平成4(1993)年のJリーグ発足は、とりわけエポックメーキングな出来事だった。

 そのJリーグを彩ってきたのが、異国の地からはるばるやってきた数多くの外国人選手だ。彼らの存在がなければ、Jリーグ、ひいては日本サッカーの隆盛もなかっただろう。

 そこで、過去26年間に在籍した外国籍選手の中から、厳選26クラブの「歴代最強助っ人」を選出した。最終回となる後編は、「オリジナル10」の名古屋、東京V、そして横浜フリューゲルスなど9チームのたちだ。

■名古屋グランパス
ドラガン・ストイコビッチ(MF)

●国籍または代表:元ユーゴスラビア代表
●在籍:93~01年
●通算成績:J1/184試合・57得点(名古屋)

 最初の契約は半年だった。“ピクシー”ことストイコビッチにも、Jリーグを終の棲家にする気持ちはなかった。

 転機となったのは、アーセン・ヴェンゲルの監督就任である。95年に再契約を結んだピクシーは、のちに世界的名声を得るフランス人指揮官の下で全盛時の輝きを取り戻す。カードを受けてばかりの荒んだプレーは消え、圧倒的な技術でピッチの支配者となっていくのだ。

 95年は15得点を挙げて最優秀選手のトロフィーを手にし、ベストイレブンには通算で3回選ばれた。
 名古屋の外国人選手として最多のリーグ戦184試合に出場、57のゴールをファンの記憶に刻み、01年に引退。9年後、現役時代には果たせなかったリーグ制覇を監督として成し遂げる。

■東京ヴェルディ
ビスマルク(MF)

●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:93~96年
●通算成績:J1/283試合・69得点(V川崎:137試合・36得点)

 90年のイタリア・ワールドカップに出場したブラジル代表MFとして、93年途中にヴェルディ川崎(当時)の一員となる。Jリーグ参戦のインパクトはさほど大きくなかったものの、のちのJリーガーの見本となるようなプレーヤーだった。

 基本技術がずば抜けて高く、イージーミスはほとんどない。ボールを押し出すようなインサイドキックを活用し、カズこと三浦知良や武田修宏らのFW陣に多くの決定機を提供した。ゴールセンスを併せ持ったMFでもあり、94年はリーグ戦で14ゴール、95年は11ゴールをマークしている。

 また、93年と94年のナビスコカップでは、2年連続で得点王とMVPに輝く。敬虔なクリスチャンとして知られ、勝利や得点後に眉間をつまみながら片膝をついて祈りを捧げた。

◆千葉、湘南、鳥栖、横浜フリューゲルスの最強助っ人は?

■ジェフユナイテッド千葉
チェ・ヨンス(FW)

●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:01~03年
●通算成績:J1/88試合・55得点(市原:73試合・54得点)
J2/33試合・20得点

 日本代表を苦しめてきた韓国代表のストライカーは、Jリーグでも得点力を爆発させた。

 01年から03年まで3年連続で15得点以上を叩き出し、通算54得点はチームの歴代外国人で最多である。

 高い打点から繰り出すヘッドと右足のシュートは、コースを見極めても止め切れない威力があり、日本人GKのレベル向上を促したとの声もある。

■湘南ベルマーレ
アシエル(MF)

●国籍または代表:ブラジル
●在籍:06~11年
●通算成績:J1/0試合・0得点(湘南)
J2/196試合・50得点(湘南:196試合・48得点)

 在籍6年は、助っ人としてはクラブ最長。09年には、反町康治監督の下で右ウイングに固定されると、獅子奮迅の働きでJ1昇格の歓喜を呼び込んだ。

 しかし10年は、両足脛骨の疲労骨折でピッチに立てず。魔法の左足と愛くるしい笑顔が印象的な“湘南の太陽”に、一度でいいからJ1でプレーしてほしかったと思うサポーターは少なくない。

■サガン鳥栖
キム・ミヌ(MF)

●国籍または代表:韓国代表
●在籍:10~16年
●通算成績:J1/161試合・20得点(鳥栖)
J2/52試合・11得点(鳥栖)

 韓国人と縁の深い鳥栖でも、キム・ミヌは特別な存在だろう。

 J2とJ1で7年に渡りプレーしたこのレフティは、底なしのスタミナとキレのあるドリブルを、「第二の故郷」と話す鳥栖で磨き上げ、韓国代表にまで上り詰めた。

 16年にキャプテンに指名されたのは、「日本人選手の倍やらなければいけない」という強い責任感が評価されたからだ。

■横浜フリューゲルス
サンパイオ(MF)

●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:95~98年
●通算成績:J1/156試合・16得点(横浜F:116試合・13得点)
J2/41試合・5得点

 ピッチ外では愛嬌溢れる笑顔で人気者だったブラジル代表MFは、ボランチのモデルケースと言っていい選手である。山口素弘とのダブルボランチは、機能性も補完性も申し分がなかった。

 95年に時同じくして加入したMFジーニョ、FWエバイールとの「ブラジル人トリオ」は敵の脅威に。そのふたりが去った後もチームを牽引し、99年元旦の天皇杯決勝では、実質的に消滅したフリューゲルスに最後のタイトルをもたらした。

◆京都でプロデビューを飾った世界的名手

■京都サンガF.C.
パク・チソン(MF)

●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:00~02年
●通算成績:J1/38試合・8得点(京都)
J2/38試合・3得点(京都)

 アジア・サッカー界の歴史に名を残したパク・チソンは、京都でプロデビューを飾った。

 入団2年目の01年に頭角を現わし、チームのJ1昇格に貢献。翌02年はボランチからウイングへポジションを移し、同い年で仲の良い松井大輔、得点源の黒部光昭と躍動感を溢れるユニットを形成した。

 02年の天皇杯優勝を置き土産に、03年途中にオランダの名門PSVへ移籍。その後のマンチェスター・Uでの活躍は周知の通りだ。

■大分トリニータ
エジミウソン(MF)

●国籍または代表:ブラジル
●在籍:03、05~06年、07~09年
●通算成績:J1/150試合・11得点(大分:127試合・11得点)
J2/26試合・1得点

 チームが危機に瀕するたびに舞い戻り、通算6シーズンに渡り在籍した。

 ハイライトは08年。同胞ホベルトとのコンビで中盤を引き締めて、ナビスコ杯優勝とクラブ史上最高のリーグ4位に貢献した。

■アビスパ福岡
ベンチーニョ(FW)

●国籍または代表:ブラジル
●在籍:03~04年
●通算成績:J1/68試合・48得点
J2/116試合・56得点(福岡:61試合・24得点)

 日本で4クラブを渡り歩いた後、03年に加入。すでにベテランと呼ばれる年齢だったが、J2で20ゴールと持ち前の得点能力を爆発させた。

 在籍期間こそ2シーズンと短かったものの、05年のJ1昇格への道筋を作ったひとりと言っていい。

●サッカーダイジェスト責任編集「Jリーグ助っ人列伝」を修正・加筆
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190430-00010005-sdigestw-socc&p=1



1 2019/04/30(火)
ユーゴ情勢と膝の大怪我
ピクシーが名古屋へ来たのはいくつもの要因が重なり実現した
最初のうちはカード連発でとんでもない野郎だったが2年目からはスーパープレー連発
日本のファンはピクシーに魅了された
いつだったかセルジオ越後が
『中田 小野 中村もピクシーに影響された選手 ピクシーの功績は大きい』と言ってたが本当に大きな影響を与えたと思う

2 2019/04/30(火)
パクチソンは当初の中盤選手として補強したのだけど、最初のJ1ではガンバの稲本にいいようにされていたのを覚えてる。
で、ワールドカップでの活躍を見たエンゲルスがアタッカーにコンバートしたら、あれよあれよの大活躍!チームは天皇杯まで取った!
それほどの選手を、京都はほぼ無償でPSVに放出、あとの彼の出世ぶりは語るまでもないが、肝心の京都は……これは語らないでおこう……。

4 2019/04/30(火)
ピクシーに関してはあのラモスが別格と言ってたし、金田も同時期にいたレオナルドと比較しても格が違うと言ってた。観客を楽しませるプレーも見事だったけど、キックやトラップの基本技術が段違いだった。
95年のピクシーは突き抜けて凄かったけど、ただ全盛期に戻ったはさすがに嘘だろ。この記事を書いた記者はピクシー全盛期を見たことないのか?
怪我前の90年前後のキレッキレのプレー見たらそれはないと思うけど。

5 2019/04/30(火)
ピクシーには感謝しています。サッカーの楽しさ、素晴らしさ、面白さ、難しさ、色々教えてもらった。監督時代には優勝や革靴シュートまで魅せてもらいました。
サッカーど素人の自分がサッカーを大好きにさせてもらった。
間違いなくピクシーが自分にとってNo.1プレイヤーです!

7 2019/04/30(火)
最強の助っ人は、ピクシーに違いない。

8 2019/04/30(火)
Jリーグに影響を与えたという意味ならジーコは外せないと思う
彼がいたからこそ鹿島の黄金時代があったと思うし、Jリーグにおける鹿島の活躍がプロ意識を日本全体に浸透させた面はあったと思う

10 2019/04/30(火)
大分サポとしてはマグノアウベスやウィルも捨て難いけど、3度も入団してくれたエジは本当に最高の助っ人だった。
リーグ全体で見ると、ドゥンガ、ストイチコフ、レオナルドも良かったと思う。

11 2019/04/30(火)
ピクシーの視野の広さにいつもシビレてました。
ゴール近くで相手と対峙しながら、どこにパス出したんだろ?と思ったら遠くから走ってきたフリーの味方にドンピシャのタイミングで合わせてたのを何回も見ました。
瑞穂に見に行った時はコーナーキックを直接、ゴールしてました。
まさに次元が違う選手でした。

13 2019/04/30(火)
元フリエサポとしては最後の天皇杯まで全力で戦ってくれたサンパイオには感謝の念でいっばい。
ボール奪取能力は勿論、空中戦の強さ、正確なスルーパス、意表を突くPA内への飛び出しからゴールとワールドクラスだった。
山口素弘さんとのダブルボランチは当時のJ最強だったと思う。

14 2019/04/30(火)
ピクシーのプレーは今も目に焼き付いてるな~何しても凄かった。有名なプレーは数知れずあるが、俺は地味たがピクシーの切り返しが好きだった。みんな連れてたもんな~。なんで?ってずっと思ってた

16 2019/04/30(火)
ヴェンゲルと出会ってからはカードをもらわなくなったというのは嘘。95年の第2ステージでも多くの出場停止を繰り返していた。出場時の勝率を考えると、出場停止がなければ名古屋は優勝できていたともいわれており、本人もそれを悔やんでいたのだから

17 2019/04/30(火)
中学生の頃にメキシコW杯で見たピクシーは衝撃的だった。
世間の注目はマラドーナ。プラティニを筆頭にしたフランスの黄金の中盤。ジーコ、カレカ、ソクラテスなどタレント揃いのブラジルなどだった。
日本では無名だったピクシーはマラドーナにも劣らぬ足元のテクニックを披露していた。
同大会では先に出たジーコやカレカ、得点王のリネカー、リトバルスキー、すでにユベントスでプラティニとプレーしていた若きラウドルップもデンマーク代表として出場しており、この大会に出場した選手が数多くJに来てくれたのは個人的には嬉しい限り。

20 2019/04/30(火)
ストイコビッチは、Jに加わった助っ人の中でも別格。
2人くらいベッタリマークに着いていたはずでも、いつの間にかフリーになってる!
ピッチ全裸委を俯瞰する能力にも長けていて、相手の守備陣の隙間をアッサリ突いていた。
名古屋のオフェンス陣の力を3~4倍に増幅していましたよね。

21 2019/04/30(火)
ここのコメを見て凄く感じたんだけど、ヒデや俊輔、伸二みたいな日本人黄金世代は、J創成期を見てきた世代なんだよね。
少年時代に、こんなワールドクラスな選手たちのプレーを生で見て育ったんだよね。
よく考えたら、今のJもイニエスタ、ビジャ、ポドルスキー、Fトーレスって、ヤバいワールドクラスが揃っていますよね。
今のところは、まだ上手く機能しきれてないですが、正直5〜10年後が楽しみになって来ました(^^)

24 2019/04/30(火)
自分的には今でもずっと札幌、川崎、浦和に所属したエメルソンだけどね。
湘南はベッチーニョっていう声もあるかもしれないけど平塚時代だからね。
湘南になってからだと確かにアジエルかも。
ジャーン、トゥット、パラシオスetc優良助っ人来たよね。

25 2019/04/30(火)
ジェフはリトバルスキーじゃあないかなぁ

26 2019/04/30(火)
ピクシーがグランパスに移籍先を決めた理由の一つにリネカーの存在もあるので、世の中何がプラスに働くか分からんね。

28 2019/04/30(火)
グランパスファンでは無いが過去最高の助っ人
外国人選手はピクシーだと思う、観戦してても
嫌で嫌で仕方なかった。

31 2019/04/30(火)
本当に色んな選手がJを盛り上げてくれたなー
ピクシーは本当に追っかけ状態でどこでも観に行きました 本当に辞めて欲しくなかった
またJの監督として戻ってきてほしいな
期待に応えた選手もいたけど、ベベットやイルハンは
酷かったねw

32 2019/04/30(火)
南アフリカW杯ギリシャ戦でゴールを決めた後不器用ながらカズダンスをした朴智星には感動した。
韓国国内ではエライ叩かれたみたいだったがな…

33 2019/04/30(火)
湘南はベッチーニョのインパクト強いけどなぁ。
パク・チソンは運動量凄かったけど、こんな世界的な選手になるとは当初思わなかった!

35 2019/04/30(火)
ピクシーは監督になっても、Jリーグ最高のスーパーゴール決めてる(笑)

36 2019/04/30(火)
ストイコビッチのプレーの影響は計り知れない。Jリーグ史上No.1外国人助っ人だろ。

38 2019/04/30(火)
右ワイドに居る時のピクシーは決定的な仕事を何度もしてたな。

39 2019/04/30(火)
Jリーグの最強助っ人は…、ビスマルクだと思う…。Jリーグ発足当時はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、それから鹿島アントラーズに移籍してヴェルディ、アントラーズの常勝軍団を築き上げた…。
ヴェルディからアントラーズにビスマルクが移ったタイミングこそが、この2つのクラブの現在に至る未来が大きく反映していると思う…。

41 2019/04/30(火)
選手のピークを終えた頃に来る外国人選手の中でレオナルドは、現役バリバリのブラジル代表選手でした。彼のプレーには皆、度肝を抜かれたのではないかな。ディフェンスは、マークの意味がないくらいの外され方でしたよ。

42 2019/04/30(火)
ピクシーは選手としても凄くて
そして監督として戻ってきて
悲願のリーグ優勝も果たしてくれた。
野球で言うなら長嶋茂雄とケンモッカを
足して2で割った感じ。

44 2019/04/30(火)
唯一応援したチームが横浜フリューゲルス。
消滅が決まった後天皇杯を勝ちまくって優勝したときは本当に嬉しかった。
しかし、もうそのチームは完全に無くなった。
今は、Jのチームを応援することも無くなった・・。

45 2019/04/30(火)
1年しかいなかったけどG大阪のアラウージョ。清水の時はパッとしなかったけど05年はすごすぎた。33試合33得点はヤバい

47 2019/04/30(火)
新潟サポととしては、マルシオ・リシャルデスにも触れてほしい












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